大和の風景|奈良・明日香村(飛鳥)は「日本の心の故郷」の写真と切手 No.3 |
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明日香村
歴史の宝庫の明日香村(あすかむら)は、奈良県の中央部に位置する村で奈良県高市郡明日香村が正式。中央集権律令国家の誕生の地である事から飛鳥時代の宮殿や史跡が多く発掘されている事で知られ、「日本の心の故郷」と呼ばれています。 高松塚古墳と中尾山古墳、キトラ古墳、檜隈安古岡上陵と檜隈大内陵、伝飛鳥板蓋宮跡など・・・。 切手以外の写真はクリックで拡大。
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明日香村周辺の地図 |
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高松塚古墳と中尾山古墳
■高松塚古墳(たかまつづかこふん)は、奈良県高市郡明日香村(国営飛鳥歴史公園内)に存在する古墳。 7世紀末から8世紀初頭にかけて築造された終末期古墳で、直径23m(下段)及び18m(上段)、高さ5mの二段式の円墳である。 1972年に極彩色の壁画が発見されたことで一躍注目されるようになった。 東壁には手前から男子群像、四神のうちの青龍とその上の日(太陽)、女子群像が描かれ、西壁にはこれと対称的に、手前から男子群像、四神のうちの白虎とその上の月、女子群像が描かれてる。男子・女子の群像はいずれも4人一組で、計16人の人物が描かれてる。中でも西壁の女子群像は(壁画発見当初は)色彩鮮やか。 飛鳥駅からすぐの所にある高松塚古墳、昭和47年に発掘された美しい壁画が世間を驚かせたのは有名な話です 。
高松塚古墳の壁画(左から 男子群像、青竜(青龍)、女子群像) 切手で紹介 |
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高松塚古墳 女子群像 |
壁画発見当時、「飛鳥美人」として注目を集めた女子群像は、西側壁の北側に描かれている。まずは見事な筆運びと鮮やかな色彩を見てほしい。伸びやかな線と緑、黄、紺、朱、桃色が、目に飛び込んで来る。南を向いた先頭の女性が「団扇または翳(さしば)」、三番目の女性が「如意(にょい)(当初は孫の手として使われた威儀具の一種)」を持っている。 |
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■飛鳥資料館(あすかしりょうかん)は、奈良県明日香村にある奈良文化財研究所の附属機関。592年に推古天皇が豊浦宮に即位してから、694年に持統天皇が藤原京へ遷都するまでの約100年間、飛鳥時代における倭国の中心であった飛鳥地域で発掘された多くの出土品を展示するとともに、飛鳥地域の研究の最新情報を提供している。 |
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高松塚古墳 |
高松塚古墳 玄武 |
高松塚古墳 |
高松塚 玄武 |
キトラ古墳 玄武 |
高松塚古墳 白虎 |
高松塚古墳 男子群像 |
高松塚古墳 男子群像 |
高松塚古墳 女子群像 |
■昔の小学校を改装して展示しているため、建物はかなりレトロで校庭が駐車場となっている明日香村埋蔵文化財展示室。入館は無料です。 館内はそれほど広くありませんが、キトラ古墳の出土品を始め、様々な古墳の出土品・石室内の写真・模型を使った復元品などをじっくり見学できます。 埋蔵文化財展示室の横には飛鳥水落遺跡があります。 |
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高松塚古墳壁画 於 明日香村埋蔵文化財展示室 (HP) |
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■高松塚古墳の石室は凝灰岩の切石を組み立てたもので、南側に墓道があり、南北方向に長い平面の形状をしている。直径23メートルの円墳の石室の寸法は長辺(南北)の長さが約265cm、短辺(東西)の幅が約103cm、高さが約113cm(いずれも内法寸法)であり、平面形状は三畳間に近い。
壁画は石室の東壁・西壁・北壁・天井の4面に存在しており、切石の上に厚さ数ミリの漆喰を塗った上に描かれている。
■中尾山古墳は、明日香村大字平田に所在する終末期の八角墳。本古墳の立地は、古代には檜隈(ひのくま)と呼ばれたところで、尾根の最高所に位置する。 北に天武・持統天皇陵があり、南に文武天皇陵や高松塚古墳が見えるところにある。
■中尾山古墳は昭和49年には環境整備事業の一環として本格的な発掘調査が実施された。 墳丘は対辺長約30mの三段築成の八角形墳であることが明らかとなりました。 下段部分が約47度の傾斜で正八角形状に川原石を巡らしており、中段部分は約50度の角度で八角形状に石を巡らしています。
中尾山古墳から |
中尾山古墳の説明 |
中尾山古墳 八角墳 |
キトラ古墳(キトラこふん)
■キトラ古墳(キトラこふん)は、奈良県高市郡明日香村にある古墳。 東西南北の四壁の中央に四神の青龍、白虎、朱雀、玄武が描かれてる。 四神の下に、それぞれ3体ずつ十二支の獣面(獣頭)人身像が描かれてると想定されてますが、北壁・玄武の「子(ね)」、東壁・青龍の「寅(とら)」、西壁・白虎の「戌(いぬ)」、南壁・朱雀の「午(うま)」等、6体の発見に留まってる。 同時代の中国や朝鮮半島では獣頭人身を象った浮き彫りや土人形が埋葬された墓が発見された。このような共通性から、キトラ古墳は高句麗や新羅の文化的影響を受けてたと考えられてる。 なお、2005年になって発見された「午」の衣装は、同じ南壁に描かれている朱雀と同じ朱色であった。
なお、2005年になって発見された「午」の衣装は、同じ南壁に描かれている朱雀と同じ朱色であった。このことは、十二支像がそれぞれの属する方角によって四神と同様に塗り分けられてることを推測させる。これは中国・朝鮮の例には見られない特色である。 天井には本格的な天文図があり、太陽、月、星座、赤道 等が描かれてました。中国や朝鮮に残ってる最古の天文図は11世紀や12世紀のものであるから、現存する天文図のなか では世界最古ではないかと注目されてます。
キトラ古墳壁画体験館 四神の館は、キトラ古墳の隣にある体感型施設(入館無料)で、実物の壁画や出土遺物を保存管理しています。 概要ゾーンには、実物大で再現された石室のレプリカなどが展示されていますが、レプリカは、単なる写真ではなく、壁画の剥がれかかったところなども忠実に再現されています。 また、天井の天文図や壁画が投影される壁画ゾーンでは、床の長方形の部分に寝転ぶと埋葬された気分を味わえます。
近鉄飛鳥駅からバスで5分(「キトラ」下車) |
キトラ古墳壁画体験館 |
キトラ古墳 |
キトラ古墳壁画体験館 四神の館 朱雀の模型 |
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朱雀とは、中国の伝説上の神獣(神鳥)で、四神(四獣・四象)・五獣の一つ。朱雀は南方を守護する神獣とされる。中国の星座である二十八宿の神の一、先秦や道教賜る長生の神、五行-火の象徴、天之四霊の一。翼を広げた鳳凰様の鳥形で表される。
文武天皇陵と檜隈大内陵
■文武天皇(683年- 707年7月18日)は、日本の第42代天皇(在位:697年8月22日- 707年7月18日)。草壁皇子(天武天皇第二皇子、母は持統天皇)の長男。 母は阿陪皇女(天智天皇皇女、持統天皇の異母妹、のちの元明天皇)。父・草壁は皇太子のまま亡くなり即位していない。
陵(みささぎ)は、宮内庁により奈良県高市郡明日香村大字栗原にある檜隈安古岡上陵(桧隈安古岡上陵:ひのくまのあこのおかのえのみささぎ)に治定されている。宮内庁上の形式は山形。 遺跡名は「栗原塚穴古墳」。 ただし、八角墳であり横口式石槨を持つ明日香村平田の中尾山古墳を真の文武天皇陵とする意見が有力である。 持統天皇陵を通過し文武天皇陵へ向かう。
柿畑を通過 |
檜隈安古岡上陵 「栗原塚穴古墳」 |
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■檜隈大内陵 野口王墓(のぐちのおうのはか)は、奈良県高市郡明日香村にある古墳。 形状は八角墳。 古墳時代終末期の古墳である。 宮内庁により「檜隈大内陵(ひのくまのおおうちのみささぎ)」として第40代天武天皇・第41代持統天皇の陵に治定されている。『日本書紀』には「大内陵」と記される。 墳丘は現在東西約58メートル、南北径45メートル、高さ9メートルの円墳状。 本来の墳形は八角形・五段築成、周囲に石段をめぐらすとされる。2室からなる切石積みの石室があり、天武天皇の夾紵棺と持統天皇の金銅製骨蔵器が納められているとされる。
天武・持統天皇稜 「檜隈大内陵」 |
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『日本書紀』には、天武天皇の死後、687年(持統元年)10月壬子条に「始めて大内陵を築く」との記事がある。688年(持統2年)11月には誅が終わり、天武天皇が埋葬されている。702年(大宝2年)に崩御した持統が703年(大宝3年)12月癸酉に飛鳥岡にて火葬され、同月壬午に「大内山陵に合葬」された。
※持統天皇(じとうてんのう、645年〈大化元年〉 - 703年1月13日〈大宝2年12月22日〉)は、日本の第41代天皇(在位:690年2月14日〈持統天皇4年1月1日〉
- 697年8月22日〈持統天皇11年8月1日〉)。天武天皇の皇后(天智天皇の娘、天武天皇の姪にあたる)。史上三人目の女性天皇。
伝飛鳥板蓋宮跡
■板蓋宮(いたぶきのみや)は、7世紀半ばに皇極天皇が営んだ皇居。一般には飛鳥板蓋宮と呼称される。642年(皇極天皇元年)1月、皇極天皇は夫である舒明天皇の崩御により即位し、同年9月19日(10月17日)、大臣である蘇我蝦夷へ新宮殿を12月までに建設するよう命じた。これにより完成したのが板蓋宮である。板蓋宮は、645年7月10日(皇極天皇4年6月12日)に発生したクーデター(乙巳の変)の舞台となった。この日、蘇我入鹿が刺殺され、これにより皇極天皇は同月12日(14日)に退位し、軽皇子が即位した(孝徳天皇)。
※皇極天皇(こうぎょくてんのう)は、舒明天皇の皇后で、天智天皇・間人皇女(孝徳天皇の皇后)・天武天皇の母である。推古天皇から一代おいて即位した女帝(女性天皇)になる。『日本書紀』によれば、天皇は古の道に従って政を行なった。在位中は、蘇我蝦夷が大臣として重んじられ、その子・入鹿が自ら国政を執った。
飛鳥資料館
■飛鳥資料館(あすかしりょうかん)は、奈良県明日香村にある奈良文化財研究所の附属機関。
常設展示は第一・第二の2つの展示室で行われている。第一展示室は「仏教伝来と蘇我氏」、「飛鳥の宮殿」、「律令国家への歩み」、「飛鳥の古墳」、「飛鳥の寺院」の5つのコーナーからなり、高松塚古墳出土品をはじめとした、飛鳥地域の宮跡、寺院、古墳などの関係資料を展示している。第二展示室は蘇我倉山田石川麻呂の発願によって建立された山田寺(桜井市山田)の関係資料を展示している。 山田寺跡からは、1982年の発掘調査により、東回廊の部材の一部が出土した。これは、世界最古の木造建築として知られる法隆寺金堂よりさらに古い、7世紀なかばの建築部材である。
飛鳥資料館 |
亀石 レプリカ |
山田寺の鴟尾 |
山田寺の模型 飛鳥資料館 |
川原寺の模型 飛鳥資料館 |
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■山田寺(やまだでら)は、奈良県桜井市山田にあった古代寺院。法号を浄土寺または華厳寺と称する。蘇我倉山田石川麻呂の発願により7世紀半ばに建て始められ、石川麻呂の自害(649年)の後に完成した。中世以降は衰微して、明治時代初期の廃仏毀釈の際に廃寺となった。その後、明治25年(1892年)に小寺院として再興されている。本尊は十一面観音である。
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