Kunioの世界の切手紹介と海外写真集

Kunioの世界の切手紹介と海外写真集
三重県・名張市のイメージと概況・自然・文化についてご紹介 自然で一番は赤目四十八滝、文化は観阿弥、江戸川乱歩  他にパワースポットもあります

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名張・昨今(三重県西部)のご紹介 (イメージ 〜 文化 と パワースポット)

 店長が住んでいます第二の故郷の三重県・名張市のイメージと概況・自然・文化についてご紹介します。 江戸時代の有名な錦絵の画家であった安藤広重(二代目)が作成した名張の風景が市立図書館にあります。 近くには有名な赤目四十八滝や関西の耶馬渓と呼ばれる渓谷の香落渓(こおちだに)があります。文化面では、観阿弥は妻の出生地である名張市小波田で初めて猿楽座(後の観世座)を建てました。また、探偵小説の江戸川乱歩は、明治27年(1894)に名張の町に誕生し、今も碑が残っています。 名張の地は、672年の壬申の乱の際に大海人皇子が何度も通過し宿泊した場所。 夏見廃寺(大来皇女が建てた寺と言われている)は名張川右岸の夏見男山南斜面にある古代寺院跡で、出土遺物から 7世紀の末から8世紀の前半に建立されたと推定されています。 赤目には有名な赤目四十八滝や役小角の延寿院。 名張はこの様な町です。 忘れてはならないパワースポット(パワスポ)もあります。 青蓮寺 國津神社の檜と杉が融合したものです。 写真は実際に市内を歩いて撮っています。 
尚、作成に当たっては、当方とも深い関連がある名張市役所及び名張観光協会のHPを一部参考・引用させていただきました。 


ご注意)画像の無断転用はお断りします。

■名張関連情報の索引 名張トップ 名張のイメージと概況 自然 文化 伝統 地元の有名人 News 伊賀市 その他雑学 「奥の細道

■歴史|天正伊賀の乱の索引 [ 天正の乱以前(平安時代に4鬼を使った藤原千方 他)|第一次天正伊賀の乱(百地三太夫,石川五右衛門 他)|第二次天正伊賀の乱(伊賀忍者・服部一族・・・)|その後(忍者の末裔? 観阿弥、芭蕉 他) ] 織田信長と伊賀忍者

※三重の索引 [ 三重県桑名市四日市鈴鹿市津市松阪市伊賀市名張市青山高原伊勢・志摩・鳥羽尾鷲市|特別編 (壬申の乱天正伊賀の乱) ]


1.名張のイメージと概況

下の絵から、名張を想像してください。 江戸有名な錦絵の画家であった安藤広重(二代目)が作成した名張の風景です。 本錦絵は現存数が少なく市立図書館等数点だそうです。 誰もがそうだと思いますが、皆さん家にいらっしゃる時は近鉄電車を利用しますが、山の中をだいぶ来たところが名張で、どんなに山の中かと思われるそうです。 町の中は絵にもあるように3本の川が流れ、それぞれで鮎釣りが出来ます。また、天然記念物の山椒魚も散見できます。水と緑が綺麗な町です。現在の名張の街は、伊勢参りの宿場町が原型。明治以降も小規模な地方鉄道が出来ただけで、交通の便に恵まれなかったが、1930年に参宮急行電鉄(現在の近鉄大阪線)が開通し、発展の礎となった。

江戸有名な錦絵の画家であった安藤広重(二代目)が作成した名張の風景 浮世絵

(1)所在地 北緯 34°37’27”  東経 136°06’40”
(2)面積(Km2) 129.76
(3)広ぼう(m) 東西 10,550  南北 13,100
(4)海抜(m)  225.93
(5)交通のご案内
  @電車の場合
   大阪(難波)から名張:近鉄特急で58分、
   名古屋からでは近鉄特急で1時間26分
  A自動車の場合
   名古屋西ICから102km、梅田ICから93km

(6)名張市の人口(平成16年12月1日現在)
  世帯数 総数
住民基本台帳(a) 29,441 40,880 43,537 84,417
外国人登録(b) 361 324 334 658
総数(a)+(b) 29,802 41,204 43,871 85,075
 (7)名張の位置
名張  kunio 位置 地図 切手 海外写真
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2.名張の自然

★赤目四十八滝
(あかめしじゅうはったき)

室生赤目青山国定公園の中心に位置し、その長さは約4キロにも及びます。 赤目(Akame Shijuhachitaki Falls Ravine , Nabari City )の神秘的な自然は、日本の滝百選に、また森林浴の森百選にも選ばれ、その渓谷に織り成す樹木、渓流、滝などの奏でる優雅な色彩と音のハーモニーが自然をより楽しませてくれます。  1999年秋に公開された映画「梟の城」では、伊賀流忍者の活躍が描かれており、赤目四十八滝がロケ地にもなっています。 *下は切手にもなっている、にないの滝です。

関連書籍 映画「赤目四十八滝心中未遂」―江森康之写真集 
赤目四十八滝の四季―佐藤政宏写真集 (TOHO COLOR BOOKS)

名張市赤目四十八滝・にないの滝 / 赤目四十八滝・布曳きの滝

名張 赤目四十八滝 荷担滝 奈良に住んでいた頃、マンションの旅行で名張・赤目四十八滝・布引の滝

赤目四十八滝の入り口に「日本サンショウウオセンター」があります。ここには、世界各国のサンショウウオが勢揃いしています。 「生きた化石」と呼ばれ、約千万年以上の太古からほとんど変わらない姿で生きてきた貴重な生物であるサンショウウオの生態を水族館スタイルで観察することができます。

Akame Shijuhachitaki Falls Ravine , Nabari City
The beautiful Akame Shijuhachitaki Falls is a series of numerous waterfalls in the headwaters of the Taki River which flows along the border between Mie and Nara Prefectures. Situated at the center of the Murou Akame Aoyama National Park, the waterfalls cover a distance of about 4km. The miraculous beauty of Akame has also been selected as one of Japan's hundred waterfalls.

三重・名張・赤目四十八滝・
にないの滝(切手

名張 赤目四十八滝 にないの滝 荷担い 青山国定公園

★香落渓(こおちだに)
Kaochidani Valley , Nabari City

名張川の支流・青蓮寺川に沿う香落渓は、関西の耶馬渓と呼ばれる渓谷で、まるで斧で断ち割ったかのような柱状節理の 岩肌が約8kmに渡って続いています。中でも天狗柱岩・屏風岩などの眺めは素晴らしく、その雄大な光景は自然の造形美を楽しませてくれます。蓮寺川上流に展開する、室生火山群の活動がつくりだした雄大な渓谷で、断崖や奇岩が連続する柱状節理の岩壁が、川に沿って8kmくらい続く。紅葉の名所としても有名。

名張の奥座敷 青蓮寺川の上流に 香落渓

晩秋の香落渓

晩秋の香落渓

名張 香落渓 香落渓 香落渓

私の住まいからは青蓮寺湖(ブラックバス釣大会やマラソンが最近行われている)の奥であり、本当に直そこにこんな景色があります。写真の下は川でもみじの頃はそれは賑わっています。 昔、この辺りは大きな地下変動があり川の両岸が隆起したか川の部分が陥没して出来たようです。どうも後者の方が正しいようです。

Kaochidani Valley (香落渓), Nabari City : The Kaochidani Valley of the Shorenji River, a tributary of the Nabari River, has rock walls shaped like pillars split by an axe and which extend for about 8km. This majestic scenery lets you enjoy the beauty created by nature. In spring, Japanese yellow roses and azaleas bloom in vivid color, and in autumn, the foliage covers Kaodachi Valley and makes the entire mountain appear to be on fire.

★青蓮寺湖(しょうれんじこ)

青蓮寺川に建設された青蓮寺ダムは奇勝香落渓の玄関口にあり、春の桜や秋の紅葉など四季折々に美しい姿を湖面に映しだしています。また、周辺環境整備により、テニス、バードウォッチング、ブラックバス釣り等も楽しめます。 青蓮寺湖畔に広がる果樹園では天候に関係なく、家族連れやグループで、ぶどう狩り・いちご狩りを楽しめます。(駅や電車の中の広告が近畿一円に掲載されています。)

名張 青蓮寺湖 春 

青蓮寺は三重県名張市の南部に位置して東に青蓮寺湖、 南に香落溪を含む広大な青蓮寺山の緑を有し、その自然環境と観光的価値は 市内のみならず他地域にも無い、恵まれた地域です。右の写真の手前側に釣りが出来る場所があり、後ろはレストランです。

名張 青蓮寺湖 春 釣 ブラックバス 名張 青蓮寺湖 冬

青蓮寺ダム 正面

青蓮寺ダム 放水中

晩秋の青蓮寺川 香落渓

晩秋の青蓮寺川

名張・比奈知ダムの鯉のぼり

名張・比奈知ダムの桜

名張・比奈知ダムの鯉のぼり 2013年

名張・比奈知ダムの鯉のぼり 名張・比奈知ダムの桜 名張・比奈知ダムの鯉のぼり 名張・比奈知ダムの鯉のぼり

比奈知ダム(ひなち-)は三重県名張市上比奈知、淀川水系木津川左支名張川の上流部に位置するダムで、1998年(平成10年)、ダムは26年の歳月を掛けて完成し、木津川上流ダムとしては最も新しいダムとして本格供用が開始された。「地域に開かれたダム」施策の一環で「地元から集めた鯉のぼり」がダムの上を賑わせた。

★名張川(なばりがわ)は、木津川水系の支流で奈良県・三重県・京都府の県境付近を流れる一級河川。奈良県内では五月川と呼ばれる。奈良県宇陀郡御杖村の高見山地三峰山北麓に発し、程なく奈良県から三重県に入って北流。比奈知ダム付近で西流に転じ、名張市街で青蓮寺川・宇陀川を相次いで併せる。市街地西部で大きく蛇行した名張川は渓谷を刻み、再び奈良県に入ったり、奈良・三重県境となったりを繰り返す。奈良市月ヶ瀬付近から、高山ダムが迫るため川面が谷全体に広がり出し、そのまま京都府に入る。高山ダムを過ぎるとすぐ、木津川に合流する。

「名張川納涼花火大会」を見てだあこ!今年の花火大会のテーマは「絆」 [名張市役所 平成23年8月1日掲載

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3.名張の文化と名張の歴史

■天正伊賀の乱の索引 [ 天正の乱以前第一次天正伊賀の乱第二次天正伊賀の乱その後 ]

■名張は、万葉の昔の昔から宿駅として開け、壬申の乱に際して大海人皇子が東国へ逃れる際にも当地を経由した。
墾田永年私財法の施行以降、東大寺の荘園として人口の増加が始まり集落として発達しはじめた。その後自治勢力が武装し「黒田の悪党」と呼ばれ荘園支配から逃れようと地主に対抗したことで中世日本史に名を残す地域である。荘園支配に抵抗してはいたが、実際に東大寺との関係は深く、年中行事であるお水取りでは当地で伐採された木材が使用されるなど名残を残す。しかし、宗教文化が実際にこの地に花開いているわけではなく、華々しく飾られた今風の宗教施設のほかは山村地域に枯れた風景を彩る山寺が散見されるのみとなっている。
悪党は独特の戦闘知識や薬学体系を背景に、後に忍者と呼ばれる存在となる。その中でも伊賀忍者の名前はあまりにも有名であるがゆえに、発祥の地は北に隣接する伊賀市であると誤解を受けているが、実際は伊賀地域に広く忍者の生活・活動した跡が見られ、その中でも支配的地位にあった上級の忍者(上忍三家)は名張に拠点を置いていた。(伊賀忍者の技・術・道具などの展示は名張の赤目四十八滝入り口付近にある展示施設にて行われている。)
 

観阿弥(かんあみ)

能楽大成者 観阿弥は妻の出生地である名張市小波田で初めて猿楽座(後の観世座)を建てました。その後、足利三代将軍義満の絶大な庇護を受け「能楽」として京の地で開花し、伝統芸能の一つの頂点になりました。 現在、名張では年一回薪能が開催され、大勢の見物客で賑わっています。
左の写真は、名張市役所にある記念の銅像、右は名張駅前の銅像です。下は能楽堂と創座の地の記念碑。
関連書籍 観阿弥と世阿弥 (1969年)

名張 市役所 観阿弥 能 座 名張 駅前 西口 観阿弥 能 座
名張 小波田 観阿弥 能 座 名張 小波田 観阿弥 能 創座 記念碑

「観阿弥創座の地 なばり夏能」を見てだあこ![名張市役所 平成23年8月8日掲載

Kan'ami ("観阿弥") Noh is the birthplace of his wife in Nabari, the first monkey Rakuza (Kanze seat later) built a. Then, under the aegis the 3rd Shogun Ashikaga Yoshimitsu, "Noh" as the flowers in place of the Kyoto became one of the top of the traditional arts. Currently, Nabari Takigi Noh is held once a year, and crowded with many spectators.
Ashikaga Yoshimitsu ("足利 義満", September 25, 1358 - May 31, 1408) was the 3rd shogun of the Ashikaga shogunate who ruled from 1368 to 1394 during the Muromachi period of Japan. Yoshimitsu was the son of the second shogun Ashikaga Yoshiakira.

江戸川乱歩
(えどがわらんぽ、(1894〜1965)名張郡名張町出身)

日本の探偵小説を創始した作家、江戸川乱歩は、明治27年(1894)、名張の町に誕生しました。 生後まもなく転居したせいで、乱歩にとって名張は「見知らぬふるさと」でありつづけましたが、晩年になってようやく「ふるさと発見」が果たされ、昭和30年(1955)には名張市民の手で「江戸川乱歩生誕地」碑が建立されました。 碑には、乱歩の略伝と代表作がこんなふうに記されています。
◆代表作◆ 人間椅子 パノラマ島奇談 黄金仮面  怪人二十面相 少年探偵団 新宝島

名張 江戸川乱歩 誕生 名張 江戸川乱歩 誕生 名張駅東口にある江戸川乱歩の銅像
    

夏見廃寺
(なつみはいじ)



(参考文献)
夏見廃寺 (1981年)

夏見廃寺―第1次発掘調査概要 (1985年)

夏見廃寺は名張川右岸の夏見男山南斜面にある古代寺院跡で、出土遺物から 7世紀の末から8世紀の前半に建立されたと推定されています。 醍醐寺本薬師寺縁起に「大来皇女、最初斎宮なり、 神亀2年(725)を以て浄(御)原天皇のおんために昌福寺を建立したまう。夏身と字す。 もと伊賀国名張郡に在り。」と記載された個所があり、その昌福寺が夏見廃寺と考えられています。 天智天皇の子、大友皇子と天皇の弟、大海人皇子(天武天皇)の間に、 皇位継承をめぐって壬申の乱(672年6月)が起こり、大海人皇子が吉野で秘かに挙兵し、美濃国不破関に向かう途中、夜半に名張に着きます。  駅家に立ち寄り「天皇、東国に入ります」と告げますが、これが、これまでの「大王」が「天皇」と呼ばれた最初であるという説があります。 戦いに勝った大海人皇子は、3か月後に飛鳥に帰りますが、その前夜名張に 一泊しています。往復とも夏見のあたりを通り、名張川を渡ったと思われます。 天武天皇にとって出陣と凱旋の地、名張を終生忘れられなかったと思われます。

 

◇日本書紀の記述通り」 専門家、調査の意義強調 越塚御門古墳など被葬者確定的 (夏見廃寺の関連)
新たに見つかった石室などについて説明する西光技師ら(明日香村で)  「まさに日本書紀の記述通りだ」。明日香村の牽牛子塚(けんごしづか)古墳(7世紀後半)に接して新たに見つかった越塚御門(こしつかごもん)古墳。9日の村教委の発表を受け、被葬者は、牽牛子塚古墳が斉明天皇と娘の間人皇女(はしひとのひめみこ)、越塚御門古墳が孫の大田皇女(おおたのひめみこ)と確定したとする声が専門家から相次いだ。飛鳥時代の歴史に新たな光を当てる成果に、注目が集まりそうだ。 村文化財顧問の木下正史・東京学芸大名誉教授(考古学)は「日本書紀の記述通りで、疑いようがない。牽牛子塚古墳にとどまらず、他の飛鳥時代の古墳の被葬者像や、飛鳥の歴史全体を考える定点となる」と調査成果の意義を強調する。 越塚御門古墳の石室は、同村にある「飛鳥の謎の石造物」の一つとされる鬼ノ俎(まないた)・雪隠(せっちん)古墳と同型だった。猪熊兼勝・京都橘大名誉教授(同)は、斉明天皇が同古墳から牽牛子塚古墳に改葬されたとする考えを示したうえで、「日本書紀が歴史を忠実に記していたことを目の当たりにする大きな発見だ」と評価する。 昨年9月から続く長丁場の発掘現場。調査を担当した村教委文化財課の西光慎治技師(40)と、調査補助員の関西大考古学研究室3年、辰巳俊輔さん(20)は、牽牛子塚古墳の範囲を調べるうちに、墳丘の痕跡が全くない想定外の場所から、新たな古墳を発見することになった。 西光技師は2002年、鬼ノ俎・雪隠古墳が二つの石室を備えた長方形墳(双室墳)で、斉明天皇と孫の建王(たけるのみこ)の合葬陵との新説を唱えている。今回の発見に、「事実関係をきちんと調査するのが現場担当者の務めだが、個人的には、牽牛子塚古墳と鬼ノ俎・雪隠古墳とのつながりが出てきたのが意義深い。『飛鳥・藤原の宮都とその関連資産群』の世界文化遺産登録に向けた弾みになれば」と笑顔を見せた。(2010年12月10日 読売新聞)

藤堂家(とうどうけ)

城下町名張を語る上で欠くことが出来ないのが名張藤堂家邸跡です。 津藩藤堂家の一門で寛永13年(1636)から明治維新まで11代にわたり、名張に居を構えた藤堂宮内家の屋敷跡です。現在残されている屋敷は、宝永7年(1710)の名張大火で焼失した後に再建された殿館の一部で「中奥」「祝間」「圍」などの私的な生活を送る建物です。 この屋敷とともに、「豊臣秀吉朱印状」「鉄唐冠形兜・一の谷形兜」「朱具足」「備前無銘刀」「藤堂高吉公一代記」「羽柴秀吉・丹羽長秀の書筒」など学術的にも貴重な文化財が、平成3年に名張藤堂家から市に寄贈されており、平成4年に保存修理事業が完了した屋敷とともに一般公開されています。

名張 藤堂家 羽柴秀吉

名張藤堂家 枯山水

藤堂家 枯山水

名張藤堂家邸跡 入口

名張藤堂家 床の間

名張藤堂家邸跡 庭

床の間

枯山水

当主が描いた絵画

「備前無銘刀」

当主が描いた絵画 「備前無銘刀」

名張藤堂家邸 鉄砲

「黒漆桔梗紋蒔絵花見弁当」

「鉄唐冠形兜・一の谷形兜」

「斎宮集」

鉄砲 「黒漆桔梗紋蒔絵花見弁当」 「鉄唐冠形兜・一の谷形兜」 「斎宮集」

「伊勢物語」

「豊臣秀吉朱印状」

「羽柴秀吉・丹羽長秀の書筒」

「伊勢物語」 「豊臣秀吉朱印状」 「羽柴秀吉・丹羽長秀の書筒」

豊臣秀吉朱印状 : 縦46.7cm、横67.6cmの壇紙に書かれたもので、日付の「七月十日」は慶長2年(1597)の7月10日と考えられています。藤堂高吉は、水軍副将を命じられた藤堂高虎に従って出陣した際、陣中で秀吉から朱印状(花押の代わりに朱印を押した公文書)による慰問文を受けたものです。

胴乱;革製の方形をした小袋。古くは筒卵,銃卵とも書いた

九条 良経が詠んだ歌

胴乱;革製の方形をした小袋。古くは筒卵,銃卵とも書いた 九条 良経が詠んだ歌

九条 良経(くじょう よしつね、嘉応元年(1169年) - 元久3年3月7日(1206年4月16日))は、平安時代末期から鎌倉時代前期にかけての公卿。後京極 良経(ごきょうごく よしつね)とも。従一位、摂政、太政大臣。後京極殿と号す。
後鳥羽上皇が、藤原俊成の90歳の祝賀の宴を催した時に、九条 良経が俊成の長寿を願って詠んだ歌。

名張藤堂家邸跡 庭

松倉名張城 軒丸瓦

名張藤堂家邸跡

名張藤堂家邸跡

名張藤堂家邸跡 庭 松倉名張城 軒丸瓦

名張藤堂家は、藤堂高虎の養子高吉にはじまる。『藤堂宮内少輔高吉公一代之記』によれば高吉は、織田信長の重臣丹羽長秀の三男として、天正7年(1579)近江佐和山城に生まれ、幼名を仙丸と称した。天正10年(1582)本能寺の変で信長死去の後、羽柴(豊臣)秀吉の所望により、弟羽柴秀長の養子となる(天下を望む秀吉が、柴田勝家を討ち滅ぼすため丹羽長秀と縁を結ぶためであったといわれる)。天下を手中にした秀吉は、天正16年(1588)秀長の嗣子に甥の中納言秀保を立てたため、仙丸を家来に嫁がせようと考えていた。この時、秀長の家来であった高虎には、子供がなく、仙丸を養子に望んだが、秀長は同意しなかったという。しかし秀吉の命により高虎の養子となり、名を高吉と改め、従五位下宮内少輔に任じられ1万石を給された。文禄、慶長の役には、高吉は高虎に従って渡海し慶長2年(1597)7月10日には、秀吉から朝鮮在陣の褒詞(豊臣秀吉朱印状)を受けている。

名張藤堂家邸跡 枯山水

土井晩翠の直筆の書

三笠宮様がご宿泊された部屋

名張藤堂家邸跡 枯山水 土井晩翠の書

昔、三笠宮様がご宿泊された

本居宣長の子供の書

名張藤堂家 トイレ

名張藤堂家 湯殿

昔、三笠宮様がご宿泊された 本居宣長の子供の書

美旗古墳群
(みはたこふんぐん)


名張川支流の小波田川上流右岸の標高200mの台地上に、伊賀地方で最大規模の古墳群が営まれています。現存しているのは、5基の前方後円墳と横穴式石室を持つ円墳1基、方墳1基で、「カブト塚」・「矢羽塚」・「玉塚」などの方墳と円墳の多くは消滅しました。これらの古墳は地域を支配した有力者が、4〜6世紀にかけて造ったものと考えられています。

名張市内最古の遺物は一万年前の石器ですが、名張川の南岸、下川原遺跡からは縄文時代後期の集落が発見され、たくさんの土器とともに、東国の住居スタイルの柄鏡形住居も見つかっています。名張は古くから大和文化が流入し、各地に数多くの遺跡などが残っています。

名張 美旗 古墳

「小塚」「毘沙門塚」「女郎塚」など、大小7基の古墳が点在しており、とりわけ「馬塚」は、美旗古墳群の中で最も大きな前方後円墳です。全長142m、後円部直径98m、前方部幅は100m、墳丘の全面は葺石(高塚の盛り土の丘を覆う石塊で、川原石や山石などが用いられる)で覆われています。前方と後円の接合部両側に造出があり、まわりに幅7mから広いところで25mの周濠が見られます。

史跡 美旗古墳群の石碑

美旗古墳群 馬塚の後円墳

美旗古墳群 馬塚の全体

馬塚 前方より後円墳を

万葉集の石碑:
「吾がせこは いずく行くらむ 沖つ藻の 名張の山を今日がこゆらむ」
持統天皇の伊勢志摩行幸の際に同行した夫を思い、当麻真人麻呂の妻が692年に詠んだもの。

近鉄名張駅西口

名張 万葉集 石碑

ひわあい、ひやわい:ひさしが両方から突き出している所。(2005.01.01伊賀ジャーナル)
子供の頃には、よく見慣れた風景でしたが、最近ではとんと見かけることが出来ません。昔はどぶ板がはまっていたりで、非常に懐かしい風景です。 写真を戻ったところが江戸川乱歩の生誕地です。 まだ、この様なところが名張には残っています。

名張 ひやわい 切手

宇流冨志禰神社
(うるふしねじんじゃ)


榊町と中町の境に
宇流冨志禰神社の一の鳥居

榊町と中町の境に宇流冨志禰神社の一の鳥居

宇流冨志禰神社 : 鎮座地 三重県名張市平尾三三一九番地
祭神 : 宇奈根命(うなねのみこと)  天照大神(あまてらすおおかみ)
 武甕槌神(たけみかずちのかみ)  経津主神(ふつぬしのかみ)
 天児屋根神(あめのこやねのかみ)  姫大神(ひめおおかみ)
宇流冨志禰神社は延喜式内国史現在社にて主祭神宇奈根命は神武建国の始め一国の瑞穂と氏神の安泰を祈願する為に祭祀される、天正伊賀の乱にて沿革誌等兵火に遭い消失するも古文書によれば貞観十五年八七三年宇奈根神從五位とあり後神位階昇進し永徳元年從一位に昇進(神園大暦に見ゆ)天武天皇三年圭田四十二束四ヶ所を以て祭祀するとあり文徳天皇仁寿元年官幣をうけ国司より幣帛を賜るとある鎌倉幕府開府により廃止となるまで歴代崇敬篤くその後松倉豊後守勝重公及び藤堂高吉公伊賀国に移封領主とし尊敬篤く神威高昴社勢整い明治十四年県社の社格を受け明治四十年附近村落の十四社を合祀し郷土の鎮守神として親しまれ信仰されて現在に至る。 境内社として輿玉松尾神社、稲荷神社、愛宕神社、八坂神社、三輪神社、八幡宮、市杵島姫神社、山ノ神、白玉明神、護国神社を併祀する。

明神鳥居と拝殿

宇流冨志禰神社の拝殿

宇流冨志禰神社の境内

一の鳥居の近くの松の木

境内社 輿玉神社拝殿

宇流冨志禰神社の境内

境内社 輿玉神社拝殿

美波多神社(みはたじんじゃ)

■美波多神社は元々三柱神社といい、承応年間(1652年〜1654年)にこの地を開拓した時に新田地区の氏神として勧請したものでした。それが明治の合祀令に伴って近在の多数の神社を集合し、美旗を代表する神社として現在の形となりました。 ご覧の通り、沢山の神様がおいでになります。 女性の宮司さんだからか境内は綺麗になっています。 三重県名張市新田字女良塚に鎮座。 初瀬街道の近くです。

美波多神社の鳥居と石碑

美波多神社の謂れや祭神

美波多神社の拝殿(立派です)

この美波多神社の本殿向かって右脇に雨乞石があります。拝殿の右端から回りこんで見ることができます。

初瀬街道の大きな石造燈籠・常夜灯(下小波田)

名張は昨年以降積雪が多いですが、健気に咲く梅の花が春の到来を教えてくれます。(2011.01.30撮影)

初瀬街道は松阪市六軒で参宮道と別れて、青山峠を越え、名張・室生を経由して榛原で伊勢本街道と合流して長谷寺のある奈良県初瀬に向かう道です。伊勢本街道が御杖村や伊勢奥津を通って田丸にでる近道ながら山道が多いのに対して、初瀬街道は遠回りながら平坦な道が多く女性に人気の道だったそうです。天皇に代わって伊勢神宮に仕える斎王が通った道としても有名です。

名張は昨年以降積雪が多いですが健気に咲く梅の花が春の到来を教えてくれます。(2011.01.30撮影)


積雪は15cm、庭に咲く紅梅

初瀬街道の大きな石造燈籠 常夜灯

パワースポットに関連する書籍、DVDの紹介

★名張の古代遺跡
■考古学上から見た名張市の歴史概要   名張市  市史編集専門部会考古部会
【美旗地域】美旗古墳群、竹原氏城、滝川氏城・桜町中将宅跡
【薦原地域】薦生遺跡、下広遺跡、庄田中世墓、一本杉遺跡、大西谷城跡、峰山城跡
【蔵持地域】塚原遺跡、塚原古墳群、蔵持黒田遺跡、黒田古窯址、四ノ切古墳、小谷古墳群、小谷遺跡、丈間谷遺跡、原出遺跡、久保遺跡、本陣山城跡
【比奈知地域】西畑遺跡、兼前1号墳、下山甲斐守堡、深ケ遺跡
【名張地域】平尾山遺跡、東町遺跡、奥開遺跡、名張藤堂家邸跡
【箕曲地域】鴻之巣遺跡、男山古墳群、夏見廃寺跡、中川原遺跡、上山古墳群、坊垣遺跡、下川原遺跡、糸川橋遺跡、奥出遺跡、奥出古墳群、丁ノ坪遺跡、黒石遺跡、浦遺跡、西遺跡、土山遺跡、白早稲遺跡、人参峠遺跡、高塚古墳群、中村古墳群、観音寺遺跡、根冷古墳群(4号墳) 、愛宕山砦跡、青蓮寺堡
【錦生地域】溜り遺跡、桶子谷古墳、内垣内遺跡、城屋敷遺跡、辻堂遺跡、御所垣内遺跡、鹿高神社1号墳、別所中世墓
【赤目地域】中戸遺跡、二ツ塚古墳群、梅ノ木遺跡、赤目檀遺跡、檀・柏原遺跡、沢代遺跡、坂之上遺跡、大垣内古墳、琴平山古墳、横山古墳群、丸尾山古墳群、石取場古墳群、尻矢古墳群、杉矢谷古墳群、下垣内遺跡、辻垣内遺跡、辻垣内古墳群、上東野遺跡、春日宮山古墳、桃山古墳、柏原城、滝野氏城、脇之田遺跡
【国津地域】北畠具親

■考古学上から見た名張市の歴史概要   名張市  市史編集専門部会考古部会
【美旗地域】美旗古墳群、竹原氏城、滝川氏城・桜町中将宅跡
【薦原地域】薦生遺跡、下広遺跡、庄田中世墓、一本杉遺跡、大西谷城跡、峰山城跡
【蔵持地域】塚原遺跡、塚原古墳群、蔵持黒田遺跡、黒田古窯址、四ノ切古墳、小谷古墳群、小谷遺跡、丈間谷遺跡、原出遺跡、久保遺跡、本陣山城跡
【比奈知地域】西畑遺跡、兼前1号墳、下山甲斐守堡、深ケ遺跡
【名張地域】平尾山遺跡、東町遺跡、奥開遺跡、名張藤堂家邸跡
【箕曲地域】鴻之巣遺跡、男山古墳群、夏見廃寺跡、中川原遺跡、上山古墳群、坊垣遺跡、下川原遺跡、糸川橋遺跡、奥出遺跡、奥出古墳群、丁ノ坪遺跡、黒石遺跡、浦遺跡、西遺跡、土山遺跡、白早稲遺跡、人参峠遺跡、高塚古墳群、中村古墳群、観音寺遺跡、根冷古墳群(4号墳) 、愛宕山砦跡、青蓮寺堡
【錦生地域】溜り遺跡、桶子谷古墳、内垣内遺跡、城屋敷遺跡、辻堂遺跡、御所垣内遺跡、鹿高神社1号墳、別所中世墓
【赤目地域】中戸遺跡、二ツ塚古墳群、梅ノ木遺跡、赤目檀遺跡、檀・柏原遺跡、沢代遺跡、坂之上遺跡、大垣内古墳、琴平山古墳、横山古墳群、丸尾山古墳群、石取場古墳群、尻矢古墳群、杉矢谷古墳群、下垣内遺跡、辻垣内遺跡、辻垣内古墳群、上東野遺跡、春日宮山古墳、桃山古墳、柏原城、滝野氏城、脇之田遺跡
【国津地域】北畠具親

古代名張郡夏見郷を治めていた夏身氏の館跡
(飛鳥〜奈良時代・鴻之巣遺跡・鴻之台)
市史編集専門部会考古部会 2010年(平成22 年)3月21日

倭国大乱の跡か?丘陵上集落の堀跡
(弥生時代後期・塚原遺跡・蔵持町里)

名張・鴻之台の小谷古墳への階段【蔵持地域】

名張・鴻之台の小谷古墳の石碑と小谷古墳跡

名張・鴻之台の小谷古墳の石碑と小谷古墳跡

温泉、鮎釣り、名物・グルメやフルーツ(イチゴ狩り、ぶどう狩り・・・・)もあり、風光明媚な名張旅行に是非お出で下さい。

名張の伝統・地元出身の有名人・News・雑学の頁では次の内容をご紹介してます。伝統面では、 日本六古窯の一つに数えられる伊賀焼や 戦国時代に伊賀忍者が携帯兵糧として考案し、使用しはじめたものと伝えられてる「かたやき」(非常に堅いせんべいです)。 奈良東大寺二月堂では修二会、いわゆる「お水取り」が行われます。行法としてのお水取りは13日の午前2時頃に行われ、その後内陣で韃陀の妙法と言う水火の荒行がはじまります。この荒行に用いる松明は、古来名張市赤目町(地図参照)一ノ井から調進されるのが習わしで、松明調進と呼ばれています。地元出身の有名人では、忍者・百地三太夫、歌手の平井 堅や平家みちよ、吉本のお笑い・亀山房代、落語家・桂 三弥がいます。また作家・伊藤学(さとう たかみ)さんは2006年7月13日、第135回の芥川賞に選ばれています。雑学では、文豪・田山花袋は、大の旅行好きで作家活動の傍ら日本中をくまなく旅しています。名張はことのほか好いていたようで、彼が「名張」に抱いた浅からぬ 愛情を小説「名張少女(なばりおとめ)」にしたためています。名張の温泉も紹介。

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 名張のパワースポット

青蓮寺 國津神社
(しょうれんじくにつじんじゃ)

青蓮寺の国津神社は、名張では有名なパワースポット(パワスポ)。幹が根元で一体化した杉とヒノキがある「国津神社」(青蓮寺)は、縁結びの神様として知られています。 

青蓮寺国津神社の1の鳥居

青蓮寺国津神社

拝殿と「和合円満 杉桧 縁結之神」(左)との掲示有り(パワスポ)

青蓮寺国津神社 青蓮寺国津神社 「和合円満 杉桧 縁結之神」 青蓮寺国津神社 「和合円満 杉桧 縁結之神」 青蓮寺国津神社

主な祭神 武甕槌命・天兒屋根命・経津主命 場所は 百合が丘団地の南西 青連寺湖ぶどう組合のすぐ近くです。

■パワースポットとは、心身を癒す助けとなる精神的なエネルギーに満ちた聖地のことで、エネルギースポット、気場などともいい、オカルト的なエネルギーが集中していると風水やスピリチュアリティの観点から見なされる場所を指すそうです。 すなわち、パワースポットとは、心身を癒す助けとなる精神的なエネルギーに満ちた聖地のこと。 特徴として次の5項目を満たしていると思います。 1)水や緑が豊か、2)山や峰にある、3)鉱物が多い、4)巨石がある、5)断層上に位置する地磁気が強い聖人にゆかりがある伝説がある 等です。特に日本のパワースポットは自然系では富士山・阿蘇山などの活火山または断層地帯など、宗教系では伊勢神宮・熱田神宮・箱根神社・高野山などにあります。
■パワースポットの写真と切手全体 [ 世界日本地元・名張エジプト写真集 ]、大阪のパワースポット[ 住吉大社四天王寺|交野の磐船神社・天孫降臨の地 ]

「竜王水」(下小波田) パワースポット

勝手神社(かってじんじゃ)

もとは金毘羅神社であり、「黒田の金毘羅さん」。 三重県名張市黒田

湧き水がこんこんと湧き出ている「竜王水」(下小波田)。地下水の温度は年間を通じて15度らしく、しかもその場所もまさに秘境というべき奥地。これぞ地元の人しか知り得ない、新鮮な湧き水スポットですよね。3本の河川が通る名張でも湧き水はここにしかありません。
国道165号線からすぐ。 江戸時代。 パワースポット。

■名張には勝手神社が二社ありますが、その中の一社、黒田にある勝手神社です。 現在の勝手神社の社地には、もともと金比羅神社(コンピラサン)がありました。参道入り口近くにある石碑には、最上部に「金比羅神社」と右から左に横書きされております。 
境内石碑によれば、祭神は、  注)■は該当漢字がないもの
大物主神【おおものぬしのかみ】 / 天忍穂根命【あめのおしほねのみこと】 / 大日■貴命【おおひるめむちのみこと】 / (■:「雨」冠+「口口口」+「女」) / 五男三女神【ごなんさんにょのかみ】 / 健速須佐之男命【たけはやすさのおのみこと】 / 伊邪那岐神【いざなぎのみこと】 / 伊邪那美神【いざなみのみこと】 / 蛭子命【ひるこのみこと】 / 月夜見命【つきよみのみこと】 / 頼政之霊【よりまさのみたま】 / 大山祇神【おおやまつみのかみ】 / 菊理比賣命【くくりひめのみこと】 / 應神天皇【おおじんてんのう】 / 火之迦具土神【ほのかぐつちのかみ】 / 天押雲神【あめのおしくものかみ】 / 奥津日古神【おきつひこのかみ】 / 宇迦能御魂神【うかのみたまのかみ】 / 豊日■神【とよひめのかみ】 / (■:「雨」冠+「口口口」+「女」) / 水波能賣命【みずはのめのみこと】

「竜王水」(下小波田)名張

勝手神社の入口

勝手神社の拝殿と鳥居

勝手神社の拝殿

県指定文化財の石灯籠


(鎌倉時代)

勝手神社の本殿

勝手神社の境内からの
名張の街並みや景色

勝手神社 石燈籠:
県有形文化財(工芸)指定
総高約一七0.五cmの六角型石燈籠で、この燈籠は、銘はないが、南北朝時代の作と推定される。
勝手神社は、一二00年前に東大寺黒田荘無動寺の僧、実誉上人が吉野より勧請し、同寺の鎮守としたの始まると伝える。

藤原千方の関連
   赤岩尾神社
(あかいわおじんじゃ、
   名張市滝之原)

 パワースポット

赤岩尾神社の本殿(?)
岩が御神体

藤原千方城跡→赤岩尾神社に向かう時に、眼下のひなち湖

赤岩尾神社の入口の磐に絡む大木と右側の岩には磨崖仏

■赤岩尾神社は、三重県名張市滝之原。滝之原の集落から南へ4km離れた山間部、切り立った山腹斜面上に赤岩尾神社が鎮座します。大谷奥山の山麓に鎮座する赤岩尾神社は、岩そのものがご神体である。米俵を積み上げたような岩は、お俵石といわれているが、自然のなす技とはいえ、実に神秘的である。また、お俵石と屏風岩の下を通りさらに進むと、風穴がある。冷風が吹き出し生命の息吹をじかに感じることができる。
この風穴は藤原千方の城跡の風穴と繋がっていると言われています。 詳細は 天正の乱以前

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■斎宮(さいぐう、さいくうまたはいつきのみや、いわいのみや)は古代から南北朝時代にかけて、伊勢神宮に奉仕した斎王の御所。平安時代以降は賀茂神社の斎王(斎院)と区別するため、斎王のことも指すようになった。伊勢斎王、伊勢斎宮とも称する。『日本書紀』崇神紀によれば、崇神天皇が皇女豊鍬入姫命に命じて宮中に祭られていた天照大神を倭の笠縫邑に祭らせたとあり、これが斎王(斎宮)の始まりとされる。そして次の垂仁天皇の時代、豊鍬入姫の姪にあたる皇女倭姫命が各地を巡行した後に伊勢国に辿りつき、そこに天照大神を祭った。この時のことを『日本書紀』垂仁紀は「斎宮(いはいのみや)を五十鈴の川上に興(た)つ。是を磯宮(いそのみや)と謂ふ」と記しており、これが斎王の忌みこもる宮、即ち後の斎宮御所の原型であったと推測される。また垂仁紀は「天皇、倭姫命を以って御杖(みつえ)として、天照大神に貢奉(たてまつ)りたまふ」とも述べており、以後斎王は天照大神の「御杖代(みつえしろ、神の意を受ける依代)」として、長く伊勢神宮に奉仕することとなった。未婚の内親王または女王の中から候補者を選び出し、亀卜(亀の甲を火で焙りひびで判断する卜占)により吉凶を占って新たな斎宮を定める。神に仕える斎宮は穢れを避けまた仏教も禁忌とするため、それらに関連する言葉も禁じられた。

名張・昨今(三重県西部)のご紹介 (イメージ 〜 文化 と パワースポット)

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