日本の風景|名張・万葉の会 滋賀県の奥びわ湖 - 白鬚神社|丸子船|菅浦集落と須賀神社|竹生島|塩津神社|賤ヶ岳|木之本宿|小谷城・・ |
奥びわ湖
奥びわ湖は、戦国時代に兵どもの合戦の場でした。賤ヶ岳と余呉湖一帯は本能寺の変による信長の亡き後、羽柴秀吉と柴田勝家が覇権を争った賤ヶ岳の合戦場であり、周囲の山々には、今も砦跡などが残っています。高月・木之本は観音の里として知られ、戦国時代の数々の戦火を逃れ、民衆の手によって守りぬかれてきた数多くの観音像が今も大切に残されています。また北陸と中山道を結ぶ北国街道が走り、北国脇往還の分岐点の宿場として賑わった木之本宿は当時の面影を色濃く残しています。
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琵琶湖大橋と比叡山 |
■比叡山(ひえいざん)は、滋賀県大津市西部と京都府京都市北東部にまたがる山。大比叡(848.3m)と左京区に位置する四明岳(しめいがたけ、838m)の二峰から成る双耳峰の総称。高野山と並び古くより信仰対象の山とされる。 |
雲がかかる比良山地 |
■比良山地 (ひらさんち) は、滋賀県の琵琶湖西岸に連なる山地。最高峰は武奈ヶ岳(ぶながたけ、1,214.4 m)。古くから近江八景の一つ「比良の暮雪」で知られる景勝地。
白鬚神社
■白鬚神社(しらひげじんしゃ)は、滋賀県高島市鵜川にある神社。旧社格は県社。白鬚神社はまた比良明神ともいう。 全国にある白鬚神社の総本社。近江国最古の神社とされる。沖島を背景として琵琶湖畔に鳥居が浮かび、「近江の厳島」とも称される。
社記によると垂仁天皇の25年(約2000年前)、皇女倭姫命により社殿を御再建、天武天皇の白鳳3年(675)勅旨を以て「比良明神」の号を賜るとある。
古くから延命長寿白鬚の神として崇敬され、また縁結び・子授け・福徳開運・攘災招福、商売繁盛・交通安全などの人の世の総ての導き・道開きの神として信仰されいる。
「蘇我物語」では白髭大明神が比叡山を仏法結界の地として釈尊に譲った伝説を載せている。
百済が滅亡したときも高句麗が滅びた後も日本は難民を受け入れている。近江(滋賀県)は朝鮮半島から多くの渡来人が定住した地であり、白髭神社は元来渡来神を祀った神社だったと考えられている。全国の白髭神社も朝鮮半島から渡来した人たちが建てた神社が多いという。 社HP
■謡曲「白鬚」(観阿弥作)は、白鬚明神の縁起を語って祝言を述べる曲である。
勅使が近江国の白鬚の社に参詣すると、明神の神霊が漁翁の姿で現れ、白鬚明神の縁起を詳しく語り、比叡山から仏法修行の清浄地として、外道魔物を入れない地となった縁起を語る。やがて明神は真の姿を現して楽を奏し、天女も竜神も現れて御代を祝うというのがその粗筋である。
丸子船
■琵琶湖の最北、西浅井は古くより北陸と京都・大阪をつなぐ重要な交通路として人々の暮らしと関わってきました。大浦・菅浦・塩津浜の三つの港を有し、陸上と湖上運輸の中継地でもありました。その湖上水運の主役を務めたのが丸子船でした。丸太を二つ割りにして、胴の両側に付けた琵琶湖独自の帆船が丸子船です。
丸子船 |
大浦辺りからのびわ湖 |
西浅井町菅浦集落にて |
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菅浦集落と須賀神社(すがじんじゃ)
■滋賀県長浜市西浅井町菅浦。「陸の孤島」「隠里」の異名をもつ菅浦。中世村落の貴重な景観を今に遺し、「菅浦の湖岸集落景観」として2014年に国の重要文化的景観に選定されました。
集落の入口(西側)には「四足門」と言われる茅葺きの門があり、村の出入りを監視する要害の門、今で言う関所の役目を果たしていた門です。
西浅井町(にしあざいちょう)の町北部は福井(敦賀)との県境を形成する野坂山地で、豪雪地帯である。塩津地区は琵琶湖の最北端に面する。
■須賀神社(すがじんじゃ)は、滋賀県長浜市西浅井町に鎮座する神社で、菅浦集落の氏神です。
伝承によれば、天平宝字3年(764年)、「保良宮」として創始されたと伝わる。同5年から6年にかけて淳仁天皇がこの地に隠棲したことをもって後、淳仁天皇を合祀した。本社は清浄が保たれ、現在でも手水舎より先は裸足で参拝するしきたりとなっている。
重要文化財:菅浦文書(65冊)・菅浦与大浦下庄堺絵図(1幅)
竹生島(ちくぶしま)
■竹生島(ちくぶしま)は、琵琶湖の北部に浮かぶ島。琵琶湖国定公園(Biwako Quasi-National Park)特別保護地区、国の名勝および史跡に指定されている。葛籠尾崎の南約2キロメートルに位置。島には竹生島神社があり、市杵島比売命(弁財天)様が奉られています。
竹生島(ちくぶしま) |
葛籠尾崎と竹生島 |
竹生島 |
市杵島比売命(弁財天) |
■弁才天坐像(宇賀弁才天)- 滋賀県 竹生島・宝厳寺(1565年 浅井久政奉納) |
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■多多美比古命(伊吹山の神)が、姪で浅井岳(現在の金糞岳)の神である浅井姫命と高さを競い、負けた多多美比古命が怒って浅井姫命の首を切り落とした。その首が琵琶湖に落ちて竹生島が生まれたという。
鹽津神社(塩津神社)
■鹽津神社(塩津神社)(しおつじんじゃ)は、滋賀県長浜市西浅井町に鎮座する神社。
塩土老翁神を主祭神に、彦火火出見尊と豊玉姫尊を配祀する。創祀年代は不詳。『延喜式神名帳』所載(式内社)「鹽津神社」の論社。
■塩津港は、琵琶湖の最北端にある港で、古代以来、北陸方面からの陸路と琵琶湖の水運が結節する港として重要な役割を果たしてきました。北陸からの物資は、敦賀からの峠道である塩津街道を通って塩津に至り、ここから船に積まれて湖上を行き、大津を経で都へと運ばれました。『続日本紀』天平宝字8年(764
年)9月18 日条にある藤原仲麻呂( 恵美押勝) の乱に関する記載にその名を見ることができ、奈良時代にはすでに港として機能していたと考えられています。
★塩土老翁神(シオツチノオジ、シホツチノヲヂ)は、日本神話に登場する神であり塩竈明神とも言う。『古事記』では塩椎神(しおつちのかみ)、『日本書紀』では塩土老翁・塩筒老翁、『先代旧事本紀』では塩土老翁と表記する。別名 事勝因勝長狭神(ことかつくにかつなぎさ)。製塩の神としても信仰されている。
賤ヶ岳(しずがたけ)
■賤ヶ岳(しずがたけ)は滋賀県長浜市(旧伊香郡木之本町)にある標高421 mの山である、琵琶湖と余呉湖を分ける。1583年(天正11年)に、周辺は賤ヶ岳の戦いの合戦場となった。
「新雪 賤ヶ岳の大観」が琵琶湖八景のひとつに数えられている。
■賤ヶ岳の戦い(しずがたけのたたかい)は、天正11年(1583年)、近江国伊香郡(現:滋賀県長浜市)の賤ヶ岳付近で行われた羽柴秀吉(のちの豊臣秀吉)と柴田勝家との戦いである。織田勢力を二分する激しい戦いとなり、秀吉はこの戦いに勝利することによって織田信長の作り上げた権力と体制の継承者となることを決定づけた。
「賤ヶ岳リフト」の観光リフトのりば 大音 運休で乗れず |
賤ヶ岳の戦い |
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■長浜市木之本町大音(おおと)は琵琶湖最北部から賤ケ岳を隔てた東側に位置する。 |
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長浜市木之本町大音 |
糸取資料保存館 |
伊香具地区マップ |
黒田観音寺 伝千手観音立像 |
伊香具神社 紹介 |
黒田家御廟所 紹介 |
★黒田観音寺 伝千手観音立像 : 行基建立のお寺のひとつ。一木造りの千手像は平安時代初期の物で、頭上に仏がないことや18本の腕を持つことから准胝観音と見ることもできると言われている。 |
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★伊香具神社(いかぐじんじゃ)は、滋賀県長浜市木之本町大音にある神社。天武天皇の白鳳10年以前に子孫である伊香宿祢豊厚が社殿を建立したという(『神社由緒記』)。祭神は伊香津臣命、『近江国風土記』逸文中の羽衣伝説に登場する「伊香刀美」と同一であるといい、五穀豊穣の神徳を有すという。 |
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パークウェーの展望台からの奥びわ湖の風景 |
賤ヶ岳からの景色 |
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★千数百年にわたる生糸の歴史を継承する木之本伊香具(いかぐ)の大音(おおと)と西山の集落は琵琶湖と余呉湖に挟まれた賤ケ岳の山麓にある自然豊かな山里である。この二つの地域には、それぞれ生糸の生産技術にまつわる由緒が伝わっている。
大音では、伊香具神社の祭神伊香津臣命(いかつおみのみこ)の子孫にあたる伊香厚行が平安時代の昌泰2年(899)に伊香具神社境内にある湧水から清水を引き、繭を煮て生糸をつくり都で大変な評判になったとある。西山では、平安時代の弘仁8年(817)に製糸業が始まり、当初は衣服や刀、冠の紐などに用いられていたが後に、楽器糸として加工されたとある。
木之本宿
■宿場として賑わった木之本宿。木之本は北国街道の宿場町として開けたが“木之本のお地蔵さん”で名高い木之本地蔵院の門前町としてもにぎわった。旧北国街道は、次第に近代化しつつあるが、平入、瓦葺で、袖壁や連子格子のついた民家も多く、宿場町の落着いた佇まいをよく残している。
★木之本地蔵院(浄信寺)は、目の仏様として知られる時宗の寺。境内に立つ6mの大きな地蔵像「木の本のお地蔵さん」が、全国から訪れる参拝客を出迎えてくれる。お寺の歴史は古く、白鳳時代までさかのぼる。空海・木曽義仲・足利尊氏・足利義昭も参拝した記録があり、賤ケ岳の合戦では、秀吉がしばらく陣を置いた。
小谷山(伊部山)
■小谷城(おだにじょう)は、滋賀県長浜市湖北町伊部(旧・近江国浅井郡)にあった戦国時代の日本の城(山城)。日本五大山城の一つに数えられる。標高約495m小谷山(伊部山)から南の尾根筋に築かれ、浅井長政とお市の方との悲劇の舞台として語られることが多い城である。戦国大名浅井氏の居城であり、堅固な山城として知られたが、元亀・天正の騒乱の中で4年間織田信長に攻められ落城した。国の史跡。
小谷山(伊部山) |
小谷山(伊部山) |
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■小谷城は、湖北の大名・浅井長政と織田信長の妹で戦国一の美女といわれたお市の方、その間に生まれた3人の娘・浅井三姉妹(茶々、初、江)ゆかりの城です。
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