日本の写真・風景|北信越の福井県、石川県、富山県、新潟県、長野県 |
北信越
北信越の良い所やお気に入りの場所を写真でご案内します。 北信越では福井の東尋坊や曹洞宗の大本山・永平寺、石川の能登半島、輪島の朝市、狼煙灯台。 加賀百万石の城下町・金沢の色々な名所旧跡(武家屋敷、兼六園)や新潟・長岡の大花火も。 北信越は、寒い冬を越えると一気に花が咲き始めます。 富山では、砺波平野のチュリップや冬の初めの甘エビなど欠かせません。 長野県は矢張り上高地などを中心とした山岳地帯です。 北信越の対象は福井県、石川県、富山県、新潟県、長野県。 北海道(小樽)に渡るフェリーが敦賀から出ており、かっては頻繁に利用しました。 出航までの時間つぶしで、敦賀港の釣りも思い出(スズキを釣った思い出)に残っています。 また、富山県には白川郷と並び五箇山と言う合掌造りの集落が有り、世界遺産に指定されています。 永平寺はパワースポットのひとつ。長野の高遠城址公園のタカトウコヒガンザクラは天下一品です。
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北信越(石川県)
■金沢市は、石川県のほぼ中央に位置する、石川県の県庁所在地。江戸時代には、江戸幕府(約700万石と言われる)を除いて最大の石高を誇る加賀藩(「加賀百万石」)の城下町として、江戸・大坂・京・名古屋に次ぐ大都市として盛えた。第二次世界大戦で空襲を受けなかった事から市街地に歴史的風情が今なお残っている。また、長年の都市文化に裏打ちされた数々の伝統工芸、日本三名園の一つとして知られる兼六園、加賀藩の藩祖・前田利家の金沢入城に因んだ金沢百万石まつり、さらに庶民文化(郷土料理の治部煮等)などにより、観光都市として知られる。
■切手でめぐる北信越(石川)の良い所
能登半島・ |
越前加賀海岸・ |
能登半島・木の浦海岸 |
■又の名を大宮太鼓とも称せられるこの御神事太鼓(ゴシンジダイコ)は人皇17代仁徳天皇12年甲甲歳に住吉大神を能登国に奉斎し海上鎮護・護国豊穣万民守護の大神として尊崇せられ能登の国の大宮として古来、奉至比古神社(ほうしひこじんしゃ)・住吉大明神と称して地方の崇敬を集め今日に及んでいる住吉神社(輪島市鳳至町)に振古より伝えられている神楽太鼓である。 |
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尾山神社神門 |
雪景色の金沢・兼六園(1966年) |
兼六園 |
兼六園(海石塔) |
兼六園(噴水) |
兼六園(金城霊沢) |
■日本三名園の一つである金沢の兼六園は、年間200万人が訪れる北陸を代表する観光地で、江戸時代の林泉回遊式大庭園の特徴を今に残しています。 海石塔は、6層に積み重ねられている笠石が海石に似ていることから命名されたと言われています。 噴水は、庭内にある霞ヶ池を水源としており、自然の水圧を利用して水を吹き上げています。高さは通常3.5mと言われていますが、霞ヶ池の水位とともに変化します。 金城霊沢は、昔、山から掘ってきた砂金のついた芋を、ここで洗ったということから「金洗いの沢」と呼ばれるようになり、後にこれが縮まり「金沢」の地名が起こったと言われています。 ことじ灯籠は、琴の胴の上に弦を張り、音を調節する琴柱に似ていることから命名されたと言われています。雪吊りには熟練の技が必要で、黄金色に輝く円錐が浮かぶさまは雄大さを感じさせます。雪吊りは例年11月1日から作業が始められます。 |
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■金沢城(かなざわじょう)は、石川県金沢市丸の内にあった城である。加賀藩主前田氏の居城だった。、白漆喰の壁にせん瓦を施した海鼠壁と屋根に白い鉛瓦が葺かれた外観、櫓1重目や塀に付けられた唐破風や入母屋破風の出窓は、金沢城の建築の特徴。 この地は加賀一向一揆の拠点で浄土真宗の寺院である「尾山御坊(おやまごぼう、または御山御坊)」であった。 寺とはいうものの大坂の石山本願寺(大坂御坊)と同じく石垣を廻らした城ともよべる要塞でもあった。 |
金沢城と石川門(重文). |
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北信越(福井県)
■福井県(Fukui Prefecture)は、日本の北陸地方に位置する県。県庁所在地は福井市。 北陸地方で最も人口が少ない県である。
■九頭竜川の河口に位置する坂井市三国町は、古来より越前の玄関口ともいうべき経済の要港として発達してきました。 その三国湊にあって中世以来、湊の発展を支えてきたのが、北前船による廻船業を生業とした豪商たちで、その中のひとつが森田家です。
切手でめぐる北信越(福井)の良い所
■福井県武生市は、かつて越前国府が置かれていたところで、源氏物語で有名な紫式部が一時期を過ごした地としても知られています。今年は、紫式部が父とともに武生に来てから千年を迎えます。
切手(1996年)の意匠は、 紫式部公園から眺めた越前富士といわれる日野山を背景に、若き日の紫式部をイメージしたものを描いています。原画作者の加藤進(かとうすすむ)氏は福井県在住で、日展の入選をはじめ様々な分野で御活躍。
紫式部と出会えるまち武生 |
高速増殖原型炉「もんじゅ」臨界(1994年) |
東尋坊(福井、1999年) |
めがねをかけた女性 |
若狭湾・高浜海岸 |
■鯖江市は、福井県にある市。嶺北地方中央部に位置する。鎌倉時代に誠照寺の門前町として発展し、江戸時代には間部氏鯖江藩5万石(のち4万石)の鯖江陣屋を中心とした陣屋町となった。多くの世帯が特産である眼鏡関連の産業、あるいは業務用の漆器生産に関わっている。 |
福井・気比の松原 |
■気比松原(けひのまつばら)とは、福井県敦賀市の景勝地である。三保の松原、虹の松原と共に日本三大松原。国の名勝に指定されている。9世紀には、石川県羽咋郡志賀町福浦港の福良津と共に渤海使の為の使節松原客館が置かれた。 |
越前ガニ |
■雁木造(がんぎづくり)は、雪国の商店街等で見られる雪よけの屋根の事である。アーケードに類似の建築物。一般に雁木と呼ばれる。福井の町は雁木が多かった記憶があります。 |
北信越(長野県)
■長野県(Nagano Prefecture)は、日本の中部地方に位置する県。県庁所在地は長野市。 令制国名の信濃国にちなみ「信州」とも呼ばれている。海に面していない内陸県であり、日本アルプスを始め大規模な山岳地があるため可住地面積率は低い。古代は、科野(しなの)と書いた。日本の都道府県のなかでトップクラスの長寿の県として知られ、2020年現在、都道府県別健康寿命では男女共に1位であった。
■車山から鷲ヶ峰にかけて、ゆるやかな起伏が続く霧ヶ峰高原。レンゲツツジやニッコウキスゲ、マツムシソウなど、季節の高山植物が緑の草原を色とりどりに染め上げます。
諏訪・北アルプスと上高地・大正池の写真(長野県) |
(北アルプスなどの写真の詳細はこちらで) |
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長野・霧ケ峰 |
■乗鞍岳は3000m級の山々が連なる中で、23の峰、7つの湖、8の平原があり、壮大な自然を堪能できます。又、乗鞍岳からは槍ヶ岳、穂高連峰など、まさに雲上の世界が眺められます。乗鞍岳は高山植物の宝庫でもあり、初夏には、白、黄、ピンクなど色とりどりの花が満開です。
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諏訪・高島城 |
諏訪・高島城の城門 |
■高島城の城郭の形式は連郭式平城である。かつては諏訪湖に突き出した水城で「諏訪の浮城(すわのうきしろ)」と呼ばれていたが、江戸時代初めに諏訪湖の干拓が行われ、水城の面影は失われた。しかし、浮城の異名を持っていたことから日本三大湖城の一つに数えられている。 |
南アルプスの峰(前のお店の色とコントラストが綺麗です) |
■上高地は、長野県西部の飛騨山脈南部の梓川上流の景勝地で、標高約1,500m。松本市域に含まれ、中部山岳国立公園の一部ともなっており、国の文化財(特別名勝・特別天然記念物)に指定されている。「かみこうち」の名称は本来「神垣内」の漢字表記だが、後に現在の「上高地」の漢字表記が一般的となった。「神垣内」とは、穂高神社の祭神、穂高見命(ほたかみのみこと)が穂高岳に降臨し、この地(穂高神社奥宮と明神池)で祀られていることに由来する。 |
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乗鞍スカイラインから見る日本アルプス |
西穂高岳 |
上高地の涸沢と梓川 |
■美ヶ原高原美術館The Utsukushi-ga-hara Open-Air Museum)は長野県上田市武石上本入美ヶ原高原(旧小県郡武石村上本入)にある、財団法人彫刻の森美術館が管理運営する野外彫刻のある彫刻庭園を中心とした美術館。面白い彫刻が多数展示。 |
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渓流・梓川 |
上高地の田代池 |
長野県・美ヶ原高原美術館 |
■高遠は七百年の歴史を持つ城下町で、天正16年武田信玄により改築されました。昭和48年に国史跡に指定されました。 |
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高遠城址公園のタカトウコヒガンザクラと桜憲章 |
高遠城址公園の |
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高遠城址公園の |
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高遠城址公園のタカトウコヒガンザクラ |
■長野県の天然記念物に指定されているタカトオコヒガンザクラは高遠固有の桜として、 ソメイヨシノなどに比べてやや小さめの花弁を持ち、色は河津桜ほども濃くないですが、
やや濃いピンクがかった色をしているのが特徴です。「天下第一の桜」と称されています。 |
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高遠城址公園の |
高遠城址公園の問屋門とタカトウコヒガンザクラ |
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高遠の戦いの謂れ |
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切手でめぐる中部地方(長野)の良い所
中部山岳・穂高岳 |
中部山岳・立山 |
上信越高原・ |
上信越高原・ |
■南アルプス国立公園は山梨県、長野県、静岡県の3県にまたがり、東西約15km、南北約50kmに及ぶ、南北に長い国立公園です。日本第二位の高峰北岳(3193m)をはじめ、3000m級の高峰十座を有する、日本で有数の山岳公園です。 |
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南アルプス・ |
南アルプス・ |
中部山岳・槍ヶ岳(1952年) |
八ヶ岳中信高原・赤岳 |
八ヶ岳中信高原・蓼科山 |
大正池と上高地 |
剣岳と立山連峰の紅葉 |
山里の風景 |
国宝・松本城と |
上信越高原・ |
国宝・松本城(日本、1977年) |
■松本城(まつもとじょう)は、長野県松本市にあった城である。現在は天守群などの建物が現存し、城跡は国の史跡に指定されている。松本城と呼ばれる以前は深志城(ふかしじょう)といった。市民からは別名烏城(からすじょう)とも呼ばれている。(左へ) |
日本国内に12基現存している、安土桃山時代後期から江戸時代にかけて建造された天守を有する城郭の1つ。天守群は国宝に指定されている。 |
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■野尻湖(のじりこ)は、長野県上水内郡信濃町にある湖。芙蓉湖(ふようこ)とも呼ばれる。ナウマンゾウ化石が出土する湖としても知られており、発掘調査が行われる。湖沼水質保全特別措置法指定湖沼。天然湖で、妙高高原、黒姫高原とともに上信越高原国立公園に指定されている。 |
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松本城太鼓門 |
国宝・善光寺と 飯綱山とりんごの花 |
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縄文のビーナス |
■長野市は、善光寺を中心に門前町として発展を遂げてきました。その善光寺は、昔から宗派の区別なく多くの人々に親しまれており、現在の本堂は江戸時代中期に建築されたもので、国宝に指定されています。 長野市は、自然に恵まれ、例年5月頃、市の花であるりんごの花が満開となります。また、市街の北には標高1917mの飯綱山が穏やかな姿でそびえています。 |
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■旧開智学校校舎:開智学校は、 1873年(明治6年)5月に松本藩学(廃藩置県後は筑摩県学)を継承して開校されました。 開智の校名は『学制序文』の「人々…其身ヲ修メ智ヲ開キ才芸ヲ長スルハ学二アラサレハ能ハス」から命名されたといわれています。 この校舎は、学事を施政の中心にすえ、 文明開化政策を強力にすすめた当時の筑摩県権令・永山盛輝(ながやま・もりてる)によって計画され、 松本の大工棟梁・立石清重(たていし・せいじゅう)が設計施工しました。 |
旧開智学校校舎 |
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北信越(富山県)
■富山県(Toyama Prefecture)は、日本の中部地方に位置する県。県庁所在地は富山市。 中部地方の日本海側、新潟県を含めた場合の北陸地方のほぼ中央にある。
富山県は、北方を日本海(大半は富山湾)、他三方を山脈で区切られている。令制国の越中国と領域を同じくする。 東の新潟県との県境は難所親不知として知られる。長野県との県境には飛騨山脈(北アルプス)が聳える。石川県との県境北部は宝達丘陵、南側は岐阜県などにまたがる両白山地である。南の岐阜県境には飛騨山脈や飛騨高地が控える。
山に囲まれているものの、西は倶利伽羅峠辺りで加賀国(現在の石川県南部)以西と結ぶ北陸道が通り、経済的・文化的結び付きは強い。
■白川郷・五箇山の合掌造り集落は、飛騨地方の白川郷(岐阜県大野郡白川村)と五箇山(富山県南砺市)にある合掌造りの集落で、1995年12月9日にユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録された。
※合掌造りは、江戸時代から始められた養蚕のため、屋根裏に棚を設置したのが始まりと言われている。 豪雪による雪下ろしの作業軽減と屋根裏の床面積拡大のため、急な角度を持っている特徴的な茅葺屋根になったと考えられている。 白川郷の「荻町」と、五箇山の「相倉」、「菅沼」の三つの集落がある。 荻町は1976年に、相倉と菅沼は1994年に重要伝統的建造物群保存地区に選ばれている。
切手でめぐる北信越(富山)の良い所
富山・おわら風の盆 |
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富山・ |
■おわら風の盆(Owarakazenobon)は、富山県富山市八尾地区で、毎年9月1日から3日にかけて行われている富山県を代表する行事(年中行事)である。
越中おわら節の哀切感に満ちた旋律にのって、坂が多い町の道筋で無言の踊り手たちが洗練された踊りを披露する。艶やかで優雅な女踊り、勇壮な男踊り、哀調のある音色を奏でる胡弓の調べなどが来訪者を魅了する。 |
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立山と称名滝 |
瑞龍寺・山門 |
富山・立山連峰 |
富山・弥陀ヶ原(みだがはら) |
■弥陀ヶ原は、火山活動によって形成された称名川左岸の熔岩台地です。標高2,000m級に広がる高原としては日本一の広さで、夏には可憐な高山植物が咲き誇ります。平成24(2012)年7月、国際的な環境保護条約のラムサール条約に登録されました。 |
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■雪の大谷は、室堂ターミナルから大谷までの約500mの道路を除雪してできた雪の壁の区間です。この場所は、立山黒部周辺では最も積雪が多く、雪の壁の高さは20mを超えることもあります。 |
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富山・ライチョウ(雷鳥) |
富山・雪の大谷 |
富山・称名滝 |
富山・室堂平 |
富山・オコジョ |
富山・タテヤマリンドウ |
■大観峰は、断崖絶壁にせり出すようにして建つ立山ロープウェイや立山トンネルトロリーバスの駅舎です。駅の屋上展望台から一望する黒部湖や後立山連峰の大パノラマは、立山黒部周辺屈指の美しさです。 |
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富山・チングルマ |
富山・大観峰 黒部ダム |
■黒部ダムは、高さ186m、長さ492mを誇る日本最大のアーチ式ドーム越流型ダムです。大自然の中、世紀の大事業として、約7年の歳月と延べ1,000万人の人手をかけ、昭和38(1963)年に完成しました。毎秒10トン以上の水を吹き出す黒部ダムの観光放水は迫力満点です。 |
北信越(新潟県)
■新潟県(Niigata Prefecture)は、日本の県。県庁所在地は新潟市。 日本海に面しており、県内は地理的観点から一般的に上越地方、中越地方、下越地方、佐渡地方の4地域に大きく分けられる。 面積は47都道府県で第5位、海岸線の長さは634.0キロメートルである(本州331.0キロメートル・佐渡島279.9キロメートル・粟島23.1キロメートル)。 古代には越国の領土であり、五畿七道の北陸道のうち東半分を占め令制国(旧国)では越後国と佐渡国の全域に相当する。この旧国名から、越佐(えっさ)と表現することもある。 残念ながら行ったことはありますが写真が残っておりません。
切手でめぐる北信越(新潟)の良い所
新潟・長岡の大花火 |
■長岡の大花火の発祥は、天保11(1840)年、長岡藩第10代藩主牧野忠雅に「川越移封(国替え)の命」が下るものの、その翌年にこの命が取りやめになったことを祝って打ち上げた「合図」が始まりともいわれています。 現在は、信濃川河川敷を舞台に、正三尺玉、ナイアガラ大スターマイン等の花 火が2日間で約2万発打ち上げられ、多くの観覧客で賑わいます。直径約650メートルもの大輪の花を咲かせる正三尺玉と、水しぶきを上げ流れ落ちる雄大なナイアガラの滝を再現するため、長生橋に仕掛けられたナイアガラ大スターマインをダイナミックに。 |
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直径約650メートルもの大輪の花を咲かせる正三尺玉と、水しぶきを上げ流れ落ちる雄大なナイアガラの滝を再現するため、長生橋に仕掛けられたナイアガラ大スターマインをダイナミックに |
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上越・高田城跡の夜桜 |
五号庵と日本海 |
新潟県政記念館 |
■五合庵( 新潟)は、国上寺の中興の祖といわれる、萬元上人が隠居する際に、毎日五合の米を給されていたところから名付けられた。良寛も、この庵に20余年住んでいたと伝わる。 |
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弥彦山と越後平野(1958年、佐渡弥彦国定公園) |
外海府海岸と佐渡おけさ |
一茶の里柏原 |
■一茶の里柏原:信濃町柏原は豪雪地帯として知られ、北国街道の宿場町として栄えました。館内にはこの地方の民具や古文書を数多く展示しています。なかでも雪国の民具、信州鎌、凍りそばは、この地方独特のものです。俳人「小林一茶」は私達の心に残るたくさんの俳句を残して、文政10(1827)年ふるさとの柏原で亡くなりました。 「やせ蛙まけるな一茶これにあり」。 |
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越後(新潟県)は、自然に恵まれ、春から夏にかけて各地で美しい花を目にすることができます。「ユキツバキ」と加茂山公園(加茂市)(中越地方)、ツバキ科の常緑の低木又は小高木で、4月から5月にかけて花が咲きます。 「カンゾウ」と巨岩大野亀 (両津市)(佐渡地方)、「カンゾウ」は、ユリ科の多年草で、5月から8月にかけて花が咲きます。 「アヤメ」と五十公野公園(新発田市)(下越地方)、 「イワカガミ」と妙高山(上越地方)、「イワカガミ」は、イワウメ科の多年草で、6月から7月にかけて花が咲きます。 |
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「ユキツバキ」と加茂山公園 「カンゾウ」と巨岩大野亀 「アヤメ」と五十公野公園 |
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ヒスイの里と相馬御風 |
■全国で唯一、ヒスイの里と呼ばれている糸魚川市は、古くから神話・伝説の多い所であり、相馬御風の生まれたところでもあります。 糸魚川市の南に位置する明星山の大岸壁が、小滝川に落ち込むところで、色彩豊かなヒスイの原石が産出されていましたが、現在は、国の天然記念物に指定されてます。この小滝川と姫川が合流し、日本海に流れ出たところは、ヒスイの原石が見付かることがあり、地元では、ヒスイ海岸と呼ぶことがあります。 |
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日本の写真・風景|北信越の福井県、石川県、富山県、新潟県、長野県 |