日本の風景|滋賀 忍者と信楽焼で有名な甲賀市 |
甲賀(こうか)市とは
甲賀市は、滋賀県東南部に位置し、大阪・名古屋から100キロメートル圏内にあり、近畿圏 と中部圏をつなぐ広域交通拠点に位置しています。その東南部は、標高1,000mを超える山々が連なる鈴鹿山脈により、西南部は信楽盆地とこれらに続く丘
陵性山地により各々三重県、京都府に接しています。甲賀市は2004年10月、水口、土山、甲賀、甲南、信楽の旧5町が合併して生まれた新しい市。
甲賀市といえば「甲賀忍者」「信楽焼」「東海道五十三次の宿場(土山宿・水口宿)」などが全国的に知られています。 切手以外の写真は、クリックで拡大します。
[ 信楽|紫香楽宮跡〈甲賀寺跡〉|甲賀流忍術屋敷|水口岡山城|鶏鳴滝 ]
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甲賀市・水口(名物干瓢) |
土山(春之雨) |
近江国 土山宿 |
甲賀市・水口の近郊 |
甲賀市・水口の黄昏 |
■水口では、力石が有名で、小坂町の曲がり角にある。江戸時代から知られていて、浮世絵師国芳が錦絵の題材に使っている。他には東見付跡、高札場跡、問屋場跡、からくり時計が有名です。 シーボルトが「江戸参府紀行」に水口のことを書いています。 |
■水口は信楽の近くになります。特産品は広重53次に描かれている「干瓢(かんぴょう)」「藤細工」「煙管」などがある。また4月に行われる水口曳山祭は有名です。絵は宿場の外れの干瓢農家を描いています。干瓢は栃木の生産であったが、城主の移動と共に伝わったものと言われてる。水口は「みなくち」です。歌舞伎の「重の井の別れ」の舞台となったところです。今も国道1号線が通っています。
■土山宿(つちやまじゅく)は東海道49番目の宿場(→東海道五十三次)で、現在は滋賀県甲賀市(旧土山町)。西に向かう旅人が鈴鹿峠を越えて最初に入る宿場で馬子唄にも「坂は照る照る
鈴鹿は曇る あいの土山雨が降る」と謡われているように雨が多い所である。東海道土山宿には公卿や諸大名が泊まる本陣、脇本陣をはじめ旅籠が軒をつらね、本陣は徳川三代将軍家光が上洛の際に設けたといわれています。
★田村神社(たむらじんじゃ)は滋賀県甲賀市土山町にある神社で。社伝では、812年(弘仁3年)に創建されたという。 場所は野洲川(やすがわ)の支流田村川沿いにあり、閑静な森の中にある古社。平安時代初期、鈴鹿峠の鬼を退治の坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)を祭神として創建されたといいます。
信楽(しがらき)
■信楽(しがらき)は、奈良、山城などの畿内と東海地方とを結ぶ交通路でもあり、茶湯の中核として発展した京都、奈良に近いことから、後に茶陶信楽焼が発展した。
信楽は、付近の丘陵から良質の陶土がでる土地柄である。長い歴史と文化に支えられ、伝統的な技術によって今日に伝えられて、日本六古窯のひとつに数えられている。信楽特有の土味を発揮して、登窯、窖窯の焼成によって得られる温かみのある火色(緋色)の発色と自然釉によるビードロ釉と焦げの味わいに特色づけられ、土と炎が織りなす芸術として“わび・さび”の趣を今に伝えている。
信楽駅(しがらきえき) |
信楽駅前の大きな狸の電話ボックス |
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信楽駅改札口 |
信楽駅前のモニュメント |
★信楽駅(しがらきえき)は、滋賀県甲賀市信楽町長野にある信楽高原鐵道の駅。滋賀県の駅では最南端に当たる。ホームには、大量の狸の置物が置かれている。JR東海道線・草津から、草津線に乗り換えて約25分貴生川に。信楽高原鐵道に乗り換えさらに25分、信楽駅に到着です。 |
★信楽駅前に設置されたこのモニュメントは、ベルの響きによって生じる波をイメージし、信楽焼の伝統的な技法の一つである、大物創りを生かして形成されたものを積み重ね、その上部に組み込んだベルが澄んだ音色を響かせています。 |
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甲賀市信楽伝統産業会館にて |
★甲賀市信楽伝統産業会館は伝統的工芸品として認定された信楽焼の殿堂です。鎌倉時代のやきものから近世のものまで、ひと目でわかる信楽焼の歴史を展示。随時展示会も開催しています。入口には「暫」が、中の入口には大きな茶碗が置いてありました。 |
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甲賀市信楽伝統産業会館にて |
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信楽は町中を歩くと分かりますが、信楽焼一色の町。そこかしこに信楽焼が見つかります。 |
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信楽焼の店先 タヌキ |
信楽焼の店先 タヌキ |
信楽焼の店先 カエル |
滋賀版「琵琶湖と |
喫茶店の入口の信楽焼 |
民家の軒先の信楽焼 |
信楽焼・夫婦タヌキ |
狸のポスト(町中) |
信楽焼・タヌキ |
★信楽焼は、滋賀県甲賀市信楽を中心に作られる陶器で、日本六古窯のひとつに数えられる。一般には狸の置物が著名。
Shigaraki ware is pottery and stoneware made in Shigaraki area, Japan. The kiln is one of ‘The Six Old Kilns’ in Japan. Although figures representing the Tanuki are a popular product included as Shigaraki ware, the kiln and local pottery tradition has a long history.
■信楽町の新宮神社にて開催される「げなげな市」
げなげな市の「げな」は信楽弁の「・・らしい」と言う意味だそうです。うどん・スィーツ・ポンタ焼・かやくご飯・鯖寿司・干物・ホシイモ・おばあちゃんの漬物・手作り小物・風呂敷・あてもん等 沢山のお店が出ていました。
新宮神社・げなげな市 |
げなげな市 鯖寿司 |
養蜂場のハチミツ |
げなげな市の風景 |
おばあちゃんが売る「ふなずし」 |
げなげな市の風景 |
新宮神社 本殿 |
■信楽町の紫香楽一宮 新宮神社(しんぐうじんじゃ)は霊亀元年(七一五年)九月 第四十四代 元正天皇の御代、奈良時代の創建。以来信楽町大字長野、神山、江田、小川の産土神と遍く尊崇され、社号を新宮大明神と尊称した。曽て近衛関白家を始め、近江の守護佐々貴氏等の信仰篤く、代々当社の境内神領等の寄進があった。 |
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新宮神社 舞殿 |
新宮神社 舞殿 信楽焼 |
信楽焼で出来た鶏・太鼓 |
★鯖寿司(さばずし)は有名な京料理の一つでもあり、古来から京都の家庭では、祭りなどの「晴れ」の日に鯖寿司がつくられてきた。京都の庶民生活の中で祭りや四季の催し物で食されるご馳走である。海から遠い京都の町では、日本海側の福井県若狭地方で水揚げされた鯖に一塩をしてから荷車で山を越えて運ばれていた。この運ばれて来た道を鯖街道と言う。
★鮒寿司(ふなずし)は、フナを用いて作られる「熟れ鮨(鮓)」として有名で、滋賀県の郷土料理。日本の「ふなずし」の歴史は、奈良時代にまで溯り、長屋王家木簡や二条大路木簡に「鮒鮨」や「鮨鮒」の語がみえている。主に琵琶湖の固有種であるニゴロブナが最適とされてきたが、ゲンゴロウブナも使用されている。オスもメスともに使われるが、子持ちのメスのものは比較的高価である。
紫香楽宮跡〈甲賀寺跡〉
■紫香楽宮跡(しがらきのみやあと)とは、滋賀県甲賀市信楽町黄瀬・同市信楽町牧にある遺跡。国の史跡に指定されている。聖武天皇が天平17年(745年)に遷都した紫香楽宮(しがらきのみや)の跡に比定され、1926年(大正15年)に史跡として約33000平方メートルが指定された。しかし、その後の発掘調査の進展により、当遺跡の北2キロメートルにある甲賀市信楽町宮町の宮町遺跡が実際の紫香楽宮跡とみなされるようになり、黄瀬・牧にある遺跡は東大寺に先駆けて紫香楽宮で大仏建立を行った甲賀寺の跡、または近江国国分寺の跡である可能性が高くなった。
「国史跡紫香楽宮跡の公式WEBサイト」
★甲賀寺(こうがじ)は、奈良時代中期紫香楽宮の近くにあった寺院である。現在の護国寺である。大仏が建立されるはずだったが、天災が相次ぎ、大仏は奈良の東大寺に作られる事となった。
★関連ページ「海住山寺、恭仁京 」
甲賀流忍術屋敷
■山岳武術の修験道場飯道山の南北を伊賀街道で結ばれた伊賀と甲賀、その滋賀県側に甲賀流忍術の発祥の地甲南があります。甲賀忍者五十三家の中でも有数の豪族であった「望月家」は同族24家が一致団結し長亨元年(1487年)「鈎の陣」を初め戦乱の世に甲賀忍者の実力を天下に示しました。伝説の忍者猿飛佐助はこの望月家の忍者という説もあり、望月家の祖望月三郎兼家は甲賀三郎とも言われ伊賀の敢国神社に祀られています。また映画の世界では甲賀忍者と伊賀忍者は敵対の存在として扱われていますが実際には伊賀街道を活発に往来し山岳兵法武術を高め合い戦国末期には同盟関係を結んでいたようです。
[甲賀流忍術屋敷 公式ホームページ | 今に残る本物の忍術屋敷]
「甲賀流忍術屋敷」 |
「甲賀流忍術屋敷」 |
「甲賀流忍術屋敷」館長 |
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忍者とは |
「甲賀流忍術屋敷」の案内 |
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「甲賀流忍術屋敷」甲冑類 |
「甲賀流忍術屋敷」 |
「甲賀流忍術屋敷」道先案内 |
九曜紋 |
甲賀五十三家の筆頭格であった望月出雲守の旧居 |
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★甲賀流忍術屋敷は、甲賀五十三家の筆頭格であった望月出雲守の旧居。
戦国時代には、後に甲賀忍者と呼ばれる甲賀五十三家の筆頭格に数えられ、伊賀の「服部氏」、甲賀の「望月」と称されるようになる。望月出雲守が望月城(現:甲賀市
旧:甲賀郡甲南町)を築城するなどの記録が残されており、望月出雲守屋敷跡は現在甲賀流忍術屋敷となっている。 九曜紋が一般的といわれているが、望月城跡などには七曜紋が残され使われている。また甲賀流忍術屋敷には、丸に九曜が残されている。
★「忍者、天正伊賀の乱」参考ページは、「名張ノスタルジー|天正伊賀の乱について エピローグ(第三次天正伊賀の乱、甲賀攻め)」です。
水口岡山城 (別名水口古城)
■水口岡山城(みなくちおかやまじょう)は滋賀県甲賀市水口町水口にある城。現在の水口城の東、古城山にあり、水口古城とも呼ばれる。 羽柴秀吉の命により中村一氏が1585年(天正13年)、甲賀郡の支配の拠点として築き、入城した。その時、平安の昔から、都から伊勢へと通じる街道の要所として栄えていた宿場町水口の原型をつくった。その後1590年(天正18年)に増田長盛が、1595年(文禄4年)には長束正家と五奉行を務めた2人が相次いで入城している。 1600年の関ヶ原の戦いでは長束正家は西軍に属し、南宮山麓に布陣していたが戦闘には参加できず敗走。水口岡山城に籠城したが追ってきた池田長吉らに攻められ、降伏開城した。
鶏鳴滝(けいめいたき)
■滋賀県甲賀市信楽町神山地区にある鶏鳴滝(けいめいたき)です。大戸川源流の見事な滝です。
元旦に金色の鶏が鳴くという故事から名づけられたそうです。春は桜、秋は紅葉で美しい場所です。冬には結氷するそうです。
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