名張・万葉の会|和歌山・和歌浦 玉津島神社、塩竈神社、万葉館の万葉集写本、海禅院 |
和歌山・和歌浦
今回は和歌山県指定文化財 名勝・史跡 和歌浦。 2012年7月5日 万葉集には和歌山の詠んだ歌が107首もあり、古くから風光明媚な土地として万葉の歌人に詠まれた和歌の浦は、斉明天皇・持統天皇らの紀温湯(牟婁温湯。現在の白浜)行幸の際に立ち寄られただけではなく、後に聖武天皇が和歌の浦・玉津島を目的地として行幸したほど、万葉人にとっては馴染みの深い景勝地だったそうです。 近世においても天橋立に比肩する景勝地とされた。近現代において東部は著しく地形が変わったため往事の面影は見られないが2011年に漸く国の名勝に指定され、また自然海岸を残す西部の雑賀崎周辺は瀬戸内海国立公園の特別地域に指定されており、其々保護されている。
索引 [ 玉津島神社|不老橋,鏡山,塩竈神社|万葉館の万葉集写本|万葉の小径|三断橋と妹背山,海禅院 ]
■「片男波」という地名は、この「潟をなみ」という句から生まれたとされる。また、『続日本紀』によれば、一帯は「弱浜」(わかのはま)と呼ばれていたが、聖武天皇が陽が射した景観の美しさから「明光浦」(あかのうら)と改めたとも記載されている。和歌浦は玉津島と片男波を結ぶ砂嘴と周辺一帯を指します。
■海王丸(かいおうまる)は、日本の航海練習船で大型練習帆船。初代海王丸と、2代目の海王丸II世がある。初代海王丸は1930年(昭和5年)進水、約半世紀にわたり「海の貴婦人」として親しまれ、1989年(平成元年)引退、海王丸II世がそのあとを引き継いだ。
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玉津島神社
■玉津島神社(たまつしまじんじゃ、玉津嶋神社とも書く、Tamatsushima Jinja )は、和歌山県和歌山市和歌浦に鎮座する六国史(古代日本の律令国家が編纂した6つの一連の正史:日本書紀〜日本三代実録)に記載のある神社です。
稚日女尊、息長足姫尊、衣通姫尊の3柱に明光浦霊(あかのうらのみたま)を配祀。古来玉津島明神と称され、和歌の神として住吉明神、北野天満宮と並ぶ和歌3神の1柱として尊崇を受けることになりました(近世以降は北野社に代わって柿本人麿)。
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不老橋と鏡山と塩竈神社
■不老橋(ふろうばし)は、和歌山県和歌山市和歌浦に位置するアーチ型の石橋。片男波松原にあった紀州東照宮御旅所の移築に際して、第10代紀州藩主徳川治寶の命によって架けられた。第13代藩主徳川慶福の治世の嘉永3年(1850年)に着工し、翌4年(1851年)に完成した。
不老橋の側面 |
不老橋 |
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■塩竈神社(しおがまじんじゃ)は、和歌山県和歌山市和歌浦に鎮座する神社。塩竈神社は玉津島神社の祓所から神社になった。海産物、安産の神として信仰されてきた神社で、神体の塩槌翁尊は輿の窟という岩穴に鎮座する。江戸時代の和歌山では「一に権現(紀州東照宮)、二に玉津島、三に下り松、四に塩竃よ」と歌われ、塩田の塩を焼く釜からこの名が付けられたという。また、古くから安産の守神として祀られてきたことが考えられる。
塩竈神社 石碑 |
塩竈神社・鳥居 |
塩竈神社・輿の窟と鏡山 |
塩竈神社・和合の松 |
塩竈神社の祠 |
塩竈神社 |
塩竈神社は、結晶片岩でできた鏡山の南面に位置する。岩肌は曝れた木理のような観を呈することから伽羅岩と呼ばれ、岩と松の組み合わさった風景が玉津島の原風景を今に伝える。祠は、海風により自然に形成された洞窟である。祠の中には小さな拝殿が造られている。元は玉津島神社の抜所で、輿ノ窟(こしのいわや)と呼ばれていた。
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万葉館の万葉集写本
■片男波公園は、万葉集にも多くの風光美が詠まれている和歌公園内の片男波地区に位置しています。この地区は、和歌浦湾に注ぐ和歌川の河口部に沿うようにできた延長千数百メートルにも及ぶ狭長の砂州半島である。中央部にある万葉館は、時を越える万葉集の歌世界への旅の出発点。万葉集の多数の写本が展示されています。
■現在知られている最も古い写本「桂本(かつらぼん)」の複製品。平安時代中期のもので、巻4の一部が残るのみ。貴重なんです。
■【万葉拾穂抄】まんよう-しゅうすいしょう ―えふしふすいせう : 万葉集の注釈書。二〇巻三〇冊。北村季吟著。1686年成立、90年刊。従来の注釈を集大成したもの。初の全歌注釈として広く用いられた。
■江戸時代の国学者で、門下生に本居宣長などがいる賀茂真淵が著した「万葉考」。賀茂 真淵(かものまぶち、元禄10年3(1697年) - 明和6年(1769年))は、江戸時代の国学者、歌人。
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片男波公園 万葉の小径
■万葉の小径。片男波公園の奥まったところに、今回の目的地 万葉の小路 がありました。 とても静かです。 この万葉の小路には、和歌浦や玉津島にゆかりのある5つの歌碑が建てられています。
和歌山 紀伊万葉ガイドブックよりご紹介します。
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三断橋と妹背山と海禅院
■玉津島神社のすぐ東隣にある三断橋。 砂岩製高蘭付きの三断橋は、初代藩主徳川頼宣が架橋したもので、慶安期に建造したもの。
■和歌川河口に浮かぶ妹背山は、周囲250m程の小島。妹背山と三断橋 - 県指定文化財(名勝・史跡和歌の浦)。万葉集に出てくる妹背山です。この”妹背山”は、和歌浦にある船頭山、妙見山、雲蓋山、奠供山、鏡山、妹背山の六つの山のなかで唯一小島として残っている山であり、当時の面影が偲ばれる場所です。
砂岩製高蘭付きの三断橋 |
三断橋 付近の干潟 |
三断橋と妹背山の案内 |
妹背山のたたずまい |
妹背山の岩肌 |
妹背山頂上への坂道 |
妹背山頂上からの干潟の風景を遠望する |
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妹背山頂上からの干潟風景 |
片男波海岸の干潟 |
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■海禅院(かいぜんいん)は、和歌山県和歌山市和歌浦中にある寺院。1649年(慶安2年)、徳川家康の三十三回忌の際、養珠院(お万の方)が、妹背山に法華経を書写した経石を納めた石室を造り、その上に小堂を建てたのが創始である。養珠院に賛同した後水尾上皇や庶民など、身分を問わず全国から経石を集めて総数は20万個になったという。
養珠院の没後、1653年(承応2年)に紀州藩主徳川頼宣は、小堂を二層の多宝塔に改築し拝殿と唐門を建立した。多宝塔 - 市指定文化財。
海禅院・多宝塔 |
海禅院・多宝塔の説明 |
海禅院・多宝塔 |
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