日本の世界遺産|世界に訴える戦争の悲惨さ 広島・原爆ドーム「ヒロシマ」
日本のユネスコ世界遺産(UNESCO World Herittage)の広島の原爆ドーム(Atomic Bomb Dome)の切手(Stamps)です。 F原爆ドーム
- (1996年、文化遺産、正式名称は「 Hiroshima Peace Memorial, Genbaku Dome」)。 原爆ドーム(げんばくドーム、英:
Atomic Bomb Dome)の名で知られる広島平和記念碑(ひろしまへいわきねんひ、英: Hiroshima Peace Memorial)は、日本の広島市に投下された原子爆弾の惨禍を今に伝える記念碑である。 もとは広島県物産陳列館として開館し、原爆投下当時は広島県産業奨励館と呼ばれていた。ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されており、“二度と同じような悲劇が起こらないように”との戒めや願いをこめて、とくに負の世界遺産と呼ばれている。 登録理由は「時代を超えて核兵器の究極的廃絶と世界の恒久平和の大切さを訴え続ける人類共通の平和
記念碑である。」とされ、世界平和への祈念の意味が込められています。 アウシュビッツ・ビルケナウ、ゴレ島に続く負の遺産は平和の誓いを発信しています。
ノーモア・ヒロシマ、ノーモア・ナガサキ!! 長崎も入れております。 絵葉書は拡大します。
参考:社団法人 日本ユネスコ協会連盟のHP(世界遺産活動)
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ブログ:古代日本のロマン:卑弥呼と邪馬台国のニュース(箸墓古墳)(2009年5月29日) |
日本の世界遺産と遺跡・古墳 |
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■日本の世界遺産(The UNESCO World Heritage ) 日本全体のトップ ★作成に当たり、Wikipediaやその地に地域のHPの資料を使わせていただきました。 |
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F世界遺産「原爆ドーム」 |
■原爆ドームは、本来は大正4(1915)年に完成した広島県物産陳列館です。設計はチェコ人の建築家ヤン・レツル氏で、楕円形のドーム、壁面のふくらみなどに見られる大胆なヨーロッパ風の建物は当時の広島名所の一つとなり、シンボルともなりました。昭和20(1945)年8月6日午前8時15分、この建物から南東約160メートルの高度約580メートルで原爆が炸裂しました。建物は一瞬にして大破・全焼しましたが、爆風がほぼ真上から到達したため、壁の一部は倒壊を免れ、ドームの鉄枠とともに象徴的な姿をさらしました。この廃墟は、いつのころからか「原爆ドーム」と呼ばれるようになり、平成7(1995)年6月に国の史跡に指定され、平成8(1996)年12月には世界遺産に登録されました。 |
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原爆ドーム(Atomic Bomb Dome)と広島県物産陳列館 |
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広島原爆は市の中心部を流れる太田川の相生橋近くの上空約600メートルで爆発した。広島の市街地は太田川の河口に開けたほぼ平地にあり、原爆は全域をおそった。全壊・全焼地域は約13平方キロ。 爆発した瞬間、その熱で空気が急にふくらみ、強烈な爆風が発生した。爆心地の風速は秒速440メートルをこえたという。強い台風の中心でふく暴風の10倍にもなる。爆心地から1キロで秒速160メートル、2キロでも秒速60メートルというすさまじさだった。爆心地から半径2キロ以内では、ほとんどすべての建物がおしつぶされ、人々はふき飛ばされた。 爆発で空中にできた火の玉は直径300メートル近い大きさとなり、表面の温度は7000度にも達した。火の玉から出た熱線で、爆心地近くの地表は3000〜4000度(鉄がとける温度は約1500度)に熱せられた。木造の家屋は自然に燃え出すなど、市内のいたるところで火の手があがり、爆心地から半径2キロ以内の地域は焼きつくされた。 最近のアメリカのオバマ大統領の言葉ではありませんが「世界の核廃絶」 を切に願っています。 |
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平和50周年記念(広島・長崎平和記念) 平和のハトと原爆ドーム、ステンドグラス |
長崎国際文化都市建設 |
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広島県物産陳列館から(「平和」切手デザインコンクール) |
広島平和記念都市建設記念(日本、1949年) |
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La Paix(平和) |
Taika(平和) |
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Universal shrine of peace |
平和の願い |
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いのち燦燦 |
出会い |
にじ色のポッポ |
うさちゃん |
■上の「平和」切手デザインコンクールは、原爆ドーム(Atomic Bomb Dome)の世界遺産(UNESCO World Herittage)への登録の意義の一層の周知を図る一助とするため、平成14(2002)年に実施されました。特賞の作品8点に対する本コンクール審査委員長(磯田皓:グラフィックデザイナー)の講評(原文のまま)は、次のとおりです。 |
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広島平和都市記念碑 平和記念資料館 (2005年) |
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長崎・原爆投下(平和記念像) |
■1945年(昭和20年)8月6日に広島、ついで9日には長崎に人類史上最初の原子爆弾が投下されました。これによって両市は一挙に壊滅し、同年12月末までに、広島で約14万人、長崎で約7万4千人もの生命が奪われたと推定されています。最近のアメリカの大統領の言葉ではありませんが「世界の核廃絶」を切に願っています。 |
■原爆切手発行問題とは、アメリカ合衆国郵便公社(以下USPS)が1995年9月に発行しようとした第二次世界大戦50周年切手のうち、原子爆弾のキノコ雲のデザインをめぐり、日米間で政治問題化したものである。最終的には発行は中止されたが、広島市および長崎市への原爆投下に対する歴史認識の日米間の違いが顕著化したものであった。 |
核実験禁止(国連、原爆) |
■原爆(原子爆弾,Atomic Bomb)が爆発した瞬間、その熱で空気が急にふくらみ、強烈な爆風が発生した。爆心地の風速は秒速440メートルをこえたという。強い台風の中心でふく暴風の10倍にもなる。爆心地から1キロで秒速160メートル、2キロでも秒速60メートルというすさまじさだった。爆心地から半径2キロ以内では、ほとんどすべての建物がおしつぶされ、人々はふき飛ばされた。 原爆の爆発で空中にできた火の玉は直径300メートル近い大きさとなり、表面の温度は7000度にも達した。火の玉から出た熱線で、爆心地近くの地表は3000〜4000度(鉄がとける温度は約1500度)に熱せられた。木造の家屋は自然に燃え出すなど、市内のいたるところで火の手があがり、爆心地から半径2キロ以内の地域は焼きつくされた。 [参考]長崎市平和・原爆のホームページ 長崎原爆資料館 〒852-8117 長崎市平野町7番8号 広島平和記念資料館 住所:広島市中区中島町1-2 |
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非常に不本意ですが、海外で1995年に発行された原爆を投下したB-29(エノラ・ゲイ(Enola Gay) )が発行されて居ます。参考で掲載します。 |
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原爆のキノコ雲とエノラ・ゲイ(マーシャル諸島、ペンリン諸島、シエラレオネ) |
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絵葉書・広島 原爆ドーム |
絵葉書・広島 |
絵葉書・広島 広島城 |
絵葉書・広島 慰霊碑 |
絵葉書・広島平和記念公園 |
絵葉書・広島 原爆ドーム |
絵葉書・広島 原爆ドーム |
絵葉書・広島 原爆ドーム |
広島平和記念公園は、広島県広島市中区中島町にある無料の市民公園。世界に向けて人類の平和を願い訴える目的と、過去の過ちを繰り返さないために、爆心地に近いこの周辺に公園の建設が計画され、1954年4月1日に完成した。設計は丹下健三 。 |
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絵葉書・長崎 夜景 |
絵葉書・長崎 大浦天主堂 |
絵葉書・長崎 大浦天主堂 聖母 |
絵葉書・長崎 爆心地 |
長崎市への原子爆弾投下は、第二次世界大戦末期の1945年(昭和20年)8月9日午前11時02分でした。 |
日本の世界遺産の切手|世界に訴える戦争の悲惨さ 広島・原爆ドーム「ヒロシマ」 長崎含む |
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