日本の風景|名張・万葉の会 山の辺の道(天理市) 内山永久寺跡 |
山の辺の道(天理から柳本へ)
日本最古の道である大和の古道(やまとのこどう)のうち、奈良盆地の東、平地と山地の間を縫うように南北に通る道が『山の辺の道』です。 山の辺の道は、三輪山のある桜井市から天理市を経由して奈良市の春日山まで続く道です。 今回は道のりの丁度真ん中の天理周辺のの神社・仏閣・古墳(遺跡)を対象としました。 天理市は天理教の本山、伊勢神宮と同じ古さの日本最古の石上神社と七支刀、天皇陵があります。 各々格式だけでなく相当古く有名な神社や遺跡。 また各神宮等の謂れは、Wikipedia を参考にしてます。 奈良・桜井(泊瀬の道の海石榴市が山の辺の道の出発点若しくは終点と言われています。 平成22年6月5日及び平成24年4月5日撮影。
切手以外の写真はクリックで拡大。 参考 天理市(山の辺の道)
内山永久寺跡への道すがら
白木蓮の花 |
梅の花 |
奈良名物の柿の木 |
内山永久寺跡
■内山永久寺跡 : 内山永久寺は、永久2年(1134)に鳥羽天皇の勅願により、興福寺大乗院第2世頼実が創建、大和では東大寺・興福寺・法隆寺に次ぐ待遇を受けていました。 三方を山に囲まれていることから内山といい、院号を金剛乗院といった。本尊は阿弥陀如来。 『永久寺置文』によれば、保延2年(1136年)に真言堂、同3年に八角多宝塔が建立され、その他、吉祥堂、観音堂、常存院、御影堂、経蔵、鐘楼、温室(浴室)、四所明神社、玉賀喜社など多数の堂宇が存在した。 大和国では東大寺・興福寺・法隆寺に次ぐ待遇を受ける大寺であり、その規模の大きさと伽藍の壮麗さから、江戸時代には「西の日光」とも呼び習わされた。 明治の廃仏毀釈の嵐の中で廃寺。 寺跡は石上神宮の南方、山の辺の道沿いにあり、かつての浄土式庭園の跡である池が残る。 石上神宮摂社「出雲建雄神社」の割拝殿(国宝)は、内山永久寺の鎮守だった住吉神社拝殿です(1914年に移築)。
『太平記』によると延元元年・建武3年(1336年)には後醍醐天皇が一時ここに身を隠したと伝えられ、「萱御所跡」という旧跡が残された。
★[内山永久寺から流出した代表的な文化財]
@出雲建雄神社(いずもたけおじんじゃ)割拝殿(国宝) 奈良県天理市・石上神宮(いそのかみじんぐう)所有
もと内山永久寺鎮守の住吉神社拝殿。廃仏毀釈の際に難を逃れたものである。明治23年に放火によって住吉神社本殿を失って以後、荒廃していたものを1914年(大正3年)現在地に移築。現在は石上神宮摂社の出雲建雄神社の拝殿となっている。
A木造持国天・多聞天立像(重要文化財) 奈良市・ 東大寺蔵
B愛染明王坐像(重要文化財) 東京国立博物館蔵
木造彩色でガラス玉などによる装飾が付く本体、諸尊を描いた彩色画を備える厨子、共に鎌倉末期の造像当初のものを良好な状態で残している。
道端の案山子 |
奈良名物の柿の木 |
竹林 |
柿は古来より日本で栽培されている果物です。奈良県では大和朝廷の時代から栽培され、特に大正時代以降、柿の栽培面積が急に増えました。現在は主に刀根早生や富有などの品種を五條市、下市町中心に栽培されています。 柿には1000の品種があるといわれています。柿は食用以外にもいろいろ活躍しています。例えば柿の渋は、染料として昔から利用されています。柿渋には繊維を強くする効果があり、衣服以外にも、漁で使う網にも利用されていたそうです。
参考資料 Wikioedia他 |
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