大和の風景|奈良・宇陀 女人高野・室生寺(Muroji Temple)の写真と切手
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室生寺(真言宗室生寺派大本山)
2013年5月には、奈良県宇陀市にある室生寺に母の日も近く老母孝行で石楠花(シャクナゲ)の花を見に行って来ました。
■女人高野・室生寺(Muroji Temple)は、奈良県宇陀市にある真言宗室生寺派大本山の寺院。
室生寺は奈良時代の末期、この聖なる地で山部親王(後の桓武天皇)のご病気平癒の祈願が五人の高徳な僧によって行われ、これが卓効のあったことから、勅命によって国家の為に創建されたのが室生寺。室生寺は格式高い真言密教の道場として信仰を集め、また女人の参詣を許された真言寺院『女人高野』として親しまれるとともに、四季それぞれの大自然に優しく調和した伽藍は、女人高野の名に相応しい清々しさを永く伝えてます。 本尊は釈迦如来である。 奈良盆地の東方、三重県境に近い室生の地にある山岳寺院。 宇陀川の支流室生川の北岸にある室生山の山麓から中腹に堂塔が散在する。春には桜と石楠花で有名です。 奈良県宇陀市。
ツツジ・石楠花(シャクナゲ)・木犀(モクセイ) の切手
ご注意)画像の無断転用はお断りします。
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室生山の山麓から中腹にかけてが境内となっている、典型的な山岳寺院である。
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室生寺の石碑
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石楠花(シャクナゲ)
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室生寺の入口 太鼓橋
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門前に連なる茶店や旅館を過ぎると、清流に朱塗りの反り橋が架かっている。朱塗りの太鼓橋と呼ばれるこの橋をわたると室生寺の境内である。
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室生寺・表門
の向こうは本坊
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室生寺の参道
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参道の石楠花
(シャクナゲ)
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仁王門傍の売店
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仁王門傍の売店
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室生寺の絵馬
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仁王門(近代の再建)
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吽形の仁王像
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吽形の仁王像の足元
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奉納の大草鞋
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阿形の仁王像
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仁王門そばでの野点
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野点(のだて)とは、屋外で茶または抹茶をいれて楽しむ茶会のこと。
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仁王門そばでの野点
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虚無僧の尺八
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仁王門そばでの虚無僧
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※虚無僧は、尺八を吹きながら家々を回り、托鉢(たくはつ)を受ける僧。 薦(こも)僧、菰(こも)僧というのが本来の呼び名で、諸国を行脚(あんぎゃ)して遊行(ゆぎょう)の生活を送り、雨露をしのぐために菰を持ち歩いたからである。
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バン字池
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弁才天社とバン字池
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仁王門
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■室生寺は、室生山の山麓から中腹にかけてが境内で、石段を上るごとに次の堂宇が現れる。仁王門(近代の再建)をくぐり、最初の急な石段(鎧坂という)を上がると、正面に金堂(平安時代、国宝)、左に弥勒堂(鎌倉時代、重文)がある。「バン字」は、金剛界大日如来の種字。
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弁才天社
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鎧坂から見る金堂
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鎧坂の石楠花とモミジ
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鎧坂の黄色の石楠花
(シャクナゲ)
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鎧坂と金堂
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鎧坂のピンクの石楠花
(シャクナゲ)
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仁王門をくぐると左にバン字池があり、その少し上に弁才天社がある。室町時代の春日造の小さな祠である。左手の自然石積みの幅広い急な石段は「鎧坂」と呼ばれ、その両脇には石楠花や木々の枝が迫っている。登りだすと石段の頂きに金堂の屋根がみえる。室生寺の序章ともいえる美しい景観である。
室生寺 境内 弥勒堂と金堂
自然石が積み上げられた急坂の「鎧坂(よろいざか)」です。この坂を上がりきると正面の台地に華麗な「金堂」、その前庭の東側に「天神社」、西側に「弥勒堂」があります。
重文・弥勒堂・
鎌倉時代
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■金堂前庭の左手の三間四方の弥勒堂は、興福寺の伝法院を受け継いだと伝える鎌倉時代の建築で、元は南向きであったのを室町時代に東向きとし、江戸初期にも改造されている。内部の四本柱の中に須弥壇を置き、厨子入りの尊弥勒菩薩立像(重文)を安置し、向かって右に釈迦如来坐像(国宝)を安置する。
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重文・弥勒堂・
鎌倉時代前期
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「弥勒堂」の須弥壇の下から籾塔・木製宝篋印塔が37387基も出てきたとのことです。膨大な数からすると庶民も加わり五穀豊穣を祈願されたのでしょう。
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天神社拝殿 石楠花
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軍茶利明王石仏
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ミミガタテンナンショウ
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■軍荼利(ぐんだり)明王石仏:金堂前庭の右手、天神社拝殿脇の岩に彫られた明王像。奥に天神社が見える。一面八臂の軍荼利明王で庚申祭の本尊とのことです。
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室生寺・国宝・金堂・
平安時代前期 柿葺の屋根
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室生寺・国宝・金堂・
平安時代前期 2013
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室生寺・国宝・金堂
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室生寺・国宝・金堂内部
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室生寺・国宝・金堂
礼堂部分
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室生寺・国宝・金堂内部
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堂内須弥壇上には向かって左から十一面観音立像(国宝)、文殊菩薩立像(重文)、本尊釈迦如来立像(国宝)、薬師如来立像(重文)、地蔵菩薩立像(重文)の5体が横一列に並び、これらの像の手前には十二神将立像(重文)が立つ。
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室生寺・国宝・金堂・
平安時代前期
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室生寺・国宝・金堂
石楠花(シャクナゲ)
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室生寺・国宝・金堂・
平安時代前期
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■鎧坂を登ると、穏やかな柿葺(こけらぶき)の金堂が石段の上に次第に競り上がって、全貌の見える小さな平地に出る。高床の正面一間通りは江戸時代に付加した礼堂で、これが無かった時代には、この石段上から堂内の仏像の姿が拝めたようだ。
室生寺 境内 本堂と五重塔
さらに石段を上ると如意輪観音を本尊とする本堂(灌頂堂)(鎌倉時代、国宝)、その上に五重塔(平安時代初期、国宝)があり、石段は空海を祀る奥の院御影堂(みえどう、室町時代前期、重文)へと続いている。
本堂への石段
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石楠花(シャクナゲ)
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本堂前の灯篭
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本堂(灌頂堂)の前の池
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本堂(灌頂堂)
(鎌倉時代、国宝)
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■国宝・本堂(灌頂堂):入母屋造、檜皮葺き。桁行5間、梁間5間。室生寺の密教化が進んでいた鎌倉時代後期、延慶元年(1308年)の建立。灌頂という密教儀式を行うための堂である。内陣中央の厨子には如意輪観音坐像(重文)を安置し、その手前左右の壁には両界曼荼羅(金剛界曼荼羅、胎蔵界曼荼羅)を向かい合わせに掛け、灌頂堂としての形式を保持している。
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本堂(灌頂堂)
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石楠花(シャクナゲ)
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石楠花(シャクナゲ)
と本堂
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本堂(灌頂堂)
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本堂(灌頂堂) 檜皮葺き
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本堂(灌頂堂)の庇
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本堂(灌頂堂)の正面は5間とも和様の蔀戸(しとみど)で、両側面の前方2間は桟唐戸となっています。
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本堂(灌頂堂)
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本堂(灌頂堂)
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石楠花(シャクナゲ)
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本堂(灌頂堂)
(鎌倉時代、国宝)
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五輪塔(伝 北畠親房墓)
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五輪塔(伝 北畠親房墓)
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北畠 親房(きたばたけ ちかふさ)は鎌倉時代後期から南北朝時代の公卿。著書の『神皇正統記』で名高い。
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国宝・室生寺五重塔ろ石楠花 奈良時代後期(800年頃の建立)
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国宝・室生寺五重塔 奈良時代後期(800年頃の建立)
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国宝・室生寺五重塔 奈良時代後期(800年頃の建立)
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■国宝・室生寺五重塔: 屋外に立つ日本最小の五重塔(国宝)(高さ16m)です。 1998年の台風では大きく損壊しましたが、現在は修復されてます。本堂横の高い石段の上に優しく立つこの塔は、屋外に立つ五重塔としては我が国で最も小さく、また法隆寺五重塔に次ぐ古塔。水煙の代わりに「宝瓶(ほうびょう)」と称する壷状のものが乗っているのも珍しい。寺伝では、創建にかかわった僧侶修円がこの宝瓶に室生の竜神を封じ込めたとされる。 高さは16メートル強、初重は1辺の長さ2.5メートルの小型の塔で、高さは興福寺五重塔の3分の1ほどである。
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室生寺五重塔そばの石仏
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室生寺五重塔そばの石仏
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国宝・室生寺五重塔
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国宝・室生寺五重塔
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国宝・室生寺五重塔
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通常の五重塔は、初重から1番上の5重目へ向けて屋根の出が逓減(次第に小さくなる)されるが、この塔は屋根の逓減率が低く、1重目と5重目の屋根の大きさがあまり変わらない。その他、全体に屋根の出が深く、厚みがあること、屋根勾配が緩いこと、小規模な塔の割に太い柱を使用していることなどが特色である。
軒は「地円飛角」です。
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五重塔は、1998年9月22日、台風7号の強風でそばの杉(高さ約50メートル)が倒れた際に屋根を直撃、西北側の各重部の屋根・軒が折れて垂れ下がる大被害を受けた。しかし、心柱を含め、塔の根幹部は損傷せずに済み、復旧工事を1999年から2000年にかけ行った。
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室生寺 境内 奥の院へ
五重塔の脇を通ってさらに400段近い高い石段を登り切ると奥の院。弘法大師を祀る奥の院御影堂(みえどう、室町時代前期、重文)は大師堂とも言い、板葺き二段屋根の宝形造りで、屋上の宝珠と露盤は優品である。各地にある大師堂の中でも最古級の堂。
奥の院への道
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奥の院への道 石碑
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奥の院への道
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天然記念物の暖地性シダ(羊歯)の群落の標識・案内
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奥の院への石段と
賽の河原の無明橋
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途中は「シダの群落地」、無明橋の下には「賽の河原」などが老樹の杉林の中にあります。
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いざ奥の院へ
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奥の院への石段
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石段途中の石仏
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「無明橋」を通り過ぎると、室生寺の真骨頂とも言える約370段の石段が待ち構えている。
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室生寺・奥の院への石段
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途中の石仏
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常燈堂(位牌堂)前の
石灯篭
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奥の院・七重石塔
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常燈堂(位牌堂)の
骨組み(懸造)
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常燈堂(位牌堂)
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★懸造(かけづくり)は、崖などの高低差が大きい土地に、長い柱や貫で床下を固定してその上に建物を建てる建築様式。 主に寺社建築に用いられる。 崖造、舞台造などとも呼ばれる。
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常燈堂(位牌堂)
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常燈堂 懸造の舞台
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常燈堂(位牌堂)
から石段を
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懸造の「位牌堂」です。懸造の舞台には休憩場所が設けられております。
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重文・奥の院・御影堂
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重文・奥の院・御影堂
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奥の院・御影堂・弘法大師
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奥の院御影堂は三間堂、瓦棒付の厚い流板(ながしいた)の二段葺きです。四方は中央に扉、両脇は白壁となっております。 露盤は石造という珍しいものです。
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石段途中の石仏
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石段途中の石仏
不動明王か
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石段途中の塔
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■五重塔の脇を通って高い石段を登り切ると奥の院。弘法大師を祀る御影堂は大師堂とも言い、板葺き二段屋根の宝形造りで、屋上の宝珠と露盤は優品である。各地にある大師堂の中でも最古級の堂。
室生寺 境内
『続日本紀』や『宀一山年分度者奏状』(べんいちさんねんぶんどしゃそうじょう)によると、奈良時代末期の宝亀年間(770年−781年)、時の東宮・山部親王(のちの桓武天皇)の病気平癒のため、室生の地において延寿の法を修したところ、竜神の力で見事に回復したので、興福寺の僧・賢m(けんきょう)が朝廷の命でここに寺院を造ることになったという。
石楠花(シャクナゲ)
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石楠花(シャクナゲ)
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石楠花(シャクナゲ)
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室生寺・護摩堂
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室生寺・表門
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室生寺・表門
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護摩堂前の乙松桜
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室生寺・表門と石楠花
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石楠花(シャクナゲ)
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室生寺・慶雲殿
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室生寺・本坊と石楠花
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室生寺・本坊
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境内の石楠花
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境内の石楠花
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境内の石楠花
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太鼓橋そばの案内板
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太鼓橋から 室生川と旅館
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室生川
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※室生川の流域は昔からゲンジボタルが多く生息していて、別名「ホタル街道」とも呼ばれています。6月初旬、下流の室生大野寺の辺りから始まり、7月上旬までの間、川を遡るように見どころが移動して行きます。
※歴史長い室生寺の中で、太鼓橋の建築時期は新しい。以前の橋は、昭和34年(1959年)の伊勢湾台風によって流されてしまい、現在の「太鼓橋」が再建された。
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太鼓橋入口のお土産物屋
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太鼓橋から
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石楠花(シャクナゲ)
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奈良・室生寺のある室生の里の秋と室生川(2010年)
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石楠花(シャクナゲ)
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草創にかかわった2人の人物が興福寺僧であった関係から、室生寺は長らく興福寺との関係が深かったが、時代は下って江戸時代の元禄11年(1698年)、興福寺の法相宗から独立して、真言宗寺院となった。女人の入山が許されたことから「女人高野」と呼ばれ、これは室生寺の代名詞にもなっている。近世には5代将軍徳川綱吉の母桂昌院の寄進で堂塔が修理されている。
室生寺の切手
室生地域は雨が多く、近くには多雨で有名な大台ケ原があります。昔から室生は、大和の東方にあり、東の守護神は青龍という思想と雨が多いということが結びついて室生山には龍神が住むと考えられて龍神信仰が盛行だったのでしょう。それゆえ、室生寺は雨乞いの行事で寺名を馳せておりました。
HP作成に当たっては室生寺HP及びWikipediaを参考にさせていただきました。
国宝・室生寺五重塔 屋根は当初、檜皮葺きではなく板葺き
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国宝・室生寺五重塔と
シャクナゲ
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国宝・室生寺五重塔
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大和の風景|奈良・宇陀 女人高野・室生寺の写真と切手
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