UNESCO 世界遺産(ヨーロッパ)の切手 ロシア・ウクライナ、エストニア、アルメニア、ベラルーシ
クレムリンのあるロシアと旧ソ連のウクライナ、エストニア、アルメニア、ベラルーシの世界遺産です。自国と国連発行切手が中心で状態が良いもの有れば順次追加してます。
参考:社団法人 日本ユネスコ協会連盟のHP(世界遺産活動)
世界遺産(ヨーロッパ) |
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「カムチャッカの火山群」の一部は「世界の天変地異(気象・温暖化・地震・火山)」の頁で。 |
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文化遺産 ◎サンクトペテルブルク歴史地区と関連建造物群 - (1990年)、キジー・ポゴスト(キジ島の木造教会建築) - (1990年)、◎モスクワのクレムリンと赤の広場
- (1990)、ノヴゴロドと周辺の文化財 - (1992年)、ソロヴェツキー諸島の文化的・歴史的遺産群 - (1992年)、ウラジーミルとスーズダリの白亜の建造物群
- (1992年)、◎セルギエフ・ポサードの至聖三者聖セルギイ大修道院の建造物群 - (1993年)、コローメンスコエの主の昇天教会 - (1994年)、クルシュー砂州
- (2000年)、フェラポントフ修道院の建造物群 - (2000年)、カザン・クレムリンの歴史的・建築的複合体 - (2000年)、デルベントのシタデル、古代都市、要塞建築物群
- (2003年)、◎ノヴォデヴィチ修道院の建造物群 - (2004年)、ヤロスラヴリの歴史地区 - (2005年)、シュトルーヴェの測地弧
- (2005年)、ボルガルの歴史的考古学的遺産群 - (2014年) |
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モスクワのクレムリンと赤の広場 |
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■クレムリンと赤の広場:クレムリン(クレムリ)とは、ロシア連邦の首都、モスクワ市の中心を流れるモスクワ川沿いにある旧ロシア帝国の宮殿。世界遺産。ソ連時代には、ソ連共産党の中枢が置かれたことから、ソ連共産党の別名としても用いられた。現在もロシア連邦の大統領府や大統領官邸が置かれている。ロシア語ではクレムリは「城塞」を意味する。城壁の総延長2.25km。20の城門を備え、内部には様々な時代の様式による宮殿や大聖堂(寺院)が林立している。正面には赤の広場がある。「赤」はソビエト連邦の社会主義に起因するものではなく、元々は古いロシア語で「美しい」という意味であり、広場の名前は本来「美しい広場」というものであった。 |
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受胎告知(annunciation)の教会(ソ連、1967年) |
3本のクレムリン塔 |
Great bell tower(ソ連、1967年) |
KufafyaとTroitskayaの塔 |
クレムリン(ハンガリー、1966年) |
クレムリン(ソ連) |
Spasski塔(ソ連、1967年) |
モスクワのクレムリン |
「スパスカヤ(救世主)塔」 時計台 |
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Spassky tower(ソ連) |
クレムリン(ソ連) |
赤の広場・モスクワ(ソ連、1958年) |
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左端は赤の広場の「聖ワシリー大聖堂」 |
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武器庫(武器宮殿、アルジェイナヤ・パラータ) |
ポチェシニィ宮殿 |
ウスペンスキー大聖堂 |
「聖ワシリー大聖堂」 |
カムチャッカの火山群 |
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■カムチャッカの火山(ソ連、1965年) 雪の「カムチャツカ富士」の別名を持つコリャーク(コリャークスキー)山 |
■カムチャッカ半島は,千島弧の北端に位置し,環太平洋火山帯(ring of fire)の一角を占める火山地域である.半島内には200以上の第四紀火山が存在し,そのうちの29が活火山である.毎年何れかの火山で噴火が生じていて,世界で最も活動的な火山地域の一つと称される.これらの火山は,半島の東海岸沿いの山脈と半島中央にのびるスレディニ山脈の2列に分かれて分布していて,活火山はそのほとんどが東海岸沿いの山脈に集中している。因みにカムチャッカの火山群は世界遺産。 |
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koryakski vokcano |
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バイカル湖(自然遺産) |
「nature lake (自然の湖)」 |
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■バイカル湖((Ozero Baikal、オージラ・バイカル))はロシアのシベリア連邦管区のブリヤート共和国とイルクーツク州にまたがる湖である。長径600km×短径30kmに及ぶ湖水面の面積は31,494平方km(琵琶湖のおよそ46倍)。カスピ海(塩湖)や現在急速に面積を縮小しているアラル海を除くとアジア最大である。淡水湖の面積を比較した場合、世界最大のスペリオル湖には及ばないものの、最大水深が1,637mと世界で最も深く貯水量は世界最大。世界の淡水の20%がここにあるとされる。世界三大珍味のキャビアで知られるチョウザメが生息する。 |
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バイカル湖の地図と岸辺のヒグマ(ソ連) |
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ロシア・バイカル湖(Lake Baikal)の魚達(ソ連、1966年):バイカル湖(淡水湖(a freshwater lake))は長径600kmX短径30kmに及ぶ湖水面の面積は31,494平方キロ(琵琶湖のおよそ46倍)でヨーロッパとの境にあるカスピ海や、現在急速に面積を縮小しているアラル海を除くとアジア最大である。生態学的にもバイカル湖には固有種が多く、世界的にもガラパゴスやマダガスカルと並んで極めて貴重な生態環境にあります。この湖には、バイカルアザラシやチョウザメを含む約365属1334種(原生動物を除く)が生息し、そのうちバイカル湖のみに生息している固有種は,何と全体の70%に相当する1017種にも及びます。湖を囲む山脈群とタイガによって隔離された環境が、今日までそれぞれの種の独自の生長を助けたのだと思います。 |
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カワヒメマス |
チョウザメ.(sturgeon) |
バイカル・シスコ(Baikal Cisco |
バイカル・ホワイトフィッシュ(Baikal whitefish、サケ科コクチマス属) |
西カフカース(自然遺産) |
Western Caucasus |
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西カフカース(西コーカサス)の自然 山、川、野生のヨーロッパバイソン |
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■西カフカース(西コーカサス)は黒海からエルブルス山に至るカフカースの西部地方を指す名称で、ユネスコの世界遺産登録地を含んでいる。この地域は、カフカース山脈の西端にあたるロシアのリゾート地ソチの北方50
kmに位置している。ユネスコの専門家たちからは、ヨーロッパでは見るべき人間の介在を経験しなかった唯一の巨大山岳地帯として評価された。その環境は、低地から氷河地帯まで、目まぐるしくかつ極端に変化していく。 |
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フェラポントヴォ修道院の遺産群 |
Ensemble of the Ferrapontov Monastery |
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フェラポントヴォ修道院(ロシア、2010年) |
■フェラポントフ修道院は、ロシア・ヴォログダ州にある修道院。1398年に聖フェラポントによって、修道院は創建された。修道院の名声は、Kirill
of Beloozeroの弟子であるマルティニアンの時代に広がった。彼は、1447年には、至聖三者聖セルギイ大修道院の修道院長となる。 彼の死後、イヴァン3世の一族によって、修道院は保護された。1490年には、生神女誕生聖堂が、ロストフの技術者の指導によって、レンガ造りで建設された。フェラポントフ修道院の聖堂建築は、1490年代に建設されたロシア北部の建築物の中でも保存状態がいい。また、聖堂の内壁は、15世紀から16世紀に活躍したフレスコ画家であるディオニシウスによるフレスコ画が描かれている。 1530年代には、宝物館、食堂、生神女福音教会が建設された。 1798年、ピョートル3世により、修道院は廃止され、その地位を回復したのは1904年であった。20年後、ボルシェヴィキの手によって、再度、修道院は閉鎖したが、1975年、修道院は、美術館として復活した。 |
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サンクトペテルブルク歴史地区と関連建造物群 |
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■ロシアの世界遺産・冬宮殿(ふゆきゅうでん、Winter Palace、(ズィームニイ・ドヴァリェーツ))は、サンクトペテルブルクにあるかつてのロシア帝国の宮殿。冬宮(とうきゅう)ともいい、ロシア皇帝の冬季の王宮として1754年〜1762年の間に建設された。建築家はバルトロメオ・ラストレッリで、緑と白の石材を用いたロココ建築は1786のドアと1945の窓がある。宮殿の北側はネヴァ川に面し、南側には宮殿広場が広がる。帝政時代は王宮として機能し、最初に使用したのはエカテリーナ大帝。 レフ・トルストイによる小説『戦争と平和』に描かれる1812年ロシア戦役前後のロシア宮廷の舞台の一つである。十月革命後、建物はエルミタージュ美術館の本館となった。同宮殿はエカテリーナ宮殿などのその他の建築物とその周辺とともにサンクトペテルブルク歴史地区と関連建造物群として世界遺産に登録されている。 |
ロシア帝国の宮殿・冬宮殿 |
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スパース・ナ・クラヴィー聖堂 |
■血の上の救世主教会(血の救世主教会、スパース・ナ・クラヴィー教会)は、ロシア、サンクトペテルブルクにあるロシア正教会の聖堂。 公式名は、ハリストス復活大聖堂。このほか、血の上の教会(Church on Spilt Blood)の名称でも知られる。この名称は、1881年3月13日(ユリウス暦3月1日)のロシア皇帝アレクサンドル2世暗殺によるもので、教会が建つ場所は、皇帝遭難の地である。ロシア皇帝アレクサンドル2世は、「解放皇帝」と呼ばれ、農奴解放を初めとする「大改革」を行ったが、次第に反動化していった。同時にナロードニキ運動の急進化に伴い、ナロードニキの一部はニヒリズム、テロリズムに走り、1881年3月1日ついに皇帝もテロの標的となって斃れた。教会は無数のトパーズ、青金石(ラピスラズリの原料)および他の半貴石で飾られていて豪奢な印象を与えている。 |
血の上の救世主教会 |
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エストニアの世界遺産 |
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■エストニア共和国(エストニアきょうわこく、エストニア語: Eesti Vabariik)は、ヨーロッパの国家。バルト三国の一つ。首都はタリン。ラトビア、ロシアと国境を接し、バルト海、フィンランド湾に面している。 タリン歴史地区(―れきしちく、Historic Center of Tallinn)はエストニアの首都タリンの旧市街に残る歴史的遺産。1997年ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録された。 タリンは1219年以来デーン人によって建設され、1346年ドイツ系ドイツ騎士団、1583年スウェーデン、1710年ロシア帝国と支配者が交代した。 旧市街にはトームペア城を始め、大聖堂、聖霊教会、聖ニコラス教会、アレクサンドル・ネフスキー教会、城壁などが残る。 |
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世界遺産・エストニア・タリン |
世界遺産・エストニア・タリン |
エストニア・タリン(Tallinn)のViruGate |
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ウクライナの世界遺産 |
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■キエフ・ペチェールシク大修道院(クィーイェヴォ・ペチェールスィカ・ラーヴラ;キエフの洞窟大修道院)はウクライナの首都、キエフのペチェールシク地区に位置するキリスト教の大修道院である。キエフ大公国の時代、1051年に建立された。ウクライナの比叡山ともいうべきもので、宗教・教育・学問に大きな影響を与えつつ、様々な政権と争ってきた修道院である。1990年に世界遺産に登録された。 |
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世界遺産・ウクライナのキエフ・ペチェールシク大修道院 |
キエフのドニプル川と橋 |
キエフのメイン・ストリート |
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■ウクライナは、歴史的・文化的には中央・東ヨーロッパの国々との関係も深い。キエフ大公国が13世紀にモンゴル帝国に滅ぼされた後は独自の国家を持たず、諸侯はリトアニア大公国やポーランド王国に属していた。17世紀から18世紀の間にはウクライナ・コサックの国家が興亡し、その後ロシア帝国の支配下に入った。16世紀以来「ヨーロッパの穀倉」地帯として知られ、19世紀以後産業の中心地帯として大きく発展している。天然資源に恵まれ、鉄鉱石や石炭など資源立地指向の鉄鋼業を中心として重化学工業が発達している。ソ連時代にチェルノブイリ原子力発電所事故が起きたが、現代でも原子力発電は盛んである。 |
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アルメニアの世界遺産 |
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■アルメニア共和国、通称アルメニアは西アジアに近接する国家。首都はエレバン。黒海とカスピ海の間にある国で、西にトルコ・北にグルジア・東にアゼルバイジャン・南にイランとアゼルバイジャンの飛び地がある。1991年12月にソビエト連邦の解体により独立した。世界遺産として3カ所の文化遺産が指定されている。991年に創建されたハフパット修道院とサナヒン修道院、4世紀に創立したゲハルド修道院とアザート川上流域、4世紀に建立されたエチミアツィンの大聖堂と教会群およびズヴァルトゥノツの考古遺跡がある。 |
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アルメニアの首都・エレバン(yerevan)の風景 |
アルメニア人は自らをハイ(複数形はハイク)、国をハヤスタンと呼ぶ。紀元前6世紀頃には国際的な商業活動を盛んに行っていたと言われ、紀元前1世紀にアルメニア高原を中心に大アルメニア王国を築き繁栄した。しかしローマ帝国とパルティア、サーサーン朝ペルシア帝国の間で翻弄され、両国の緩衝地帯として時に属州となることもあった。1世紀頃にはキリスト教の布教が進み、紀元301年には世界で初めてキリスト教を国教とした。その後サーサーン朝ペルシアの支配下に入り更にアラブの侵攻を受けるが、9世紀半ばにはバグラト朝が興り、独立を回復。 |
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ベラルーシの世界遺産 |
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■ベラルーシ共和国(ベラルーシきょうわこく)、通称ベラルーシは、東ヨーロッパの国家。ロシア、ウクライナ、ポーランド、リトアニア、ラトビアと国境を接する。首都はミンスク。ソビエト連邦から独立した。シュトルーヴェの測地弧 文化遺産 、ネスヴィシェにあるラジヴィル家の建築、住居、文化の遺産群 文化遺産 、ベラベジュスカヤ・プッシャ/ビャウォヴィエジャ森林 自然遺産 、ミール城の建築物群 文化遺産 で登録されています。 |
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ベラルーシの首都ミンスク(Minsk)の光景 |
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UNESCO 世界遺産(ヨーロッパ)の切手 ロシア・ウクライナ、エストニア、アルメニア、ベラルーシ |
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