日本の写真・風景|中部地方|愛知県、岐阜県、静岡県、三重県(別頁)
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中部地方について
中部の良い所やお気に入りの場所を旅行写真でご案内します。 中部では三重県が現住所であり、三重の名張をのぞいた地域の伊勢神宮、志摩スペイン村、鈴鹿サーキット、長島スパーランド、イルミネーションのなばなの里、鳥羽水族館、明治村、中山道や岐阜県、静岡県、愛知県などが中心となってます。 昔、家族でのオートキャンプで行った長野県の諏訪湖や霧ケ峰、上高地や槍ヶ岳・西穂高などの北アルプスも掲載。 地元の赤目四十八滝は、日本の滝百選、森林浴の森100選、平成の名水百選に選ばれ、遊歩百選に推薦されてます。 名張はぶどう狩りや滝、湖など風光明媚な良いところですよ。 三重県の俳人・松尾芭蕉の伊賀にも奈良東大寺の別所で鎌倉時代の快慶が作った大仏があります。 左の写真は志摩スペイン村のカーニバル風景。 愛知県、岐阜県、静岡県、三重県を対象に。 この地域は海・山だけでなくテーマパークが多い地域です。
特に地元名張に関しては、「名張・昨今(三重県西部)のご紹介(トップページ)」で、「地元出身の俳諧師・松尾芭蕉」で詳しくご紹介してますのである程度割愛します。
ページ内索引 { 愛知|岐阜|静岡|三重 }
愛知
■愛知県(Aichi Prefecture)は、日本列島の中央部に位置する。中部地方の県ではもっとも人口が多く、47都道府県別では大阪府に次ぐ全国第4位、県庁所在地の名古屋市は同地方の市町村で最多の人口を持つ。県内は大きく分けて尾張地方、西三河地方、東三河地方の3地域で構成されている。 『万葉集』(高市黒人が詠んだ、桜田へ鶴鳴き渡る年魚市潟(あゆちがた)潮干にけらし鶴鳴き渡る)の、「年魚市(あゆち)」に由来し、それが律令制下で愛知郡という郡名に採用されたといわれている。
JRセントラルタワーズ ジェイアール名古屋タカシマヤ
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名古屋駅前
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巨大マネキン「ナナちゃん」
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■JRセントラルタワーズ ツインタワーは名駅のシンボルです。駅に直結したジェイアール名古屋タカシマヤや、約40店の飲食店がそろうタワーズプラザ
レストラン街がある。JRゲートタワーとも各階で接続してより便利に。
■巨大マネキン「ナナちゃん」 名古屋市の名鉄百貨店にある待ち合わせに最適な大きな人形「ナナちゃん」は名古屋駅前の顔として愛されています。身長はなんと6m10cm。そんなナナちゃんは季節によって大変身!夏には水着や浴衣になったり、クリスマスシーズンにはサンタクロースになったり、最近では鼻から白い煙をプシューッと出したりなど多種多様。
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近鉄・烏森に辺りから見る
名古屋駅周辺
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名古屋テレビ塔
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久屋大通りの交差点
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愛知県庁と名古屋市役所
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大津橋 欄干にあるベイス(飾り花瓶)と
球形電球が4本ある照明がレトロ感を
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大津橋のそばにある
愛知県庁
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《平和の笛》。
設計・制作は石田清。
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■名古屋テレビ塔は、愛知県名古屋市中区栄の久屋大通公園に立つ日本で最初に完成した集約電波塔(高さ180m)。2018年4月ころ
■名古屋城三の丸のお堀と大津通りの交点に架かる大津橋。大津通りは県庁や市役所のある官庁街から南へ、栄、大須、金山に向かう名古屋の南北の目抜き通りの一つです。欄干にあるベイス(飾り花瓶)と球形電球が4本ある照明がレトロ感を出しています。
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1872年(明治5年) 名古屋県が「愛知県」と改称。名古屋藩の政事庁を引き継いだ名古屋県庁がそのまま愛知県庁に。
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■「金シャチ横丁」は、尾張名古屋のシンボルともいえる名古屋城とその周辺の魅力を向上させ、さらに国内および海外からの来訪者に対して名古屋の魅力を発信することを目的とした施設。
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名古屋観光の新名所として2018年3月にオープンした「金シャチ横丁」
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名古屋城 正門ガイド
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名古屋城ガイド
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名古屋城正門
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名古屋城
本丸御殿と天守閣
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清正石と説明版
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清正石
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■清正石:石垣工事で大活躍したのが石垣づくりの名手とされた加藤清正です。最も重要な天守台の石垣を担当し、熊本(肥後)から約2万人を引き連れてやってくると、わずか3カ月足らずで工事を終えてしまったと伝えられています。本丸東二之門を入った正面には、大きさ約八畳敷、重さ推定10トンとされる名古屋城の石垣で最大の巨石があります。この石を清正が運んだという伝承があり「清正石」と呼ばれていますが、この石垣の施工大名は黒田長政なので単なる説話と思われます。
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名古屋城東一之門跡 1945年(昭和20年)の空襲で天守や本丸御殿とともに焼失
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■東一之門は本丸搦手を守備する枡形門を形成していた内門でしたが、1945年(昭和20年)の空襲で天守や本丸御殿とともに焼失しました。 現在は門跡として、枡形を形成していた石垣だけが残っています。
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桜と名古屋城(愛知県)
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■名古屋城は、徳川家康が天下統一の最後の布石として築いた城です。 尾張国の東半分は永正15年(1518年)以降、駿河国の守護今川氏の支配下に置かれました。そして、今川氏は最前線である現在のニ之丸辺りに那古野城を築きました。尾張国勝幡城主織田信秀(織田信長の父)が、享禄5年(1532年)に奇策によって那古野城主今川氏豊を追放し、ここを居城としました。
信秀はその後、那古野城の南方に古渡城も築き、名古屋での勢力を強めて行った。 信秀のあとを継いだ信長は、清須城に拠点を移し、天下は統一に向けて動き出します。 信長が清須から小牧、岐阜、安土と居城を移す中で、役割の薄れた那古野城は天正10年(1582年)ころに廃城となり、その跡地は雉が多く住む野原となったと伝えられてます。
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父親の会社の旅行・名古屋城('60) 昭和30年代の名古屋城
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慶長5年(1600年)の関ヶ原合戦の勝利を経て江戸幕府を開いた徳川家康は、大坂城の豊臣秀頼との武力衝突に備えて、城の整備を進めました。名古屋城を築く場所は、名古屋台地の西北端で、台地の西面と北面は高さ10メートルの断崖になってた。そして、断崖の下には泥沼が広がり、その向こうには庄内川、そして木曽三川が流れる天然の要害でした。
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名古屋城天守閣(2018)
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■名古屋城は、徳川家康の命を受けた豊臣恩顧の諸大名による「天下普請」によって、築城。1612年(慶長17)に天守閣が完成すると、御三家筆頭・尾張徳川家の居城として長く栄え、明治維新も乗り越えて、1930年(昭和5)には城郭として国宝第一号に指定。1945年(昭和20)の空襲によって天守閣をはじめ多くの建造物を焼失。
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東南隅櫓(重文)
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国内屈指の城郭として、国の特別史跡に指定
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■本丸の南東隅に位置し、1612年(慶長17)頃に建造されました。鬼瓦などには徳川家の家紋である葵紋が用いられています。別名、辰巳隅櫓(たつみすみやぐら)とも呼ばれます。
西南隅櫓と同じく、外観二重、内部三階の構造。二階東面と南面には、三角形の小型の屋根である千鳥破風(ちどりはふ)と敵を攻撃するための石落としが、三階東側の屋根の軒には、弓なりになった軒唐破風(のきからはふ)という格式の高い装飾が施されています。
■清正の石曳(いしびき):天守の石垣普請は、加藤清正に割り当てられた。巨石を運ぶにあたり、清正自ら石の上に乗り音頭をとったと伝えられている。本像は、その様子を模したもの。
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旧二之丸東二之門(重文)
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加藤清正公 石曳きの像
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二之丸御殿には藩主の居所と藩庁も置かれた。旧二之丸東二之門は、二之丸の東面中央に設けられた正門にあたる。建造年代は天守と同じ慶長17年頃の完成。
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名古屋城 本丸御殿と天守閣 / 名古屋市役所と愛知県庁
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■博物館 明治村は、明治時代の建物等を移築・復元し、当時の歴史や文化を今日に伝えようとする野外博物館。通称「明治村」。愛知県犬山市にあります。明治時代の貴重な建造物や街並みが復元されている事などから、映像作品のロケに使われることも多い場所。明治時代を追体験できます。
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明治村・金沢監獄 正門
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名古屋駅前の林立するビル
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昔の絵葉書
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■金沢監獄が造られたのは明治40年(1907)のことである。南北250m、東西190mの敷地はレンガ造の高い塀で囲われ、唯一西面に開けられたのがこの門であった。閉鎖的でいかめしい感じを与えるものの、実に美しい門。
■博物館明治村 愛知県犬山市字内山1番地
TEL:0568-67-0314
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蒸気機関車(名古屋鉄道12号 - 旧鉄道院160形)
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博物館 明治村
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品川灯台
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聖ヨハネ教会堂のステンドグラス
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明治村・品川灯台
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■品川灯台は、フランス人技師レオンス・ヴェルニーらの設計。明治3年点灯。避雷針先端までの高さは約9mである。現存する洋式灯台では日本最古である。1964年(昭和39年)移築。
■聖ヨハネ教会堂は、宣教師でもあるアメリカ人建築家ガーディナーの建築。日本聖公会京都五条教会として1907年(明治40年)に建てられた。 木造煉瓦造二階建て銅板葺。1964年(昭和39年)に移築。細部はゴシック風である。
■旧山田郵便局舎、山田郵便局は、1908年(明治41年)11月25に起工し、 翌年5月14日に三重県宇治山田市(現:伊勢市)の伊勢神宮外宮前に建てられました。 明治期に建てられた唯一現存する木造の普通郵便局舎です。
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明治時代の病院・病室
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明治村・宇治山田郵便局
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明治村
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切手でめぐる中部地方(愛知)の良い所
■名古屋城は、徳川家康が天下統一の最後の布石として築いた城です。通称、「金鯱城」、「金城」とも呼ばれた。もともとは、尾張国の東半分は永正15年(1518年)以降、駿河国の守護今川氏の支配下に置かれました。そして、今川氏は最前線である現在のニ之丸辺りに那古野城を築きました。尾張国勝幡城主織田信秀(織田信長の父)が、享禄5年(1532年)に奇策によって那古野城主今川氏豊を追放し、ここを居城としました。
愛知・名古屋まつり
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飛騨木曽川・犬山城と木曽川(1968年、国定公園)
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名古屋城と金の鯱(シャチホコ)名古屋開府350年
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聖ヨハネ教会堂
(1907年)
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ユリと名古屋城(愛知県)
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愛知の自然・シクラメン
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愛知の自然・バラ
(2006年)
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愛知の自然・菊
(2006年)
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愛知の自然・洋ラン
(2006年)
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岐阜
■岐阜県(Gifu Prefecture)は、日本の人口重心中央に位置し、その地形は変化に富んでいる。内陸県である。「岐阜」の名は諸説あり、一説には、織田信長の命名によるとされる。県域のほとんどは旧美濃国と旧飛騨国とで構成される。
■白川郷・五箇山の合掌造り集落は、飛騨地方の白川郷(岐阜県大野郡白川村)と五箇山(富山県南砺市)にある合掌造りの集落で、1995年12月9日にユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録された。
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世界遺産・白川郷(荻町)の合掌造りの佇まい
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世界遺産・白川郷(荻町)の合掌造りの佇まい
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世界遺産・白川郷(荻町)の合掌造りの佇まい
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■岐阜県郡上八幡:戦国時代末期の永禄2年(1559年)、遠藤盛数が八幡山の上に砦を築いたことが郡上八幡城の起源となってる。現在の天守は、大垣城(当時)を参考に昭和8年(1933年)に造られました。模擬天守としては全国的にも珍しい木造。石垣が岐阜県史跡に、天守閣が郡上市有形文化財に指定されてる。内部は歴史資料館などとして利用されてます。山城であり、市街地を流れる吉田川のほとりに聳える。城自体は小規模だが、城下から眺める城の風景や、城から見下ろす城下町のたたずまいは大変美しいです。
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岐阜・郡上八幡城
(ぐじょうはちまんじょう)
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郡上八幡の町並み(見下ろす町並みは魚の形をしてる)
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山内一豊と妻の銅像
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■山内一豊の妻千代は、1556年(弘治2年)初代郡上八幡城主遠藤盛数の娘として生まれました。千代が3歳のころ、盛数は病死、母の再婚、義父の敗北、流浪。波乱の時がはじまります。やがて千代は、縁あって尾張の一豊に嫁ぎました。一豊は信長、秀吉、家康に仕え、最後には土佐二十四万石の大名に出世しました。その影には、千代の内助の功があったといわれる。信長の「馬ぞろえ」や関ヶ原前夜の「傘の緒の密書」の逸話は有名です。
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郡上八幡の新橋から
肝試しで川に飛び込み
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妻籠・馬籠 木曽路
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■中山道は、律令時代には、畿内を中心とした地方区分であったため、東山道は畿内から東の内陸部に伸びる道路として整備された。江戸時代に入り、江戸幕府は、1601年(慶長6年)から7年間で他の五街道とともに中山道を整備した。特に、重要伝統的建造物群保存地区に選定された長野県の妻籠宿と奈良井宿が有名である。他にも、かつての宿場町ではそれぞれ歴史資料館などを整備してます。
※旧中山道の宿場町、妻籠から馬籠峠を経て馬籠に至る木曽路の7kmのルートは、家族連れでも歩ける手頃なハイキングコースとして人気があります。観光地としても有名な2つの宿場町を結ぶルートは、江戸時代からの日本的情緒をたっぷり残し、最近は外国人旅行者にも広く知られる。その魅力は、単に「旧街道を歩く」というだけでなく、木曽の林の中を歩くことと、ちょうどいい高低差のある「峠越え」のコースだというところにもあります。 馬籠は、島崎藤村の故郷であり、小説「夜明け前」の舞台として有名です。 笹沢左保の小説「木枯し紋次郎」の中仙道を行くを紋次郎を彷彿とさせます。 この地域は現在は岐阜県中津川市。
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中山道(中仙道)妻籠(つまご)宿~馬籠(まごめ)宿の風景 岐阜県中津川市
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妻籠宿本陣
島崎藤村の母の生家
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妻籠宿~馬籠宿の景色
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中山道・庚申塚
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馬籠峠には昔風の茶店
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妻籠宿本陣の庭木
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中山道の大きな老木
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女滝~馬籠峠
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妻籠宿の大きな水車
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馬籠のお店の前の
タヌキの剥製
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大妻籠宿
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馬籠の清水屋資料館
(島崎藤村)
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馬籠の民芸品・お面
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■清水屋資料館:代々馬籠宿役人で、島崎家と親交が深かった清水屋原家。藤村直筆の書簡や資料が保管展示された資料館。清水屋は島崎藤村の作品「嵐」にでてくる「森さん」こと原一平の家です。
■島崎 藤村(しまざき とうそん、1872年3月25日〈明治5年2月17日〉 - 1943年〈昭和18年〉8月22日)は、日本の詩人、小説家。本名は島崎
春樹。信州木曾の中山道馬籠(現在の岐阜県中津川市馬籠)生まれ。父をモデルとした歴史小説の大作『夜明け前』などがある。
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奈良井宿の
煙草屋兼旅館
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鳥居峠付近の道しるべ
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奈良井宿
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■鳥居峠への道:木曽街道薮原宿と奈良井宿を結ぶ約6キロは、標高1197メートルの鳥居峠越えに終始する山の道。深い山を分け入って進む古道は、江戸の旅人にとって、わらじ履きの足を泣かせる中山道屈指の難所でした。
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■奈良井宿は、中山道十一宿のうち北から2番目の難所:鳥居峠を控えた宿場町。かつては街道を行き交う旅人で栄えました。その様は「奈良井千軒」と謳われ木曽路一番の賑わいでした。奈良井宿は鳥居峠の上り口の鎮神社を京都側の入口とし、奈良井川に沿って約1kmの中山道沿いに町並みが形成された。旅籠の軒灯、千本格子など江戸時代の面影を色濃く残してます。時代を超えた風格が感じられます。 昭和53年5月に、国の重要伝統的建造物群保存地区の選定を受けた。
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馬籠峠・民宿・桔梗屋さんは集落入口の古民家
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■御母衣ダム(みぼろダム)は岐阜県大野郡白川村、一級河川・庄川本流最上流部に建設されたダム。 庄川は太平洋と日本海の分水嶺に当たる烏帽子岳付近を水源とし、白山連峰と飛騨高地の山間を概ね北に向けて流れ、富山湾に注ぐ北陸地方における大河川の一つ。地質が弱くても建設が可能なロックフィルダム(岩石や土砂を積み上げて建設する型式のダム)。 エジプトのアスワンハイダムと同じつくりです。
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中津川・加子母 福崎公園 かしもの夏祭り(’96)
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御母衣ダム(みぼろダム)
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■岐阜県郡上市・ひるがの高原の分水嶺公園(烏帽子岳付近)。ここは、2つの川の源流の分岐点となってます。向かって左側;太平洋へと流れる長良川、向かって右側;日本海へと流れる庄川。
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岐阜県郡上市・ひるがの高原の分水嶺公園 長良川と庄川
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切手でめぐる中部地方(岐阜)の良い所
■岐阜城(ぎふじょう)は、岐阜県岐阜市(旧・美濃国井之口)の金華山(稲葉山)にある山城跡。岐阜市指定史跡。織田信長が、斎藤龍興から奪取した稲葉山城の縄張りを破却して、新たに造営したものが岐阜城である。
飛騨木曽川・木曽川
(1968年、国定公園)
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岐阜城
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岐阜・郡上おどり
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飛騨・高山祭・岐阜県 / 岐阜・郡上おどり いずれも拡大〇
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■岐阜県郡上郡八幡町の「郡上おどり」は、約400年前(寛永年間)に始まったとされる我が国を代表する盆踊りの一つで、美濃北部山村の豊富な民謡を背景にした独特の手を伝えるなど地域的特色が顕著であり、国の重要無形民俗文化財に指定されてます。 毎年7月中旬から9月初旬まで延べ30夜にわたって踊られ、中でも旧盆(8月13日から16日まで)の4日間は徹夜で踊り明かされます。時に数千人もの踊り子が音頭や手拍子に合わせて無心に踊る光景は、一大絵巻のようで圧巻です。 月明かりのなか、浴衣を着た男女が「郡上おどり」の一種「かわさき」を踊る姿。
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長良川の鵜飼
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岐阜城・金華山 、横蔵寺の紅葉、美濃和紙あかりアート展、 馬籠宿(岐阜、2010年)
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静岡
■静岡県(Shizuoka Prefecture)は、直線距離にて県域の東西が155km、南北に118kmと全国13番目に広大な県域を保ち、全国10位の約360万人の人口を有する。旧令制国の伊豆国のほとんど、駿河国、遠江国の凡そ3国に相当する県である。地域によって住民の意識、方言、文化面に大きな違いが見られる。北側は広大な南アルプス、南側は駿河湾、遠州灘に面する。23市10区12町の自治体があり、村はない。
静岡・富士山五合目の雲海(標高約2300m)
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■山梨県側の富士山へのゲートウェイである富士スバルライン五合目は、富士山に登る人はもちろん、ドライブで立ち寄るだけでも楽しめる観光スポット。標高約2300mに位置し、眼下には富士五湖や、時には雲海を見下ろす神秘的な光景を眺めることができる。
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朝霧高原からの富士山
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朝霧高原からの富士山
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朝霧高原の乳牛と富士山
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■朝霧高原(あさぎりこうげん)は静岡県富士宮市北部・富士山西麓(標高700~1000m)の高原で富士山観光で有名。富士山を綺麗に望む著名なスポットであり、特に夏季には避暑地として観光客が訪れる。朝に霧が発生しやすいことからこの名前がついた。広々とした草原が広がっており、パラグライダーなども行われる。 さらに、冷涼な気候であることから酪農が盛んであり、ホルスタインを中心とする乳牛が群れ遊ぶ牧場が数多く点在してます。
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休憩場所・富士ミルクランドの鯉のぼりと富士山
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休憩場所・富士ミルクランドの変なフィギュア
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■富士ミルクランド(ふじミルクランド)は、静岡県富士宮市に所在するレジャー施設である。
朝霧高原にある。入園料は無料。宿泊施設も存在し、ドッグランなど可能。
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焼津の辺りの駿河湾
の夕暮れ
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■焼津市(やいづし)は、静岡県中部に位置する都市。漁港を中心に発展し、遠洋漁業・水産加工業は全国的に有名。 焼津市は、深海湾と呼ばれる駿河湾に面してます。日本神話で、日本武尊(ヤマトタケル)が東征の途中で地元の賊衆に襲われた時、草薙剣で葦を薙ぎ倒し、そこで賊衆を迎えうち、火を放って難を逃れた。その様相が烈火のように見えた、あるいはその火で葦が焼け燃え盛ったという伝承から、「焼津」と命名された。 ■浜名湖(はまなこ)は、静岡県浜松市、湖西市にまたがる湖。南部は海(遠州灘)に通じている。湖の面積としては日本で10番目の大きさである。ウナギ、ノリ、カキ、スッポンなどの養殖が盛ん。特に養殖ウナギは有名で、鰻丼(鰻飯)、ウナギボーン、うなぎパイなどの特産品がある。
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浜名湖
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浜名湖のうな丼
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浜名湖
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切手でめぐる中部地方(静岡)の良い所
■サンコウチョウ(三光鳥:学名Terpsiphone atrocaudata)はスズメ目カササギヒタキ科の鳥類。日本へは夏鳥として渡来する。頭から胸にかけてと脇(わき)が紫色がかった黒色である。体より長い尾も黒色。背面はアズキ色がかった紫色で下面は白い。目の周囲と嘴はよく目立つコバルトブルー。尾羽は8月には抜ける。
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ツツジと城ヶ崎海岸
(静岡県)
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静岡・サンコウチョウ
と富士山
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天竜奥三河・天竜峡
(1973年、国定公園)
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天竜奥三河・鳳来寺山
(1973年、国定公園)
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■鳳来寺山(ほうらいじさん)は愛知県新城市(旧・鳳来町)にある山。標高は684.2m。「声の仏法僧(ブッポウソウ)」(コノハズク)が棲息することや紅葉の名所として、更に鳳来寺があることで知られる山である。国の名勝及び天然記念物に指定されてます。
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石廊崎・蓑掛岩(1962年)
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■石廊崎(いろうざき)は静岡県伊豆半島最南端の賀茂郡南伊豆町にある岬である。荒々しい海岸の景色で観光地になってます。太平洋に突き出たこの岬より西は駿河湾、東は相模灘。先端付近には石廊埼灯台、その先には石室神社、岬の最突端には熊野神社の祠(ほこら)がある。
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■静岡県・久能山東照宮は、1616年(元和2年)4月17日に徳川家康の薨去後、2代将軍秀忠の命により僅か1年7カ月という短期間で造営されました。 権現造・総漆塗・極彩色の社殿は、彫刻・模様・組物などに桃山時代の技法を取り入れた江戸時代初期の代表的建造物として、重要文化財に指定。 全国に500社以上鎮座する東照宮の根本大社として、2015年に御鎮座四百年を迎えるに当たり、御社殿を始め諸建造物の漆塗替え、参道及び石垣の修復工事が行われてます。 この写真付き切手(Pスタンプ)には、葵御紋、御本殿、家康公愛用置時計、金陀美頭形兜、東照大権現画像、拝殿向拝「甕割り」、拝殿組物、唐門袖壁唐獅子牡丹、本殿側面獅子、唐門の10点が選ばれ、初穂料の一部は修復工事費に充てられます。 近くは静岡の石垣イチゴで有名です。
右のシートはクリックで拡大します。
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久能山東照宮(静岡県)
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参考にした資料:Wikipedia、その他関連のHPを参考にし、部分的には転載しています。
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日本の写真・風景|中部地方|愛知県、岐阜県、静岡県、三重県
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