名張(隠、なばり)の昨今(三重県西部)のご紹介(トップページ)
店長が住んでいます第二の故郷の三重県・名張市(隠(なばり)は名張の旧称)をご紹介します。町の中には3本の川が流れ、街中で鮎釣ができます。また上流には観光名所の赤目四十八滝がありサンショウウオが生息し水の綺麗な風光明媚な所です。万葉の昔から宿駅として開け、壬申の乱に際して大海人皇子が東国へ逃れる際にも当地を経由した。墾田永年私財法の施行以降、東大寺の荘園として人口の増加が始まり集落として発達しはじめた。その事から今でも東大寺二月堂のお水取りで使われる薪を当地から納めています。 また伊賀地方はご他聞に漏れず、伊賀忍者の里で、忍者にまつわるものも多い所です。 実際は伊賀地域に広く忍者の生活・活動した跡が見られ、その中でも支配的地位にあった上級の忍者(上忍三家:服部・百地・藤林)は名張に拠点を置いていた。 伊賀忍者でなく名張忍者が正しいようです。 その後、忍者による陰謀が発端となり織田信長親子による伊賀忍者殲滅作戦、天正伊賀の乱が二度にわたって展開され、名張の地は事実上焦土と化した.。 昔は隠と書いてナバリと読んでいたようで、忍者の里に相応しいですね。 観阿弥創座之地です。 名張を伊賀地域とすれば、徒然草の吉田兼好の終焉の地や平安時代の藤原千方の伝説、俳句の芭蕉の生誕地もあります。 東大和(宇陀市・曽爾村・御杖村)、西三重(名張市・伊賀市・津市)も平城遷都1300年を応援しています。
☆名張と伊賀のニュース
怪奇小説で有名な作家・江戸川乱歩(三重県名賀郡名張町(現・名張市)に名賀郡役所書記の平井繁男・きくの長男として生まれる)が生まれた町でもあります。
以前は人口増加率で全国一位になった事もある大阪のベッドタウン(住民は昼間人口が極端に少ない典型的な町)で、 毒ブドウ酒事件とぶどう狩りでも全国的に有名な地域です。名張は花火大会が非常に多いところで、初夏から毎週のようにどこかで行われています。
所が驚いた事に昨年12月末の師走にも花火大会があったようで、写真にある方向で大きな花火が見えました。 一体全体どうなっているのだろうかと思います。2月は八日えびす、4月名張の駅前や運動公園は桜が満開です。
5月になればもうすぐぶどう狩りです。7月からは各所で花火大会・盆踊り大会。名張から2006年の芥川賞作家が出ました。 伊賀出身の松尾芭蕉の「奥の細道」の切手も収録しています。2006年春にFMなばり(83.5MHz)が開局し、 伊賀地区初のコミュニティFMが誕生しました。 尚作成に当たっては、名張市役所及び名張観光協会のHPを一部参考・引用させていただきました。
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名張市の旧市街地




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江戸川乱歩の二銭銅貨
のせんべいを販売。

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どこにでもあるが懐かしい路地。(旧市街)

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旧市街地の老舗の酒屋(右)
と軒先の杉の吊るし物


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「虫籠窓」と「煙出し」

名張 大和屋店舗 国登録有形文化財
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名張の大和屋店舗が国登録有形文化財に(2009.06)
国の文化審議会が19日、文部科学相に答申した国登録有形文化財(建造物)に、県内からは亀山市白木町の市立白川小学校校舎南棟と同北棟、名張市本町の大和屋店舗が選ばれた。これで県内の登録有形文化財(建造物)は76件となる。
名張市本町の老舗和菓子店[大和屋店舗]は、旧市街地を通る初瀬街道沿いにある江戸時代末期の建物。2階部分を低くした木造2階建てで、上部は白漆喰で仕上げ、屋根の上に採光と煙出しのための小さな屋根を載せるなど、老舗らしいたたずまいをみせている。 栗羊羹が有名で祭事には行列のできるお店です。
住所:三重県名張市本町55 問い合わせ先:0595-63-2573
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「虫籠窓」(むしこまど)は主に漆喰の塗屋造りと呼ばれる町家建築の二階部分に、縦に格子状に開口部を設けた固定窓のことを指します。多くは漆喰を塗り回され、窓といっても開け閉めできるものではなくささやかな明り取りや通風を目的としたものであろうと言われています。
「煙出し」は、商家の屋根には竈 (かまど)の煙を出すため越し屋根、煙突(煙だし小屋根)が設けられています。春日大社でも賄い所で見た事があります。よく考えられています。
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リンク)exciteのキーワード検索「江戸川乱歩」で上段の二銭銅貨せんべいが検索された画面に表示されています。名張市の旧町で江戸川乱歩の二銭銅貨のせんべいを販売してるお店(山本松寿堂 三重県名張市中町372-1)。
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■『二銭銅貨』は江戸川乱歩による短編推理小説で,1922年に執筆され、1923年、雑誌『新青年』(大正12年4月号)に掲載された。この作品で乱歩は評判になり、作家として生計をたてていけるようになった。後の活躍の出発点ともいえる重要な作品。日本最初の本格探偵小説ともいわれています。少年探偵団シリーズの1つに、同名の『二銭銅貨』で若年層向けにリライトした作品がある。探偵役も無名時代の明智小五郎ということになっています。
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名張と元伊勢に関して
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■元伊勢(もといせ)は、三重県伊勢市に鎮座する伊勢神宮内外両宮(皇大神宮(内宮)と豊受大神宮(外宮))が、現在地へ遷る以前に一時的にせよ祀られたという伝承を持つ神社・場所をいう。 伊勢内宮の祭神である天照大御神は皇祖神であるが、崇神天皇の時代までは天皇と「同床共殿」であったと伝えられ、つまり皇居内に祀られていたが、その状態を畏怖した同天皇が皇女である豊鋤入姫命にその神霊を託して倭国笠縫邑に移したのに始まり、更に理想的な鎮座地を求めて各地を転々とし、垂仁天皇の第4皇女倭姫命がこれを引き継いで、およそ90年をかけて現在地に遷座したと伝わっている。その経緯は『古事記』にはこれを欠くものの、『日本書紀』で簡略に、『皇太神宮儀式帳』にやや詳しく、そして中世の『倭姫命世記』においてより詳述されている。
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2011年5月4日 ゴールデウイーク真っ盛り 綺麗なツツジの花と近くの青連寺湖と名張川、香落渓方面を 空は黄砂で霞んでる
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■『倭姫命世記』に、「六十四年丁亥、伊賀國の隠(なばり)の市守宮(いちもりのみや)に遷幸(みゆき)なりまして、二年斎(いつ)き奉る」とある。倭姫命は六十四年、伊賀国の隠の市守宮に遷幸され、その地で二年の間大神を奉斎された。倭姫命が大和国から伊賀国に遷られたとする市守宮の記事は世記のみで、書紀にも儀式帳にも無い。世記の遷宮記事は史実の確証を欠くが、市守宮の所在を想定する郷土史家の資料等で、比定地を五ヵ所とした。私共がこの地を訪れたのは、涼風の立ち始めた秋であった。 以下、市守宮(『倭姫命世記』のみに記述。)
@ 蛭子神社(えびすじんじゃ、三重県名張市鍛治町)、A 田村大明神(現・小祠。美波多神社に合祀。三重県名張市新田・美波多神社(みはたじんじゃ))、B
名居神社(ないじんじゃ、三重県名張市下比奈知)、C 宇流冨志禰(うるふしね)神社(三重県名張市平尾)、D 三輪神社((現在箕輪神社に合祀)、跡地に小祠・稲荷神社に合祀。三重県名張市瀬古口丁ノ坪・稲荷神社) 、隠(なばり)は名張の旧称である。佐佐波多宮より隠までの名張街道は、かつて壬申の乱で皇位に就いた大海人皇子が往来した道でもある。
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名張市の猫達(旧町で)
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子供たちの間で有名な伊賀南部農協/カントリー・エレベーターです。(名張市上小波田、観阿弥の創座や記念碑の近く)
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カントリー・エレベーターは米の収穫時期に、農家の人々が稲刈りをした「もみ」を、カントリーエレベーターへ持ってきて、
それを乾燥・調製しサイロに保管します。お米が必要な時に、もみ摺りをしてお米を出荷する施設のことを言います。
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名張市の友好都市は、東京都・豊島区、中国・蘇州市で色々交流もあります。親善都市,は、イギリス・ストラットフォードアポンエイボン 南アフリカ・ドラッケンステインです。
以上です。 是非とも皆さんに、余り有名なものはありませんが、温泉旅館(赤目四十八滝周辺に多い、赤目温泉)や多少の旧跡(宇流富志弥神社 ほか)がある名張を訪れてほしいと思います。
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