日本の風景|名張・万葉の会 當麻の道(葛城市) 當麻寺(当麻寺)、石光寺・・他 1/2 |
當麻の道(當麻寺から石光寺へ)
當麻の道は奈良・郡山・王寺方面から石光寺・當麻寺への参詣道であり、また當麻地方から法隆寺・だるま寺への参詣道でもあった。當麻道は王寺から南下し、下田・磯壁を経て石光寺や當麻寺に至る道です。 また、當麻寺南門からカランボ池の岸を辿り竹内に至る道を三十路(みそじ)越(地図記号ホ)といい、松尾芭蕉が竹内からこの道を通って當麻寺へ詣でたといわれています。
平成25年4月4日撮影。 切手以外の写真はクリックで拡大。 ※Wikipediaと當麻寺資料を参照
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近鉄・当麻寺駅から当麻寺までの道すがら
近鉄・当麻寺駅 |
当麻寺駅前のよもぎもち屋 |
当麻の町家の玄関先の花 |
地酒の販売 |
当麻の町家の玄関先の花 |
當麻 マンホールの蓋 |
当麻寺駅(たいまでらえき)は、奈良県葛城市當麻にある、近畿日本鉄道(近鉄)南大阪線の駅。駅番号はF21。通常では急行は通過するが、牡丹開花時には隣の二上神社口駅と共に急行が臨時停車する。
けはや塚と二上山
■當麻蹴速塚(けはや塚、奈良県葛城市)。 当麻蹴速(たいまのけはや、たぎまのけはや、タエマクエハヤ、當麻蹶速、生年不明 - 垂仁天皇7年7月7日)は、『日本書紀』によれば、大和国の当麻邑(たいまのむら、現奈良県葛城市當麻)に住み、強力を誇って生死を問わない勝負をする者を欲していたため、これを聞いた垂仁天皇が出雲国から勇士であると評判の野見宿禰を召し寄せ、相撲で対戦させたところ、互いに蹴り合った後に、腰を踏み折られて死んだといい、蹴速の土地は没収されて、勝者の野見宿禰の土地となったという。 野見宿禰と共に相撲の神とされる。
葛城市相撲館の外観 |
葛城市相撲館の内部 |
當麻蹶速塚 |
★當麻蹶速塚(たいまのけはやづか)は、相撲の始祖として知られる當麻蹶速(たいまのけはや)の塚と伝えられている五輪塔です。 垂仁天皇(すいにんてんのう)の時代に當麻蹶速と野見宿禰(のみのすくね)とが力比べをし、これが日本で最初の天覧相撲と伝えられています。 |
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桜の當麻蹶速塚 |
當麻蹶速塚の謂れ |
當麻蹶速の姿 |
■二上山(にじょうざん、ふたかみやま)は、大和の国の西に位置し、夕陽が2つの峰の中間に沈むことから、西方極楽浄土の入口、死者の魂がおもむく先であると考えられた特別な山であった。二上山はまた、古墳の石室や寺院の基壇の材料になる凝灰岩(松香石)や、研磨剤となる柘榴石の産地でもあった。
北方の雄岳と南方の雌岳 |
当麻だんじり会館 |
古式豊かな土塀 |
二上山 奈良県側から |
北方の雄岳 |
南方の雌岳 |
二上山は、金剛山地北部に位置し、北方の雄岳(517m)と南方の雌岳(474m)の2つの山頂がある双耳峰である。また、石器に使われた讃岐岩(サヌカイト)の産地である。雄岳山頂には大津皇子の墓がある。
當麻寺 東大門 鐘楼 境内
■當麻寺(たいまでら、新字体:当麻寺)は、奈良県葛城市にある7世紀創建の寺院。法号は「禅林寺」。山号は「二上山」。開基(創立者)は聖徳太子の異母弟・麻呂古王とされるが、草創については不明な点が多い。 西方極楽浄土の様子を表した「当麻曼荼羅」の信仰と、曼荼羅にまつわる中将姫伝説で知られる古寺です。 当麻は、山道が「たぎたぎしい(険しい)」ことから付けられた名であるとの通説があるが、神功皇后の母方の先祖(アメノヒボコの子孫)、尾張氏、海部氏の系図を見ても頻繁に但馬と当麻あるいは葛城との深い関係が類推される。當麻寺はこの地に勢力をもっていた豪族葛城氏の一族である「当麻氏」の氏寺として建てられたものと推定されている。
■當麻寺・東大門(仁王門) ・・ 日本の古代寺院は南を正面とするのが通例だが、當麻寺の境内は南と西に山が迫っていて、南側に正門があった形跡はなく、境内東端の東門が正門となっている。
當麻寺・東大門(仁王門) |
當麻寺・東大門(仁王門)の |
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■當麻寺・鐘楼。 東大門をはいってすぐの鐘楼には、當麻寺創建当時(白鳳時代)の遺物と推定される国宝・日本最古の梵鐘があります。680年代に鋳造された梵鐘で、在銘で国内最古の妙心寺鐘(698年)よりも古い日本最古の梵鐘として知られています。
當麻寺・鐘楼 |
當麻寺・鐘楼・梵鐘 |
當麻寺・鐘楼・国宝の梵鐘 |
當麻寺・鐘楼・国宝の梵鐘 |
この梵鐘は、無銘ながら、2か所にある撞座の蓮弁の枚数が一致しない(一方が10弁でもう一方が11弁)等、作風には梵鐘が形式化する以前の初期的要素がみられる。 |
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■當麻寺・境内
金堂前の石灯篭 白鳳時代に松香石で作られた、日本最古の石灯籠で、金堂の南側にあります。
中将姫の銅像 |
金堂前の石灯籠(重要文化財) |
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薬師堂(重要文化財) |
竹之坊 |
當麻寺・北門 |
影向石(ようごうせき) |
影向石(ようごうせき):當麻寺が開創された時、金堂の前で役行者さまが座って修法を行った石。この時、役行者さまの法力によって百済から四天王が飛来し、葛城山から一言主明神が現れ、熊野から権現さまとして竜神が出現したといいます。 |
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當麻寺 本堂・講堂・金堂
■當麻寺・本堂(曼荼羅堂、国宝)。
金堂・講堂の西側に、東を正面として建つ。寄棟造、本瓦葺。桁行7間、梁間6間。梁行6間のうち、奥の3間を内陣、手前の3間を礼堂とし、内陣は須弥壇上に高さ約5メートルの厨子(国宝)を置き、本尊の当麻曼荼羅を安置する。
当麻曼荼羅の原本(「根本曼荼羅」)は、損傷甚大ながら現在も當麻寺に所蔵されており、1961年に「綴織当麻曼荼羅図」の名称で工芸品部門の国宝に指定されている。当麻曼荼羅の原本については、中将姫という女性が蓮の糸を用い、一夜で織り上げたという伝説があります。
National Treasures of Japan - Main Hall (本堂) or Mandarado (曼荼羅堂) Taima-dera
7×6, single-storied, yosemune style,hongawarabuki roof, houses a large
(39.7 cm x 39.1 cm) Mandala, contains an akadana (閼伽棚) late Heian period,
1161
■當麻寺・講堂(重要文化財)。
金堂の背後(北)に建つ。寄棟造、本瓦葺。桁行7間、梁間4間。組物は平三斗、中備(なかぞなえ)を間斗束(けんとづか)とする。野垂木の墨書により鎌倉時代末期の乾元2年(1303年)の再建であることが知られる。屋根は金堂と同様、元は厚板を葺いた木瓦葺きであった。
右が講堂(重要文化財) |
講堂(重要文化財)正面 |
講堂(重要文化財)背面 |
本尊阿弥陀如来坐像 |
妙幢菩薩立像 |
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堂内は梁行4間のうち中央の2間分に板床を張り、本尊阿弥陀如来坐像、もう1体の阿弥陀如来坐像、妙幢菩薩立像、地蔵菩薩立像(以上重要文化財)のほか、多くの仏像を安置する。床下に焼土層が認められ、治承4年(1180年)平家の兵火により焼失したことが裏付けられる。 |
■當麻寺・金堂(重要文化財)は、鎌倉時代の再建。
入母屋造、本瓦葺。桁行5間、梁間4間。組物は二手先、中備(なかぞなえ)を間斗束(けんとづか)とする。屋根は元は厚板を葺いた木瓦葺きであった。内部は土間で、中心の桁行3間、梁間2間を内陣とする。内陣いっぱいに漆喰塗り、亀腹形の仏壇を築き、本尊の塑造弥勒仏坐像、乾漆四天王立像などを安置する。
當麻寺 中之坊
■當麻寺・中之坊。中之坊は、真言宗の子院。中将姫剃髪の地と伝承され、中将姫の仏法の師である実雅の開基というが、開創の詳しい事情は不明である。書院(重要文化財)と庭園(史跡・名勝)で知られる。
書院は江戸時代初期建立の書院造。南西の「御幸の間」(後西天皇が行幸したと伝える)が主室で、他に北西に「鷺の間」、北東に「鶴の間」、南東に2室の「侍者の間」がある。「侍者の間」の南は西が4畳半、東が6畳の茶室である。4畳半の茶室は北側に大きな丸窓を設けることから「丸窓席」と呼ばれる。「御幸の間」と「鷺の間」の障壁画は曽我二直菴の筆。
庭園は築地塀で内庭と外庭に分かれ、内庭は當麻寺の東西両塔を借景とした池泉回遊式庭園。外庭は山の斜面に造園されている。桃山時代、片桐石州の作庭と伝える。
大和屈指の名庭「香藕園(こうぐうえん)」が趣き深い。
★片桐石州(1605‐73)は、江戸時代初期の大名,茶匠,石州流の開祖。片桐且元の弟主膳正貞隆の子として摂津茨木に生まれる。従五位下に叙し,石見守貞昌と称し,三叔宗関と号した。父に従って大和小泉に入り,その死後大和・河内1万6400石の遺領を受ける。京都知恩院の普請奉行をはじめ,土木・作事にあたり,小堀遠州の後継者の観を呈した。1642年(寛永19)には関東の郡奉行となる。茶道は千道安の高弟桑山宗仙に学び,利休流茶法の奥義をきわめ,特に〈一畳半の伝〉をその究極として伝授した。
當麻寺 国宝 東塔・西塔
■奈良時代 - 平安時代初期建立の2基の三重塔(東塔・西塔)があり、近世以前建立の東西両塔が残る日本唯一の寺としても知られる。
■當麻寺・東塔(国宝)、三重塔で、総高(相輪含む)は24.4メートル。細部の様式等から、奈良時代末期の建築と推定される。
當麻寺・東塔(国宝) |
當麻寺・東塔(国宝) |
念仏院への階段 |
當麻寺・東塔(国宝) |
當麻寺・東塔(国宝) |
當麻寺・東塔(国宝) |
當麻寺・東塔(国宝) |
當麻寺・東塔(国宝)脇の筍 美味しそうな感じでした |
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National Treasures of Japan - East Pagoda (東塔) Taima-dera 3×3 three-storied pagoda, hongawarabuki roof early Nara period, 8th century Nara KatsuragiKatsuragi, Nara
■當麻寺・西塔(国宝)、三重塔で、総高(相輪含む)は東塔よりやや高い25.2メートル。様式からみて、東塔よりやや遅れ、平安時代初期の建築と推定される。西塔は、高さ以外にも東塔とは異なる点が多い。柱間は初重から三重まで3間とする。屋根上の相輪が八輪になっている点は東塔同様だが、水煙のデザインは未敷蓮華(みふれんげ)をあしらったもので、東塔のそれとは異なっている。
當麻寺・西塔(国宝) |
桜の枝間 |
ケマンソウ、タイツリソウ |
當麻寺・西塔(国宝) |
護念院と |
ショウジョウバカマ |
National Treasures of Japan - West Pagoda (西塔) Taima-dera 3×3 three-storied pagoda, hongawarabuki roof early Heian period, 9th century Nara KatsuragiKatsuragi, Nara
日本の風景|名張・万葉の会 當麻の道(葛城市) (1/2) |
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