日本の風景|津市・旧美杉村、北畠神社 伊勢本街道 |
西三重(津市・旧美杉村)の索引 [ 三多気の桜と大洞山|名松線の伊勢奥津駅|北畠神社と多気|霧山城跡(多気城)|川上山若宮八幡神社 ] 三重・津 防人の歌他 |−津城址と観音寺
津市・旧美杉村
旧美杉村(みすぎむら)は、三重県一志郡にあった村。西部の津市太郎生地区(旧太郎生村)は、他の地区と山地によって隔てられ、また河川の流域も他の地区では伊勢湾に注ぐ雲出川の流域であるのに対し、太郎生地区は淀川水系の名張川流域に属し、さらに名張市へ約15kmに位置するため、太郎生地区は生活圏・経済圏などで名張市との結びつきが強い。 津市は、古くは、安濃津として文献にも記される良港であったが、1498年の東海地震に伴う津波のため港は崩壊した。伊勢音頭の歌詞に「伊勢は津でもつ津は伊勢でもつ
尾張名古屋は城でもつ」と歌われています。 切手以外の写真はクリックで拡大。
伊勢本街道は、大阪から奈良・榛原(はいばら)を経由して伊勢に至る最短コース。伊勢本街道の原型は飛鳥から奈良にかけてできた。平安京遷都の後は初瀬街道が利用され、一時は廃れるが、南北朝時代、伊勢国司・北畠氏が美杉村多気(たげ)に館を構えると、その城下を通る本街道が再び重要視されるようになる。ルートは美杉村の奥津宿・多気宿から飯南郡、松阪市、多気郡を経て玉城町の田丸(たまる)に至り、櫃坂(ひつさか)峠や飼坂峠など山道が多く、旅人に恐れられた。難所を通るがゆえに時代を経ても古い町並みや道標なども残り、古えを偲ぶことができる。
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三多気の桜と大洞山
名松線の伊勢奥津駅
名松線(めいしょうせん)は、三重県松阪市の松阪駅から同県津市の伊勢奥津駅に至る東海旅客鉄道(JR東海)の鉄道路線(地方交通線)。雲出川の渓流沿いを走るローカル線である。名張と松阪を結ぶ計画であったことから、両都市の頭文字をとって名松線と名付けられた。 昔は終点であった伊勢奥津(津市・旧美杉村)に行ってきました。昔の駅舎は今は瀟洒な建物に。奥津の町並みの玄関先には暖簾が下がっている。伊勢本街道の標識に従う。
★初瀬街道(はせかいどう)は奈良県桜井市の初瀬と三重県松阪市の六軒を結ぶ街道。以前は参宮表街道とも呼ばれた。 現在の桜井市、宇陀市、名張市、伊賀市、津市、松阪市を通る。現在は国道165号が初瀬街道と呼ばれることがある。
北畠神社と多気(たき)
北畠神社(きたばたけじんじゃ,(別格官幣社))は、三重県津市美杉町多気にある神社。 国の史跡「多気北畠氏城館跡」に鎮座し、村上源氏北畠家の北畠顕能を祀る。建武中興十五社の一社です。赤い拝殿には、天狗面が飾られ、後方、中門の奥に、鮮やかな朱の本殿。 周囲の木々が邪魔で、全容を撮影することは難しいが、とにかく美しい。
■北畠 顕能は、建武2年(1335年)伊勢国一志郡に多気城を築城する。延元3年/建武5年(1338年)7月、後醍醐天皇の命により兄顕信が坂東諸国の軍事を都督するために鎮守府将軍となった際、伊勢国司(伊勢守ではない)に任ぜられる。伊勢・伊賀地方の南朝方勢力の確保に腐心するが、文和3年/正平9年(1354年)に父親房が死去すると、賀名生の行宮に出仕する。南朝の勢力が衰退していく中で、抗戦論の主張し続けた。
南朝において、貞治2年/正平18年(1363年)頃内大臣、応安5年/文中元年(1372年)右大臣、その後准三后となったとされる。
■北畠親房は学徳衆に優れ、天皇の親任厚く、常に側近にあったが動乱に際して自ら陣頭に指揮を執り、足利勢と対決した。大楠公以下諸忠臣相次いで戦没し、長子の陸奥守鎮守府将軍顕家も亦、延元3年5月弱冠21歳で阿倍野(大阪市)の露と消えた。 神皇正統記は親房が常陸国の戦陣において筆を執ったもので、国体の本義を明らかにして、南朝の正統を天下に宣言し、後世に大きな影響を与えた史書である。
■上多気常夜燈は、大和と伊勢を結ぶ伊勢本街道の常夜燈で、1865(元治2)年につくられた。常夜燈の向かい側に旅籠三鬼屋(三木屋)跡がある。
『多気の過去記』によれば、銭屋・米屋・油屋・車屋・大和屋・笠屋・足袋屋・角屋・戎屋・仕立屋・亀屋・大嶋屋・清水屋・鶴屋・鍛冶屋・吉野屋・飴屋・桶屋・万屋・三木屋・旅籠屋など(宿屋のみでなく)多数の種類の屋号があり、宿場町として相当発達していたことがわかる。
霧山城跡(多気城)
霧山城跡(多気城)は、1343(興国4)年に北畠顕能(あきよし)が築いた標高560mの山城跡。
1576(天正4)年、織田信長の軍勢によって落城、今は土塁の跡などが残る。
山並みが一望できる眺望の地。今回は軽装のため流石に登山はやめました。
霧山城跡(多気城)登山口 |
北畠神社からの |
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■北畠 顕能(きたばたけ あきよし、生年不詳 - 永徳3年/弘和3年(1383年)7月)は、南北朝時代の公家、武将。大納言・北畠親房の三男、伊勢北畠家初代。 |
川上山若宮八幡神社
■川上山若宮八幡神社(三重県津市美杉村川上3498)の創建の年代は明らかではありませんが、社伝によれば、この地方は昔、わが国最初の東海道に沿い、大和宮廷から(伊勢)神宮への勅使往来の通路でした。 更に家城から奥の地は岩野郷と称して、磐之媛皇后の御領地で、仁徳天皇はこの郷の開拓に努められました。 そこで履中天皇の御代(西暦五世紀初)郷民が、仁徳天皇及び磐之媛皇后の御遺徳をお慕い申し上げる余り、伊勢平野を見下ろす修験業山の麓この川上の清地を選んで御社を設け、お二方の御魂を祀ったのが日本最古の当若宮八幡宮であると伝えられています。 「川上山」「若宮様」「川上八幡様」「若宮八幡様」と愛称され、全国の多数の人々より信仰されています。 伊勢、伊賀、大和の国境に近く、村里をへだたること半里、山岳美と渓谷美を兼ね備えた雲出川水源の霊地です。川上山若宮八幡神社は、凄く強烈なパワースポットです。
津市・旧美杉村、北畠神社 伊勢本街道 |