東南アジアの世界遺産・遺跡の切手
東アジアと南アジア(東南アジアとしてます)の世界遺産・遺跡を中心にした切手です。 東南アジアは仏教、イスラム教、ヒンドゥー教等種々雑多な宗教の地域です。アジアは世界四大文明(メソポタミア文明・エジプト文明・インダス文明・黄河文明)のうち3つを擁している古くから開けた地域です。 またヨーロッパとは陸続きで紀元前のアレクサンダー大王の時代から、シルクロード等を経由して色々な物や文化の交流もあり多数の遺産が残っています。 掲載国は東南アジアとしては仏教を中心とする諸国のインド・カンボジア・タイ・ネパール・インドネシア・バングラディシュ・スリランカ・パキスタン・アフガニスタン・ラオス・韓国、マレーシアを考えています。
エベレストやアンコールワット、バーミアン、モヘンジョダロ、バハールプル、シギリア、タージ・マハル、アユタヤ、ボロブドゥール寺院遺跡等の有名な世界遺産が多い。
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世界遺産(東南アジア編) |
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インド・エベレスト(チョモランマ) |
■エベレスト(チョモランマ):標高については諸説あり、1954年にインド測量局が周辺12ヶ所で測定しその結果を平均して得られた8,848mが長年一般に認められてきた。 |
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1975年中国・チョモランマ峰再登頂、登山隊 |
エベレスト(チョモランマ) |
エベレスト(チョモランマ) |
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カンボジア アンコール・ワット |
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■名称:アンコール 、■名称(英語) Angkor、■登録種別 文化遺産、■登録年 1992年 |
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カンボジア・アンコールワット |
日本発行のアンコール・ワット |
アンコールワットの東玄関 |
■アンコール・ワットは、カンボジアにあるアンコール遺跡の一つで、遺跡群を代表する寺院建築。アンコールは王都、ワットは寺院を意味する。大伽藍と美しい彫刻からクメール建築の傑作と称えられ、カンボジア国旗の中央にも同国の象徴として描かれている。 |
アンコール・トム (Angkor Thom)南大門(ベトナム) |
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■アンコール・ワットは、12世紀前半、アンコール王朝のスーリヤヴァルマン2世によって、ヒンドゥー教寺院として三十年余の歳月を費やし建立された。主に砂岩とラテライトで築かれ、西を正面とする。 寺院は付近の製鉄技術を活用している。 境内は東西1500メートル、南北1300メートル、幅200メートルの濠で囲まれている。南面西は「歴史回廊」と呼ばれ、行幸するスーリヤヴァルマン2世とそれに従う王師、大臣、将軍、兵士などが彫られている。南面東は「天国と地獄」と呼ばれ、上段に天国へ昇った人々、中段に閻魔大王らとその裁きを待つ人々、下段に地獄へ落ちた人々が彫られている。 |
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■アンコールトムは一辺3kmの堀と、ラテライトで作られた8mの高さの城壁で囲まれている。外部とは南大門、北大門、西大門、死者の門、勝利の門の5つの城門でつながっている。各城門は塔になっていて、東西南北の四面に観世音菩薩の彫刻が施されている。また門から堀を結ぶ橋の欄干には乳海攪拌を模したナーガになっている。またこのナーガを引っ張るアスラ(阿修羅)と神々の像がある。アンコールトムの中央に、バイヨン (Bayon) がある。 |
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ワットの寺院 プリー・コー |
バクセイ・チャンクロン |
バンテイ・スレイ |
バヨン(アンコール・トム) |
タイ・アユタヤ |
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■名称:古代都市アユタヤと周辺の古代都市群、■名称(英語): Historic City of Ayutthaya and Associated
Historic Towns |
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アユタヤ遺跡 |
シーサッチャナーライ歴史公園にあるスコタイ王朝期の寺院 |
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アユタヤ遺跡群は、外敵の侵入を防ぐため、チャオプラヤー(メナム)川とその支流のパーサック川、ロップリー川に囲まれた中州に集中。ワット・プラシーサンペット、ワット・ローカヤスターなどの寺院跡、王宮跡が残る。(1994) |
ケディ・ケト・タェオ、チャン・ロンほか。いずれもシーサッチャナーライ歴史公園にあるスコタイ王朝期の寺院。世界遺産。 (1993) |
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ネパール・仏陀の生誕地ルンビニ |
カムペーンペット歴史公園のスコタイ遺跡の一つで世界遺産。 |
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■ルンビニー(Lumbini、藍毘尼)は、ネパールの南部タライ平原にある小さな村。釈迦(如来)の生まれた地として有名。仏教の八大聖地の1つでもある。マーヤー・デーヴィー寺院を中心に、アショーカ王が巡礼したときに建立された石柱、釈迦が産湯をつかったという池などが残る。如来はこの世へいでてすぐに七歩歩いて右手で天空を指し左手で大地を指して「天上天下唯我独尊」と声を出したと言う。 |
カムペーンペット歴史公園は、タイ、カムペーンペット(金剛の城壁)県にあるスコータイ王朝の遺跡の一つ。周辺の遺跡と主にユネスコの世界遺産(文化遺産、スコータイの歴史上の町と関連の歴史上の町)に登録されている。 |
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インド サーンチー仏教遺跡 |
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サーンチー仏教遺跡 サーンチー仏教遺跡の女神像 |
■約50の遺跡群のうち、最も古い「第1ストゥーパ」跡は、紀元前3世紀頃、熱心な仏教徒だったマウリヤ朝のアショーカ王が各地に造った8万4000ものストゥーパの一つと言われ、遺跡群の中心をなすものです。一帯には僧院、祠堂、寺院などの遺跡も残っており、サ−ンチーの丘が仏教の一大聖地だったことを物語っています。インドに残る最古の仏塔です。紀元前3世紀頃から仏教信仰の場となりました。 |
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スリランカ・古代都市シギリア |
バングラデシュのパハールプルの仏教寺院遺跡 |
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スリランカ・古代都市シギリア |
■シギリヤ(Sigiriya)は、スリランカ中央部の古代遺跡。カシャパ王(King Kasyapa、西暦477 - 495年)時代の宮殿跡がある。スリランカ国内7つの世界遺産のうちの1つ。シギリヤ岩は火山マグマが固まったもの。形状は楕円柱、高さは370m、全方位垂直或は、上部が張り出している。アーサー・C・クラークのSF小説『楽園の泉(The Fountains of Paradise)』にヤッカガラ(Yakkagala)の名で使用されている。 |
バングラデシュのパハールプル |
■バングラデシュの広大な水田地帯の只中にパハールプルの仏教寺院遺跡はある。総レンガ造りの大祠堂を中央に据え、一辺が300mの正方形の外周壁によって寺院は区切られている。南アジア最大の僧院であった。
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古代都市・シギリアの芸術品 シギリアの美女 ほか |
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シギリアの美女(スリランカ):スリランカの中央部。シギリアロックはジャングルの中に忽然と姿を現します。かつて、この高さ195メートルの岩山の天辺に王宮を築いた王様がいました。時は5世紀。シンハラ王朝の王子カッシャバは腹違いの弟に王位継承権を取られることを恐れ、父王を殺害し自ら王位につきます。そして、この弟の復讐を恐れ、この人を寄せ付けない断崖の上に王宮を築いたのです。 シギリアの美女は天女と言われています。王が安楽・安寧を求めるために作らせたものだといわれています。 |
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スリランカ・ポロンナルワ |
■ポロンナルワは10〜12世紀、シンハラ王朝の首都であり、時の王たちが灌漑設備を整え、仏教の普及に力を注いだため、仏教都市として栄えた。ビルマ(現ミャンマーやタイから多くの仏教僧が訪れたという。 |
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シバ神殿、ダンブーラ(洞窟寺院)他 |
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世界遺産スリランカ(昔はセイロンよ呼ばれていた)の古代都市ポロンナルワ遺跡はアヌラダプラの南東にあり、14世紀以降は廃墟 1900年以降になって遺跡の発掘が開始された。古都ポロンナルワの遺跡は、南北に並んでおり、南部のクォードラングルには、12世紀のパラクラマバフー1世が築いた庭園都市の遺構に、パラクラマ宮殿をはじめ、四方形のトゥパラーマの仏堂、円形のワタダーゲの仏塔、タイ様式のサトゥマハル・プラサーダの仏塔、ハタダーゲの仏歯寺院などの仏教建築群が残っている。さらに4km北のガル・ヴィハラには、岩肌を刻んで彫った立像、座像、横臥像の3つの釈迦像がある。横臥像は全長13mもあり、この世を去ろうとしている釈迦を表わしている。その左側の立像は、高さ7m、悲しみにくれる釈迦の第一の弟子アーナンダの像があります。 |
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■ポロンナルワ(世界遺産の古都)時代(1017〜1235)の経済、文化、宗教、政治などの遺物と史跡。 |
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ガル・ポタ(ニッサンカ・マーラ1世の隣国との外交関係などを刻む石の本)とリラヴァーティ女王の貨幣(両面)、 |
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パラークラマ・バーフ1世(または賢者)の石像、パラークラマ・バーフ1世の宮殿と |
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古代の病院(医療用浴槽)と手術器具と擂石、ヒンドゥー教の仏像(シヴァ神とその神妃ウマ)と聖人の像 |
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パキスタンのモヘンジョダロ遺跡 |
インドのタージ・マハル |
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パキスタンのモヘンジョダロ遺跡 |
インドのタージ・マハル 世界遺産 |
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■ムガル帝国第5代皇帝シャー・ジャハーンが、ペルシャやアラブ、果てはヨーロッパから2万人もの職人を集め、22年の歳月をかけて建造させたといわれているインド=イスラーム文化の代表的建築。タージ・マハルを言葉どおりに訳せば「王冠宮殿」もしくは「宮殿の王冠」という意味になる。 |
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■モヘンジョダロ(Mound of the dead)は、インダス文明最大級の都市遺跡。紀元前2500年から紀元前1800年にかけて繁栄したと考えられている。最大で4万人近くが暮らしていたと推測されている。しかしその後忽然と滅亡したと考えられており、さまざまな憶測が絶えない。切手の上左は日本で発行、上右の切手はイランにて発行されたモヘンジョダロの道の切手です。 |
タージ・マハル・インド 世界遺産 写真は下記にて |
タージ・マハルとラクダ(総大理石造の墓廟建築。) |
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■インド旅行写真 世界遺産中心に [ インド | デリー Delhi | ジャイプル Jaipur | アーグラ Agra } |
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フマユーン廟 正面 |
アンベール宮殿 近景 |
ジャンタル・マンタル |
アーグラ城塞 (Agra Fort) |
クトゥブ・ミナールの全体像 |
ファテープル・シークリー |
南の大楼門 |
タージ・マハル |
タージ・マハルの門 奈良東大寺の南大門(25.4m)をしのぐ大きさ |
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インドのカジュラホ寺院群 |
インドのハンピの都市遺跡 |
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■インドはもともと多神教であるからヒンドゥー教は仏教やバラモン教の神や教えをも取り込んで、あるいは取り込まれて、多種多様な信仰になっていった。インドのカジュラホ東群にはジャイナ教の寺院も見られるが、基本的にはヒンドゥー教の寺院と変わりはない。 |
■南インドのハンピの都市遺跡は、14世紀前半にヒンドゥ教を奉ずるヴィジャヤナガラ王国の首都として建設が始められた。 以来、王宮をはじめとして数々の寺院がここかしこに造営され、16世紀半ばにイスラーム勢力に攻略されるまで「勝利の都」 とよばれる大都会であった。 今日では遺跡の北側を流れる川の古名であるハンピの名でよばれている。 |
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カンダーリア・マハーデーヴァ寺院(Kandariya Mahadeva Temple) |
ヴィッタラ寺院の境内のガルーダ堂 (石造りのチャリオット、戦車) |
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インドネシア ボロブドゥール寺院遺跡 |
ボロブドゥール寺院遺跡と仏像 |
ボロブドゥール寺院遺跡 |
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■ボロブドゥール寺院遺跡(ボロブドゥールじいんいせき、Borobudur)は、インドネシアのジャワ島中部のケドゥ盆地に所在する大規模な仏教遺跡で世界的な石造遺跡。世界最大級の仏教寺院。インドから中央アジア(西アジア)に伝播した仏教は一般に部派仏教(上座部仏教)と呼ばれる仏教であったが、ボロブドゥールは大乗仏教の遺跡である。インドネシアにあるピラミッドです。 |
日本発行 ボロブドゥールの円形壇上 の仏塔と仏像 |
日本発行 |
ベトナム発行 |
ボロブドゥール寺院遺跡(ボロブドゥールじいんいせき、Borobudur) |
ボロブドゥール寺院遺跡(インドネシア、1961年) |
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ボロブドゥール寺院遺跡のレリーフ(インドネシア発行) |
ボロブドゥール遺跡と仏像 |
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ボロブドゥールは、最も下に一辺約120mの基壇があり、その上に5層の方形壇、さらにその上に3層の円形壇があり、全体で9層の階段ピラミッド状の構造となっている。この構造は、仏教の三界をあらわしているとされる。 仏像は、回廊の壁龕(くぼみ)に432体、3段の円形壇の上に築かれた釣鐘状のストゥーパ72基の内部に1体ずつ納められており、合計では504体ある。 レリーフは、その構図の巧みさ、洗練された浮き彫り彫刻の技法、細部表現の優雅さで知られ、仏像とともにインドのグプタ様式の影響が強く認められるとされる。 ボロブドゥールのストゥーパボロブドゥールはまた、その形状から世界最大級のストゥーパ(仏塔)でもある。 |
ボロブドゥールの円形壇上にある釈迦如来の仏像とストゥーパ |
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1991年にはボロブドゥール東3kmのムンドゥッ寺院、東1.8kmのパオン寺院とともに「ボロブドゥール寺院遺跡群」として世界遺産に登録された。 |
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ボロブドゥールの壁画 |
ボロブドゥール寺院遺跡の入口のムンドゥッ寺院 |
ムンドゥッ寺院・毘沙門天 |
ムンドゥッ寺院・鬼子母神 |
■アジア・インドネシア 写真 [ インドネシア・ジャワ島|世界遺産・ボロブドゥール寺院遺跡|-ボロブドィールの壁画とムンドゥッ寺院|世界遺産・プランバナン寺院遺跡|バリ島の風景・人々(バリ島の地図)|バリ島の民族舞踊|バリ島の寺院・遺跡(1/2)|バリ島の寺院・神々(2/2)|バリ島の動物・料理(グルメ)|バリ島のエステ・植物・リゾート・結婚式|バリ島の絵画・手工芸 ] |
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インドネシア プランバナン寺院群 (Candi Prambanan) |
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インドネシア・プランバナン寺院群 (Candi Prambanan) シバ寺院 |
プランバナン寺院群 (Candi Prambanan) 中心的存在であるプラバナン寺院は古マタラム王国のバリトゥン王(在位898年〜910年)による建立と言われる。古マタラムの王宮もこのあたりにあったと考えられているが、伝染病が流行り10世紀ごろ遷都した。のちの1549年の地震で遺跡が大破した。プランバナン寺院群はヒンドゥー教の遺跡としてはインドネシア最大級で、仏教遺跡のボロブドゥール寺院遺跡群と共にジャワの建築の最高傑作の一つとされる。 |
ボロブドゥール寺院遺跡救済 (フランス) |
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夕暮れ間近 世界遺産・プランバナン寺院群(Prambanan Temple Compounds) の全景 |
シバ寺院 |
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■シバ寺院は、別名「ロロ・ジョングラン(Loro Jonggrang:ジャワ語で「痩身の乙女」の意味)」とも言われる。 かつて、求婚者に無理な要求(一晩に千の寺院を造る事)を課して婚姻を断ろうとした乙女
ロロ・ジョングランが求婚者の怒りを買い、この寺院のなかに祭られている「Durga(Sivaの妻)」の像に姿を変えられたという言い伝えがあることから、この別名がついたと言われる。(参考:ロロ・ジョングランの伝説) |
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アフガニスタン・バーミヤン渓谷の文化的景観と古代遺跡群 |
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■アフガニスタンのバーミヤン渓谷の石仏と壁画は中央アジアにおけるガンダーラ仏教美術の傑作、シルクロードの仏教センターであったバーミヤン渓谷の遺跡は美術的、建築的にガンダーラ文化を基礎としてインドとヘレニズム、ローマ、サーサーン朝イランの文化が融合し、さらに後世にはイスラムの影響が加わった文化が栄えたこと、中央アジアでは既に失われた仏教文化の遺跡であることで選ばれた。 |
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■アフガニスタンのバーミヤン渓谷は古代以来の都市であるバーミヤーン(バーミヤン)の町を中心とするヒンドゥークシュ山脈山中の渓谷地帯で、標高2500mほどの高地に位置する。古代から存続する都市バーミヤーンの近郊には、1世紀からバクトリアによって石窟仏教寺院が開削され始めた。石窟の数は1000以上にものぼり、グレコ・バクトリア様式の流れを汲む仏教美術の優れた遺産である。2001年3月にバーミヤン渓谷の2体の大仏はタリバンによって破壊されている。 |
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ミルワイスの墓 |
バーミヤン |
ガズニの戦勝塔(ミナレット) |
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古代バーミアンの遺跡とバンデ・アミルの湖(1965) |
ラオス チャンパサック県の文化的景観にあるワット・プー |
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■ラオス・チャンパーサック県・チャンパーサック郡にあるワット・プー(ヒンドゥー寺院の廃墟)とその周辺を取り巻く遺跡群の総称である。ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されている。プラーサート・ワット・プー (Wat Phou) はラオス・チャンパーサック県にあるクメール遺跡の一つ。11世紀頃、クメール人によりプラーサート(宮殿あるいは城)として建設されたが、ラーンサーン王国時代にラーオ族の勢力がここを占拠するに至って、この城が神聖視され、新たにワット(寺)として位置づけられた。ちなみにプーとは山の意味である。 |
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韓国の「慶州(キョンジュ)歴史地域」 |
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■慶州周辺は、紀元前1世紀から10世紀に栄えた新羅王朝の都が置かれていた。新羅時代に作られたと考えられている古墳や仏教関連の遺跡が多数点在している。このため、慶州は「屋根の無い博物館」といわれることもある。南山地区には、山の岩肌に掘り込まれた石仏である磨崖仏が多数残っている。月城地区には、国立慶州博物館があり、新羅時代の仏教美術品が多数展示されている。石窟庵と仏国寺は、8世紀ごろ新羅の景徳王の時代、宰相の金大城により建立。石窟庵と仏国寺は、新羅美術の最高峰・集大成という呼び声もある。石窟庵は、東向きに作られており、日の出、月の出の名所でもある。 画像クリックで拡大します。 |
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慶州(キョンジュ)・石窟庵(ソックイラム)の本尊仏(1952) |
慶州(キョンジュ)・仏国寺(プルグクサ)(1952) |
慶州(キョンジュ)・天文台 |
■慶州の新羅時代の天文台:花崗岩でできた特異な建造物は、高麗(こうらい)時代の歴史書に、新羅時代の7世紀に建てられたと記される天文台(瞻星台:せんせいだい)と考えられている。現在までのこる東洋最古の天文台とされ、韓国文化を象徴する遺跡である。 高さは9mを超え、南に1辺1mほどの窓が開いている。 |
慶州(キョンジュ)・タボ パゴダ |
「済州の火山島と溶岩洞窟」(韓国、世界遺産) |
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韓国の「済州の火山島と溶岩洞窟」 |
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済州島の北東部に広がる大規模な溶岩洞窟群 |
■漢拏山(ハルラさん、かんなさん、Halla-san)は韓国の済州島にある山。標高1,950mであり、韓国の最高峰です。漢拏山は地質学上、第三紀に噴火した火山であり、周辺には360個の側火山が形成されており、最終噴火は11世紀初頭(高麗時代)であると見られている。典型的な楯状火山である。プレートの衝突する日本列島と異なり、韓国には火山が少なく、主なものは漢拏山と鬱陵島のみである(北朝鮮には白頭山がある)。頂上に火口湖の白鹿潭がある。 |
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マレーシアの「マラッカ海峡の歴史都市群」) |
マレーシアの「マラッカ海峡の歴史都市群」 |
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マラッカの旧市街バンダ・ヒリー(Banda Hilir) |
イギリスの旧海峡植民地ペナン島の中心市街ジョージタウン |
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■マラッカは、ヨーロッパとアジアを結ぶ貿易の中継点として繁栄。ポルトガル、オランダ、イギリスと ヨーロッパ列強の国々に支配された影響と、東西貿易の中継点として類稀な文化が形成された 事が評価され、登録されました。 |
■ジョージタウンは18世紀後半よりイギリスの支配下となり、マラッカ同様錫貿易の中継点として重要な役割を果たしたのと 同時に、イギリス植民地の面影と多民族・多文化社会が残されている事が評価され、登録されました。 |
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マレーシアの「グヌン・ムル国立公園」 |
マレーシアのボルネオ島(サバ州)の「キナバル国立公園」 |
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ムル洞窟群(鍾乳洞) |
キナバル山(4095m):ボルネオ島(サバ州)の「キナバル国立公園」 |
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■「グヌン・ムル国立公園」ボルネオ島(サラワク州)ムル山(2377m)を中心にカルスト台地を形成する山域で地下に広がる鍾乳洞は世界最大規模。多種にわたる動植物が生息し、それらの生態系の重要さと絶滅の恐れのある種の育成地であることのほか、類例をみない自然美が高く評価。 |
■東南アジア最高峰のキナバル山とその麓のキナバル公園には多種にわたる植物や鳥、昆虫などが生息し、 それらの生態系が非常に貴重であることと、絶滅の恐れのある種の育成地として重要であることが評価。 |
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ベトナム ホイアンの古い町並み |
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ホイアン トゥボン川から見たホイアンの旧市街地 |
■ホイアン(Hoi An, チュノム:會安)とは、ベトナム中部クアンナム省ダナン南方30キロにある古い港町。トゥボン川の河口に位置する。ヨーロッパ人にはファイフォ (Faifo) と呼ばれたこともある。中国人街を中心に古い建築が残り、1999年(平成11年)に「ホイアンの古い町並み」としてユネスコの世界遺産に登録されている。チャンパ王国時代からの古い港町で、16世紀にチャンパは南に後退し、フエに広南阮氏政権が樹立されるとその外港となった。ホイアンの名称はその頃に成立したと思われる。16世紀末以降、ポルトガル人、オランダ人、中国人、日本人が来航し国際貿易港として繁栄した。1601年には広南阮氏は徳川家康に書簡を送って正式な国交を求め、江戸幕府との取り引きが急速に拡大した。約30年間にわたる朱印船貿易のうち、広南には71隻が入港した。ホイアンには大規模な日本人街や中国人街が形成され、1623年にはオランダ東インド会社の商館も設けられるなど繁栄をみせたが、間もなく江戸幕府の鎖国により日本人の往来が途絶え、オランダの商館も1639年に閉鎖された。 |
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トゥボン川から見たホイアンの旧市街地と民族衣装の男女 |
17世紀後半、清朝と鄭氏台湾との対立から遷界令が出されたことは、さらにこの地域の交易を停滞させ、一時期の繁栄は失われていった。1770年代には西山(タイソン)党の乱によって町は完全に破壊されたが、やがて再建され、19世紀まで繁栄した。しかし、ホイアンと海を結ぶトゥボン川に土砂が堆積して浅くなり、港の繁栄はダナンに移った。 |
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東南アジアの歴史的遺跡 |
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インドネシア プラ・タマン・アユン |
タマン・アユン寺院 |
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■インドネシア・バリ島にある寺院:タマン・アユン寺院(Pura Taman Ayun) はバリ島で二番目に大きなヒンズー寺院です。この寺院には、ヒンドゥー教の破壊神シヴァを祀る11層のメルー(塔)が4基もある。タマン・アユンは「美しい庭園」という意味で、寺院内の庭園は本当に美しい。 参考 海外写真集・バリ島 |
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タマン・アユン寺院が、最初に建立されたのは1634年で、その後1937年に改修されている。バリで最も美しい寺院と形容されている、心の底から安らげる落ち着いた寺院である。 |
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■バリ島のタマン・アユン寺院の周囲には写真の様な堀が巡らされ、広々とした境内には、池や噴水などが造られている。バリで最も美しい寺院と形容されている。1634年に建築が始まり、バリ島中部で最大の勢力を有したメングウィ王国のもとで栄えた。広い境内にはアグン山を模した10基のメル(塔、マハメル(Mahameru/須弥山)のシンボル)が配されている。バリ島ではメル山は最高峰のアグン山とされる。 |
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バリ島のタマン・アユン寺院(バリ島のウブド近郊) メル(塔、マハメル(Mahameru/須弥山) |
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タマン・アユン寺院の正面の門(バリ島のウブド近郊) |
インドネシア・バリ タマン・アユン寺院の入り口 |
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タイの遺跡群 |
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古都スコタイ(タイ、1988.4発行) |
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■ピーマイ寺院 コラート県ピーマイにある、大寺院。11世紀前半から13世紀にかけて建築された。部屋の内部は密教寺院であったことをあらわす浮彫がみられるが、外には「ラーマ・ヤナ物語」が描写され、当時の密教とヒンドゥ教の共存がうかがえる。世界遺産には登録されていない。 下はエメラルド寺院(王宮)の立像 |
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タイの遺跡の中には現時点で世界遺産に登録されてるものもあります。 |
ピーマイ歴史公園の遺跡。 |
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■バン・チェン考古遺跡:紀元前1500年から紀元後300年にかけて東北タイに栄えた文化。1960年代にバンチェン村で古代の墳墓跡が発掘され、彩色土器や青銅器が発見された。バン・チェンは人類の文化、社会、技術がどのように発展していったかを知るのに貴重な資料となった。
1992年世界文化遺産 |
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インド・ブバネシュワルの古代遺跡 |
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■ブバネシュワルは石窟と古い寺院が多い所です。インドの歴史遺産となっています。寺院遺跡の多い古の宗教的聖地。切手はリンガラージ寺院。 |
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東南アジアの世界遺産・遺跡の切手|インド・カンボジア・タイ・ネパール・インドネシア・バングラディシュ・スリランカ・パキスタン・アフガニスタン・ラオス・韓国、マレーシア |
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