日本の世界遺産・遺跡の切手 我が国の木造建築の最高位・国宝・姫路城(白鷺城)
日本のユネスコ世界遺産(Herittage)の姫路城の切手です。A姫路城 - (1993年、文化遺産、白鷺城)、国宝・姫路城(兵庫県姫路市、世界遺産)は平成5年12月、奈良の法隆寺とともに、日本で初の世界文化遺産となりました。 姫路城が世界遺産に登録されたのは、その美的完成度が我が国の木造建築の最高の位置にあり、世界的にも他に類のない優れたものであること。 17世紀初頭の城郭建築の最盛期に、天守群を中心に、櫓、門、土塀等の建造物や石垣、堀などの土木建築物が良好に保存され、防御に工夫した日本独自の城郭の構造を最もよく示した城であること。
などが評価されたためです。姫路市(ひめじし)は、近畿地方の西部、兵庫県南西部(播磨地方)に位置する市。旧飾磨郡・揖保郡・神崎郡・印南郡・宍粟郡(1889年の市制当時の区域は旧飾磨郡)。中核市に指定され、奈良時代、播磨国の国府が置かれた。本町遺跡が国衙跡であると推定されています。
姫路城 改修工事 大天守は2009年(平成21年)10月9日から大規模な改修工事「平成の大修理」が行われました。 工事期間は2015年(平成27年)3月までの約5年半で、事業費は約28億円だそうです。
外壁のしっくいの塗り替えや屋根瓦のふき替え、耐震性を高める補強も行われました。 追加で写した写真は2015年12月現在でも修理は終えていませんでした。
参考:社団法人 日本ユネスコ協会連盟のHP(世界遺産活動)
■日本の国宝の索引 [ 世界遺産(日本全体のトップ)|建築物|絵画|工芸品 ] 「平城遷都1300年の切手と写真」 |
|||
■世界遺産Index [ TOP|ヨーロッパ|アフリカ|アメリカ大陸|オセアニア|アジア(日本、中国、東南アジア、西アジア) ] |
|||
|
|||
ブログ:古代日本のロマン:卑弥呼と邪馬台国のニュース(箸墓古墳)(2009年5月29日) |
日本の世界遺産と遺跡・古墳 |
|||
■日本の世界遺産(The UNESCO World Heritage ) 日本全体のトップ ★作成に当たり、Wikipediaやその地に地域のHPの資料を使わせていただきました。 |
|||
A姫路城 |
|||
■姫路城は、白漆喰(しろしっくい)の白壁ゆえ、別名・白鷺城(しらさぎじょう)とも呼ばれています。 4大国宝城(姫路城、松本城、彦根城、犬山城)の一つで、築城以来の姿をほぼ残しており、1993年に日本で初めてユネスコの世界文化遺産に登録されました。 城は海抜45.6mの姫山の頂上に建てられており、天守閣の高さは46.4mです。通路は迷路のように曲がりくねり、複雑な防御の仕組みにより、まっすぐ進めないようになっています。 |
|||
国宝・姫路城(国連) |
安土・桃山時代・姫路城 |
姫路城天守閣・姫路城図 |
|
姫路城(白鷺城) |
姫路城修理完成(1964年) |
国宝・姫路城 |
|
■姫路城(ひめじじょう、Himeji Castle, Himeji-jo)は、兵庫県姫路市(播磨国飾東郡姫路)にあった城。江戸時代初期に建てられた天守や櫓等の主要建築物が現存しています。姫路城の築城者は南北朝時代・1346年(南朝:正平元年、北朝:貞和2年)の赤松貞範とする説が有力であり、『姫路城史』や姫路市ではこの説を採っている。一方で赤松氏時代は砦と呼ぶべき小規模なもので、「城」と呼べる規模の構築物としては、16世紀に播州平野に割拠した小寺氏の被官である黒田重隆が築城したのが最初であるという異説もあります。江戸時代には、「西国将軍」「姫路宰相」と呼ばれた池田輝政が城下町を形成し、姫路藩の城下町となった。現在の市街地にも城下町の町割りが残っています。姫路城の位置する姫山の古名「日女路(ひめじ)の丘」に由来するといわれる。この地名は古くはカイコの事をヒメコ(蚕子)と呼んでいたことから、かつてこの地が養蚕業の盛んな地域であった事に因んで付けられたと思われる。『播磨国風土記』にも、「日女道丘(ひめじおか)」の地名が登場する(大汝命と火明命の親子喧嘩の神話から)。 |
|||
姫路城(白鷺城) |
「姫路城」江戸時代初期(17世紀前半)に現在の姫路市街の北側にある姫山および鷺山に築かれた平山城。国宝、重要文化財、特別史跡に指定されており1993年にはユネスコ世界遺産に奈良法隆寺とともに登録された(日本の世界遺産登録第1号)。別名「白鷺城」。サンマリノと日本の文化より |
世界遺産・姫路城(クリックで拡大) |
|
■姫路市(ひめじし)は、近畿地方の西部、兵庫県南西部(播磨地方)に位置する市。旧飾磨郡・揖保郡・神崎郡・印南郡・宍粟郡(1889年の市制当時の区域は旧飾磨郡)。奈良時代、播磨国の国府が置かれた。 |
|||
姫路城の天守閣・世界遺産国宝 姫路城 |
姫路城の天守閣・世界遺産国宝 姫路城 |
||
■世界遺産・姫路城は築城以来400年、この地に砦が築かれてからでは600年を超える歴史があり、数多くの国宝、重要文化財、伝説などを有する、姫路市のシンボル。日本に現存する城の中でも世界的に高い評価を受けています。
5層7階の華麗な大天守と東、西、乾(北西)の3つの小天守などから成る「連立式天守閣」や白漆喰総塗籠造の城壁などは、「白鷺城」とも呼ばれる美しい景観を生み出しています。その城内は巧妙な「螺旋式縄張り」が施され、要塞としても高い機能性を誇ります。 |
|||
2015.12 撮影 | |||
菱の門から 大天守 |
大手門駐車場から 大天守 |
「ろの門」は高麗門 |
大天守 ビュースポット |
2015年12月現在でも姫路城 大天守は完成しても、乾小天守や西小天守の辺りは修理は終えていませんでした。 |
|||
■備前丸は、本丸の一郭で、城主池田輝政が住んでいた所。客と会見する対面所などがありましたが、明治15年の火災で焼失してしまいました。 |
|||
将軍坂と「はの門」 |
乾曲輪からの大天守 |
「にの門」 |
|
■「にの門」は城内屈指の防御力、攻撃力を誇る櫓門です。 「にの門」をくぐって西北腰曲輪に入ると、いよいよ天守群が目の前に迫ってきます。 なんとも可愛らしい門が見えます。 「ほの門」です。 この門は城郭用語では埋門(うずみもん)と呼ばれる門です。 石垣上の土塀の下の一部を切り欠いて門とする形をとっています。 |
|||
「ほの門」 |
水の一門 |
||
水の一門 |
水の一門と瓦 |
棟門とは、両側の鏡柱に冠木を渡して切妻屋根をかけただけの簡単な門です。「ほの門」からUターンするとある「水の一門」は、城門としてはあまり使われることのない棟門という形式の門です。棟門とは、両側の鏡柱に冠木を渡して切妻屋根をかけただけの簡単な門です。 |
|
■「ほの門」からUターンするとある「水の一門」は、城門としてはあまり使われることのない棟門という形式の門です。 |
|||
西小天守 |
水三門 |
西小天守と大天守 |
|
水西門 |
水西門 |
||
大天守4階から見る姫路 |
東大柱(大天守4階) |
||
大天守5階への階段 |
西大柱 |
大天守最上階 刑部神社 |
|
■姫路城大天守最上階(6階)にある刑部神社(長壁神社・おさかべじんじゃ)は、ひと言でいうと姫路城の守護神。姫路城が建てられる前から姫山に祀られていた神社で、現在姫路市に3ヶ所ある。 |
|||
姫路城大天守最上階(6階)から姫路の市街地を眺める |
|||
東大柱(大天守5階) |
■大天守の3階には「武者隠し(むしゃがくし)」と呼ばれるスペースが設けられています。内部に攻め入った敵をここに隠れた兵が応戦できるようになっています。 |
武者隠し((3階) |
|
東の大柱(心柱)は丸い円柱なのに、西の大柱(心柱)は四角い角柱なのはなぜ?=現存と復元が一目で分かるようにしてあるのです。東の大柱はもともと丸いからそのままで、西の大柱は取り替えたことが直ぐ分かるように四角に加工したのです。 |
|||
備前丸から 大天守 |
への櫓 |
姫路城 城内 腹切丸 |
ぬの門 櫓門 |
姫路城 城内 お菊井戸 |
扇の勾配 |
化粧櫓 |
|
この化粧櫓は、徳川秀忠と江(崇源院)の長女として生まれた千姫のためにつくられたものです。 千姫は一度は豊臣秀頼に嫁ぐのですが、大阪夏の陣で秀頼と死別したあとは、本多忠刻と再婚して姫路城で約10年間過ごしました。当時は「播磨姫君」と呼ばれていたそうです。 |
|||
姫路城 腰曲輪の 姥ケ石と |
姫路城 城内 お菊井戸 絵葉書 |
姫路城 城内 腹切丸 絵葉書 |
しほ味 饅頭 |
しほ味まんじゅうは、ほのかな塩味と小倉餡の甘味とが絶妙な播磨を代表する風土菓。 |
|||
■姥が石:「ほの門」をくぐると天守閣の石垣に「姥が石」が見える。秀吉が築城した際、石が不足しているということを聞き、町の貧しい老婆が石臼を寄付したのがこの「姥が石」であるといわれている。この話を聞いた多くの人が石を提供し、城の石垣が完成したという。 |
|||
注)姫路市役所観光スポーツ局のHPを主に参考にさせていただきました。 |