名張・万葉の会|晩秋の世界遺産・吉野山 奥千本〜下千本 他 |
奈良県吉野郡吉野町にある吉野山
今回は奈良県吉野郡吉野町にある吉野山を探る。 2013年11月7日、一時雨。霧が多し。
■吉野山(よしのやま)は奈良県の中央部・吉野郡吉野町にある吉野川(紀の川)南岸から大峰山脈へと南北に続く約8キロメートルに及ぶ尾根続きの山稜の総称、または金峯山寺を中心とした社寺が点在する地域の広域地名です。
■吉野山に桜が多いのは、桜が蔵王権現の神木であるとされたことによる。
■古くから花の名所として知られており、その中でも特に桜は有名で、かつては豊臣秀吉が花見に来た事がある。現代でも桜が咲く季節になると花見の観光客で賑わう。地域ごとに下千本(しもせんぼん)、中千本(なかせんぼん)、上千本(かみせんぼん)、奥千本(おくせんぼん)と呼ばれる。
ページ内索引 [ 奥千本(義経隠塔と金峯神社)|奥千本(西行庵と苔清水)|中千本(喜蔵院、吉水神社、東南院、竹林院)|中千本(総本山 金峯山寺)|中千本(お土産物やさん 他)|下千本(七曲り坂 他) ]
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奥千本から見える山の風景 |
奥千本から見える山の紅葉 |
大峯奥駈道の紅葉 |
■吉野山・高野山から熊野にかけての霊場と参詣道が『紀伊山地の霊場と参詣道』としてユネスコの世界遺産に登録された。
■大峯奥駈道(おおみねおくがけみち)は、吉野と熊野を結ぶ大峯山を縦走する、修験道の修行の道。 2002年(平成14年)12月19日、国の史跡「大峯奥駈道」として指定された。ユネスコの世界遺産『紀伊山地の霊場と参詣道』(2004年〈平成16年〉7月登録)の一部。大峯奥駈道は、奈良吉野山と熊野三山を結ぶ、もとは修験道の修行場として開かれた道であり、熊野古道の中で最も険阻なルートをなす。今日、一般的に大峰山(大峯山)といえば山上ヶ岳を指すが、大峯奥駈道でいう「大峯」とは、吉野から山上ヶ岳を経てさらに奥の山々、そして最終的には熊野三山に至る大峰山脈を縦走する修行の道全体を指している。大峯奥駈とは本来、大峯山寺より奥の「靡」(なびき)に進むことを奥駈と云われていた。修行場は「靡」(なびき)と呼ばれ、ひとつひとつに番号が割り当てられている。
奥千本|義経隠塔と金峯神社
■奥千本 吉野山で一番山奥に当る奥千本エリアは、パワースポットと呼ぶに相応しい癒しの空間です。 世界遺産の金峯神社や、「隠れ紅葉スポット」として名高い西行庵など神秘的な見所が満載。
標高は約600m〜750m。
■1185年(文治元年)冬、源頼朝の討伐を受け、義経・弁慶らは吉野山に身を隠したが、ここでも追討を受けて愛妾の白拍子・静御前が捕らえられた。自らは京都へ脱出したと言わる。その後は文治3年(1187年・29歳)2月、藤原秀衡を頼って奥州へ赴く。吉野山内には、いくつかの旧跡が残る。
義経隠れ塔:金峯神社脇の小径を下った場所に建つ宝形造・檜皮葺きの簡素な塔である。追っ手に囲まれた源義経が屋根を蹴破って逃げたといわれ、「蹴抜の塔(けのけのとう)」とも呼ばれる。現在のものは大正初年に再建されたもの。 吉野なる深山の奥のかくれ塔 本来空のすみかなりけり
義経隠塔と金峯神社 説明 |
義経隠れ塔 正面から |
義経隠れ塔 |
義経隠れ塔の入口 |
義経隠れ塔 正面 |
義経隠れ塔と黄色い紅葉 |
■第71靡 金峯神社(きんぷじんじゃ)は奈良県吉野郡吉野町にある神社である。吉野山最奥の青根ヶ峰のそばにあり、吉野山の地主神を祭る。吉野山の地主神である金山毘古命(かなやまひこのみこと)を祀る。通称は、金精明神。あるいは、愛染宮。吉野八社明神の一である。創建の経緯などは不明である。『栄花物語』には藤原道長が詣でたことが記されている。
世界遺産 金峯神社 拝殿 |
世界遺産 金峯神社・拝殿と |
世界遺産 金峯神社 |
大峯奥駈道の験 |
金峯神社・拝殿脇の小さな社 |
大峯奥駈道の道標 |
大峯奥駈道の紅葉 |
金峯神社 境内の紅葉 |
大峯奥駈道の説明 |
役行者(えんのぎょうじゃ) |
休憩所 屋根瓦 |
大峯奥駈道の紅葉 |
■金銅藤原道長経筒 ;1952年(昭和27年)11月22日、国宝(工芸品)。金峯山経塚出土品のひとつで、表面に刻された銘文中に「寛弘四年八月十一日」の年記がある。
高さ35.8センチメートル、口径15.7センチメートル。藤原道長が寛弘4年(1007年)に大和の金峯山経塚(奈良県吉野郡天川村)に埋納した厚手で大ぶりな円筒形経筒である。
奥千本|西行庵と苔清水
■西行庵 吉野の花の見事さを世に伝えた西行法師が三年間隠棲していたとされる西行庵が見えてくる。もちろん現在の庵は、後世に建てられたものだが、樹木の中にひっそりと立っていて、小さな庵の隙間から西行法師の鼓動が聞こえてくるような気がする。
■西行(さいぎょう)、元永元年(1118年) - 文治6年2月16日(1190年3月23日)は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての武士・僧侶・歌人。
奥千本の道先案内 |
西行庵までの道のりの綺麗な紅葉 |
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西行庵の案内 |
西行庵の周辺の木々の紅葉 |
西行庵 |
木立の中の西行庵 |
西行庵の中に座る西行 |
西行庵の周辺の木々の紅葉 |
この辺りは小さな広場となっている |
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西行庵から苔清水への道すがらの綺麗な紅葉 |
奥の千本 立て看板 |
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苔清水そばの綺麗な紅葉 |
清らかな水が流れる苔清水 |
苔清水 句碑 |
■西行庵の近くには、. 「とくとくと落つる岩間の苔清水汲みほすまでもなき住居かな」(歌意:とくとくと岩間から苔清水が湧いてきているのだがたった独り小さな庵に暮らす私にとっては汲んでゆくほどもないことだ).
と西行が詠み、芭蕉が句に詠じた苔清水がいまも清らかに澄んでいます。やまとの水31 選のひとつにも選ばれています。
≪松尾芭蕉の句≫西行さんを慕って 松尾芭蕉もここを訪れています
露とくとく 試に浮世 すすがばや (苔清水にて・野ざらし紀行)
春雨の 木下に伝ふ 清水かな・・・・と詠んでいます。(笈の小文)
中千本|喜蔵院、吉水神社、東南院
■喜蔵院(きぞういん)は、奈良県吉野郡吉野町にある大峰山の護持院。本山修験宗別格本山。役行者霊蹟札所。山号は吉野山。開山は智証大師円珍。桜の名所として知られる吉野山の中腹に位置する。平安時代に京都聖護院の一院として創建された。江戸時代には儒学者熊沢蕃山が滞在したとされる。本山修験宗の大峯奥駈修行の重要寺院としても知られている。
喜蔵院の案内 |
喜蔵院の入口 |
奥千本辺りの紅葉 |
喜蔵院の石垣 |
店先のつるし干し柿 |
中千本辺りの紅葉 |
■吉水神社(よしみずじんじゃ)は、奈良県吉野郡吉野町にある神社である。旧社格は村社。世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の一つとなっている。
もとは金峯山寺の僧坊・吉水院(きっすいいん)だったが、明治維新の神仏分離(廃仏毀釈)により、神社となった。 吉水神社(重文)は、後醍醐天皇の御座所、源義経潜居の間などがあり、日本最古の書院造り(世界遺産)。
吉水神社 |
吉水神社 |
後醍醐天皇を主祭神とし、併せて南朝方の忠臣であった楠木正成、吉水院宗信法印を配祀する。社伝では、白鳳年間に役行者により建立されたと伝えられる。南北朝時代、後醍醐天皇が吉野に潜幸したとき、宗信法印の援護を受けて吉水院に行宮を設け、一時居所とした。 |
■東南院(とうなんいん)は、奈良県吉野郡吉野町にある大峰山の持護院。金峯山修験本宗別格本山。役行者霊蹟札所。山号は大峯山。開山は役行者。霊地霊山は、霊地を開くときに中心になる伽藍を建て、そこから巽(東南)の方角に当たる所に寺を建て、一山の安泰と興隆を祈願した。金峯山寺より東南に位置する。多宝塔は明治初年まで,紀州野上の八幡宮境内にあったものを,昭和十二年に当院へ移築したもので,正面の鰐口には永禄七年(一五六四)の銘があり,鎌倉期の作と伝えられる大日如来・毘沙門天・不動明王などが祀られている.
東南院 山門 |
東南院 案内 |
東南院 多宝塔 |
■竹林院(ちくりんいん)は、奈良県吉野郡吉野町吉野山にある単立の寺院。本尊は不動明王、蔵王権現、役行者、弘法大師。大峯山寺の護持院の1つである。宿坊竹林院群芳園で知られる。群芳園は、大和三庭園の一つとされる回遊式庭園。千利休の作、細川幽斎の改修と伝わる。
竹林院入口の石碑 |
竹林院の玄関 左が群芳園 |
竹林院の衝立 |
櫻本坊 山門 |
櫻本坊 道場 |
陀羅尼助の商家 |
■万葉時代、天武天皇が建立された櫻本坊、役行者の高弟・角乗僧が開基。 |
中千本|総本山 金峯山寺
■金峯山修験本宗総本山 金峯山寺。 大和の国 、吉野山から大峯山山上ケ岳にかけての一帯は古くは金峯山(きんぷせん)と称し、古代より世に広く知られた聖域でした。この金峯山に役行者神変大菩薩が白鳳年間(7世紀後半)に修行に入り、修験道独特の本尊・金剛蔵王大権現を感得されます。この姿を桜に刻んで、山上ケ岳(現:大峯山寺本堂)と山麓の吉野山(現:金峯山寺蔵王堂)に祭祀されます。これが金峯山寺の開創と伝えられています。(本山から引用)
■吉野山天満神社「威徳天満宮」本殿は、県指定文化財です。天慶年中(938〜947)に日蔵上人が勧請したと伝わります。社伝では、天徳3年(959)の創祀とされています。社前に享保13年(1728)などの石灯籠が有ります。この社殿は桃山時代の様式をよく伝えているので、豊臣秀頼の改修によるものと云われています。
■本堂・蔵王堂は、金峯山寺の本堂。秘仏本尊蔵王権現(約7m)三体のほか、多くの尊像を安置しています。 重層入母屋造り、桧皮葺き、高さ34メートル、四方36メートル。堂々とした威容の中に、優雅さがあり、たいへん勝れた建築という高い評価を得ています。 金峯山寺内では古くから、白鳳年間に、役行者(えんのぎょうじゃ)が創建されたと伝えており、また、奈良時代に、行基菩薩が改修されたとも、伝えています。その後、平安時代から幾度か焼失と再建を繰り返し、現在の建物は天正20年(1592)頃に完成したものです。世界遺産に登録されています。木造の古建築としては東大寺大仏殿に次ぐ規模をもつといわれる豪壮な建築である。
金峯山寺 仁王門 - 国宝 |
金峯山寺 仁王門 |
金峯山寺 仁王門 - 国宝 |
■蔵王権現(ざおうごんげん)は、日本仏教における信仰対象の1つ。インドに起源を持たない日本独自の仏で、奈良県吉野町の金峯山寺本堂(蔵王堂)の本尊として知られる。
権現とは「権(かり)の姿で現れた神仏」の意。
■中世の金峯山寺は山上・山下に多くの子院をもち、多くの僧兵(吉野大衆と呼ばれた)を抱え、その勢力は南都北嶺(興福寺と延暦寺の僧兵を指す)にも劣らないといわれた。
南北朝時代、後醍醐天皇が吉野に移り、南朝を興したのにも、こうした軍事的背景があった。
中千本|お土産物やさん 他
■吉野といえば、陀羅尼助と吉野葛ですね。そして吉野のお土産にはかえるの置物が多いことです。それは蓮華会・蛙飛び行事からの様です。
■この吉野山には中千本と下千本を繋ぐ現存する日本最古(昭和4年開業)のロープウェイがあります。近鉄吉野駅から徒歩で3分弱にある千本口駅と山上の吉野山駅を結ぶケーブル(ロープウェイ)。当施設・設備は、2012.7.23 機械遺産 に認定された。 これを歩くとなると七曲りを通ります。
吉野大峯ケーブル自動車株式会社
山上の吉野山駅 ケーブル |
千本口駅の日本最古(昭和4年開業)のロープウェイ |
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下千本|七曲り坂 他
■七曲り坂は、吉野駅から中千本の黒門までの、下千本の桜や紅葉の中を通り抜けられる道です。
桜や紅葉に囲まれた道を歩くのが気持ち良いです。 吉野山でも最も古くから有名な桜の群落で口の千本ともいう。桜の木の下はあじさいの群落。 今回は帰りに通ったので膝が笑うほどのだらだら道です。 下千本の標高は約230m〜350m。
■役行者(えんのぎょうじゃ)
日本の正史『続日本紀』によると役行者は634年(舒明天皇6年)、御所市茅原で誕生。名は小角といい、幼少の頃より葛城山で修行するなど山林修行や苦行の末、金峯山にて金剛蔵王大権現を感得され、修験道の基礎を開かれたと伝えられています。1100年忌にあたる1799年(寛政11年)に光格天皇より、神変大菩薩(じんべんだいぼさつ)の諡号(しごう)が贈られました。
■日本における南北朝時代は、日本の歴史で、皇室が南北2つに分裂した時代。1336年(延元元年/建武3年)に足利尊氏による光明天皇の践祚、後醍醐天皇の吉野転居により朝廷が分裂してから、1392年(元中9年/明徳3年)に皇室が合一するまでの時代を指す。これは室町時代の初期に当たる。
※Wikipediaや寺院各所のHPを参考にさせて貰っています。 |
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名張・万葉の会|晩秋の世界遺産・吉野山 奥千本〜下千本 他 |