日本の世界遺産|奈良編(法隆寺、東大寺、春日大社ほか)と古墳壁画の切手
日本のユネスコ世界遺産(World Herittage)の中で、世界遺産・古都・奈良(538年 仏教伝来 − 794年 平安京遷都 )の「法隆寺地域の仏教建造物 (Buddhist Monuments in the Horyu-ji Area)」と「古都奈良の文化財(Historic Monuments of Ancient Nara)」の切手(Stamp)です。 有名な古墳(高松塚古墳、キトラ古墳)も多くその中の壁画では有名なものが多数あります。 奈良は市街地の西には、ウワナベ古墳など5世紀の巨大古墳が築かれ、佐紀古墳群を形成し古墳時代から拓けた場所。 奈良時代(710年-794年)に平城京が置かれた古都として有名であり、シルクロードの終着点として天平文化が花開いた地として知られる。その為、京都より古い遺産が多い事で有名です。 法隆寺に関係して聖徳太子は、教科書で習う歴史上の人物の上でも、最も知られている人物ではないでしょうか。ですが謎が多い人物のようです。東大寺は見る所も多く、大仏(盧舎那仏)が出来たころは壮観だったと思いますし、南大門の仁王像は「阿吽の呼吸」で有名です。 2009年、奈良県桜井にある箸墓古墳が、古代日本のロマン:卑弥呼と邪馬台国のニュースが飛び込んできました。 日本で最も古い都・奈良。 毎年、近隣の京都と並び修学旅行で賑わっています。 実は、2004年7月に登録された「紀伊山地の霊場と参詣道」は、奈良県・和歌山県・三重県の3県にまたがるもので、うち奈良県には、霊場「吉野・大峯(吉野山・吉野水分神社・金峯神社・金峯山寺・吉水神社・大峯山寺)」と参詣道(大峯奥駆道(玉置神社含む)・熊野参詣道小辺路)があります。 が別ページとしました。 一部他のページと画像が重複する部分ある事ご了承下さい。 尚、アジアの世界遺産・遺跡は こちら です。 ※平城遷都1300年祭ホームページ
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日本の世界遺産と遺跡・古墳 |
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■日本の世界遺産(The UNESCO World Heritage ) 日本全体のトップ ★作成に当たり、Wikipediaやその地に地域のHPの資料を使わせていただきました。 |
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「法隆寺写真」 |
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■法隆寺は、聖徳太子こと厩戸王ゆかりの寺院であり、創建は同じく聖徳太子ゆかりの寺院である大阪の四天王寺より約20年後の607年とされるが、確証はない。法隆寺縁起によれば、推古天皇と聖徳太子が用明天皇のご遺願を継いで、推古15年(607)に寺とその本尊「薬師如来」を造られたのがこの法隆寺(斑鳩寺とも呼ばれています)であると伝えられています。 金堂、五重塔などがある西院と、夢殿などのある東院に分かれる。西院伽藍は現存する世界最古の木造建築物群です。法隆寺の建築物群は法起寺と共に、1993年に「法隆寺地域の仏教建造物」としてユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録された。 法隆寺の遺物の殆どが国宝に指定されている。 (Buddhist Monuments in the Horyu-ji Area) |
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法隆寺・観音菩薩像(壁画) |
法隆寺金堂壁画の阿弥陀 |
法隆寺・金堂と五重塔 |
法隆寺・百済観音 |
左の画像が顔の部分 法隆寺・国宝・ |
大きいです。 |
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法隆寺(1938年) |
法隆寺・金堂 |
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法隆寺・五重塔 |
上の金堂は現存している世界最古の木造建築です。 |
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■法隆寺(ほうりゅうじ) は、奈良県生駒郡斑鳩町にある聖徳宗の総本山である。別名を斑鳩寺(いかるがでら)という。 |
法隆寺・弥勒菩薩 |
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玉虫厨子 |
聖徳太子(厩戸王) |
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飛鳥時代に推古天皇が拝んでいたと |
■菩薩半跏像(寺伝では如意輪観音像)(国宝・飛鳥後期): 日本最古の尼寺の伝統を維持する斑鳩中宮寺の本尊として、千三百数十年にわたり尼僧の祈りに護られてきた中宮寺菩薩半跏像は、世界最古の寄木彫刻です。半跏思惟の姿は高貴な気品にあふれ、柔らかな微笑みは世界三微笑の一つと称えられるアルカイックスマイル(古典的微笑)の典型として評価され、エジプトのスフィンクスやレオナルド・ダ・ヴィンチ作モナリザの微笑と同等とされています。像の高さ167.6cm1材から造る飛鳥時代の通例とは異なり、11の部分から成る複雑な寄木の技法で樟(クス)から彫りだされています。 |
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法隆寺・五重塔(平山郁夫) |
■玉虫厨子(たまむしのずし)は奈良県斑鳩町の法隆寺が所蔵する飛鳥時代(7世紀)の仏教工芸品。装飾に玉虫の羽を使用していることからこの名がある。宮殿部正面扉には向かい合って立つ2体の武装神将像を描き、左右扉には各2体の菩薩立像を描く。宮殿部背面に描かれるのは霊鷲山浄土図(りょうじゅせんじょうどず)で、中央に3基の宝塔とその中に坐す仏、その下に岩窟中に坐す4体の羅漢像を描く。これらの左右には日月、飛翔する2体の天人、2体の鳳凰などを描く。須弥山部は、正面に「舎利供養図」、向かって左側面に「施身聞偈図」(せしんもんげず)、右側面に「捨身飼虎図」(しゃしんしこず)、背面に「須弥山世界図」を描く。これらの絵画は朱を主体として、黄、緑を含むわずか3色で描かれている。弥座の絵画のうち「捨身飼虎図」と「施身聞偈図」はジャータカ、つまり釈迦の前世の物語である。「捨身飼虎図」は、薩た王子(「た」は土篇に「垂」)が飢えた虎の母子に自らの肉体を布施するという物語で、出典は『金光明経』「捨身品」。 |
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■奈良は奈良時代に平城京が置かれた古都として有名であり、シルクロードの終着点として天平文化が花開いた地として知られる。年間観光客は約1300万人に及ぶ。 世界遺産の対象は、東大寺・興福寺・春日大社・元興寺・薬師寺・唐招提寺と平城宮跡・春日山原始林となっています。(Historic Monuments of Ancient Nara) |
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東大寺・大仏殿、東大寺・南大門、東大寺・大仏蓮弁毛彫、東大寺・戒壇院広目天、興福寺・仏頭、興福寺・竜燈鬼立像 |
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□東大寺(とうだいじ)は、奈良県奈良市雑司町にある華厳宗大本山の仏教寺院である。「金光明四天王護国之寺」(こんこうみょうしてんのうごこくのてら)ともいい、奈良時代(8世紀)に聖武天皇が国力を尽くして建立した寺である。奈良の大仏」として知られる盧舎那仏(るしゃなぶつ)を本尊とし、開山(初代別当)は良弁僧正(ろうべんそうじょう)である。南大門にある木造金剛力士立像(国宝) は高さ8.4メートルの巨大な木像。門の向かって右に吽形(うんぎょう、口を閉じた像)、左に阿形(あぎょう、口を開いた像)を安置する。これは一般的な仁王像の安置方法とは左右逆である。1988年から1993年にかけて造像以来初めての解体修理が実施され、像内からは多数の納入品や墨書が発見された。それによると阿形像は大仏師運慶および快慶が小仏師13人を率いて造り、吽形像は大仏師定覚および湛慶が小仏師12人とともに造ったものである。 |
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奈良・東大寺・大仏殿(国連) |
東大寺・法華堂 |
興福寺・五重塔、興福寺・北円堂、興福寺・阿修羅 |
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春日大社・回廊、春日大社・中門、薬師寺・西塔・東塔、薬師寺・薬師如来坐像、唐招提寺・金堂、唐招提寺・千手観音立像 |
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東大寺・月光菩薩 |
平城宮跡・朱雀門、元興寺・極楽坊禅室・本堂、元興寺・極楽坊五重小塔、春日山原始林 |
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薬師寺・東塔 |
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東大寺・戒壇院広目天像 |
薬師寺・吉祥天 |
中宮寺・弥勒菩薩 |
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□戒壇院の塑造四天王立像(国宝) は法華堂の日光・月光菩薩像とともに、奈良時代の塑像の最高傑作の1つ。怒りの表情をあらわにした持国天、増長天像と、眉をひそめ怒りを内に秘めた広目天、多聞天像の対照がみごとである。記録によれば、創建当初の戒壇院四天王像は銅造であったので、今ある四天王像は後世に他の堂から移したものであることが明らかである。 |
春日大社 |
唐招提寺(鑑真) |
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東大寺・執金剛神像 |
春日山の山焼き(1996年) |
正倉院・麟鹿草木夾纈屏風 |
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興福寺・仏頭 |
興福寺・天燈鬼 |
薬師寺・伐折羅(ばさら)大将 |
春日大社 |
国宝・『春日大社赤糸威鎧』 鎌倉時代 |
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国宝・興福寺・阿修羅像 |
国宝・銀製鍍金狩猟紋小壺 |
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奈良時代(8世紀) |
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国宝・金亀舎利塔 |
■国宝・金亀舎利塔(唐招提寺)とは、唐招提寺に伝わる、仏舎利を納める器。国宝です。鑑真和上が来日の途中に遭難なさったとき、亀が海上に浮かび上がり、仏舎利を甲羅に乗せて守った、という伝説に基づいて作られたそうです。 ■室生寺(むろうじ)は、奈良県宇陀市にある真言宗室生寺派大本山の寺院。開基(創立者)は、賢m(けんきょう)、本尊は釈迦如来である。奈良盆地の東方、三重県境に近い室生の地にある山岳寺院である。宇陀川(店長の町の隣町で、店長の町へと流れ込んでいて、行く行くは木津川となります。)の支流室生川の北岸にある室生山の山麓から中腹に堂塔が散在する。平安時代前期の建築や仏像を伝え、境内はシャクナゲの名所としても知られる。女人禁制だった高野山に対し、女性の参詣が許されていたことから「女人高野」の別名があります。 |
国宝・木造仲津姫命坐像 |
国宝・興福寺・阿修羅像 |
国宝・室生寺五重塔 |
国宝・室生寺五重塔 |
国宝・室生寺五重塔と |
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■国宝・室生寺五重塔に関してのブログ |
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■室生寺五重塔: 屋外に立つ日本最小の五重塔(国宝)(高さ16m)です。 1998年の台風では大きく損壊しましたが、現在は修復されています。 |
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東大寺大仏殿と大仏 |
春日大社の本殿と藤棚 |
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■見落とされがちですが、奈良の平城宮跡・春日山原始林は特別史跡・特別天然記念物に指定されていて、世界遺産のひとつです。 |
国宝・興福寺・阿修羅像 |
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わかくさ国体で発行の絵葉書 |
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藤原京創都1300年 |
■藤原京は、飛鳥京の西北部、奈良県橿原市に所在する日本史上最初で最大の都城である。また、日本史上最初の条坊制(じょうぼうせい)を布いた本格的な中国風都城でもある。
この都城は、周礼が説く思想を表していたとされている。690年(持統4)に着工され、飛鳥浄御原宮から694年(持統8)に遷都した。完成は遷都後10年経過の704年(景雲元)と言われ、着工時期は676年(天武5)に始められていた。 |
藤原京創都1300年 |
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藤原京に纏わる「ふみの日」切手「持統天皇」 |
■持統天皇は天智天皇の皇女であり。おじに当たる天武天皇の后。第41代の天皇。在位は686年〜697年。歴史的には、藤原京への遷都を行った天皇として有名です。この百人一首では2番目に登場する方は持統天皇(645〜703年)です。日本の切手に名前入りで登場した天皇としてははじめてということ。藤原京は今の橿原市を含む大和三山(畝傍山・香具山・耳成山)をも含む大きさを持っていた。 |
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■運慶の家族は全員が高い技術を持った名仏師。それぞれの代表作は、以下の通りです。 |
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奈良の良い所 |
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奈良国立博物館 |
今西家書院 |
奈良公園の浮見堂(満開の桜) |
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■奈良公園の浮見堂は奈良公園・鷺池に浮かぶ檜皮葺き(ひわだぶき)、八角堂形式(六角形)のお堂です。 水面に写る姿が美しく、水辺の憩いの場となっています。現在の浮見堂は、旧浮見堂が老朽化したために、平成3年から平成6年にかけての3年間の修復工事によって、その美しさを今によみがえらせました。 |
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大和三山と明日香の石舞台(日本、1999年) |
■大和三山は、奈良県(旧・大和国)の奈良盆地南部、飛鳥周辺にそびえる3体の山々の総称。2005年(平成17年)7月14日、国の名勝指定。 耳成山
(みみなしやま)、畝傍山 (うねびやま) 、天香具山 (あまのかぐやま) です。 |
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■石舞台古墳は、奈良県明日香村にある古墳時代後期の古墳。古くから、巨石(花崗岩)で作られた玄室が露出しており、その形状から石舞台と呼ばれていた。玄室は、長さ約7.7m、幅約3.5m、高さ約4.7m、羨道は長さ約11m、幅2.5m。石室内部に排水施設がある。約30の石が積まれ、その総重量は2,300tに達すると推定されている。石は古墳のかたわらを流れる冬野川の上流約3キロ、多武峰のふもとから運ばれた。被葬者は蘇我馬子であったとする説が有力である。 |
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「近所にある世界遺産・国宝・室生寺五重塔の紹介」 「日本の世界遺産(奈良編)の切手 法隆寺・東大寺他」 「古代日本のロマン:卑弥呼と邪馬台国のニュース(箸墓古墳)」 |
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日本の世界遺産|奈良編(法隆寺、東大寺、春日大社ほか)と古墳壁画の切手 |
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