日本の写真・風景|三重県名張(隠、なばり)市の昨今(トップページ) |
三重県名張市
店長が住んでいます第二の故郷の三重県・名張市(隠(なばり)は名張の旧称)をご紹介します。
上野盆地は三重県西部に位置する盆地。伊賀市、名張市が大部分を占めている。伊賀盆地ともいう。 およそ400万年前は古琵琶湖の底だった。 古琵琶湖層群と呼ばれる三重県から滋賀県にかけて分布する地層における各累層の泥・砂・礫の構成比率の違いにより示されている。 400万年前は古琵琶湖の底だったため、古琵琶湖層という土壌を有する。湖底の泥が元となった粘土質であり、稲作が難しい土壌であったため、中世に住民が忍者と呼ばれる傭兵業に従事することになった。
町の中には3本の川が流れ、街中で鮎釣ができます。また上流には観光名所の赤目四十八滝がありサンショウウオが生息し水の綺麗な風光明媚な所です。万葉の昔から宿駅として開け、壬申の乱に際して大海人皇子が東国へ逃れる際にも当地を経由した。墾田永年私財法の施行以降、東大寺の荘園として人口の増加が始まり集落として発達しはじめた。その事から今でも東大寺二月堂のお水取りで使われる薪を当地から納めています。 また伊賀地方はご他聞に漏れず、伊賀忍者の里で、忍者にまつわるものも多い所です。 実際は伊賀地域に広く忍者の生活・活動した跡が見られ、その中でも支配的地位にあった上級の忍者(上忍三家:服部・百地・藤林)は名張に拠点を置いていた。 伊賀忍者でなく名張忍者が正しいようです。 その後、忍者による陰謀が発端となり織田信長親子による伊賀忍者殲滅作戦、天正伊賀の乱が二度にわたって展開され、名張の地は事実上焦土と化した.。 昔は隠と書いてナバリと読んでいたようで、忍者の里に相応しいですね。 観阿弥創座之地です。 名張を伊賀地域に拡大すれば、徒然草の吉田兼好の終焉の地や平安時代の藤原千方の伝説、俳句の芭蕉の生誕地もあります。
関西と東海の中間点であることから、関西系(オークワ・万代・イオン)、東海系(マックスバリュ東海、ユニー【アピタ】、ビバホーム)がそれぞれ出店。日清食品のどん兵衛きつねうどん・天ぷらそばの東日本仕様と西日本仕様が同じ市内で買える。同様に、関西限定品と東海限定品が同時に購入可能なことも多い。
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名張のNews
三重県名張市に関するニュース (多数日々更新中)
2021年8月25日 2021年の国体の中止決定。三重とこわか国体、三重とこわか大会ともに中止
日本スポーツ協会、日本障がい者スポーツ協会、文部科学省 スポーツ庁、三重県は8月25日、4者協議を行ない、第76回国民体育大会「三重とこわか国体」、第21回全国障害者スポーツ大会「三重とこわか大会」の中止を決定した。無観客での開催を一時決定したが、新型コロナウイルス感染症の急激な拡大を受けて、三重県知事が中止を申し入れ。8月25日に行なわれた主催4者協議で中止が正式に決まった。2021年8月6日 三重とこわか国体(弓道競技及びホッケー競技)の無観客開催について
○弓道競技 (大会期間)令和3年9月26日(日曜日)~9月29日(水曜日)
(会場)名張中央公園特設近的弓道場 名張中央公園特設遠的弓道場
○ホッケー競技 (大会期間)令和3年9月30日(木曜日)~10月4日(月曜日)
(会場)メイハンフィールド(名張市民陸上競技場) はなの里スタジアム(名張市民ホッケー場)2020.11.20 国の文化審議会は11月20日、名張市本町の「旧喜多藤」など7件を含む全国104件を新たな登録有形文化財(建造物)にするように文部科学大臣に答申した。 国登録有形文化財は、消滅の危機にさらされている文化財建造物を後世に残していくための制度。 今回、対象になったのは旧喜多藤の別館、大広間棟、翠明荘、皐月寮、艶秀亭、便所棟、表門の計7件。 初瀬街道に面した本町通りに位置する喜多藤は、屋号「北出屋」として明治時代以前から旅館を経営していた。 後に「喜多藤」と改名し、1981年に廃業するまでは、名張川沿いに建つ料亭旅館として隆盛を誇ったという。 別館は切妻屋根の木造2階建てで、建築面積は、209平方メートル。大広間棟は入母屋屋根の木造2階建てで、44畳の大広間があり、結婚式の披露宴会場などに利用されていたという。 翠明荘、皐月寮、艶秀亭、便所棟は木造平屋建て。翠明荘と艶秀亭には客室が、皐月寮は4畳の茶室が設けられている。 調査を担当した市文化財調査会委員の岩見勝由さんは「名張の町で、これほど大きくて栄えた旅館は現存していない。保存状態も良く、当時の姿が残っている」と評価した。 「旧喜多藤」は、昭和56年に廃業した料亭旅館で、名張川沿いの歴史的景観を形成し、料亭旅館の繁栄を現在に伝えています。 このうち「大広間棟」は、昭和11年に建てられた2階建ての木造建築で、44畳ある大広間は結婚式の披露宴会場としても使われ、地域の人たちに親しまれてきたということです。
2009.06.10 絶滅が心配されているギフチョウを守ろうと、市教委は八幡と夏秋地区の一部に生息する種を市文化財の天然記念物に指定した。市内の保護運動団体「伊賀ふるさとギフチョウネットワーク」の呼びかけなどに応えたもの。 同地区でのギフチョウの採集を禁止し、採集した場合は5万円以下の罰金または科料を科す。ギフチョウは、日本固有のアゲハチョウの仲間で、 環境省のレッドデータブックで絶滅危ぐ種II類に分類。伊賀地域は今回の指定地と伊賀市の予野・菖蒲池地区だけという。市内の天然記念物は県指定の1件を含めて6件目。 提供:月刊地球環境(日本工業新聞新社)
名張の大和屋店舗が国登録有形文化財に(2009.06)
国の文化審議会が19日、文部科学相に答申した国登録有形文化財(建造物)に、県内からは亀山市白木町の市立白川小学校校舎南棟と同北棟、名張市本町の大和屋店舗が選ばれた。これで県内の登録有形文化財(建造物)は76件となる。
名張市本町の老舗和菓子店[大和屋店舗]は、旧市街地を通る初瀬街道沿いにある江戸時代末期の建物。2階部分を低くした木造2階建てで、上部は白漆喰で仕上げ、屋根の上に採光と煙出しのための小さな屋根を載せるなど、老舗らしいたたずまいをみせている。 栗羊羹が有名で祭事には行列のできるお店です。
住所:三重県名張市本町55 問い合わせ先:0595-63-2573名張・毒ぶどう酒事件:三重県の山間部を名張川がのどかに流れている。 昭和36年3月28日、三重県・名張市葛尾の村落で生活改善を目的としたサークル「三奈の会」の総会があり、公民館に男女32人が集まった。 午後8時過ぎ、総会を終えて懇親会に移った。 男達は清酒、女達はぶどう酒を各々注ぐと和やかに祝杯を挙げた。 その直後、女達が苦しみだした。 緊急連絡で駆けつけた医者の介抱もむなしく5人が死亡、12人が中毒症状を起こした。現場に急行した警察は、早速捜査を開始する。まず、男達が飲んだ清酒では中毒症状が無いことから、女達が飲んだ「ぶどう酒」に原因があるとして調べる。 その結果、ぶどう酒に「農薬(ニッカリンT)」が混入されていることが判明した。そこで、警察はぶどう酒の購入・搬入に誰が関与したのかを調べる。 すると、3人の男性が重要参考人として捜査線上に浮かんできた。 取調べで3人は犯行を否認するが、その内の一人、奥西勝(当時35歳)は、死亡した5人の女性の中に妻と愛人がいたため「三角関係の清算」のための犯行ではないかと嫌疑をかけられた。 4月2日、警察の厳しい取り調べで(警察は、奥西の家に泊まり込みで取り調べを続けた)、奥西は「公民館でひとりきりになった時に自宅から持参した農薬(ニッカリンT)を、ぶどう酒の王冠を口で開けて混入した」と犯行を自供する。 その後の公判で奥西は、自供は厳しい取り調べで強要されたものであり、犯行はしていないと全面否認する。 1972年6月に最高裁で死刑が確定した。 2004年12月1日、「判決の認定とは違う農薬が犯行に使われた可能性がある」とする鑑定書を、新証拠として名古屋高裁に提出した。 2005年4月、再審が決定しました。
名張の名前由来と街並み
■名張の名が歴史上で色々な漢字で表現されています。
『古事記』では、安寧天皇(日本の第3代天皇)の条「伊賀須知之稲置、那婆理之稲置、三野之稲置之祖」。 ナバリという地名の文献上の初見。 須知は、現在の名張市矢川付近、三野は、現在の名張市美旗付近。 那婆理は、箕曲中村、瀬古口を中心とする地域、古名張と呼ぶ。
古事記は日本最古の歴史書、8世紀初め編纂。 『日本書紀』では、孝徳天皇の条「およそ機内は名墾横河より以来」 646年。 名墾横河は名張川。 天武天皇の条「夜半に及びて隠の郷に到り、隠の駅を焚き」 672年。 『万葉集』では、「隠の山」。
近鉄名張駅西口のロータリにある桜の老木/名張駅東口にある江戸川乱歩の銅像 |
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怪奇小説で有名な作家・江戸川乱歩(三重県名賀郡名張町(現・名張市)に名賀郡役所書記の平井繁男・きくの長男として生まれる)が生まれた町でもあります。
以前は人口増加率で全国一位になった事もある大阪のベッドタウン(住民は昼間人口が極端に少ない典型的な町)で、 毒ブドウ酒事件とぶどう狩りでも全国的に有名な地域です。 名張は花火大会が非常に多いところで、初夏から毎週のようにどこかで行われています。
所が驚いた事に昨年12月末の師走にも花火大会があったようで、写真にある方向で大きな花火が見えました。 一体全体どうなっているのだろうかと思います。2月は八日えびす、4月名張の駅前や運動公園は桜が満開です。
5月になればもうすぐぶどう狩りです。7月からは各所で花火大会・盆踊り大会。名張から2006年の芥川賞作家が出ました。 伊賀出身の松尾芭蕉の「奥の細道」の切手も収録しています。 2006年春にFMなばり(83.5MHz)が開局し、 伊賀地区初のコミュニティFMが誕生しました。 尚作成に当たっては、名張市役所及び名張観光協会のHPを一部参考・引用させていただきました。
江戸川乱歩の二銭銅貨 |
どこにでもあるが懐かしい路地。(旧市街) |
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※名張市の旧町で江戸川乱歩の二銭銅貨のせんべいを販売してるお店(山本松寿堂 三重県名張市中町372-1)。 |
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旧市街地の老舗の酒屋(右)と軒先の杉玉の吊るし物 |
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名張市の旧市街地 |
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「虫籠窓」と「煙出し」 名張 大和屋店舗 国登録有形文化財 |
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※「虫籠窓」(むしこまど)は主に漆喰の塗屋造りと呼ばれる町家建築の二階部分に、縦に格子状に開口部を設けた固定窓のことを指します。多くは漆喰を塗り回され、窓といっても開け閉めできるものではなくささやかな明り取りや通風を目的としたものであろうと言われています。 |
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■『二銭銅貨』は江戸川乱歩による短編推理小説で,1922年に執筆され、1923年、雑誌『新青年』(大正12年4月号)に掲載された。この作品で乱歩は評判になり、作家として生計をたてていけるようになった。後の活躍の出発点ともいえる重要な作品。日本最初の本格探偵小説ともいわれています。少年探偵団シリーズの1つに、同名の『二銭銅貨』で若年層向けにリライトした作品がある。探偵役も無名時代の明智小五郎ということになっています。 |
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名張市の猫達(旧町で) |
※カントリー・エレベーターは米の収穫時期に、農家の人々が稲刈りをした「もみ」を、カントリーエレベーターへ持ってきて、それを乾燥・調製しサイロに保管します。お米が必要な時に、もみ摺りをしてお米を出荷する施設のことを言います。 |
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子供たちの間で有名な伊賀南部農協/カントリー・エレベーターです。 |
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名張では雪もふります。 茶臼山 麓の集落は黒田庄と呼ばれる |
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■黒田荘(くろだのしょう)とは、伊賀国名張郡(今の三重県名張市)にあった東大寺領の荘園である。母体は天平勝宝7年(755年)に孝謙天皇より東大寺に寄進された杣である板蠅杣(いたばえのそま)である。その後、杣工の食糧確保を名目に四至(しいし)を名張川から笠間川にかけての一帯に範囲を拡張し、長元7年(1034年)には四至が国司によって確認され、4年後の長暦2年(1038年)に杣内の見作田6町180歩の領有が公認された。また、住人と杣工に対する臨時雑役免除が認められ、これによって荘園への転換が図られた。その後、長久4年(1043年)頃に「黒田荘」と称するようになった。 |
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「はなびし庵」 店内の様子 古い書籍や印籠 |
書院造りの座敷 |
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「はなびし庵」は、名張の古町に静かに佇んでいる大きな石の鳥居(通称一の鳥居)のすぐそば、すみた酒店の中にあります。「伊賀まちかど博物館」として、店の一角や築170年の座敷と庭を開放し、幕末の町家の雰囲気を味わっていただいています。 |
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江戸後期に初代大西庄八が造り酒屋「ほてい屋」を譲り受け、屋号を以前材木商であった「木屋正」 と改め継承した。当時の風情を残した店舗兼主屋は登録有形文化財に指定されています。「而今(じこん)」 |
登録有形文化財 「喜多藤」入口 名張川沿いに建つ料亭旅館として隆盛を誇った |
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伊賀まちかど博物館 フォトミュージアム 写真の川地 |
旧細川邸(やなせ宿) |
鍛冶町 小林医院跡 |
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■伊賀まちかど博物館 フォトミュージアム 写真の川地:三重県下で現存する最古の写真館であり、全国でも数少ない写真館のひとつ。 創業は明治10年。館長は5代目を継ぎ、コンピュータによる先端技術に取り組んでいます。 明治期の名張の風景や人物、写真創成期のガラス写真、ヨーロッパから輸入されたカメラなどを見ることができます。 |
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岡村家住宅主屋 |
岩祭り 弁天岩 由緒書 |
栗羊かん博物館 大和屋 |
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独特の手法で作りつづけて150年の和菓子の老舗。建物自体も江戸時代に建築され、170年を数えたもの。登録有形文化財に指定されています。 |
名張市の友好都市は、東京都・豊島区、中国・蘇州市で色々交流もあります。親善都市,は、イギリス・シェークスピアの故郷・ストラトフォード=アポン=エイヴォン、 南アフリカ・ドラッケンステイン、中国の蘇州市です。
以上です。 是非とも皆さんに、余り有名なものはありませんが、温泉旅館(赤目四十八滝周辺に多い、赤目温泉)や多少の旧跡(宇流富志弥神社 ほか)がある名張を訪れてほしいと思います。
また、伊賀地区(伊賀市、名張市)で平成12年3月に開館した「伊賀まちかど博物館」は、貴重なコレクションのほか、伊賀焼などの手仕事、この地域ならではの歴史や技術を見ることができます。
作成にあったては、Wikipediaや当地HP・パンフレット等を参考にしています。
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