日本の歴史|平城遷都1300年の関連写真と切手 平城宮跡 マスコットは「せんとくん」 |
2011年現在、平城遷都1300年イベントは既に終了していますが、「せんとくん」と平城旧跡は現存し、ページも残しています。
平城遷都1300年
平城遷都1300年(the 1300th Anniversary of Nara Heijo-kyo Capital)の切手(Stamp)と写真(Picture)です。 平城京(へいじょうきょう、へいぜいきょう、Nara
Heijo-kyo Capital )は、奈良時代の日本の首都。 所謂、「奈良の都」で、唐の都「長安」や北魏洛陽城等を模倣して建造されたとされ、現在の奈良県奈良市及び大和郡山市近辺に位置していました。 藤原京から平城京への遷都は707年(慶雲4年)に審議が始まり、708年(和銅元年)には元明天皇により遷都の詔が出され、710年(和銅3年)3月10日
(旧暦)に遷都された。 大内裏に相当する辺りは現在の近鉄奈良線大和西大寺駅と新大宮駅の中間にあり、1922年には史跡に指定、1952年には特別史跡(平城宮跡(へいじょうきゅうせき))として保存されている。 平城京はシルクロードの終着点でもり、国際的な都市であった。 京内には唐や新羅、遠くはインド周辺の人々までみられたという。 2010年4月24日より、平城遷都1300年祭りが開催されている。 平城遷都1300年のマスコットキャラクターは「せんとくん」,鞠智[きくち]城のキャラクター「ころう君」で何れも可愛いです。 写真も多数掲載してます。 切手以外の写真はクリックで拡大。
■日本の世界遺産(The UNESCO World Heritage )の切手
[ 法隆寺|姫路城|屋久島|白神|京都|白川郷|広島|厳島|奈良|日光|琉球|
紀伊|知床|石見|遺跡 ]
写真・奈良特別編 [東大寺|春日大社|法隆寺]、
仏教美術の切手 [仏教美術の切手と説明]
藤原京、壺阪寺、談山神社、長谷寺も。 東大和(宇陀市・曽爾村・御杖村)、西三重(名張市・伊賀市・津市)は、平城遷都1300年祭を応援しています。 西三重地域は平城京の礎に関わる壬申の乱で大いに関係ありました。
ご注意)画像の無断転用はお断りします。 |
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●「青丹吉 寧楽乃京師者 咲花乃 薫如 今盛有」(あをによし 奈良の都は 咲く花の にほふがごとく 今盛りなり)小野老 萬葉集三-328 ・・・・ あをによし は、奈良の「枕詞」。あをに、は緑青(ろくしょう)で顔料につかっていた。「よし」はその産地をほめた言葉。 |
平城遷都1300年会場 平城宮跡
■平城京では平城宮、平安京では平安宮などといい、大内裏とも呼ばれた。大内裏には四方に12の門が備えられ、各々有力氏族の姓が付与されていた。南門は「天子南面す」というように、皇宮より京師を睥睨(へいげい)する最も重要な門であり、朝廷の有力氏族、大伴(おおとも)氏の姓が付けられ「大伴門」と呼ばれていた。714年(和銅7年)これを漢風に改め、四神において南方を守護するとされる朱雀の名を冠したものとした。朱雀門から都城正門の羅城門に続く大路を朱雀大路という。
もう30年程前にこの場所はただの野原でした。 子供たちを連れて草の上で遊ばせました。
■平城京の寺院建築は非常に多い。京内寺院の主要なものは、大安寺、薬師寺、興福寺、元興寺(以上を四大寺と称した)で、これらは藤原京から遷都に際して順次移転されたものである。東大寺は東京極大路に接した京域の東外にあり、聖武天皇によって752年に創建、西大寺は右京の北方に位置し、称徳天皇により天平神護元年(765年)に創建された。これらに法隆寺を加えて七大寺(南都七大寺)と称する。
マスコットキャラ「せんとくん」
ゆるキャラとは、「ゆるいマスコットキャラクター」を略したもので、イベント、各種キャンペーン、村おこし、名産品の紹介などのような地域全般の情報PR、企業・団体のコーポレートアイデンティティなどに使用するマスコットキャラクターのこと。 せんとくんもころう君もゆるキャラです。
平城遷都1300年の切手
■平城遷都1300年を記念し、奈良では多数の記念切手が発行されています。
(左)平城宮跡( Heijo Palace )・大極殿、春日大社・中門(重要文化財) |
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(左)興福寺・天燈鬼像(国宝)、元興寺・薬師如来立像(国宝) |
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大安寺・多聞天像(重要文化財)、新薬師寺・伐折羅大将像(国宝) 春日大社の本殿と藤棚 |
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平城宮・大極殿正殿と |
弥勒菩薩・半跏思惟像(中宮寺、国宝) |
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東大寺南大門金剛力士像 |
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東大寺・大仏殿、東大寺・南大門、東大寺・大仏蓮弁毛彫、東大寺・戒壇院広目天 |
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754年(天平勝宝6)、聖武上皇は光明皇太后らとともに唐から渡来した鑑真(がんじん)から戒を授かり、翌年、日本初の正式な授戒の場として戒壇院を建立した。 |
平城遷都1300年関連
※古事記(こじき、ふることふみ)は、その序によれば、和銅5年(712年)太朝臣安萬侶(おほのあそみやすまろ、太安万侶(おおのやすまろ))によって献上された日本最古の歴史書。上・中・下の全3巻に分かれる。『古事記』に登場する神々が多くの神社で祭神としてまつられ、今日に至るまで日本の宗教文化に多大な影響を与えている。成立の経緯を記している序によれば、稗田阿礼が暗誦していた『帝紀』(天皇の系譜)・『旧辞』(古い伝承)を太安万侶が書き記し、編纂したものとされている。
※日本書紀(にほんしょき、やまとぶみ)は奈良時代に成立した日本の歴史書である。日本における伝存最古の正史で、六国史の第一にあたる。舎人(とねり)親王らの撰で、養老4年(720年)に完成した。神代から持統(じとう)天皇の時代までを扱う。漢文・編年体をとる。全30巻。
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■奈良県の公式マスコットキャラクター「せんとくん」が2011年1月4日、荒井正吾知事から県観光振興課員の辞令を受け、「県職員」として働き始めた。
辞令を受けたせんとくんは、名札が置いてある「自席」に着き、さっそく先輩からパソコンの操作や電話の取り方の指導を受けた。新人らしくきびきびと、初仕事に取り組んでいた。
せんとくんは、昨年開かれた平城遷都1300年祭の公式キャラだったが、PR効果が225億円(昨年9月末、県試算)に上る活躍で、県にも「1300年祭が終わってもキャラを続けてほしい」などの声が寄せられていた。
(2011年1月4日17時26分 読売新聞)