パワースポット 伊勢神宮|お蔭参り(おかげまいり)と伊勢参宮街道 |
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お伊勢参り(おかげまいり)
死人が生き返ったなど、他の巡礼にも付き物の説話は数多くあるが、巡礼を拒んだ真宗教徒が神罰を受ける話がまま見られる。 一番多いのは、おふだふりである。 村の家々に神宮大麻(お札)が天から降ってきたと言う。 これは伊勢信仰を民衆に布教した御師がばら撒いたものだともいわれる。 御師が産業の大神である豊受大御神(外宮)を、農民に広めたのがお蔭参りのきっかけである。
江戸時代、庶民の移動、特に農民の移動には厳しい制限があったが、伊勢神宮参詣に関してはほとんどが許される風潮であった。 特に商家の間では、伊勢神宮に祭られている天照大神は商売繁盛の守り神でもあったから、子供や奉公人が伊勢神宮参詣の旅をしたいと言い出した場合には、親や主人はこれを止めてはならないとされていた。 また、たとえ親や主人に無断でこっそり旅に出ても、伊勢神宮参詣をしてきた証拠の品物(お守りやお札など)を持ち帰れば、おとがめは受けないことになっていたという。
また、庶民の移動には厳しい制限があったといっても、伊勢神宮参詣の名目で通行手形さえ発行してもらえば、実質的にはどの道を通ってどこへ旅をしてもあまり問題はなく、参詣をすませた後には京や大坂などの見物を楽しむ者も多かった。 このような風潮から、伊勢神宮参詣は多くの庶民にとって一生に一度とも言える大きな夢であった。 切手以外の写真はクリックで拡大。
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伊勢参宮街道(いせさんぐうかいどう)
■伊勢参宮街道(いせさんぐうかいどう)は、日本の各方面から伊勢神宮への参拝道として整備された街道の事です。伊勢街道 伊勢本街道 参宮街道と呼ばれ、以下の3街道があった。
@伊勢街道: 日永の追分(東海道五十三次の四日市宿と石薬師宿の間の宿)から東海道と別れ、伊勢にいたる街道。 国道23号: (区間:四日市市-松阪市-伊勢市)
A伊勢本街道: 大坂から各方面を経由し、奥津経由で最終的に伊勢にいたる街道。
国道166号: (区間:羽曳野市-橿原市-松阪市) 国道368号: (区間:御杖村-松阪市)
B参宮街道: 奈良県桜井で初瀬街道と分かれ、大宇陀経由で伊勢にいたる街道。
国道369号: (区間:奈良市-宇陀市-松阪市 (一部国道368号と重複))
この本街道には支道があり、以下の通りです。
伊勢別街道 |
関宿東の追分で東海道と分岐、椋本宿(津市)を経由し、江戸橋で伊勢街道に合流する。窪田宿には高田本山専修寺(浄土真宗)の寺内町である一身田がある。江戸時代には、「いせみち」「参宮道」「山田道」などと呼ばれていました。 |
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初瀬街道 |
奈良県桜井で参宮街道、榛原で伊勢本街道と分かれ、あお越え(青山高原)を経由し、六軒で伊勢街道に合流する。1953年(昭和28年)に大部分が国道165号として整備された。
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和歌山街道 |
和歌山から奈良県吉野を経由、参宮街道と合流 分岐し、三重県松阪に至る街道。南紀や伊勢志摩方面の海産物等を大和地方に運ぶ交易路。 |
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竹内街道 |
飛鳥時代からの古道。 江戸時代以降は伊勢本街道の一部として機能した。(区間:堺市-羽曳野市-葛城市) |
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横大路 |
飛鳥時代からの古道。 元は竹内街道 長尾街道交点付近と藤原京を結ぶ古道であったが、江戸時代以降は伊勢本街道の一部として機能した。 |
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暗越奈良街道 |
奈良時代からの古道。 江戸時代以降は、伊勢本街道の一部として機能した。(区間:大阪市-生駒市-奈良市) |
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上街道 |
飛鳥時代からの古道で、古くは上ツ道とも呼ばれた。奈良から天理市を経て桜井市で初瀬街道と合流する。 |
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清滝街道 |
行基道とも呼ばれ、守口宿から清滝峠を越えて東へ進む街道。 木津町で奈良街道と合流 木津川を越えて山城町に至り、伊賀街道に接続する。 |
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伊賀街道 |
伊賀越奈良道とも呼ばれ、奈良から大和街道を通り、伊賀国を経て津に至る街道。 上野の赤坂で大和街道と分岐、大山田から長野峠を越え前田宿(片田宿)を経由、津の塔世橋南詰で伊勢街道に合流。1608年(慶長13年)津城に藤堂高虎が伊勢
伊賀両国22万石の大名として入城してから藩内の重要路として整備が進んだ。現在大部分が国道163号となっている。 |
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奈良街道 |
五百野(津市美里町)で伊賀街道と分岐、久居城下を経て雲出川を渡り、月本追分(松阪市中林町)で伊勢街道と合流。こちらにも伊賀越奈良道の別名がある。 |
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伊勢路 |
伊勢神宮から、熊野三山(熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社)へ通じる参詣道。 |
伊勢神宮(内宮、外宮)
■伊勢神宮(いせじんぐう)は三重県伊勢市にある神社。 神社本庁の本宗(ほんそう)とされ、正式名称は神宮。 ほかの神宮と区別する場合には伊勢の神宮と呼ぶ。神道の神社では別格とされ、格付けはされない。 内宮(皇大神宮):天照大神 ご神体:八咫鏡(三種の神器の一つ) /相殿神:天手力男神、万幡豊秋津姫命 ,外宮(豊受大神宮):豊受大神/ 相殿神:御伴神3座。
伊勢神宮の起源は、『日本書紀』によれば、垂仁天皇25年3月の条に、「倭姫命、菟田(うだ)の篠幡(ささはた)に祀り、更に還りて近江国に入りて、東の美濃を廻りて、伊勢国に至る。」とある。垂仁天皇の皇女
倭姫命が天照大御神を鎮座する地を求め旅をしたと記されている。想像を豊かにすれば、倭国から丹波国、倭国、紀乃国、吉備国、倭国、大和国、伊賀国、淡海国、美濃国、尾張国、伊勢国の順に移動し、伊勢国内を移動した後、現在の五十鈴川の畔に斎宮(いつきのみや)五十鈴宮という名で鎮座したということになろう。内宮起源説話である。この話は崇神天皇6年の条から続いており、『古事記』には崇神記
垂仁記の分注に伊勢大神の宮を祀ったとのみ記されている。(Wikipedia)。
■神宮式年遷宮(じんぐうしきねんせんぐう)は、神宮(伊勢神宮)において行われる式年遷宮(定期的に行われる遷宮)のこと。神宮式年遷宮は、神宮(伊勢神宮)において行われる式年遷宮(定期的に行われる遷宮)である。神宮では、原則として20年ごとに、内宮(皇大神宮) 外宮(豊受大神宮)の二つの正宮の正殿、14の別宮の全ての社殿を造り替えて神座を遷す。このとき、宝殿外幣殿、鳥居、御垣、御饌殿など計65棟の殿舎のほか、装束 神宝、宇治橋なども造り替えられる。
■内宮正宮参拝後に荒祭宮に参拝するのが正しいとされ、正宮石垣の角の籾種石(もみだねいし)を右手に見ながら右へ進み、稲を納める御稲御倉(みしねのみくら)、古い神宝を納める外幣殿(げへいでん)を左手に見ながら進んだ先の石段を一度降り、次の石段を上った先に荒祭宮がある。
★御稲御倉(みしねのみくら、ごとうのみくら)は、伊勢神宮皇大神宮(内宮)の所管社。御稲御倉神(みしねのみくらのかみ)とも称する。内宮の宮域内、荒祭宮に向かう道の途中に鎮座する。 小さいながら、内宮と同じ唯一神明造の神社である。 祭神は御稲御倉神(みしねのみくらのかみ)。 御稲御倉の守護神である。 神宮式年遷宮に伴って社殿が建て替えられる際には、御稲御倉神は一時的に外幣殿に遷座する。
■荒祭宮の社殿は内宮に準じ内削ぎの千木と、6本で偶数の鰹木を持つ萱葺の神明造で南面している。遷宮のための古殿地(新御敷地)は、東西に隣接している。幅6.42m(行2丈1尺2寸)、奥行4.24m(妻1丈4尺)、高さ4.48m(1丈4尺8寸)と、他の別宮よりも大きく定められている。
■荒魂は神の荒々しい側面、荒ぶる魂である。天変地異を引き起こし、病を流行らせ、人の心を荒廃させて争いへ駆り立てる神の働きである。
■日本書記の菟田の筱幡(ささはた):篠畑神社。 宇陀市榛原山辺三2235 天照皇大神、市杵島姫命をお祀りしている。 国史現在社とし明治6年4月村社に昭和10年県社に列せられる。
創立 垂仁天皇25年春3月倭姫命、鎮座の処を求め、菟田の篠畑に至るとあり、 他 類聚国史3倭姫世記、日本書記通證10、日本紀標註巻7、造伊勢二所大神宮宝基本紀、大和誌(篠畑神祠)倭漢三才図会、神器考證等古文書に篠畑の記載あり、
往古は栄えしも明治24年頃氏子27にて氏神となす。 秋の例祭に倭姫命に供奉せる童女に因み、稚児7人の奉仕あり、鱠(えそ)を供える事から「鱠祭り」とも言う。
初期の伊勢神宮起源伝説のなかで「菟田の筱幡」(篠畑神社と考えられる)は、重要な位置にあったと考えられます。
おかげ横丁
■「おかげ参り」がおきた理由は三つです。まず一つ目は、伊勢神宮が皇祖神を祀る神社で、祭神が当時多くの庶民が携わっていた農業と深く結びつく「天照大御神(太陽神)」と「豊受大御神(衣食住
産業神)」であったこと。二つ目は、伊勢信仰を広めようと活動した「御師」とよばれる神主たちの影響。彼らは檀家を訪ね歩き、神宮について参宮費用を積み立てさせるなど、人々に伊勢参宮を勧めました。また、お払いから宿泊
観光案内まで広く請け負い、旅行代理店のような役割も果たしたといいます。そして三つ目は、街道沿いの住人等が無償で行った施し「施行」により、無銭でも無事に伊勢までたどり着けたこと。だそうです。
■「おかげ横丁」豚捨の牛丼は、牛丼、牛鍋を中心とした文明開化の頃を偲ばせる牛肉専門店で味は甘めでした。コロッケが美味しいお店。「おはらい横丁」は、宇治橋から約800m続く内宮の鳥居前町。伊勢独特の切り妻入りの建物が立ち並び、みやげものや食事処の店が軒を連ねる。町の一角に観光名所のおかげ横丁がある。
■赤福は一時期消費期限を過ぎたものを再利用で営業停止をしていましたが、今は写真の通りの繁盛。赤福本店は約三百年の歴史を持つ和菓子店で、伊勢と言えば赤福。
猿田彦神社(さるたひこじんじゃ)
■伊勢神宮内宮の近くにある猿田彦神社(さるたひこじんじゃ)。日本神話によれば、猿田彦神はニニギの天降りの先導を終えた後、伊勢の五十鈴川の川上に鎮まった。 倭姫命世記によれば、その子孫の大田命は天照大神を祀る地として倭姫命に五十鈴川川上の地を献上した。
佐瑠女神社の本殿は「さだひこ造り」と呼ばれる特殊な妻入造である。 欄干や鳥居には八角形の柱が使用されている。 5月5日の御田祭は、三重県の無形民俗文化財に指定されており、神饌として飛魚を献上する風習がある。
パワースポット 伊勢神宮|お蔭参り(おかげまいり)と伊勢参宮街道、おかげ横丁、猿田彦神社 |