大和の風景|桜井 古の女人たちの憧れだった大和国・長谷寺(総本山)の写真と切手 |
大和国・長谷寺(総本山)
2010年5月には、初瀬の道・奈良県桜井市にある真言宗豊山派の総本山・長谷寺は母の日も近く老母孝行で牡丹(ボタン)の花を見に行って来ました。 末寺は全国に三千余ヶ寺を数えるそうです。 もうすでにボタンの見頃は過ぎましたが。今は目にしみる青もみじ、秋には紅葉したモミジも格別です。 大和国長谷寺(はせでら)は、奈良県桜井市にある真言宗豊山派(ぶざんは)の総本山の寺。山号を豊山神楽院と称する。本尊は十一面千手観世音菩薩、開基(創立者)は道明上人とされる。西国三十三箇所観音霊場の第八番札所であり、日本でも有数の観音霊場として知られる。長谷寺は古くから「花の御寺」(牡丹の花が満開です)と称されている。 日本の平安時代等の古典文学の「万葉集」、「枕草子」、「源氏物語」、「更級日記」、「蜻蛉日記」・・等に多数掲載、現世利益・後世救済を齎すとする観音菩薩への信仰は女性の間にも広く浸透したことから、石山寺と同じく女性の参詣が盛んで、長谷寺参詣の文章が多数散見される。長谷寺は「花の寺」として親しまれ、約一千年前より牡丹が栽培されており「長谷の牡丹」「牡丹の長谷寺」と呼ばれ日本一の牡丹の名所・パワースポットとしても有名です。 結び紐「結縁の五色線」は老母の左腕で大事にしています。
牡丹(ボタン),芍薬(シャクヤク)の切手
■大和国長谷寺(はせでら)は、「枕草子」、「源氏物語」、「更級日記」など多くの古典文学にも多数登場する。 鎌倉の長谷寺は、神奈川県鎌倉市にある浄土宗系統の単立寺院。寺伝によれば、天平8年(736年)、大和の長谷寺の開基でもある徳道上人を藤原房前が招請し、十一面観音像を本尊として開山したという。この十一面千手観世音菩薩像は、観音霊場として著名な大和の長谷寺の十一面千手観世音菩薩像と同木から造られたという。 養老5年(721年)に徳道は楠の大木から2体の十一面観音を造り、その1体(本)を本尊としたのが大和の長谷寺であり、もう1体(末)を祈請の上で海に流したところ、その15年後に相模国の三浦半島に流れ着き、そちらを鎌倉に安置して開いたのが、鎌倉の長谷寺であるとされる。
今回は、大和国長谷寺の本尊の11面観音像と御影大画軸の同時公開があり2010年5月に行ってきました。
※真言宗の教えは、弘法大師(こうぼうだいし)によって完成されました。その教えは、自分自身が本来持っている「仏心(ぶっしん)」「限りない人格」「さとりの世界」を、「今このとき」に呼び起こす即身成仏(そくしんじょうぶつ)に求められます。
■本坊は、事相、教相の根本道場である大講堂や書院、事務所などがある所です。御影大画軸が置かれていました。 寛文七年(1667)徳川将軍より巨費を賜り建立されたものですが、明治四十四年(1911)落雷のため炎上。現在の堂字は大正十三年(1924)に再建されたもので、総檜造りの大殿堂です。
■登廊(のぼりろう、重要文化財)は、屋根付きの階段。百八間、三九九段、回廊形式の登廊。初めは後朱雀天皇の長歴三年(1039)に春日大社の社司中臣信清が、子の病気平癒の御礼に造ったもので、上中下の三廊に分かれています。下、中廊は明治二十二年(1889)再建のものであり、よく古来の形式を残し、二間おきに風雅な長谷型の灯籠を吊るしています。
staircase (登廊, noboriroo) The staircase is made up of 399 small stone steps,
and is around 200 meters long. Pilgrims who visit the temple believe that
when walking the staircase it help to get rid of the 108 illusions that
they believe lead to all human suffering.
■長谷寺・仁王門(重要文化財 )の最初の建立は平安時代中期とされていますが、何度か焼失し、現在の仁王門は1885年(明治18年)の再建とされているようです。 両脇には金剛力士像(仁王像)が対で並んでいます。 また寺名を示す額の文字は第107代天皇の後陽成天皇(1586年〜1611年)直筆とされているそうです。
■本坊では、西国三十三箇所めぐりが出来ます。
長谷寺・本坊から国宝の本堂を見る |
長谷寺・仁王門(重要文化財) |
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■長谷寺の門前町・初瀬(はせ)は、奈良県桜井市の地名。古くは「はつせ」と呼ばれ、雄略天皇(418年?-479年)が初瀬朝倉宮(はつせあさくらのみや)を置き、用明天皇の時代(585年-587年)に飛鳥へ遷都するまで都であった。初瀬と三重県松阪市の六軒を結ぶ道は初瀬街道と呼ばれ、鉄道が開通するまではお伊勢参りをする人たちで賑わった。門前町初瀬の参道脇には、西国三十三箇所の観音霊場をつくるよう閻魔大王から託宣されたと伝わる徳道上人が天平7年(735年)創立したといわれる番外札所法起院(徳道上人廟)がある。
■本堂の西方の丘には「本長谷寺」と称する一画があり、五重塔などが建つ。朱鳥元年(686年)に興福寺の道明上人が天武天皇のために、西の岡に本長谷寺を建立し、銅板法華説相図を造り奉納したのが長谷寺の創始とされている。
長谷寺・下登廊と |
奈良の長谷寺と牡丹 |
新緑の本長谷寺 |
古典文学(平安時代)の中の長谷寺
古典文学(平安時代)の中の長谷寺、古来から長谷寺信仰は相当なものだった様です。長谷寺は、聖武天皇の勅願によって安置されたと伝わる十一面観世音菩薩像を本尊とし、平安京から直線距離にして50km以上(『源氏物語の鑑賞と基礎知識12 玉鬘』によれば旅の行程は約72km)離れているにもかかわらず、霊験あらたかな観音霊場として都の貴族達が盛んに参詣しました。源氏物語 玉鬘の巻は長谷寺の観音様の御加護により物語が進行する。10m余りもの巨大な観音様の前に座ると守られているような安心感がある。いかにも願いを聞き入れてくださりそうである。 古典の文章の中では、長谷寺にお参りする事を『初瀬詣』『長谷詣』といいます。「長谷寺」は「初瀬寺」とも書きます。
Hase-dera (長谷寺) is the main temple of the Buzan sect of Shingon Buddhism.
The temple is located in Sakurai, Nara, Japan.
According to the description on the bronze plaque of the Hokke Sessoo-zu
(銅板法華説相図, dooban hokke sessoo zu), the temple was first built in 686 and
dedicated to Emperor Temmu, who was suffering from a disease. Later in
the year 727, the temple was further expanded by order of Emperor Shoomuand
the statue of the eleven-faced Kannon was placed near the original temple
that enshrined the bronze plaque.
The temple was favored by aristocrats such as the author of the Kageroo
Nikki (蜻蛉日記) and the author of the Sarashina Nikki (更級日記) during the Heian
period. The temple has been burnt down as many as ten times since the 10th
century. Hase-dera was consisantly popular with visitors,helped by the
fact it was situated on the route to Ise Shrine.
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