日本の写真・風景|奈良・世界遺産・春日大社 藤原氏の守護神と祖神を祀る
春日大社 概要
関西・奈良・春日大社(かすがたいしゃ、Kasugataisha)の良い所やお気に入りの場所を旅行写真と切手でご案内します。 世界遺産の春日大社は、奈良県奈良市の奈良公園内にある神社である。旧称春日神社。式内社(名神大社)、二十二社の一社で、旧社格は官幣大社。全国にある春日神社の総本社である。藤原氏の守護神である武甕槌命と経津主命、祖神である天児屋根命と比売神を祀っています。春日大社の創立は、社伝では768年と伝えられますが、実際には奈良時代初めに遡ると考えられています。古くから神の降臨する山として神聖視されていた春日山・御蓋山の西麓に、藤原氏の氏神を祀ったもので、藤原氏や朝廷の崇敬を受けて繁栄しました。
春日山は841年に狩猟と伐採が禁止されて以来、大社の神山として守られてきました。明治になって国有地となり、奈良公園に編入された後、春日山原始林として1924年に天然記念物に、1955年には特別天然記念物になっています。 鹿が有名です。 奈良公園や切手も交えてご紹介します。 古都奈良の文化財(世界遺産登録年:1998年、World
Heritage.) 最下段に春日大社のニュースも。 春日大社もパワースポット。
昔、弟がここで結婚式を挙げた。 平城遷都1300年祭ホームページ
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春日大社
■春日大社は、奈良県奈良市の奈良公園内にある神社で、旧称春日神社。 式内社(名神大社)、二十二社の一社で、旧社格は官幣大社。全国にある春日神社の総本社である。 藤原氏の守護神である武甕槌命と経津主命、祖神である天児屋根命と比売神を祀る。四神をもって藤原氏の氏神とされ、春日神と総称される。 神紋は下がり藤。武甕槌命が白鹿に乗ってやってきたとされることから、鹿が神使とされる。 広大な境内には多数の摂末社がある。本殿の東側には比売神の御子神として天押雲根命を祀る摂社若宮神社があり、若宮神社、夫婦大国社を始めとする本殿東側の十二社は、「福の神十二社めぐり」として古来より崇敬を集めている。
春日大社 二之鳥居
(重要文化財)
二之鳥居そばの燈籠
二之鳥居そばの
大坂白鹿社 手水舎
春日大社入口の狛犬
奈良・春日大社の
万灯籠
奈良・春日大社の
万灯籠
■一之鳥居 (重要文化財)は、創建が平安中期頃とされる大鳥居で、現在のものは寛永11年(1638)に再建されたものです。今では市街地のメインストリートである三条通との境界に当たりますが、古くは春日大社と興福寺旧境内との境に立つ結界としての役割を持っていました。高さ7.75mの大鳥居で日本三大木造鳥居のひとつに数えられています。3月の春日祭や12月の春日若宮おん祭の際には大きな榊が立てられています。
■南門は春日大社の南回廊にあり、表参道を歩いて回廊内に入る時に潜る門で、高さは12mあり春日大社最大の楼門です。平安時代中期頃藤原氏の長者や摂関による春日詣がはじまり、その際の参向門とされました。廻廊が作られた頃には現在のような2階建ての立派な楼門となり、春日大社の正門としての性格を持つようになりました。
奈良・春日大社の南門
(重要文化財)
奈良・春日大社の
入口の鳥居
春日大社の
世界遺産の石碑
春日大社の
世界遺産のモニュメント
■世界遺産・奈良の春日大社の万灯籠は、約800年昔から行われて来た行事で境内にある3000基の境内にある灯籠は、昔から今日に至るまで、藤原氏をはじめ、広く一般国民から奉納されたものなんだそうです。 それだけ、庶民信仰が厚かったといえるのでしょう。灯籠には、あらかじめ崇敬者の方々に願いを書いていただいた和紙が貼ってあり万灯籠の日に参列した方々に浄火を入れてもらいます。 昔は油料の続く限り毎晩点燈され、特に雨乞祈願には万燈が行われた記録があるようです。
奈良・春日大社の
回廊の灯篭
奈良・春日大社の
万灯籠
奈良・春日大社の
万灯籠
■幣殿・舞殿 (重要文化財)は、南門を潜ると正面にある建物で、東側2間を幣殿、西側3間を舞殿といいます。幣殿は天皇陛下のお供え物である御幣物を一旦納める建物であり、天井板は格(ごう)天井(てんじょう)となっていて舞殿と区別しています。舞殿は宮中伝来の御神楽を行うための建物であり、また雨天時に神楽や舞楽を奉納する場所です。
幣殿・舞殿
(重要文化財)
中門・御廊
(重要文化財)
東回廊 春日燈籠
■中門は御本殿の直前にある楼門で約10mの高さがあります。中門正面の唐破風(からはふ)は明治時代に取り付けられました。
■御廊は中門から左右に約13m、鳥が翼を広げたように延びています。現在御本殿の祭典では、神職の座る場所ですが、昔は興福寺の僧侶が常に御経をあげる場所であり、その他にも東大寺の僧侶も御経をあげていました。
中門・御廊
(重要文化財)
西回廊 春日燈籠
春日燈籠
中門・御廊
(重要文化財)
春日大社・常夜燈
春日大社にも鹿が
奈良・春日大社の入口の
咲き誇る桜の木(2010.03)
奈良・春日大社の境内の
鹿(2010.03)
奈良・春日大社の
万灯籠
■春日大社は平安時代に奉納された貴重な刀剣・甲冑・美術工芸品などの国宝、重要文化財を含んだ多数の文化財を所蔵することから「平安の正倉院」と呼称されている。これらの文化財の一部は2016年10月に新装開館した「春日大社国宝殿」(旧称春日大社宝物殿)で鑑賞することができる。
春日大社 国宝殿
春日大社 国宝殿 日若宮おん祭での舞楽の演奏に用いられる日本最大級の鼉太鼓(だだいこ)を展示した鼉太鼓ホール
春日大社 酒殿
■春日大社所蔵鼉太鼓は、配布資料より「桶造りの胴の両側に、牛革製の鼓面を取り付け、調べ緒で締める。鼓面中央には三つ巴文を描き、左方は赤色、右方は青色の輪をめぐらす。火焔宝珠をかたどり左方は龍、右方は鳳凰を彫刻した厚板で胴を飾る。上方にはそれぞれ日形と月形を飾る。」と説明されています。
■酒殿と竃殿は、いづれも春日祭に必要な神酒や神饌を調製するところです。
酒殿内には酒神がお祀りされています。
酒殿の御祭神は酒弥豆彦神(さかみずおのかみ)様・酒弥豆売神(さかみずめのかみ)様です。
春日大社の駐車場でもらえる交通安全の
神鹿お守りステッカー
■春日大社へのアクセス
所在地 奈良県奈良市春日野町160
営業時間 【開門時間】6:30~17:30(4月~10月)7:00~16:30(11月~3月)
休業日 無休
駐車場 有・約100台(1000円/日)
アクセス JR・近鉄奈良駅からバスで春日大社本殿行き8分、春日大社本殿下車すぐ。又は市内循環バス春日大社表参道下車、徒歩10分。
問合せ先 春日大社 TEL 0742-22-7788
若草山の山焼き
新大宮の自宅から見えた若草山の山焼き
三笠山が若草山だといわれています。若草山の山焼き行事は、1月第2日曜日。奈良の若草山は標高342m、3つの山が重なっていることから、三笠山とも言われています。
その若草山の山焼きの行事は、 山に火を入れ山全体を燃やしてしまうという古都奈良の新年を飾る炎の祭礼です。
若草山山焼きは、毎年1月15日に行われる古都奈良の代表的な行事の一つであります。当日は、山麓の野上神社で祭儀が行われた後、午後6時ごろ、山の四周から一斉に点火され、約30万m2のなだらかな山が炎につつまれます。
■江戸時代にそれまで春日社興福寺の領地であった花山・芳山(春日奥山)若草山は江戸幕府より没収され公儀の山となりました。若草山の山頂にある鶯塚(うぐいすづか)古墳は5世紀頃築造されました。全国的にも山の山頂に作られた古墳はめずらしいそうです。南向きの前方後円墳で全長103m、前方部幅50m、後方部径約61m、の2段築成で、墳丘前方部の各所と後円部西側に円筒埴輪列が確認されている。又後方部の頂上に亨保十八年(1733年)に建てた「鶯陵」の碑があります。 若草山は奈良市春日野町。
■春日山原生林(世界遺産)とは、春日大社の山として神聖視され、樹木伐採が長らく(千年以上に渡り)禁じられてきたため、森林が極相に達した原生林が広がっている地域である。 野生の鹿が多いことでも有名です。 50km近い距離があっても移動しているようです。 鹿せんべいを与える時は注意してください。 奈良の東大寺や春日野のシカ達は、噛んだり蹴ったりは平気です。
■神山である御蓋山は「春日大社」の創建神話の舞台としても知られており、その山頂には、藤原氏の招請により鹿島神宮からやってきた武甕槌命(タケミカヅチノミコト)が最初に「浮雲殿」と呼ばれる場所に降り立った地点として知られており、その降臨したと伝えられる地には「本宮神社」が祀られています。 また、この歴史ある山は古代人たちの心の拠り所ともなったようで、「あまの原ふりさけ見れば春日なる 三笠の山にいでし月かも」(古今和歌集 巻九の四〇六)かの阿倍仲麻呂の有名な歌は「若草山」ではなくこの山「御蓋山」を詠んだものと言われます。 その他にも万葉集では「春日なる 御笠の山に 居る雲を 出で見るごとに 君をしそ思ふ」(巻十二の三二〇九)、「雨隠る 御笠の山を 高みかも 月の出で来ぬ 夜はふけにつつ」(巻六の九八〇)などと御蓋山がうたわれるものは多く、特に「月の出」にまつわる歌が多くなっています。
春日山の山焼き(1996年)
春日大社の本殿と藤棚
春日山の山焼き(1996年 切手では、夜空を焦がして燃えさかる華麗な炎に、奈良公園の樹々と興福寺五重塔をシルエットにして、山焼きを象徴的に表現しています。
平城宮跡( Heijo Palace )・大極殿、
春日大社・中門(重要文化財)
春日大社中門
(重要文化財)
春日大社・回廊(重要文化財)、
春日大社・中門(重要文化財)
銀鶴(ギンヅル
、日本・春日大社)
マナズルの学名:Grus vipio
■春日大社の中門・御廊(ちゅうもん・おろう)は重要文化財に指定され、中門は御本殿の直前にある楼門で約10mの高さがあります。中門正面の唐破風(からはふう)は明治時代に取り付けられました。
御廊は中門から左右に約13m、鳥が翼を広げたように延びています。現在御本殿の祭典では、神職の座る場所ですが、昔は興福寺の僧侶が御経をあげる場所でした。
国宝・『春日大社赤糸威鎧』
■若宮御料古神宝類 源義経が奉納したと伝えられる大鍬型赤糸威竹に虎金物の鎧。 銀鶴(ギンヅル、日本・春日大社)は、若宮神社は1135年に創建された。 古神宝は創建当初、貴族たちが奉納した品々といわれる。全部で14種ある。
銀鶴〔ぎんつる〕は室内の飾り物で、御子神〔みこがみ〕の玩具として納められたとも考えられている。(平安時代)
■国宝・『春日大社赤糸威鎧』は、現存する鎧のなかでも、特に豪華な金物僧職が施された作品で、日本を代表する鎧。源義経が奉納したと伝えられる。若宮祭などの祭礼用に造られたか、奉納のために制作されたものと考えられている。 茜で染められた赤の組紐でつづられ、兜の金銅大鍬形と吹返しの竹と雀の透彫、大袖の竹と虎の透彫金物があり、「竹虎雀餝」と称される。(鎌倉時代)
Kasuga Grand Shrine (春日大社, Kasuga-taisha) is a Shinto shrine in the city
of Nara, in Nara Prefecture, Japan. Established in 768 AD and rebuilt several
times over the centuries, it is the shrine of the Fujiwara family. The
interior is famous for its many bronze lanterns, as well as the many stone
lanterns that lead up the shrine.
The architectural style Kasuga-zukuri takes its name from Kasuga Shrine's
honden (sanctuary).
Kasuga Shrine, and the Kasugayama Primeval Forest near it, are registered
as a UNESCO World Heritage Site as part of the "Historic Monuments
of Ancient Nara".
March 13 is the Kasuga Matsuri ("Monkey Festival"), which features
gagaku and bugaku dance performances.
春日大社 境内社
■本宮神社遙拝所 (ほんぐうじんじゃようはいしょ)は、ここからは遙か先の御蓋山(みかさやま)の頂、浮雲の峰にお祀りされている本宮神社(ほんぐうじんじゃ)を拝むことが出来ます。毎月1日には、この所からお供えを献じ、丁寧なお祭りが行われています。
■祓戸神社 (はらえどじんじゃ)は、二之鳥居を入った所にある御社で、平安中期の寛弘3年(1006年)にはお祀りされていた古社です。春日祭の祓戸の儀はこの御社前で行われます。
摂社 本宮神社遥拝所
二之鳥居そば
祓戸神社
白藤之瀑布の石碑
お滝を詠んだ和歌が石碑に記されています。
春日山 久仁香の思い 水の音 清き流れや 白藤の瀧
故、葉室頼昭宮司の御歌でした。
夫婦大国社 (重要文化財)
夫婦大国社 水占
夫婦大国社 (重要文化財)
■夫婦大国社 (重要文化財)、ここは日本で唯一、ご夫婦の大國様をお祀りしている御社で、夫婦円満・家内安全・縁結びの神様としても有名です。また后神の須勢理姫命様はその手に「杓子」を持たれていることから、古くより絵馬の代わりに杓子を奉納する習慣があり、多くの著名人が奉納された杓子もご覧いただけます。
近年、縁結びのご神徳を戴こうと、「ハート絵馬」を納める人も数多く見られます。さらにこの夫婦大國社では若宮15社めぐりの受付も行っております。また「福之種子」(ふくのたね)という古くから伝わる財運福運のお守りが授与されています。
■赤乳神社白乳神社遥拝所は、広瀬神社と葛城神社に挟まれた場所にあり、赤乳神社と白乳神社の両社は、この場所から東へ約3キロメートル離れた山中に位置しています。 婦人病を治すご利益があるとされ、赤乳神社は腰から下、白乳神社は腰から上の治癒とされています。 赤乳神社は鎌倉時代以前より祀られる古社です。
■懸橋社(葛城神社)は、福の神12社巡り 第6番納札社です。祭神は、心願成就の神様で、一事(一つの願い事)を願えば叶えてくださるとされる「一言主神(ひとことぬしのかみ)」です。
夫婦大国社 絵馬
赤乳神社白乳神社遥拝所 懸橋社(葛城神社)
三十八所神社
■三十八所神社は、若宮社の「中社」。 原初は「金剛蔵王三十八所・子守・勝手」の三殿であったとされます。 これは「舊記勝出」という書の久安二年(1146年)記に記されているようです。「金剛蔵王三十八所」とは吉野山金峰山寺蔵王堂の鎮守社である金剛蔵王三十八所(未参拝)のこと。 「子守」とは吉野水分神社のこと。「勝手」とは勝手神社のこと。大社と密接な繋がりを持つ興福寺が、吉野大峰の山岳信仰と深い関わりを持っていたことによる勧請のようです。若宮社は春日大社と同格と位置付けられ、同様に「中社」を有します。「中社」とは一般的に言うところの「摂社」のこと、ほぼ同義と捉えて問題無いようです。祭神は、正しい勇気と力を授けるとされる「伊弉諾尊(いざなぎのみこと)」「伊弉冊尊(いざなみのみこと)」「神日本磐余彦命(かむやまといわれひこのみこと=神武天皇)」です。例祭は4月3日です。
■金龍神社 御祭神:金龍大神 御由緒:今から七百年程前、鎌倉幕府の零落による世の乱れを嘆かれた後醍醐天皇は、倒幕を志されたが事半ばにして幕府に露見。 天皇は難を逃れて笠置(京都府)へ落ちさせられた。 これが元弘元年(1331)八月二十五日の世にいう元弘の変である。 この途次、天皇は春日社に潜幸され、一面の御鏡を奉安されt、天下泰平の御祈祷をあそばされた。これが金龍神社の起こりである。 宮中(禁裡)の御鏡を奉安されたので禁裡殿とも申し上げる。 御神徳:開発・発達の神様 (由緒書きより)
金龍神社
金龍神社 由緒書き
金龍神社 境内
若宮神社 (重要文化財)
若宮神社 (重要文化財)
若宮神社 (重要文化財)
若宮神社 (重要文化財)
■若宮神社 (重要文化財)は、御本殿とほぼ同じ造りで、御本殿よりも詳細に御殿をお伺いすることができます。見るだけでなくお参りもしてくださいね。若宮神社の手前にある石畳を敷いた建物は拝舎(はいのや)といい、祭典の際、ここに神職が座ります。その背後にある横長の建物は、北(向かって右)より3間を細殿(ほそどの)、次の1間を御廊、南側6間を神楽殿(かぐらでん)といい、3つの建物が1棟に合わさっています。祭典の時は、この神楽殿で御巫による御神楽が奉納されます。
■総宮神社は、平安時代初期に興福寺境内に創建。明治以降に春日の境内にお遷しされ現在に至っています。 八幡様・春日様・伊勢様をはじめ多くの神々様を御祭神としています。
ことに衣・食・住の「住」をつかさどる御社として崇敬されています。 例祭は6月5日。
■一言主神社 は、平安時代初期に興福寺境内に創建。明治以降に春日の境内にお遷しされました。 一言主大神様を御祭神としています。“一つだけ願いを叶えてくださる”という御神徳から多くの絵馬が納められています。
また、願いが叶った方より「御礼参鳥居」の奉納も数多く寄せられています。 例祭は6月5日。
総宮神社
一言主神社
一言主神社
★葉室 賴昭(はむろ よりあき、1927年(昭和2年)1月3日 - 2009年(平成21年)1月3日)は、日本の医師、神職。葉室家37代当主。葉室家36代当主葉室直躬の長男として東京府に生まれた。葉室家は公家の藤原藤原北家勧修寺流(藤原為房の次男藤原顕隆が家祖)の流れを汲む伯爵家。平成6年(1994年)8月、春日大社の宮司に就任した。平成20年(2008年)3月、春日大社宮司を退任。
春日野 氷室神社
■氷室神社は、奈良県奈良市にある神社。式内小社(論社)、旧社格は村社、神饌幣帛料供進社。由緒は「氷室神社縁起」絵巻に記されており、また『続日本紀』や『元要記』にも散見される。和銅3年(710年)、元明天皇の勅命により、吉城川上流の月日磐に氷神を奉祀し(下津岩根社)、厳寒に結氷させたものを氷室に蓄え、翌年に平城京へ献氷させる制度が創始された。翌和銅4年(711年)6月1日に初めて献氷の勅祭が興され、以降毎年4月1日より9月30日まで平城京に氷を納めた。
氷室神社
春日造の一ノ鳥居
奈良公園 鹿
奈良公園 鹿
「なら燈花会」
■「なら燈花会」とは、1300年前に都として栄えた奈良。 広大な自然の中に古代日本のおもかげが今も残る。そんな奈良にふさわしい、どこか懐かしさを感じ、心を癒してくれるろうそくのやさしい灯り。『なら燈花会』はゆったりと時の流れる世界遺産の地、奈良に集う人々の祈りをろうそくの灯りで照らし出します。毎年、奈良公園を中心にお盆の時期に開催されています。
奈良公園の
「なら燈花会」
奈良公園の
「なら燈花会」
奈良公園の
「なら燈花会」
東大寺前の
「なら燈花会」
東大寺前の
「なら燈花会」
1999年に誕生した「なら燈花会」。
古都奈良にろうそくの灯りがとけ込み、 人々の心にさまざまな感動を与えてきました。
夏のたった10日間だけ、 広大な奈良の緑と歴史の中にろうそくの花が咲きます。
なら燈花会(フレーム切手のシートから)
「なら燈花会(とうかえ)」は、古都の夜を幻想的に彩る灯りのイベント。
奈良公園に広がる7つのエリアで、2万本以上のろうそくが美しい灯の花を咲かせます。
三重県名張市夏見 南都春日大社奥宮
■積田神社(つむたじんじゃ)は、南都春日大社奥宮や別名を積田の宮とも言われ、今から約1240年前の四十八代称徳天皇(女帝・孝謙天皇)の御宇神護景雲元年(767)丁未六月二十一日鹿島大神(武甕槌命)が常陸国鹿島より(現茨城県鹿島神宮)大和国春日大社(奈良)へ御遷幸の途次留在された霊蹟にして、古書に伊賀の国名張郡夏美郷御成の宮、或いは宇成神社とあるのは即ち是である。 爾来、この神社が南都春日大社奥宮(入口に石碑があり)といわれてる所以である。 前には青蓮寺川、裏には名張川が流れ、直ぐに合流してます。 目前の夏見橋は、曽爾街道の起点。 この辺りは壬申の乱の時も大海人皇子の通過点だったと思われる。 いまセキダと呼ぶが本来はツムタ。
江戸時代には宮坊として神宮寺があった。 社地の南西に堂宇があり、福典寺の末で日秀山最勝院大五竜寺と称した。 本尊の十一面観音は福典寺に。 明治維新に廃絶。
積田神社の山門
積田神社の境内の
鹿の置物
積田神社の拝殿
積田神社の本殿
積田神社の本殿
鏡池社
名張川対岸の石碑
鏡池社 鏡池
鏡池社 社殿
鏡池から積田神社を
■鏡池は、積田神社のご祭神武甕槌命が、神護景雲元年旧六月二十一日常陸国鹿島(茨城県鹿島神宮)より大和国春日大社へ御遷幸の途中、この池に神影が映ったと云われ、鏡池と名付けられた所である。 この池が濁ると奈良の猿沢池も濁ると伝えられてる。川の向こうにある鏡池を遙拝してる。一ノ瀬(名張川)をはさんだ対岸に社殿がある。 旧記による鹿島大神御遷幸の行程は、次のように述べられている。白鹿に乗られ柿の枝を鞭とされ、供奉の社司時風秀行と舎人
紀乙野麿を従えて、鏡池(本社のすそを流れる供奉川・ぐぶがわを隔てて対岸にある小さな池で鹿島大神御遷幸の際、宮地をたずねられたとき、御神影が映ったという池)で始めてここで休まれてから一之瀬(一の井・ミヤの井とも言われ本殿の北方糸川の上流)で沐浴され次に宮橋を渡り(供奉川に架けられた御遷幸の時、お渡りになられた橋)本社に鎮座されたと言われる。また、この外 御遷幸の関係のあった霊蹟が今も数多く残っている。
積田神社境内の紅葉した銀杏
鏡池社 1の鳥居
鏡池社 奥の鳥居
鏡池社 由来の石碑
■「神柿」(かみがき)は、御遷幸の際、鞭とされた柿の枝を衝き立てておいたのが根づいたといわれ、今も本殿の裏の森の中に現存してる。 旧記による鹿島大神御遷幸の行程は、次のように述べられてる。 白鹿に乗られ柿の枝を鞭とされ、供奉の社司
時風秀行と舎人 紀乙野麿を従えて、鏡池(本社のすそを流れる供奉川(ぐぶがわ)を隔てて対岸にある小さな池で鹿島大神御遷幸の際、宮地をたずねられたとき、御神影が映ったという池)で始めてここで休まれてから一之瀬(一の井・ミヤの井とも言われ本殿の北方糸川の上流)で沐浴され次に宮橋を渡り(供奉川に架けられた御遷幸の時、お渡りになられた橋)本社に鎮座されたと言われる。また、この外 御遷幸の関係のあった霊蹟が今も数多く残ってる。
「神柿」(かみがき)
■参道の銀杏並木(実際には1000数百年の大木2本)も有名で、この2本で初冬になると参道一面黄色に染められます。積田神社の大銀杏は胴回り5-6mのものが2本、大灯篭は高さ8-10mで見事なものです。
積田神社境内の
銀杏の大木
積田神社境内の
銀杏の大木
積田神社境内の大灯篭
積田神社参道の
銀杏と紅葉
積田神社境内の紅葉
積田神社境内の
銀杏と紅葉
鳥居の向こうに鏡池
積田神社境内の紅葉
積田神社境内の
銀杏と紅葉
作成にあったては、Wikipediaや当地HP・パンフレット等を参考にしています。
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