日本の写真・風景|四国 お遍路さんや明治維新、阿波踊り
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四国
四国の良い所やお気に入りの場所を写真でご案内します。 四国は、お遍路さん(お遍路さんとは. 今から約1100年前に、弘法大師によって四国八十八ヶ所巡礼が開かれました。全工程1,400㎞を越える四国4県の霊場を巡拝する行事であるとのことです。)のお寺・霊場や明治維新の歴史的な場所や温泉、風光明媚な瀬戸内海など有名な場所を網羅します。高知(土佐)は坂本竜馬と土佐犬が有名です。徳島の阿波踊り(阿波踊り(あわおどり)とは約400年の歴史があり、徳島県(旧・阿波国)内各地の市町村で開催される盆踊りである。なかでも徳島市の阿波踊りが県内最大規模で最も有名であり四国三大祭り、日本三大盆踊りの1つに数えられる。)も良いですね。愛媛・松山は明治の文学者・夏目漱石の坊ちゃんゆかりのもの道後温泉・・が多いです。グルメには忘れてならないのが香川の「讃岐うどん」です。香川は海上交通の守り神の金刀比羅宮も。瀬戸大橋。自然。
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四国・高知
■高知県(Kochi Prefecture)は、日本の四国地方に位置する県。県庁所在地は高知市。令制国では土佐国に当たり、県庁所在地の高知市の大半は土佐国の土佐郡に属していた。日本最後の清流といわれる四万十川(しまんとがわ)のほか、水辺利用率全国一の仁淀川、物部川、安田川など四国山地に源を発する清流が多く流れる。室戸岬・足摺岬・龍河洞・四国カルストなど多くの天然の観光資源を有する。
■桂浜(かつらはま)は、高知県高知市南部に位置し太平洋に臨む海岸。毎年、中秋の名月の夜になると「名月酒供養」が開催され、地元出身の歌人・大町桂月を偲びながら文芸を語り酒を酌み交わす。高知市を代表する観光名所の一つである。坂本龍馬の銅像が太平洋を望んで立っている。ほかに観光スポットとして、坂本龍馬記念館・桂浜水族館・大町桂月記念碑などの文学碑等がある。
桂浜・坂本龍馬像(高知)
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桂浜(高知)
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土佐犬の闘犬(高知)
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土佐犬グッズ(高知)
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■土佐闘犬(とさとうけん)は、明治時代に入ってから、闘犬の盛んな四国、土佐藩でその地の地犬(四国犬)に、前田犬、オールド・イングリッシュ・マスティフ(Old
English Mastiff)やブルドッグ(bulldog)、ブルテリア(bull terrier)、グレート・デーン(great dane)などを配し作られた犬の品種である。
■坂本 龍馬(さかもと りょうま)、天保6年11月15日(1836年1月3日) - 慶応3年11月15日(1867年12月10日)は、日本の武士(土佐藩郷士)、明治維新に影響を与えた政治家、グラバー商会(ジャーディン・マセソンの日本代理販売店)代理人として武器輸入に関わった実業家。 土佐藩脱藩後、貿易会社と政治組織を兼ねた亀山社中(後の海援隊)の結成、薩長連合の斡旋、大政奉還の成立に尽力するなど、志士として活動した。贈正四位(1891年(明治24年)4月8日)。司馬遼太郎の小説『竜馬がゆく』の主人公とされて以来、国民的人気を誇っている。
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■龍馬と言えばおりょうさん。
楢崎 龍(ならさき りょう、天保12年6月6日(1841年7月23日) - 明治39年(1906年)11月15日)は坂本龍馬と結婚した女性である。名は一般におりょう(お龍)と呼ばれることが多い。 天保12年(1841年)、医師の楢崎将作の長女として京都で生まれた(または実父は西陣織を扱う商人で将作の養女になったとも)。父の将作は井伊直弼による安政の大獄で捕らえられ、獄死している。このため、お龍と母、そして幼い4人の弟妹は生活に困るようになり、お龍はそれを養うために京都の料理屋で働いていた。
しかし間もなく料理屋を辞めて天誅組残党の賂いとなる。しかし天誅組が幕府の追討を受けると、各地を放浪するようになった。このとき坂本龍馬と出会い、龍馬から自由奔放なところを気に入られ恋仲となり、その後寺田屋に奉公することとなった。 慶応2年(1866年)、薩長同盟の成立を悟った幕府の伏見奉行配下の捕り方によって寺田屋が包囲されたとき、お龍は風呂に入っていたが、裸(実際は浴衣を着ていた)で飛び出して龍馬に危機を知らせて救ったとされる(寺田屋事件)。その直後に龍馬と結婚し、小松帯刀の誘いで薩摩藩の温泉への旅行(寺田屋事件での龍馬の傷湯治)を楽しんでいる。これが日本最初の新婚旅行であったといわれている。 明治39年(1906年)、酒の無理がたたり、横須賀にて66歳で死去。墓は横須賀市大津の信楽寺(しんぎょうじ)にある。(Wikipedia)
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高知城と日曜市(2001年、高知県)
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■高知城は、慶長6(1601)年に山内一豊公により築城されました。その後大火により消失しましたが、再建され現在に至っています。国の重要文化財にも指定されており、今年は築城後400年の筋目の年となります。
■日曜市は、元禄3(1690)年に始まるとされており、約300年の歴史をもち生活感と人情あふれる高知の名物です。長さ約1km、出店数約600店が市に立ち早朝から日暮れまで賑わいます。
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土佐のクジラ(日本)と
坂本竜馬
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■龍馬と同じく土佐藩士だった佐々木高行は、お龍のことを「有名なる美人なれども、賢婦人なるや否やは知らず。善悪ともに兼ぬるように思われたり」(大変な美人だが、賢婦と言えるかどうかは疑わしい。 善にも悪にもなるような女)と評している。
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足摺岬灯台と巡礼の親子
(1961年、国定公園)
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足摺岬と灯台
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■足摺岬灯台(あしずりみさきとうだい)は、高知県土佐清水市にある四国の最南端足摺岬突端に立つ白亜の大型灯台。周辺は、足摺宇和海国立公園に指定され、太平洋を望む風光明媚の地。また、「日本の灯台50選」にも選ばれている。
■四国霊場・第38番札所・金剛福寺は、岬に着くと右手に灯台、左手に金剛福寺。弘法大師が爪で「南無阿弥陀仏」の文字を彫ったと称する岩肌もある。
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坂本龍馬と桂浜
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■高知の土佐湾にいるクジラは。「ニタリクジラ」です。
また、別名「海の貴婦人」とも呼ばれクジラの中でも大変美しいクジラです。
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野良時計 、はりまや橋と路面電車、 仁淀川紙のこいのぼり、 足摺岬(高知、2010年)
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■播磨屋橋(はりまやばし)は、高知市中心部にある道路橋で、長さ約20mの桁橋である。俗に、ひらがなではりまや橋と表記されることも多い。国道32号支線と、とさでん交通桟橋線が通る。朱色の播磨屋橋は長さ10m程と短いことなどから札幌時計台、オランダ坂などと並び「日本三大がっかり名所」と揶揄されることも多い。
四国・愛媛
■愛媛県は、四国の北西部と、瀬戸内海に浮かぶ小さな島々からなります。県庁所在地の松山市内には、1600 年代に建立された松山城があります。緑豊かな高台にあるこの城は、ロープウェイかリフトで登ります。道後温泉は日本最古の温泉のひとつで、その中心には 19 世紀に建てられた道後温泉本館があります。
■坊っちゃんカラクリ時計(愛媛県 松山市街・道後温泉)は、8~22時の1時間ごとに、定時になるとせり上がり、夏目漱石の小説『坊っちゃん』の登場人物の20体の人形が次々に現れる。
坊っちゃんカラクリ時計
(愛媛県 松山市街・道後温泉)
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香園寺(こうおんじ)は、愛媛県西条市(旧周桑郡小松町)にある真言宗系の単立寺院
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仙遊寺(せんゆうじ)は、
愛媛県今治市玉川町にある
高野山真言宗の寺院
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瀬戸内しまなみ海道
(西瀬戸自動車道)・
来島海峡大橋
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■石鎚山は、四国山地西部に位置する標高1,982mの山で、近畿以西の西日本最高峰である。石鎚山は、愛媛県西条市と久万高原町の境界に位置する。 愛媛の石鎚山は、山岳信仰(修験道)の山として知られる。日本百名山、日本百景の一つであり、日本七霊山のひとつとされ、霊峰石鎚山とも呼ばれる。石鎚山地の中心的な山。 ■来島海峡(くるしまかいきょう)とは、瀬戸内海中部、愛媛県今治市とその沖の大島との間を隔て、水域においては西の斎灘(いつきなだ)と東の燧灘(ひうちなだ)とを隔てる海峡。日本三大急潮の一つ。付近一帯は瀬戸内海国立公園に属し、糸山公園(いとやまこうえん)を初めとする景勝地が点在する。また、大島の亀老山山頂の展望台から見下ろす来島海峡の眺め、特に暮れなずむ夕景は観光写真等によく登場します。
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■道後温泉(どうごおんせん)は、四国・愛媛県松山市(旧国伊予国)に湧出する温泉。日本三古湯の一つといわれる。 その存在は古代から知られ、万葉集巻一にも見える。なおかつてはこの周辺が温泉郡(おんせんぐん)(湯郡)と呼ばれていたが、これはこの温泉にちなむ地名である。 夏目漱石の小説『坊つちやん』(1905年)にも描かれ、愛媛県の代表的な観光地となっている。
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石鎚山
(1963年、国定公園)
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愛媛・来島海峡
(日本、1992年)
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愛媛「道後温泉」
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■松山市の中央の勝山山頂にそびえる松山城は、慶長7(1602)年に加藤嘉明が、築城に着手しました。平成14(2002)年で400年を迎えます。 松山に生まれ育った正岡子規は、松山にちなむ俳句を残しており、故郷をこよなく愛していたことがうかがえます。平成13(2001)年は正岡子規の百回忌にあたります。
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「歴史と文化の息吹くまち松山=正岡子規と松山城、
坊ちゃん列車と道後温泉」
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■夏目漱石の小説「坊っちゃん」のなかで、マッチ箱のような汽車と表現された坊っちゃん列車は、明治時代に道後平野を走っており、平成13(2001)年10月に復元されることになりました。 道後温泉は、日本最古の温泉といわれています。明治27(1894)年に建てられた道後温泉本館は、歴史を感じさせる風格を誇っています
四国・香川と徳島
■香川県は四国の北東部にあり、南は讃岐山脈、北は瀬戸内海で、周辺には島々が点在しています。ここは八十八か所の霊場を巡る四国遍路の終着点でもあります。 県庁所在地の高松市は、戦国時代に建てられた高松城と、栗林公園がある港湾都市です。
■徳島県は四国の東端にあり、本州との間には橋が架かっています。四国全土に点在する 88 か所の霊場(四国八十八ヶ所)を巡る、1,200 km におよぶ遍路道の起点になっています(霊場のうち 4 分の 1 以上の寺院は徳島県内にあります)。剣山国定公園の一部である祖谷渓は、険しい峡谷、川の急流、シラクチカズラで造られた吊り橋で知られています。
徳島市の阿波おどり会館 / 金刀比羅宮(こんぴらさん)・本宮
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讃岐うどん・山田家 ざるぶっかけうどん(TV「水曜どうでしょう」で有名になったお店)
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讃岐うどん・
藤よしの釜揚げうどん
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讃岐うどん・
屋島山頂の釜玉うどん
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■讃岐うどん(さぬきうどん)は、近年名づけられた香川県(旧讃岐国)特産のうどん。伝来時期などは明らかでないが、元禄時代(江戸前期)の屏風絵にうどん屋を確認できる。古くから小麦、塩、イリコ(煮干し、カタクチイワシ)、醤油といった讃岐うどんの原料が、この地域で容易に入手でき、かつ特産品でもあった。香川県内において、うどんは特に好まれている。 県民の生活の中で特異な位置を占めており、一人当たりの年間うどん消費量230玉は日本で1位です。
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讃岐うどん・池内製麺所(映画「UDON」でロケ地になったうちの一軒で有名)
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讃岐うどん・
宮武のひやあつうどん
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うどんは弘法大師が唐から伝えたという言い伝えが遍路でお大師様(弘法大師)に親しむ香川県ではよく語られ、このエピソードは讃岐うどんに関するWEBページや県内のうどん屋の内装、広告などに頻繁に現れるが、明確な根拠はない。
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徳島ラーメン
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■徳島ラーメン(とくしまラーメン)は、徳島県(東部)のご当地ラーメン。地元では「中華そば」や「そば」と呼ばれている。茶色の豚骨醤油スープに中細麺、トッピングには豚バラ肉・ネギ・もやし・生卵…というのがもっとも一般的に知られている徳島ラーメンだが、地元では生卵を入れずに食べる人も多い。スープに甘味があるのも大きな特徴である。また徳島ラーメンは基本的に「ご飯のおかず」として食べるものなので、通常のラーメンに比べて量がやや少なめになっているのも特徴の一つである。 見た目は色が濃いですね。
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切手でめぐる四国(香川、徳島)の良い所
■阿波おどり会館 阿波おどりミュージアムでは、阿波おどりの衣装や鳴り物などの実物を展示し、阿波おどりの映像を楽しんだり、踊りの実力を試したりするとともに、楽しみながら阿波おどりの歴史を知ることができます。 所在地/徳島市新町橋2丁目20 電話/088-611-1611
■阿波踊り(あわおどり)は徳島県(旧・阿波国)を発祥とする盆踊りである。日本三大盆踊りのひとつ。約400年の歴史があり、夏季になると徳島県内各地の市町村で開催される。なかでも徳島市阿波おどりは国内最大規模で最も有名であり、四国三大祭りに数えられる。近年では全国各地で行われるようになってきている。三味線、太鼓、鉦(かね)、横笛などの2拍子の伴奏にのって踊り手の集団(「連」)が踊り歩く。
「えらいやっちゃ、えらいやっちゃ、ヨイヨイヨイヨイ、踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らな損々…」と唄われるよしこので知られる。しかし、よしこのは大手の有名連以外はあまり使われず主に「ヤットサーヤットサー」という掛け声のほうが多用されている。
剣山(1973年、国定公園、徳島県)
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室戸阿南・室戸岬
(1966年、国定公園)
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■四国の屋根と呼ばれる剣山山系剣山は、標高1955mで石鎚山に次ぐ西日本第2の高さを誇ります。安徳天皇の剣を隠したという伝説から剣山の名がついたとされ、山岳信仰の霊場として、昭和初期まで女人禁制が守られていた山でした。
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■大歩危(おおぼけ)は、吉野川中流域に位置する渓谷(先行谷)。吉野川西岸の徳島県三好市山城町西宇地区の歩危茶屋付近から高知県長岡郡大豊町大久保地区の一部までと、その対岸となる徳島県三好市西祖谷山村の一部を指す総称でもある。峡谷そのものを指す場合は大歩危峡(おおぼけきょう)と呼ばれることが多い。夏季には多くのラフティング・カヤック愛好者を集めるほか、百年以上の歴史がある大歩危峡遊覧船で知られている。数km下流の小歩危(こぼけ)と共に、大歩危・小歩危(おおぼけ・こぼけ)として一括りにされることが多い。剣山国定公園に含まれている。 ■丸亀城(まるがめじょう)は讃岐国、現在の香川県丸亀市にあった城である。別名、亀山城、蓬莱城ともいいます。丸亀市街地の南部に位置する亀山(標高66メートル)を利用し、縄張りはほぼ四角形で亀山の廻りを堀(内堀)で囲む、輪郭式の平山城。石垣は、緩やかであるが荒々しい野面積みと端整な算木積みの土台から、頂は垂直になるよう独特の反りを持たせる「扇の勾配」となっている。山麓から山頂まで4重に重ねられ、総高60メートルの石垣は日本一高い。
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徳島・阿波踊り
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剣山・大歩危(おおぼとけ、1973年、国定公園)
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丸亀城(香川県)
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徳島・阿波踊り(女踊り)
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北野恒富・「阿波踊」
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■阿波踊り(あわおどり)は、阿波国(現・徳島県)を発祥とする盆踊り。 明治5年12月3日(旧暦:天保暦)が明治6年1月1日(新暦:グレゴリオ暦)に改暦されてからお盆の開催時期が動揺し、盆踊り(阿波踊り)の開催日も旧暦・新暦・月遅れ・週末開催・任意の日など、お盆との関連が薄まって様々な日程で開催されるようになった。
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室戸阿南・阿南海岸の
千羽海崖(国定公園)
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オリーブの花と実と小豆島
(香川、2002)
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すだちの花と実と剣山
(徳島、2002)
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■室戸阿南海岸国定公園は四国南部の室戸岬~徳島県南部の海岸一帯を占める国定公園。内陸部の指定地は全く存在しない純粋な海岸公園である。室戸岬は足摺岬と並ぶ高知県を代表する岬で、折り重なる海岸段丘と亜熱帯性樹林が特徴的。また徳島県南部一帯は高さ200mの断崖絶壁が連続する千羽海崖やリアス式の沈水海岸が見られる橘湾、アカウミガメの産卵地で知られる砂浜海岸、日和佐海岸などバラエティに富む。また無数の島嶼が見られ、橘湾の弁天島亜熱帯性植物群落(天然記念物)や徳島県南部の津島暖地性植物群落(天然記念物)など貴重な植生が見られる。 ■栗林公園(りつりんこうえん)は、香川県高松市にある公園、日本庭園。国指定特別名勝。紫雲山を借景として6つの池と13の築山を巧妙に配した大名庭園で、回遊式庭園の南庭と近代的に整備された準洋式の北庭からなっている。面積は約75haと特別名勝に指定されている庭園の中では最大の広さを誇る。
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栗林公園・飛来峰からの眺望 / 金刀比羅宮 拡大
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■旧金毘羅大芝居(金丸座)は、天保6(1835)年に建てられた現存する日本最古の芝居小屋で、昭和45(1970)年に国の重要文化財に指定されました。 昭和51(1976)年に、火災の危険を避けるため、現在の場所に移築されましたが、移築に当たって、客席、舞台や楽屋回りが建てられた当時の形に復元されました。その際、国の重要文化財であり、部品や釘の一つひとつを元と全く同じ状態に戻す必要があったため、4年の歳月がかけられました。客席上は天井が張られず、桟敷や花道のほか、奈落や鳥屋に至るまで旧規が保たれており、江戸時代の芝居小屋を知ることができる唯一の遺構です。 また、象頭山(琴平山)は、香川県西部の仲多度郡琴平町と三豊郡高瀬町の境をなす標高521mの山で、山容が象の頭の形をしていることからこう呼ばれ、山の東部中腹に金刀比羅宮があります。神域のため長い間人の手が入らず、クス等の照葉樹林が残され、鳥獣の生息も多く、国の名勝・天然記念物に指定されています。
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旧金毘羅大芝居と象頭山
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昭和60(1985)年からは、年に1回「四国こんぴら歌舞伎大芝居」が上演されている
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■金刀比羅宮(ことひらぐう)は、香川県仲多度郡琴平町の象頭山中腹に鎮座する神社。こんぴらさんと呼ばれて親しまれており、金毘羅宮、まれに琴平宮とも書かれる。明治維新の神仏分離・廃仏毀釈が実施される以前は真言宗の象頭山松尾寺金光院であり、神仏習合で象頭山金毘羅大権現と呼ばれた。現在は神社本庁包括に属する別表神社、宗教法人金刀比羅本教の総本部。全国の金刀比羅神社・琴平神社・金比羅神社の総本宮でもある。 絵葉書はクリックで拡大します。
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讃岐金刀比羅宮
本社 絵葉書
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絵葉書 金比羅参り
象頭山 絵葉書
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長く続く参道の石段が有名で、奥社まで登ると1368段にもなる。海上交通の守り神として信仰されており、現在も漁師、船員など海事関係者の崇敬を集め、海上自衛隊の掃海殉職者慰霊祭も毎年、金刀比羅宮で開かれる。境内の絵馬殿には航海の安全を祈願した多くの絵馬が見られる。
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瀬戸大橋(香川県側と岡山県側の2種、1988年)橋長1,723m、道路・鉄道併用橋
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南・北備讃瀬戸大橋(橋長1,723m、道路・鉄道併用橋)と下津井瀬戸大橋
(張出し径間付き単径間トラスト補剛吊橋)
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阿波の木偶人形(日本)
「阿波十郎兵衛」
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四万十川
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■板東 十郎兵衛(ばんどう じゅうろうべえ、正保3年(1646年) - 元禄11年11月14日(1698年12月15日))は、阿波国板野郡宮島浦(現徳島市川内町)出身の徳島藩士。近松半二の人形浄瑠璃「傾城阿波鳴門」に出てくる阿波の十郎兵衛のモデルとなった人物。 現在は十郎兵衛が住んでいた屋敷は阿波十郎兵衛屋敷となっており、十郎兵衛を題材とした人形瑠璃が行われている。
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■『二十四の瞳』(にじゅうしのひとみ)は、1952年(昭和27年)に、壺井栄が発表した日本の小説で、1928年から1946年までの瀬戸内海の海村(原作では舞台が小豆島だとは、特定されていない)を舞台に、赴任したばかりの若い女性教師と、その年に小学校に入学した12人の児童のふれあいを軸に、日本の昭和戦前期の歴史の動向とを含めた作品。
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二十四の瞳・小豆島
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壺井栄(作家)二十四の瞳
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■壺井 栄(つぼい さかえ、旧姓:岩井、女性、1899年(明治32年)8月5日 - 1967年(昭和42年)6月23日)は、日本の小説家・詩人。主に一般向小説および児童文学(童話)を主領域に活躍した作家で、戦後反戦文学の名作として後に映画化された『二十四の瞳』の作者として知られる。香川県小豆郡坂手村(現在の小豆島町)出身。
■二十四の瞳映画村は香川県の小豆島にある映画と文学のテーマパーク。1987年公開の映画「二十四の瞳」の小豆島ロケのオープンセットを活用した施設群。このテーマパークは、田中裕子主演の1987年版映画『二十四の瞳』の映画撮影で使用された「岬の分教場」と、大正から昭和初期の民家、男先生の家、漁師の家、茶屋、土産物屋など14棟のオープンセットを公開している。
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■ 鳴門市孫崎と淡鳴門の渦潮路島との間の鳴門海峡では、潮の干満によって渦潮が発生します。春と秋の大潮時に最大となり、潮流時速20km、最大直径20mにも及ぶものがあります。百雷のごとくすさまじい轟音を立てて渦潮が交錯しながら流れていくさまは壮観です。満潮と干潮は1日2回ずつあり、鳴門海峡ではこの満潮時と干潮時に渦潮が発生します。
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屋島と瀬戸内海(1939年)
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■屋島(やしま、旧字体:屋嶋)は、日本の四国北東部の、香川県高松市の東北に位置する、硬質の溶岩に覆われた平坦面が侵食された残丘。南北に長い台地状の地形
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瀬戸内海・鳴門の渦巻
(1963年、国立公園)
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■四万十川(しまんとがわ)は、高知県の西部を流れる一級河川で渡川水系の本流。全長196km、流域面積2186km2。四国内で最長の川。本流に大規模なダムが建設されていないことから「日本最後の清流」、また柿田川・長良川とともに「日本三大清流の一つ」と呼ばれる。
切手でめぐるお四国・遍路の旅、霊場
■古来、四国は国の中心地から遠く離れた地であり、様々な修行の場でありました。讃岐でご生誕されたお大師さま(弘法大師・空海)もたびたびこの地でご修行をされ、八十八ヶ所の寺院などを選び四国八十八ヶ所霊場を開創されたと伝えられております。そのお大師さまの御跡である八十八ヶ所霊場を巡礼することが遍路です。当初の遍路は、修行僧などが中心でした。その後、お大師さまに対する人々の信仰(弘法大師信仰)の高まりと共に、日本全国から多くの方が遍路されたといわれております。そして、お大師さまのゆかりの地として、誰しもが一度は訪れたい霊場として発展していきました。
四国八十八カ所の文化遺産 第1集 第2集
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四国八十八カ所の文化遺産 (上段左から)
第1集:霊山寺の仁王門 / 極楽寺の長命杉 / 金泉寺の本堂と護摩堂 / 大日寺の三十三体の観音像 / 立江寺の大師像と多宝塔 / 鶴林寺の三重塔 /
太龍寺の舎心ヶ嶽の大師座像 / 平等寺の本堂と男坂 / 岩本寺の天井絵 / 金剛福寺の海亀塔と本堂 / 延光寺の本堂 / 観自在寺の山門 /
南光坊の山門 / 泰山寺の石積みの塀と本堂 / 栄福寺の大師像 / 仙遊寺の金剛力士像 / 出釋迦寺の本堂と大師堂 / 甲山寺の本堂 / 善通寺の金銅錫杖頭 /
金倉寺の本堂
第2集:地蔵寺の本堂と大銀杏 / 安楽寺の不空成就如来 / 十楽寺の山門 / 熊谷寺の仁王門 / 藥王寺の瑜祗塔 / 最御崎寺の本堂と多宝塔
/ 津照寺の山門と鐘楼門 / 金剛頂寺の本堂 / 龍光寺の孔雀明王 / 仏木寺の茅葺の鐘楼 / 明石寺の地蔵堂の彫刻 / 大寶寺の本堂 /
国分寺の本堂の鬼瓦 / 横峰寺の山門 / 香園寺の大日如来 / 宝寿寺の本堂 / 道隆寺の仁王門 / 郷照寺の雲上二十五菩薩来迎仏 / 天皇寺の赤門
/ 國分寺の本堂
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四国八十八カ所の文化遺産 第3集(お遍路さん)
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四国八十八カ所の文化遺産 (上段左から)
第3集:法輪寺 釈迦如来涅槃像 / 切幡寺 はたきり観音 / 藤井寺 堂塔前の藤 / 焼山寺 本堂と石造の多宝塔 /神峯寺 山門 / 大日寺 大師堂 / 國分寺 金堂 / 善楽寺 本堂 / 岩屋寺 礫岩峰に抱かれる庫裏 / 瑠璃寺 仏足石 / 八坂寺 いやさか不動尊 / 西林寺 仁王門 / 吉祥寺 成就石と本堂 / 前神寺 本堂 / 三角寺 本堂正面の彫刻 / 雲邊寺 大師堂 / 白峯寺 山門 / 根香寺 五大明王 / 一宮寺 本堂 / 屋島寺 本堂と蓑山大明神
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■お遍路さんとは. 今から約1100年前に、弘法大師によって四国八十八ヶ所巡礼が開かれました。全工程1,400㎞を越える四国4県の霊場を巡拝する行事であるとのことです。他の巡礼地と異なり、四国八十八カ所を巡ることを特に遍路と言い、地元の人々は巡礼者をお遍路さんと呼ぶ。道中、お遍路さんに対して地元の人々から果物や金品、善根宿など、お接待または接待とよばれ、食べ物や飲み物、手ぬぐいやときには現金を渡す無償の提供がなされる伝統がある。これに対し、遍路は持っている納札(おさめふだ)を「お接待」してくれた人に渡すことになっている。こうした文化のおかげで、昔は比較的貧しい人であってもお参りができたといわれる。
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鶴林寺 山門
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霊山寺
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白峰寺
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■四国八十八箇所(しこくはちじゅうはっかしょ)は、四国にある88か所の弘法大師(空海)ゆかりの札所の総称。単に八十八箇所、あるいは四国霊場と言う場合も多い。四国八十八箇所を巡拝することを四国遍路、四国巡礼などとも言う。一般的に、徒歩の場合は40日程度、観光バスや車を利用する場合は10日程度を要すると言われています。
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Wikipediaを参考にしています。
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日本の写真・風景|四国 お遍路さんや明治維新、阿波踊りp>
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