名張・万葉の会|奈良県奈良市 西ノ京・歴史の道 |
西ノ京・歴史の道とは
西の京には鑑真縁の、唐招提寺や薬師寺などの名刹が並んでいます。静かな西ノ京、歴史の道を歩くと「古の奈良」を髣髴とさせてくれます。今回は、近鉄橿原線西ノ京駅から"がんこ一徹長屋”から唐招提寺を経由し秋篠川、鑑真の墓所、、垂仁(すいにん)天皇陵や尼ヶ辻駅を経由して行基のお寺・喜光寺、天神さんの菅原神社から西大寺までを晴天・炎天下でしたが歩きました。 距離は短いですが、古墳時代や平城京の華やかさ、仏教の歴史などを探訪できる楽しい散歩道です。
尚、薬師寺と唐招提寺は別掲しています。
索引 [ 西ノ京駅とがんこ一徹長屋|秋篠川から垂仁天皇陵|喜光寺|菅原神社から西大寺 ]
西ノ京駅と"がんこ一徹長屋”
■近鉄橿原線西ノ京駅から"がんこ一徹長屋”。
薬師寺や唐招提寺のあるこの付近一帯を、西の京と呼んでいる。710年、平城京が飛鳥の地から遷都された時、都の東半分を左京、西半分を右京と呼んだ。その右京が別名西の京である。近隣には、学問の神様、菅原道真を守護神とする菅原神社、大仏殿の試み堂とされる喜光寺、西大寺などがあり、今も、古の歴史ロマンの中に心の平穏を求めて、訪れる人々が絶えない。
秋篠川から垂仁天皇陵
■唐招提寺を経由し秋篠(あきしの)川、鑑真の墓所、垂仁天皇陵や尼ヶ辻駅。
秋篠川は、平城京造営時に条坊(じょうぼう)に合わせて直線化された人工河川です。昔は佐保川より 溯(さかのぼ)って西市(にしいち、現在の大和郡山市九条町)へ物資を運ぶ水路として活用され、「西の堀川」と呼ばれていました。また、今の「秋篠川」は
それほど水量が有りませんが、昔はもっと水量が豊かで、川の西側に上流から並ぶ唐招提寺、薬師寺等の造営にも「秋篠川」が利用されたと推測されています。
■垂仁天皇陵は、『延喜式』諸陵寮に拠れば、菅原伏見東陵(すがわらのふしみのひがしのみささぎ)に葬られた。『古事記』に「御陵は菅原の御立野(みたちの)の中にあり」、『日本書紀』に「菅原伏見陵(すがわらのふしみのみささぎ)」、『続日本紀』には「櫛見山陵」として見える。現在、同陵は奈良県奈良市尼辻西町の宝来山古墳(前方後円墳、全長227m)に比定されている。 現在の宝来山古墳の濠の中、南東に田道間守の墓とされる小島がある。
喜光寺
■行基さんのお寺・喜光寺。 喜光寺(きこうじ)は、奈良県奈良市菅原町にある法相宗の寺院。山号は清涼山。本尊は阿弥陀如来。奈良時代の高僧・行基が没した地とされている。薬師寺の別格本山。奈良時代に架橋、土木工事などの社会事業に携わり、東大寺大仏造立にも貢献した僧・行基が創建したと伝わる。行基研究の基礎文献の一つである『行基年譜』(安元元年・1175年成立)によれば、喜光寺の前身である菅原寺は、養老5年(721年)、寺史乙丸なる人物が自らの住居を行基に寄進して寺としたものであって、行基建立の四十九院の一つであるとされている。行基は天平21年(749年)この寺で82歳で死去し、生駒の竹林寺に葬られた。
★三重県名張市の夏見廃寺出土の三尊佛をもとに鋳造されたブロンズの三尊像。 沙羅双樹を背にして台座に腰かけ禅定印を結ばれる如来像を中心に、円形の光背を付ける両菩薩が蓮華座に立ち合掌されています。 千佛は、天武天皇の皇女・大来皇女(伊勢の斎王)が、お父様の供養のため、昌福寺(現在の名張市にある史跡「夏見廃寺跡」)を建立し、千佛をお祀りしたことが始まりです。
「菅原寺記文遺戒状」という別の史料によれば、この寺は霊亀元年(715年)、元明天皇の勅願により建てられたものという。創建当初は菅原道真の生誕地と伝わる菅原の里にあることから「菅原寺」と呼ばれていた。伝承によれば、聖武天皇が参詣した際に当寺の本尊より不思議な光明が放たれ、これを見た天皇が喜んで、「菅原寺」を改めて「喜光寺」としたという。『続日本紀』によれば、延暦元年(782年)、この地に住んでいた土師氏が桓武天皇から菅原姓を賜ったという。
菅原神社から西大寺
■天神さんの菅原神社から西大寺まで。 菅原道真の生誕地と伝わる菅原の里にある菅原神社。
菅原天満宮(すがわらてんまんぐう)は、奈良県奈良市にある神社。式内社で、旧社格は郷社。旧称菅原神社。 現代の菅原は、奈良市の一町名にすぎないが、平城遷都以前から存在していた古代地名である。その範囲
はかなり広域に及んでいた。『日本書紀』によれば、推古天皇十五年に菅原の池を作るとあるが、この大池は西方の蛙股池と考えられる。また垂仁天皇の御陵が「菅原伏見東御陵」と定められ、安康天皇の御陵を「菅原伏見西御陵」と記されている。元明天皇は平城遷都前に和銅元年九月十四日に藤原宮から「菅原」の地に行幸され、二十一日までこの地にご滞在になり平城宮予定地をご視察になっている。その後、十一月七日に菅原の地の民家九十軒を移転し、負郭を給わっている。
★西大寺(さいだいじ)は、奈良県奈良市西大寺芝町にある、真言律宗総本山の寺院。奈良時代に孝謙上皇(重祚して称徳天皇)の発願により、僧・常騰(じょうとう)を開山(初代住職)として建立された。南都七大寺の1つとして奈良時代には壮大な伽藍を誇ったが、平安時代に一時衰退し、鎌倉時代に興正菩薩叡尊(こうしょうぼさつえいそん)によって復興された。西大寺の中興の祖となったのは鎌倉時代の僧・叡尊(興正菩薩、1201〜1290)は建仁元年(1201年)、大和国添上郡(現・大和郡山市)に生まれた。11歳の時から醍醐寺、高野山などで修行し、文暦2年(1235年)、35歳の時に初めて西大寺に住した。その後一時海龍王寺(奈良市法華寺町)に住した後、嘉禎4年(1238年)西大寺に戻り、90歳で没するまで50年以上、荒廃していた西大寺の復興に尽くした。
以下は、2019年11月頃、イギリス・ロンドンの大英博物館で行われた展示会で見たもの。
重要文化財 如意輪観音坐像 :西大寺所蔵 |
国宝 金銅透彫舎利容器:西大寺所蔵 |
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