名張市|名張地区 平尾 丸之内 他 |
はじめに 名張地区
名張市の名張とされている地は、名張川の東岸の簗瀬から平尾にかけてである。 簗瀬は名張川沿いの低地である。平尾は簗瀬の東の平尾山を頂きとするゆるやかな大地である。 簗瀬には延喜式内社の宇流富志禰社がある。平尾には弥生期の遺跡がある。 これらから見て、名張の地には古くからの集落があり、この集落名の名張が郷名及び郡名になったと思われる。 上古からこの名張は、大和と伊勢を結ぶ交通の要所であった。古代には駅(名張の駅家)が置かれた。 江戸期には名張藩が置かれて名張城が築かれ城下町も形成され、お伊勢参りの旅人で名張の宿は賑わった。
名張の地名は、郡婆里、奈波里、奈波利、名墾とも書いた。
『日本書紀』によると、一行はまず伊賀国に入り名張の駅家(うまや)を焼き兵を募りましたが、誰も来ませんでした。 大海人皇子は前途に不安を感じ、占うと「天下両分、皇位は我に」と出ました。 これで勢いをつけさらに伊賀郡に進み伊賀の駅家を焼き払い、その時、初めて阿拝(あえ)・伊賀郡司らが数百の兵を率いて一行に加わりました。
天正9年(1581)の伊賀の乱後、筒井定次が伊賀に入り、上野を本拠とすると、名張には松倉豊後守重政が任ぜられ、簗瀬村の現丸の内に城(陣屋)を構えた。これ以降、簗瀬村は城下町として発展する。
2020年現在は、コロナが蔓延している状況で、写真や情報は2020年以前のものです。
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平尾 宇流冨志禰神社
■宇流冨志禰神社(うるふしねじんじゃ) : 鎮座地 三重県名張市平尾三三一九番地
祭神 : 宇奈根命(うなねのみこと) 天照大神(あまてらすおおかみ) 武甕槌神(たけみかずちのかみ) 経津主神(ふつぬしのかみ) 天児屋根神(あめのこやねのかみ) 姫大神(ひめおおかみ)
宇流冨志禰神社は延喜式内国史現在社にて主祭神宇奈根命は神武建国の始め一国の瑞穂と氏神の安泰を祈願する為に祭祀される、天正伊賀の乱にて沿革誌等兵火に遭い消失するも古文書によれば貞観十五年八七三年宇奈根神從五位とあり後神位階昇進し永徳元年從一位に昇進(神園大暦に見ゆ)天武天皇三年圭田四十二束四ヶ所を以て祭祀するとあり文徳天皇仁寿元年官幣をうけ国司より幣帛を賜るとある鎌倉幕府開府により廃止となるまで歴代崇敬篤くその後松倉豊後守勝重公及び藤堂高吉公伊賀国に移封領主とし尊敬篤く神威高昴社勢整い明治十四年県社の社格を受け明治四十年附近村落の十四社を合祀し郷土の鎮守神として親しまれ信仰されて現在に至る。 境内社として輿玉松尾神社、稲荷神社、愛宕神社、八坂神社、三輪神社、八幡宮、市杵島姫神社、山ノ神、白玉明神、護国神社を併祀する。
平尾 徳蓮院
■徳蓮院 (三重県名張市) 名張藤堂氏の菩提寺 今から約700年前、名張の豪族堀江氏の菩提寺として建立。龍亀山「大連寺」と称し真言宗の寺であった。 今から約350年前、戦国武将の藤堂高吉が伊予の今治より名張に移った時、この寺を龍雄山「徳蓮院」と改め曹洞宗へ改宗された。 江戸時代、名張の礎を築いた名張藤堂氏の菩提寺が徳蓮院である。 名張藤堂氏の祖・藤堂高吉は、津藩主藤堂高虎の養子で、高虎の後継者であったが、高虎に実子が生れると、後継者としていた高吉を疎んじ、実子の高次を後継者とした。 2代目津藩主となった高次は、1636年高吉を名張へ左遷して遠ざけたが、高吉は名張の振興に努め、名張では名君として慕われた。 その高吉が赴任した1636年、従来あった大蓮寺を徳蓮院とし、名張藤堂氏の菩提寺にしている。
大正年間には「今はわずかに寺形を存するのみ」と名賀郡史に記されている通り、山門、庫裏を残すのみとなった。
宗派:曹洞宗、開基:藤堂高吉、開創:1636年、本尊:聖観世音菩薩 寺宝として普賢菩薩像、大権修利菩薩像、涅槃図などを有し、境内に白山社(白山祠)がある。
11代の高節の時に明治維新となり、子孫は現在も東京に在住する。歴代の墓所は、名張の徳蓮院にある。
境内には白山妙理大権現(秘仏)の祠がある、歯痛に霊験あらたかと言われ信者が多かった。
白山権現(はくさんごんげん)は白山の山岳信仰と修験道が融合した神仏習合の神であり、十一面観音菩薩を本地仏とする。白山大権現、白山妙理権現とも呼ばれた。
平尾 月照山・蓮光院・宝蔵寺
■月照山・蓮光院・宝蔵寺 本尊:無量寿仏、宗派:高野山真言宗
寺伝によれば、奈良興福寺文書に興福寺末と記載あり、奈良時代は法相宗であったという。また伊賀記に天武天皇(在位673~86)勅願寺にして…の記あり、さらに寺伝として聖武天皇(在位724~49)の時、勅願により僧行基をして法蔵阿弥陀仏を刻ましめこれを安置す(明治十七年地誌上申書による)と伝えられる。 慶長十八年(1613)奈良県の御杖神社の棟札に「宝蔵寺大阿闍梨行盛」の銘があり、当時この地方まで寺威を広げた由緒ある大寺であったことがわかる。 名賀郡史によれば今の名張小学校及び名張藤堂男爵邸一帯の地域で、 学校付近より古い五輪塔が出土したのは、その証しではないかと記している。
宝蔵寺 山門 |
子安地蔵堂 |
袈裟斬り地蔵 |
★五輪塔地輪 高19cm、幅24.5x24.5cm 永禄11年銘(1568年、室町末期) 溶結凝灰岩 |
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袈裟斬り地蔵 由来 |
袈裟斬り地蔵尊所縁の刀「地蔵丸」(山添村で奉納) |
宝蔵寺 本堂 |
宝蔵寺 境内 |
五輪塔と池 |
古い五輪塔 |
★「藤沢樟脳」の製造販売を始めた「藤沢商店」(のちの藤沢薬品・2005年に山之内製薬と合併してアステラス製薬)の創始者・藤沢友吉が植えた楠が境内にあります。
「伊水温故」は末寺として南出村地蔵寺、長慶寺、北出村観音寺、箕曲中村福成就寺、短野村福業寺、下三村安楽寺の六寺を挙げている。
平尾 一宮神社
■境内には、平尾山南東斜面中腹にある一宮神社(イッキュウジンジャ)の鳥居の右側にある石がある。『寛文(1661 - 1672)年中一ノ宮村敢国神社分霊を延喜六年(906)に一社を設け一宮と称しこの場所に奉祀す。しかし天正九年(1581)伊賀の乱に遭遇するも、明治二十二年(1889)十月再び氏子崇敬者一同の篤志により再建せらる。』※
伊賀神社参拝案内図より
■敢國神社は、斉明天皇4年(658年)の創建になるとする。これによると祭神の大彦命は四道将軍として北陸地方を平定し、その子孫は伊賀国阿拝郡一帯に居住して阿閇氏(敢氏/阿閉氏)を称し、大彦命を祖神として祀ったという。また、それとは別に少彦名命を祀る秦氏一族があり、これら2柱をもって創建されたとする。
■秦氏(はたうじ・はたし)は、「秦」を氏の名とする氏族。東漢氏などと並び有力な渡来系氏族である。神功皇后、応神天皇の時代に秦氏一族(数千人から1万人規模)が当国に帰化したとの記録が残っており、 天皇家に協力して朝廷の設立に関わったとされている。渡来人には弓月君、阿直岐、王仁、阿知使主といった人物がおり、秦の始皇帝三世直系の弓月君は秦氏の中心的人物であり、和邇吉師(王仁)によって論語と千字文が伝わったという。(『古事記』)
昔、この一宮神社の近くには阿閇(あへ、あべ)寺があったそうだ。 敢國神社との関連を裏付ける。
本町 江戸川乱歩生誕地
■江戸川乱歩(えどがわらんぽ、(1894~1965)名張郡名張町出身) 日本の探偵小説を創始した作家、江戸川乱歩は、明治27年(1894)、名張の町に誕生しました。 本名は平井
太郎(ひらい たろう)。 生後まもなく転居したせいで、乱歩にとって名張は「見知らぬふるさと」でありつづけましたが、晩年になってようやく「ふるさと発見」が果たされ、昭和30年(1955)には名張市民の手で「江戸川乱歩生誕地」碑が建立されました。 碑には、乱歩の略伝と代表作がこんなふうに記されています。
◆代表作◆ 人間椅子 パノラマ島奇談 黄金仮面 怪人二十面相 少年探偵団 新宝島
江戸川乱歩生誕地碑 / 江戸川乱歩 銅像 近鉄名張駅東口 |
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平尾 平尾用水路
■昔、平尾は広い原野でしてな。それを村の人達が開拓して田畑にしましたんやわ。 ところが、土地がもともと高いのでな。 毎年というてええくらい干ばつの被害を受けましたんやわ。 平尾村の地主やった市橋武助さんは、村の人の苦しみを見かねて上流にある比奈知村の地主の大道寺与治衛さんに平尾まで水路をつける相談をしましたんや。 すると、「それはええ考えや。名張川上流の比奈知から水路をつけて平尾村が助かるんやったら喜んで協力しますわ。」与治衛さんはこう言うて約束しましたんやわ。 武助さんらは早速上野の藩に申し入れましてな、嘉永六年(一八五三)に許可をとりつけ、翌年の春に工事にかかりましたんやわ。山を切って、岩を割り、堤を築いたりしましてな。 場所によっては、ずい道にして、十八年もかけてやっと完成しましてな。それにかかった費用は村の人らも出したのやけど、ほとんど市橋さんと大道寺さんの二人が私財を投じましたんや。 そのおかげで平尾地区だけでなしに、夏見や蔵持のまわりの地区の田畑にも水を引くことができるようになりました。 それ以来干ばつに悩まされることがなくなりましてな、村の人はそれはたいへんな喜びようでしたんやわ。 村人は、平尾用水路に功徳のあった人らを永遠にたたえるために、平尾に高さ四・六メートルの平尾渠水碑をたて、今も十二月十六日には年当番三人が世話をして区内の農家戸主をもてなしますのやわ。 話 市橋省吾さん(昭和五年生まれ)
平尾用水は、名張川に沿って 上比奈知~下比奈知~富貴ケ丘~赤坂~夏見~平尾と流れる。 川面からの高さは、30m~40m。
男山古墳 名張市のほぼ中央にある男山は、標高282mの独立峰で『三国地志』には「夏見山 今云 男山 夏見村」と記載され、雨乞いの火揚場としても利用された。この男山の丘陵裾には白鳳寺院の夏見廃寺が位置する。水道タン
ク の 設 置 に 伴 い 昭 和55年(1980)に5基の古墳群のうち、4基が調査された。 7世紀の前半に築造を開始し、7世紀中頃までの実質20~30年の短い期間のみ築造された特異な古墳群。
男山3号墳 遠景 |
男山3号墳 石室 |
男山3号墳 |
夏見廃寺跡 夏見廃寺は、飛鳥時代後期の寺院跡である。名張市のほぼ中央に位置する標高282mの男山から西にのびる尾根の南面する斜面に位置する。平成2年(1990)に国指定史跡に指定された。
夏見廃寺跡近くの平尾用水 |
遠くに夏見廃寺跡が |
夏見廃寺跡の掘立柱塀跡 |
掘立柱塀跡の説明 |
夏見廃寺跡のあと、名張中央公園内を通過する平尾用水 |
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市街地・鴻之台(市役所所在)
パークアベニュー名張中央緑道に平行に流れる平尾用水 |
水神 |
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平尾渠水碑 |
平尾渠水碑 |
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★名張平尾の水路を辿るうえで文章を転用させていただいた、この「なばりの昔話-平尾用水路」は、名張高校郷土研究部/昭和55年(1980)によって作成されたものです。 また名張の小学校・中学校の道徳の教科書にも採用されていました。 この名張高校郷土研究部のHPの内容を一部変更もしくは全文掲載しています。 高校生の方々は、郷土愛の強い人達だとリスペクトしています。
登録有形文化財
■登録有形文化財は、1996年(平成8年)の文化財保護法改正により創設された文化財登録制度に基づき、文化財登録原簿に登録された有形文化財のことである。登録対象は当初は建造物に限られていたが、2004年(平成16年)の文化財保護法改正により建造物以外の有形文化財も登録対象となっている。
★名張市の国の登録有形文化財一覧(表以外に 国の文化審議会は2020年11月20日、名張市本町の「旧喜多藤」など7件を新たな登録有形文化財(建造物)にするように文部科学大臣に答申した。)
登録有形文化財 | 梅田家住宅表蔵 | 名張市上八町 | 2012(H24)年8月13日 |
登録有形文化財 | 梅田家住宅主屋 | 名張市上八町 | 2012(H24)年8月13日 |
登録有形文化財 | 梅田家住宅中蔵 | 名張市上八町 | 2012(H24)年8月13日 |
登録有形文化財 | 梅田家住宅渡廊下 | 名張市上八町 | 2012(H24)年8月13日 |
登録有形文化財 | 川地写真館 | 名張市新町 | 2008(H20)年7月08日 |
登録有形文化財 | 大和屋店舗 | 名張市本町 | 2009(H21)年8月07日 |
名勝 | 赤目の峡谷 | 名張市赤目町長坂 | 1925(T14)年10月08日 |
登録有形文化財 | 岡村家住宅主屋 | 名張市本町 | 2011(H23)年10月28日 |
登録有形文化財 | 木屋正酒造店舗兼主屋 | 名張市本町 | 2013(H25)年3月29日 |
登録有形文化財 | 旧細川家住宅川蔵 | 名張市新町136 | 2009(H21)年1月08日 |
登録有形文化財 | 旧細川家住宅主屋 | 名張市新町136 | 2009(H21)年1月08日 |
登録有形文化財 | 旧細川家住宅中蔵 | 名張市新町136 | 2009(H21)年1月08日 |
登録有形文化財 | 旧細川家住宅門 | 名張市新町136 | 2009(H21)年1月08日 |
重要文化財 | 石造燈籠 徳治二年了未十一月ノ銘アリ | 名張市赤目町長坂 | 1916(T5)年8月17日 |
史跡 | 夏見廃寺跡 | 名張市夏見2348-1ほか | 1990(H2)年3月08日 |
史跡 | 美旗古墳群 | 名張市美旗町中一番・新田・下小波田 | 1978(S53)年10月17日 |
重要文化財 | 木造十一面観音立像 | 名張市西田原 | 1915(T4)年8月10日 |
重要文化財 | 木造聖観音立像 | 名張市西田原 | 1913(T2)年8月20日 |
重要文化財 | 木造不動明王立像 | 名張市黒田 | 1916(T5)年8月17日 |
登録有形文化財 | 山口家住宅主屋 | 名張市上八町 | 2014(H26)年4月25日 |
登録有形文化財 | 保田家住宅主屋 | 名張市上本町 | 2015(H27)年3月26日 |
登録有形文化財 | 保田家住宅蔵 | 名張市上本町 | 2015(H27)年3月26日 |
登録有形文化財 | 中井家住宅主屋 | 名張市元町452番地 | 2015(H27)年11月17日 |
登録有形文化財 | 貝増家住宅主屋 | 名張市柳原町 | 2017(H29)年5月02日 |
登録有形文化財 | 小川家住宅主屋 | 三重県名張市榊町 | 2017(H29)年10月27日 |
登録有形文化財 | 小川家住宅東蔵 | 三重県名張市榊町 | 2017(H29)年10月27日 |
登録有形文化財 | 小川家住宅西蔵 | 三重県名張市榊町 | 2017(H29)年10月27日 |
登録有形文化財 | 山中家住宅主屋 | 名張市本町200 | 2019(R1)年9月10日 |
登録有形文化財 | 山中家住宅離れ | 名張市本町200 | 2019(R1)年9月10日 |
登録有形文化財 | 山中家住宅北蔵 | 名張市本町200 | 2019(R1)年9月10日 |
登録有形文化財 | 山中家住宅南蔵 | 名張市本町200 | 2019(R1)年9月10日 |
注)Wikipediaと●●や●●のHP、公式パンフレットを参考にさせてもらっています。
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