名張・万葉の会|奈良県桜井市 大化の改新で有名な談山神社(多武の道) |
奈良県桜井市とは
今回は奈良県桜井市の大化の改新で有名な談山神社(たんざんじんじゃ、多武の道)と花の寺・長谷寺を別々の日に。 桜井市は、奈良県中部、中和地域に位置する市。 縄文時代や弥生時代の土器の欠片が一般の畑などでも見られるなど歴史の深さを窺わせる。また、弥生時代や古墳時代の前方後円墳などの古墳が多く今日まで残っている。そのことからヤマト王権の中心的な地域であったと考えられる。 その前期には三輪王権とも言われるが、今日の三輪地域を指していると見られる。 三輪の日本最古の神社といわれる大神神社や長谷寺、多武峰の談山神社や等弥神社などの由緒ある社寺も数多く見られます。 卑弥呼の家ではなかったかと言われる箸墓古墳もあります。
参考:桜井市観光マップ
JR桜井駅前で談山神社に向かう前、「エルト桜井」 |
初瀬ダムとまほろば湖(桜井) |
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纒向遺跡(まきむくいせき) |
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■初瀬ダムは、大和川の洪水調節、河川維持用水の補給、および上水道用水の供給を目的とした多目的ダムで、 奈良県桜井市大字初瀬に建設された堤高55mの重量式コンクリートダムです。
■纒向遺跡(まきむくいせき)は邪馬台国卑弥呼の宮殿でしょうか?地元の人間はそうであることを祈って居ています。
奈良 桜井駅前 |
JR桜井駅のコンコースの居酒屋 |
JR桜井駅 |
JR桜井駅から三輪山を望む |
桜井市は、「日本書紀」や「古事記」、「万葉集」などに数多く登場し、12代もの宮都が置かれた「国のまほろば」の地、人々の心のふるさとです。 神山「三輪山」の麓に開かれた日本最古の市場「海柘榴市(つばいち)」は、山の辺の道をはじめ、いくつもの古道が交差する交通の要衝でした。 これらを物語る遺跡や社寺、古道には、川端康成氏や棟方志功氏ら著名人の揮毫による約60基もの記紀万葉歌碑がひっそりと建てられ、訪れる人々を一層楽しませています。 また、桜や牡丹、紅葉など、人々の心に安らぎを与えてくれる「花」が四季折々に咲いているところでもあります。日本書紀によれば履中天皇の三年十月、天皇は皇后と共に船を磐余市磯池(いわれいちしのいけ)に浮べて遊宴されたみぎり、たまたま膳臣余磯(かしわであれし)なる人が献った御盃に時ならぬ桜の花びらが舞い落ちたのを不思議な事と思われ、花の咲いているところを尋ねられた際、腋上室山(わきがみむろやま)に咲いた桜であることがわかりました。 帝は珍しい事と喜ばれ、桜に因んで宮の名を「磐余稚桜宮」と名付けられ、しかも腋上室山から桜樹を等彌郷の清水湧き出づる泉のほとりに植えられ、歳月移り変わっても「桜の井の清泉」は今日もなおこんこんとしてつきざるものがあるといわれます。 これが今の奈良県・桜井の名の起こりであるとされています。
多武峰(とうのみね)
■多武峰は、関西の日光と呼ばれ、初瀬・宇陀・三輪・飛鳥と吉野を結ぶ交通の要所であった。 多武峰への道は、推古天皇、皇極(斉明)天皇、持統天皇などの女帝たちの神々への道。
●たむの峰 老杉の間の 春日淡く 山の気ひえて 山の桜おそし 佐々木信綱
Tanzan Shrine (談山神社, Tanzan-jinja), also known as the Toonomine Temple
(多武峯寺), is a Shinto[citation needed] shrine in Sakurai, Nara, Japan. It
was a major Buddhist[citation needed] site before the anti-Buddhist movement
of the Meiji Era, which led to the destruction of many Buddhist temples
in Japan. The original temple, a 13-story wooden pagoda, was built in 678.
The present pagoda was built in 1532. The honden, or main hall, is built
in the Kasuga-zukuri style. It is dedicated to Fujiwara no Kamatari, founder
of the Fujiwara clan.
別格官幣社・談山神社(たんざんじんじゃ)
■舒明・皇極二代の天皇の世、蘇我蝦夷と入鹿親子の勢力は極まって、国の政治をほしいままにしていました。この時、中臣鎌子(後の藤原鎌足(Fujiwara
Kamatari)公)は強い志を抱いて、国家の正しいあり方を考えていました。たまたま飛鳥の法興寺(今の飛鳥寺)で蹴鞠会(けまりえ)があったとき、聡明な皇太子として知られていた中大兄皇子(後の天智天皇)にまみえることができ、西暦645年の5月、二人は多武峰(とうのみね、Tonomine)の山中に登って、「大化改新」の談合を行いました。後にこの山を「談い山」「談所ヶ森」と呼び、談山神社の社号の起こりとなりました。紅葉の名所としても有名。
■菴羅樹は花梨の意味。花がピンク色していました。 釈迦が維摩経を説いた木でもあるそうです。
■御破裂山(おはれつやま、標高607m)は、多武峯(とうのみね)の最高所で標高607メートル、頂上が藤原(中臣)鎌足を埋葬する周囲270mの円墳である。 鎌足の墓山は天下国家に異変があると鳴動すると伝えられている。 多武峰尊像破裂(御破裂)の始めが昌泰元年(898)、江戸時代までに鳴動は37回あり、いつの頃からか、御破裂山と呼ばれるようになった。御破裂山や談い山へは、権堂(平成の大修理中)左横から登る。 展望所からの大和盆地の眺望はすばらしい。 古墳の左裏手が展望所です。
■『多武峯縁起絵巻』は、藤原鎌足公の誕生にはじまります。長じて中大兄皇子(のちの天智天皇)にまみえ、当時の最高権力者・蘇我入鹿を倒して、大化改新の偉業を成し遂げたのち、鎌足公の没後、長男の定慧が多武峯(とうのみね)に十三重塔を建立、やがて霊廟(現在の談山神社本殿)にまつられ、藤原氏一族が繁栄するという、談山神社の縁起を描いたものです。
「談合の図」は藤原鎌足公が中大兄皇子とともに多武峯山中(のちに談山と呼ばれ社号の起こりとなった)で大化改新の談合をしている様子です。向かって一番右が中大兄皇子、次が鎌足公です。
奈良・談山神社と十三重塔(切手) |
藤原鎌足(日本、切手) |
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奈良・談山神社に伝わる多武峯縁起絵巻(切手) |
藤原鎌足(日本、切手) |
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談山神社(たんざんじんじゃ)の紅葉
談山神社の紅葉、2010年11月撮影、保存方法を間違え拡大はしません。ですが今年の夏の猛暑を影響してかいつもの紅葉ではなく、少し黄色混じった紅葉でした。
談山神社の切手のスポットと一緒で最高に綺麗 |
■談山神社の名物は”串こんにゃく”、天然のこんにゃく(蒟蒻芋100%)を使用し、出汁に漬け煮込み甘めの味噌で戴くもの。(味噌田楽)凄く美味しいですよ。 |
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大宇陀・宮奥ダム |
道の駅・大宇陀 |
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Tanzan-Jinja Shrine enshrines Fujiwara Kamatari (614-669 A.D.), who was
a meritorious Interior Minister in Japan in the 7th century. It is well
known that he played an important role in the " Reformation of the
Taika Era ", together with Prince Nakano-oeno-oji (Emperor Tenji).
When Kamatari died at the age of 56, his tomb was built on Mt. Ai (Jap. Ai-yama) in the Province of Settsu (today's Osaka). In 678 A.D. the tomb was moved to Mt.Tonomine, where Kamatari used to ponder over the plan for the Reformation; a thirteen-storied memorial Stupa was erected next to his tomb. In the year 701, a shrine building was constructed on this site, and Kamatari's statue was enshrined in it. This is the origin of Tanzan-Jinja Shrine. Today, Tanzan-Jinja Shrine is noted not only in connection with Kamatari but also for the Cultural Properties which it has been keeping. Fifteen shrine structures including the Main Hall and the Thirteen-Storied Pagoda, are jointly designated as an Important Cultural Property, and the dome from the three-storied miniature pagoda, which was originally in Ohara-dera temple, is registered as a National Treasure. Many important artworks and historical records from the Heian to the Edo periods (the 8th to the 19th centuries), such as Buddhist statues, illustrated hand-scrolls, several applied art objects, swords, and old shrine documents are included in the shrine treasures.
大化の改新は飛鳥時代の孝徳天皇2年(大化2年)春正月甲子朔(西暦646年)に発布された改新の詔(かいしんのみことのり)に基づく政治的改革。中大兄皇子(後の天智天皇)らが蘇我入鹿を暗殺し蘇我氏本宗家を滅ぼした乙巳の変(いっしのへん)の後に行われたとされる(この暗殺事件もまとめて大化の改新と呼ぶこともある)。
天皇の宮(首都)を飛鳥から難波宮(現在の大阪市中央区)に移し、蘇我氏など飛鳥の豪族を中心とした政治から天皇中心の政治への転換点となったとされる。
また大化は日本最初の元号である。つまり日本という国の起源がこの時代にある。
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