名張・万葉の会|藤井寺&羽曳野 岡ミサンザイ古墳(伝仲哀天皇陵→雄略天皇陵) |
岡ミサンザイ古墳
令和元年に世界遺産に登録された岡ミサンザイ古墳(おかミサンザイこふん)は、藤井寺にあり古市古墳群に属する前方後円墳。宮内省では仲哀天皇陵とも。 陵名は惠我長野西陵(えがのながののにしのみささぎ)で、第14代仲哀天皇の陵墓に治定されている。 築造年代は5世紀後半。 墳丘の長さは242メートルで、古市古墳群では4位、全国で18位の規模の古墳。 中世に城郭として利用された形跡があり、当初の状態から大きく変化している。 数年前までは蓮の花が沢山見られたとの事ですが、今は一切なし。 また付近は昔はモモの栽培で、モモ林が広がっていたとの事です。 またガイドさん曰く、時代考証などから仲哀天皇陵ではなく、雄略天皇陵が正しいとの事。 横穴式石室の存在の可能性も指摘されている。 信憑性を感じます。 発掘調査によって外堤から円筒・盾型埴輪などが出土した。周囲には北に鉢塚古墳(国の史跡「古市古墳群」のうち)、東に割塚古墳がある。
■仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)は『古事記』『日本書紀』に記される第14代の天皇。12、13、14代の称号は後世の造作ということになり、仲哀天皇の実在性には疑問が出されている(仲哀天皇架空説)。日本武尊(やまとたけるのみこと、『古事記』では倭建命と表記)こと小碓命(おうすのみこと)、またの名を日本童男(やまとおぐな)は、景行天皇の皇子で、仲哀天皇の父とされる人物。日本神話では英雄として登場する。記紀は、2世紀頃に存在したと記す。実際には、4世紀から
6、7世紀頃の数人の大和(ヤマト)の英雄を統合した架空の人物(津田左右吉説)という見方もある。
雄略天皇の万葉歌 |
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・籠もよ み籠持ち ふくしもよ みぶくし持ち この岳に 菜摘ます児 家聞かな 告らさね そらみつ 大和の国は おしなべて われこそ居れ しきなべて
われこそ座せ 我こそは 告らめ 家をも名をも (万葉集 第一巻 万葉集一番最初の歌) |
■ミサンザイ古墳(みさんざいこふん)とは、日本の古墳の名称。 ミサンザイとは『みささぎ(御陵)』がなまったものとされており、各地に同名の古墳がある。
★世界遺産名:「百舌鳥・古市古墳群 -古代日本の墳墓群-」
百舌鳥・古市古墳群は,古墳時代の最盛期であった4世紀後半から5世紀後半にかけて,当時の政治・文化の中心地のひとつであり,大陸に向かう航路の発着点であった大阪湾に接する平野上に築造された。
世界でも独特な,墳長500メートル近くに達する前方後円墳から20メートル台の墳墓まで,大きさと形状に多様性を示す古墳により構成される。
墳丘は幾何学的にデザインされ,埴輪などで外観が飾り立てられ,葬送儀礼の舞台となった。(令和元年登録)
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