Kunioの世界の切手紹介と海外写真集

Kunioの世界の切手紹介と海外写真集 世界遺産の切手|日本 東照大権現を祀る日光の社寺 : 日光東照宮、日光二荒山神社、日光山輪王寺)及びそれらの境内地からなり、国宝9棟、重要文化財94棟の建造物群。日光と言えば東照宮、日光東照宮は江戸幕府初代将軍徳川家康を神格化した東照大権現を祀る。

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日本の世界遺産(東照大権現を祀る日光の社寺)の切手                    

 日本の世界遺産(UNESCO World Herittage)・日光の社寺(Shrines and Temples of Nikko)の切手(Stamp)です。 世界遺産の範囲は、栃木県日光市の二社一寺(日光東照宮、日光二荒山神社、日光山輪王寺 )及びそれらの境内地からなり、その中には国宝9棟、重要文化財94棟の建造物群が含まれています。 日光と言えば東照宮です。 日光東照宮(にっこうとうしょうぐう)は栃木県日光市にある神社。江戸幕府初代将軍徳川家康を神格化した東照大権現を祀る。日本全国の東照宮の総本社的存在である。正式名称は地名等を冠称しない「東照宮」であるが、他の東照宮との区別のために、「日光東照宮」と呼ばれることが多い。陰陽道に強い影響を受け、本殿前に設けられた陽明門(国宝)とその前の鳥居を中心に結んだ上空に北極星が来るように造られているという。また、その線を真南に行けば江戸へ着くとされ、さらに主要な建物を線で結ぶと北斗七星の配置と寸分違わぬよう設計されているという、そのため陽明門前の写真店屋のある辺りが日本一運気の強い場所と言われている。1910年頃の絵葉書も。

  

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★作成に当たり、Wikipediaやその地に地域のHPの資料を使わせていただきました。

世界遺産・日光の社寺 Shrines and Temples of Nikko

■日光二荒山神社(にっこうふたらさんじんじゃ、世界遺産)は栃木県日光市にある神社。式内社(名神大社)、下野国一宮。社格は国幣中社。正式名称は二荒山神社(ふたらさんじんじゃ)。日光の三つの山の神(大己貴命、田心姫命、味耜高彦根命)を総称して二荒山大神と称し、主祭神としている。三つの山とは、男体山(二荒山、2486メートル)、女峯山(2464メートル)、太郎山(2368メートル)の三山である。この山々は神体山いわゆる神奈備であり、神が鎮まる霊峰として古くから信仰されてきた。この日光の神々は「日光三山」「日光三所大権現」などと呼ばれ、山の名前からもわかる通り、これらの神々は親子と考えられてきた。二荒山大神に現在の神が当てられたのは12世紀頃だと言われる。さらには本地垂迹説によりそれぞれの神に仏が当てられ、現在でも輪王寺ではこれらの仏を祀っている。日光の山岳信仰の中心として古くから崇拝されてきた神社。 世界遺産・日光に関するオフィシャルサイト:(社)日光観光協会 Web/日光東照宮 公式ホームページ 

二荒山神社神橋、二荒山神社本殿、輪王寺大猷院風神、輪王寺大猷院雷神、輪王寺大猷院拝殿、輪王寺大猷院本殿

二荒山神社神橋、二荒山神社本殿、輪王寺大猷院風神、同雷神 二荒山神社神橋、二荒山神社本殿、輪王寺大猷院風神、同雷神 二荒山神社神橋、二荒山神社本殿、輪王寺大猷院風神、同雷神、輪王寺大猷院拝殿、同院本殿

■日光山輪王寺(りんのうじ、世界遺産)は、栃木県日光市にある天台宗寺院。創建は奈良時代にさかのぼり、近世には徳川家の庇護を受けて繁栄を極めた。明治初年の神仏分離令によって寺院と神社が分離されてからは、東照宮、二荒山神社とあわせて「二社一寺」と称されているが、近世まではこれらを総称して「日光山」と呼ばれていた。「輪王寺」は日光山中にある寺院群の総称でもあり、堂塔は、広範囲に散在している。徳川家光をまつった大猷院霊廟や本堂である三仏堂などの古建築も多い。大猷院本殿は、仏殿造りで家光公の木像をまつり、唐戸には金彩を施した唐獅子の彫刻などがずらりと並ぶなど、江戸芸術の極致を見せる。国宝。
■栃木県日光市の東照宮:徳川家康の霊廟として1617年に創建され、現在の主要な社殿は、1636年に造営されました。東照宮の建築により「権現造」様式や彫刻、彩色等の建築装飾の技法が完成されました。世界遺産。

日光東照宮・陽明門

東照宮唐門、唐門の麒麟(キリン)、東照宮孔雀、左甚五郎の眠り猫

日光東照宮・陽明門 東照宮唐門、唐門の麒麟(キリン)、東照宮孔雀、眠り猫 東照宮唐門、唐門の麒麟(キリン)、東照宮孔雀、眠り猫

■眠り猫(ねむりねこ)は、栃木県日光市の日光東照宮にある彫刻作品。左甚五郎の作品と言われている。これらの動物のほとんどは平和を象徴するものとして描かれている。奥社入口を護る「眠り猫」は、前足をしっかりと踏ん張っている事から、実は徳川家康を護るために寝ていると見せ掛け、いつでも飛びかかれる姿勢をしているともいわれているが、もう一つの教えとして(裏で雀が舞っていても)「猫も寝るほどの平和」を表しているのである。 Web/日光東照宮 公式ホームページ

日光・東照宮・陽明門(国連)

日光 東照宮 陽明門 徳川家康

日光東照宮・陽明門

日光東照宮・陽明門

■陽明門の名称は、宮中(現・京都御所)十二門のうちの東の正門が陽明門で、その名をいただいたと伝えられる。江戸時代初期の彫刻・錺金具-かざりかなぐ-・彩色といった工芸・装飾技術のすべてが陽明門に集約され、その出来栄えは一日中ながめていてもあきないので日暮らし門-ひぐらしもん-とも呼ばれる。

日光・東照宮・陽明門(拡大

日光東照宮・陽明門

日光東照宮・五重塔

日光東照宮・陽明門

日光東照宮・陽明門 国宝 日光東照宮・五重塔 タイ 2007年

■東照宮上神庫は、三神庫の1つで、東照宮の例大祭で使われる祭典用具や装束が納められている倉庫。上神庫は「御宝蔵(ごほうぞう)」とも呼ばれ、最も重要な御神宝(ごしんぽう)を収蔵していた。 上神庫の南側には「想像の象」と呼ばれる2匹の象の彫刻がある。 狩野探幽は実際に象を見たことがなかったため、想像だけで彫刻の下絵を描いたと言われている。

■栃木県日光市の東照宮五重塔(世界遺産、重要文化財、江戸時代 文政元年 1818年、銅瓦葺、高さ 31.8m)。「慶安3年(1650)若狭小浜藩主・酒井忠勝の奉納。その後、文化12年(1815)に火災により焼失し文政元年に酒井忠近が再建。五重塔は三間四面の五重塔婆で朱色を基調とし金物を金、組物、彫刻を極彩色で彩る豪勢な造りで東照宮入口に相応しい姿をもっています。

■東照宮上神庫(とうしょうぐうかみじんこ)装飾「象」I、東照宮上神庫装飾「象」II(日タイ修好120周年、2007年)

東照宮上神庫(とうしょうぐうかみじんこ)装飾「象」I、東照宮上神庫装飾「象」II(日タイ修好120周年、2007年) 東照宮上神庫(とうしょうぐうかみじんこ)装飾「象」I、東照宮上神庫装飾「象」II(日タイ修好120周年、2007年)

■華厳の滝(けごんのたき)は、栃木県日光市にある滝。発見者は勝道上人と伝えられ、仏教経典の1つである華厳経から名づけられたといわれるが、日光では他に阿含滝、方等滝、般若滝、涅槃滝もあることから、五時の教判から、それらと同様に命名されたものと考えられている。男体山の噴火により堰き止められた中禅寺湖からの地表を流れる唯一の流出口大谷川にある滝。落差97mの滝を一気に流れ落ちる様は壮観で、日本三名瀑のひとつにも数えられている。
■男体山(なんたいさん)は日光国立公園内、栃木県日光市にある火山。標高2,486m。一等三角点「男体山」(標高2,484.2m)が設置されている。日光市街地からいろは坂を登った、中禅寺湖の北岸に位置する。関東地方有数の高山であり、成層火山らしい円錐形の大きな山体は関東一円からよく望まれる。古くから山岳信仰の対象として知られ、山頂には日光二荒山神社の奥宮がある。男体山は古くは「二荒山(ふたらさん)」と呼ばれ、奈良時代に勝道上人らにより開山された、古くからの山岳信仰の聖地であった。「いろは坂」の名称は、第一いろは坂と第二いろは坂の二つの坂に存在する48のカーブを、いろは48音に例えたのが由来である。

日光・中禅寺湖と男体山
(世界遺産、国立公園、1938年)

日光・華厳の滝
(1938年、世界遺産)

日光・二荒山神社神橋(1938年)奈良時代、世界遺産

日光・菖蒲平からのヒウチ岳
(1938年、世界遺産)

日光・中禅寺湖と男体山(世界遺産) 国立公園 <p>日光・華厳の滝</p> 日光・神橋(1938年) 世界遺産 日光・菖蒲平からのヒウチ岳(1938年、世界遺産)

■東照宮の手前にある赤い橋『神橋』を渡ってみてはいかが。渡橋料が必要だが、かつては将軍など限られた人しか渡れなかった橋である。

■日光の中禅寺湖:周囲約25キロ、最大水深163メートルの中禅寺湖は、日光を代表する湖である。水面の海抜高度1269メートルは、日本一の高さを誇る(ただし、人工湖を除く面積4平方キロ以上の湖のなかで)。約2万年もの昔、男体山(なんたいさん)の噴火による溶岩で渓谷がせき止められ、原形ができたといわれる。 発見されたのは天応2(782)年。日光開山の祖、勝道上人が男体山の登頂に成功したとき、山の上から湖の存在を見つけた。
 

中禅寺湖の八町出島と男体山(1962年)

中禅寺湖の八町出島と男体山(1962年) 日光国立公園

東照宮陽明門(1910年頃)

東照宮内部(1910年頃)

東照宮内部(1910年頃)

日光三代公拝殿(1910年頃)

東照宮陽明門(1910年頃)nikkou-youmeimon1910s.jpg 東照宮内部(1910年頃) 絵葉書 日光三代公拝殿(1910年頃)

●「あらたうと 青葉若葉の 日の光(華厳の滝)」 栃木・日光 
松尾芭蕉の奥の細道の俳句

久能山東照宮(静岡県)

俳句(芭蕉)「奥の細道」●あらたうと、青葉若葉の日の光(華厳の滝) 久能山東照宮

■静岡県・久能山東照宮は、1616年(元和2年)4月17日に徳川家康の薨去後、2代将軍秀忠の命により僅か1年7カ月という短期間で造営されました。 権現造・総漆塗・極彩色の社殿は、彫刻・模様・組物などに桃山時代の技法を取り入れた江戸時代初期の代表的建造物として、重要文化財に指定されています。 全国に500社以上鎮座する東照宮の根本大社として、2015年に御鎮座四百年を迎えるに当たり、御社殿を始め諸建造物の漆塗替え、参道及び石垣の修復工事が行われています。 この写真付き切手(Pスタンプ)には、葵御紋、御本殿、家康公愛用置時計、金陀美頭形兜、東照大権現画像、拝殿向拝「甕割り」、拝殿組物、唐門袖壁唐獅子牡丹、本殿側面獅子、唐門の10点が選ばれ、初穂料の一部は修復工事費に充てられます。 近くは静岡の石垣イチゴで有名です。

昔、太平洋戦争に負けた日本では日光の切手に関して、こんな省令が出ていました。 いま日光は世界遺産です。

■昭和二十二年逓信省令第二十四号(意匠が軍国主義、神道等の象徴に関係ある郵便切手及び郵便葉書使用禁止に関する省令) (昭和二十二年七月二十三日逓信省令第二十四号)  最終改正:昭和二四年二月一一日逓信省令第七号

○1  左に掲げる郵便切手及び郵便葉書は、その意匠が軍国主義、神道等の象徴に関係があるので、昭和二十二年九月一日以後これを使用してはならない。
乃木将軍の意匠の二銭及び三銭郵便切手 /盾と桜の意匠の三銭郵便切手 /東郷元帥の意匠の四銭、五銭及び七銭郵便切手 /富士と八紘基柱の意匠の四銭郵便切手 /旭日と飛行機の意匠の五銭郵便切手 /ガランビ燈台の意匠の六銭及び四十銭郵便切手 /産業戦士と飛行機の意匠の六銭郵便切手 /金剛山の意匠の七銭郵便切手 /明治神宮の意匠の八銭郵便切手 /東照宮の意匠の十銭郵便切手 /地図と椰子の意匠の十銭郵便切手 /敵国降伏の意匠の十銭郵便切手 /飛行機と地図の意匠の十二銭郵便切手 /春日神社の意匠の十四銭郵便切手 /少年航空兵の意匠の十五銭郵便切手 /靖国神社の意匠の十七銭、二十七銭及び一円郵便切手 /嚴島の意匠の三十銭郵便切手 /藤原鎌足の意匠の五円郵便切手 /楠公銅像の意匠の通常葉書及び往復葉書
○2  前項の郵便切手及び郵便葉書は、東京中央郵便局で、これを他の郵便切手又は郵便葉書と引き換えることができる。
○3  前項の場合において、引換えをする双方の郵便切手又は郵便葉書の合計金額が符合しないときは、その端数額を現金で決済する。
   附 則   この省令は、昭和二十二年八月一日から、これを施行する。
   附 則 (昭和二三年四月七日逓信省令第九号)  この省令は、昭和二十三年五月一日から、これを施行する。
   附 則 (昭和二四年二月一一日逓信省令第七号)  この省令は、昭和二十四年三月一日から施行する。


 

日本の世界遺産(東照大権現を祀る日光の社寺)の切手

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