Kunioの世界の切手紹介と海外写真集

Kunioの世界の切手紹介と海外写真集 世界遺産の切手|日本 紀伊山地の霊場と参詣道(熊野古道、大峯奥駈道、高野山町石道) : 「山岳霊場」と「参詣道」、及び周囲を取り巻く「文化的景観」が主役で、世界でも類を見ない資産として価値が高い。「山々」や「森」、「棚田」や「ブドウ畑」、「庭園」や「公園」が世界遺産に

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日本の世界遺産・遺跡の切手 紀伊山地の霊場と参詣道(熊野古道、大峯奥駈道、高野山町石道)

 日本のユネスコ世界遺産(UNESCO World Herittage)の「紀伊山地の霊場と参詣道」(Sacred Sites and Pilgrimage Routes in the Kii Mountain Range)の切手(Stamp)です。 K紀伊山地の霊場と参詣道 - (2004年、文化遺産)。 「紀伊山地の霊場と参詣道」は、三重、奈良、和歌山の三県にまたがる「紀伊山地の自然」がなければ成立しなかった「山岳霊場」と「参詣道」、及び周囲を取り巻く「文化的景観」が主役であり、世界でも類を見ない資産として価値の高いものです。 「文化的景観」というのは、「自然と人間の営みが長い時間をかけて形成した風景」のことで、信仰の対象とされてきた「山々」や「森」、「棚田」や「ブドウ畑」、「庭園」や「公園」が世界遺産に登録されています。 2010年はサッカーのワールドカップです。 熊野本宮大社の八咫烏は有名です。 天河大弁財天社だけでなく弘法大師「空海」が開山した真言宗の総本山の高野山、そして吉野山もパワースポットと思います。日本古来よりの神道と、仏教の異なる霊場は参詣道で結ばれ神仏習合を伝えます。. 参考:社団法人 日本ユネスコ協会連盟のHP(世界遺産活動

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ブログ:古代日本のロマン:卑弥呼と邪馬台国のニュース(箸墓古墳)(2009年5月29日)

日本の世界遺産と遺跡・古墳

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★作成に当たり、Wikipediaやその地に地域のHPの資料を使わせていただきました。

K世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の切手

■紀伊山地の霊場と参詣道(きいさんちのれいじょうとさんけいみち)は、和歌山県・奈良県・三重県にまたがる、寺院や参詣道(熊野古道、大峯奥駈道、高野山町石道)などの総称。2004年7月7日、ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録された。紀伊山地は、神話の時代から神々が鎮まる特別な地域と考えられていました。中国から伝来した「仏教」も、深い森林に覆われた紀伊山地の山々を阿弥陀仏や観音菩薩の「浄土」に見立て、仏が持つような能力を拾得するための山岳修行の舞台としました。その結果、紀伊山地には、それぞれの起源や内容を異にする「吉野・大峯」、「熊野三山」、「高野山」の三つの「山岳霊場」とそこに至る「参詣道」が生まれ、都をはじめ全国から人々の訪れる所となり、日本の宗教・文化の発展と交流に大きな影響を及ぼしました。 熊野三山(くまのさんざん)は、熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社の3つの神社の総称。

熊野本宮大社・本殿・第三殿と第四殿 、那智大滝、熊野那智大社・本殿、那智の火祭

熊野本宮大社・本殿・第三殿と第四殿  那智大滝、熊野那智大社・本殿、那智の火祭

■熊野本宮大社(くまのほんぐうたいしゃ、重要文化財)は和歌山県田辺市本宮町にある神社。熊野三山の一つ。家都美御子大神(けつみみこのおおかみ、別名:熊野坐大神(くまぬにますおおかみ)、熊野加武呂乃命(くまぬかむろのみこと))を主祭神とする。 伝説によると、熊野坐大神は唐の天台山から飛来したとされている。熊野坐大神(家都美御子大神)は、須佐之男命とされるが、その素性は不明である。太陽の使いとされる八咫烏(ヤタガラス)を神使とすることから太陽神であるという説や、中州に鎮座していたことから水神とする説、または木の神とする説などがある。
■八咫烏は、日本神話で、神武東征の際に、タカミムスビによって神武天皇の元に遣わされ、熊野国から大和国への道案内をしたとされる3本足の烏。 『新撰姓氏録』では、八咫烏はカミムスビの曾孫である賀茂建角身命(かもたけつのみのみこと)の化身であり、その後鴨県主(かものあがたぬし)の祖となったとする。 奈良県宇陀市榛原区の八咫烏神社は賀茂建角身命を祭神としている。 八咫烏は、日本サッカー協会のシンボルマークにも用いられている。 

青岸渡寺・本堂「如意輪堂」、金剛峯寺・大門、金剛峯寺:木造矜羯羅童子立像、金峯山寺・本堂「蔵王堂」、
金峯山寺・木造蔵王権現立像

青岸渡寺・本堂「如意輪堂」 金剛峯寺・大門、金剛峯寺:木造矜羯羅童子立像 金峯山寺・本堂「蔵王堂」、金峯山寺・木造蔵王権現立像

吉野水分神社・本殿、吉野水分神社・楼門装飾、大峯奥駈道、熊野速玉大社・本殿、熊野速玉大社・本殿正面 

吉野水分神社・本殿 切手 吉野水分神社:楼門装飾  大峯奥駈道 切手 熊野速玉大社・本殿 熊野速玉大社・本殿正面 

熊野速玉大社・国宝「熊野夫須美大神坐像」、熊野参詣道中辺路・野中の秀衡桜、
熊野参詣道中辺路・箸折峠の石仏「牛馬童子」、金剛三昧院・多宝塔、 金剛三昧院・経蔵

 熊野速玉大社:国宝「熊野夫須美大神坐像」  熊野参詣道中辺路:野中の秀衡桜 熊野参詣道中辺路:箸折峠の石仏「牛馬童子」 金剛三昧院:多宝塔  金剛三昧院:経蔵

■「熊野古道」の各峠から見た四季の風景を描いています。 ツヅラト峠  (春)・海が見える紀州への玄関口、春のツヅラト峠の新緑を描いています。 松本峠・浜街道(夏)・夏の松本峠から臨む、浜街道、七里御浜を描いています。 馬越峠(秋)・馬越峠で秋の木漏れ日を浴びた石畳を描いています。 通り峠・千枚田(冬)・冬の通り峠を越えて見える、雪の積もった丸山千枚田を描いています。(ふるさと切手)

「熊野古道」の各峠から見た四季の風景

和歌山・高野山・制多伽童子像

「熊野古道」

日本 世界遺産 熊野古道 和歌山 三重

運慶作
高野山・制多伽童子像

熊野古道 世界遺産

■恵光童子像は金剛峯寺(こんごうぶじ)の本尊。

高野山(こうやさん)は、和歌山県伊都郡高野町にある標高約1,000m前後の山々の総称。平安時代の弘仁10年(819年)頃より弘法大師空海が修行の場として開いた高野山真言宗、ひいては比叡山と並び日本仏教における聖地です。壇上伽藍」と呼ばれる根本道場を中心とする宗教都市を形成し、山内の寺院数は高野山真言宗総本山金剛峯寺(山号は高野山)をはじめ117ヶ寺に及び、その約半数が宿坊を兼ねている。
金剛峯寺(こんごうぶじ)は、和歌山県伊都郡高野町高野山にある高野山真言宗総本山の寺院。高野山は、和歌山県北部、周囲を1,000m級の山々に囲まれた標高約800mの平坦地に位置する。100ヶ寺以上の寺院が密集する、日本では他に例を見ない宗教都市である。京都の東寺とともに、真言宗の宗祖である空海(弘法大師)が宗教活動の拠点とした寺であり、真言密教の聖地、また、弘法大師信仰の山として、21世紀の今日も多くの参詣者を集めている。

世界遺産・高野山・金剛峰寺のアクセスマップ

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国宝・恵光童子(金剛峰寺)

国宝・金剛三昧院多宝塔

吉野熊野・吉野山のサクラ(桜)(1970年、国立公園)

国宝・恵光童子 世界遺産 金剛峰寺 国宝・金剛三昧院多宝塔 金剛峰寺 世界遺産 吉野熊野・吉野山のサクラ(1970年、国立公園)

■山や樹木なども「霊山」や「神木」として特別な価値が与えられると、「文化的景観」に仲間入りすることになります。『紀伊山地の霊場と参詣道』は、単なる「社寺と道」ではなく、あくまで『山岳信仰の霊場と山岳修行の道』であり、紀伊山地の自然がなければ成立しなかったといってもいいでしょう。この山岳霊場と参詣道の「文化的景観」を護っていくためには、単に社寺など文化財に指定されているものを保存すればいいというものではなく、基盤となっている自然もまた良好な状態で維持し、何代にもわたって引き継がれ、培われてきたこの「文化的景観」を、世界に誇る財産として保全していく必要があります。

神応ケ峰からの高野山

護摩壇山とシャクナゲ

金剛峯寺・恵喜童子像

(1969年、高野竜神国定公園) 高野竜神・神応ケ峰からの高野山

(1969年、高野竜神国定公園)

(1969年、高野竜神国定公園) 護摩壇山とシャクナゲ

(1969年、高野竜神国定公園)

金剛峯寺・恵喜童子像 高野山 世界遺産

吉野熊野・那智の滝
(1970年、国立公園)

■那智大滝は「日本の滝100選」のひとつ。「日本の音風景100選」にも選定されています。 一般に「那智の滝」といわれ、「一の滝」ともいわれるこの滝は、落差133mの日本一の直瀑です。 那智の滝は、今でも素晴らしい滝ですが、滝の背後や周囲の山々がすべて原生林に覆われていた昔の姿を想像すると、遥かに神々しい姿であったに違いありません。 滝の落ち口の岩盤に3つの切れ目があって、3本になって滝が落ちることから那智の滝は「三筋の滝」ともいわれます。 滝の落ち口の幅は13m。 滝の落ち口には注連縄の張られていますが、この注連縄は毎年2回、7月9日と12月27日に神職の手によって張り替えられます。 滝の右手には「那智原始林」と呼ばれる原生林が広がっていて、国の天然記念物に指定されています。32haというわずかな面積ですが、那智原始林は和歌山県下唯一の原生林で、とても貴重な照葉樹林の森です。

吉野熊野・那智の滝(1970年、国立公園)

高野山と国宝「矜羯羅童子像」(日本、1999年)

■高野山は、海抜1,000mの山上に広がる盆地で、大小の峰々に囲まれた東西6km、南北3kmの地形は蓮台をイメージさせます。
■高野山の国宝「矜羯羅童子像」は、鎌倉時代を代表する仏師運慶の作で、「高野山八大童子像」のうちの1体として知られ、他の7体とともに高野山金剛峯寺(こうやさんこんごうぶじ)に所蔵されています。
■日本の写真・風景
 [関西奈良高野山 ]

大台ケ原の枯れ木(写真)

高野山と国宝「矜羯羅童子像」(日本、1999年) 大台ケ原の枯れ木

高野山の国宝一覧(高野山霊宝館のHPから転載)

番号 種別 名称 員数 所有寺院
1 絵画 善女龍王像 一幅 金剛峯寺
2 絵画 仏涅槃図 一幅 金剛峯寺
3 絵画 勤操僧正像 一幅 普門院
4 絵画 山水人物図(襖) 十面 遍照光院
5 絵画 阿弥陀聖衆来迎図 三幅 有志八幡講
6 絵画 五大力菩薩像 金剛吼・竜王吼・無畏十力吼 三幅 有志八幡講
7 絵画 伝船中湧現観音像 一幅 竜光院
8 絵画 阿弥陀三尊像 一幅 蓮華三昧院
9 彫刻 八大童子立像 八躯 金剛峯寺
10 彫刻 諸尊仏龕 一基 金剛峯寺
11 書跡 金銀字一切経 四二九六巻 金剛峯寺
12 書跡 法華経巻第六(色紙) 一巻 金剛峯寺
13 書跡 宝簡集・続宝簡集・又続宝簡集 二九八巻一五冊 金剛峯寺
14 書跡 聾瞽指帰 二巻 金剛峯寺
15 書跡 不空羂索神変真言経 十八巻 三宝院
16 書跡 文舘詩林 十二巻 正智院
17 書跡 文舘詩林残巻 一巻 宝寿院
18 書跡 (紫紙金字)金光明最勝王経 十巻 竜光院
19 書跡 細字金光明最勝王経 二巻 竜光院
20 書跡 大字法華経(第三巻欠)明算白点本 七巻 金剛峯寺
21 工芸 澤千鳥螺鈿蒔絵小唐櫃 一合 金剛峯寺

K世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」   拡大○

■天河大弁財天社は昔、長淵 剛が結婚式を挙げたところとしても有名です。北島三郎など芸能人にも超有名な場所です。天河神社(奈良県黒滝村)なども関西のパワースポットで、ここはアーティストも足を運ぶような人気の場所です。

天河大弁財天社 (奈良県吉野郡) 。「厳島、竹生島と並ぶ日本三大弁財天のひとつ」
パワースポット

■霊山大峯の緑深い山懐にいだかれたここ天河神社は 役行者や空海、天武天皇の太古より聖域として崇められながら 川の流れの如く星の瞬く如く、如何なる権力にも組せず “ありのまま”で在り続けてきた場処。芸能関係を目指す方には、足を運んでいただき明日のスターに輝くことを祈願できるパワースポットです。

天河大弁財天社 (奈良県吉野郡) 。「厳島、竹生島と並ぶ日本三大弁財天のひとつ」 天河大弁財天社 (奈良県吉野郡) 。「厳島、竹生島と並ぶ日本三大弁財天のひとつ」

■奥の院 :高野山の寺院群の東端にある一の橋から二の橋を経て御廟橋まで、約2キロにわたる参道沿いに無数の石塔が立ち並ぶ。御廟橋を渡ると空海入定(にゅうじょう)の地とされる奥の院である。一番奥には空海が今も瞑想されている御廟があり、その手前には信者が供えた無数の灯明がゆらめく燈篭堂がある。空海は62歳の時、座禅を組み、手には大日如来の印を組んだまま、永遠の悟りの世界に入り、今も高野山奥の院で生きていると信じられている。「死去」と言わず「入定」というのはそのためである。奥の院参道に沿って並ぶ石塔の数は10万基とも20万基とも言われ、皇族から名もない人々まで、あらゆる階層の人々が競ってここに墓碑を建立した。 高野山の奥の院には上杉謙信・景勝霊屋(たまや)、松平秀康及び同母霊屋、佐竹義重霊屋など、建造物として重要文化財に指定されているものをはじめ、平敦盛、熊谷蓮生房、織田信長、明智光秀、曾我兄弟、赤穂四十七士、法然、親鸞、初代 市川團十郎、俳優の鶴田浩二など古今のさまざまな人物の墓碑や供養塔がある。また芭蕉や高浜虚子の句碑もある。戦国武将や江戸期の武人の墓所が多いが、中には源平の熊谷直実、平敦盛などなど、かつての恩讐を忘れ、うっそうと生い茂る杉木立の静寂の中にに眠っているようである。
 

高野山 奥の院・二の橋の入口の「南無大師遍照金剛」の石柱 

奥の院 白蟻(シロアリ)の塚

奥の院 韓国の方の墓所

奥の院 「親鸞聖人の墓所」

高野山 奥の院・二の橋の入口 奥の院 白蟻(シロアリ)の塚 奥の院 「親鸞聖人の墓所」

弘法大師御廟(国史跡史蹟)の前の燈篭堂が正面に

弘法大師御廟(国史跡史蹟)の前の最後の無明の橋(御廟橋)

無明の橋(御廟橋)の手前の水かけ地蔵等

水かけ地蔵等は全身に水を掛けるのではなく、足元に水を注ぐのが礼儀です。殆どの人が作法を間違っています。この無明の橋の下を流れているのが「玉川」と言い、流水灌頂(水子供養)や、真冬の水行を行う川。

弘法大師御廟(国史跡史蹟)の前の燈篭堂が正面に 弘法大師御廟(国史跡史蹟)の前の最後の橋

熊野信仰とは、和歌山県の熊野山(熊野三山,熊野三所と呼ぶことが多い)を中心とした民俗的信仰。熊野地方は近畿の南端に突出した山岳地帯であるが,ふもとには大河がうねって流れ,しかも洋々たる大海を見渡すことのできる地である。そのせいか早くから霊地とされ,《日本書紀》の一書には,伊弉冉(いざなみ)尊を葬った所を熊野の有馬村としている。おそらく,熊野は死者の霊のこもる国として知られていたのであろう。それはやがて聖地と仰がれて平安時代を迎えた。
日本の国土を生み、数々の神を生んだイザナギノミコトとイザナミノミコト。日本の母ともいえるイザナミが葬られたのが、ここ熊野だと「日本書紀」には記されています。「火の神カグツチノカミを生むときに大火傷を負って死んでしまうイザナミ。その遺体は紀伊国の熊野の有馬村に葬られ、村人はこの神の魂を祭るのに、花のときは花を持ち、鼓・笛・幡旗を使って歌ったり舞ったりして祭る」、と。イザナミは黄泉の国へ渡るまでに、さらにさまざまな神を生みだします。

吉野 金峯神社 拝殿

吉野 吉水神社

国宝 金峯山寺 本堂・蔵王堂

金峯山寺 仁王門 - 国宝

金峯神社 拝殿 金峯山寺 本堂・蔵王堂 仁王門 - 国宝

吉野山(よしのやま)は奈良県の中央部・吉野郡吉野町にある吉野川(紀の川)南岸から大峰山脈へと南北に続く約8キロメートルに及ぶ尾根続きの山稜の総称、または金峯山寺を中心とした社寺が点在する地域の広域地名です。 奈良・吉野・吉野山

参考ページ
日本の風景|名張・万葉の会 「海南 藤白神社と鈴木姓の発祥の地とされる鈴木屋敷」 熊野古道


日本の世界遺産・遺跡の切手 紀伊山地の霊場と参詣道(熊野古道、大峯奥駈道、高野山町石道)

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