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古代エジプトとは
古代エジプト(こだいえじぷと)とは古代のエジプトに対する呼称。具体的にはB.C. 3000年前に始まった第一王朝からB.C. 30年にプトレマイオス朝が滅亡しローマ帝国の支配下に入るまでの時代を指す。古い時代から砂漠が広がっていたため、ナイル河流域の面積にして日本の4倍程度の範囲だけが居住に適しており、主な活動はその中で行われた。 ナイル河の上流は谷合でありナイル河一本だけが流れ、下流はデルタ地帯が広がっている。最初に上流地域(上エジプト)と下流地域(下エジプト)でそれぞれ違った文化が発展した後に統一されたため、王の称号の中に「上下エジプト王」という部分が残り、古代エジプト人も自国のことを「二つの国」と呼んでいた。 ナイル河は毎年氾濫を起こし、肥えた土を下流に広げたことがエジプトの繁栄のもとだといわれる。 ナイル河の氾濫を正確に予測する必要から天文観測が行われ、太陽暦が作られた。 太陽とシリウス星が同時に昇る頃ナイル河は氾濫したという。
古代エジプトの歴史と関連写真
B.C.は西暦(キリスト紀元)の紀元前を意味しています。 以下歴史は、出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』を参考にしています。
■ピラミッドカメラ (リアルタイムではないですが、リアルに近い感じでピラミッドの映像を見ることができます。)
ダハシュールの赤いピラミッド(Red Pyramid) |
ダハシュールの |
アレキサンドリア |
アレキサンドリア国立博物館メドゥーサ(Medousa)の絵画 |
王朝と年代 | 王様(ファラオ)と主な出来事 | 首都と参考ページ | |
エジプト原始王朝時代 (B.C. 4200年頃-B.C. 3150年) |
●B.C. 3800年頃、鉄器の生産が始まる。 |
・上下エジプトの |
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エジプト初期王朝時代 (B.C. 3150年-B.C. 2686年) |
●(第1〜第2王朝)国家の統一 |
・首都: |
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エジプト古王国(B.C. 2986年-B.C. 2181年) |
●(第3〜6王朝)ピラミッド構築時代
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・首都: |
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エジプト第一中間期(B.C. 2181年-B.C. 2040年) |
●(第7〜第10王朝)
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・関連頁 − |
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エジプト中王国(B.C. 2040年-B.C. 1663年) |
●(第11〜12王朝)
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エジプト第二中間期(B.C. 1663年-B.C. 1570年) |
●(第13〜第17王朝)
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・関連頁 − |
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王朝と年代 | 王様(ファラオ)と主な出来事 | 首都と参考ページ | |
エジプト新王国(B.C. 1570年-B.C. 1070年) |
●(第18〜20王朝)
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・首都:テーベ |
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エジプト第三中間期(B.C. 1069年-B.C. 525年) |
●(大司祭国家、第21〜第26王朝)
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エジプト末期王朝(B.C. 525年-B.C. 332年) |
●(第27〜第31王朝)
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・関連頁 − |
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プトレマイオス朝(B.C. 332年-B.C. 30年) |
●ギリシャ人による王朝。
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エドフ神殿の列柱 |
コム・オンボ神殿の入口 |
切りかけのオベリスク(遠景) |
アスワン・ハイ・ダム |
アブ・シンベル大神殿 ラムセスU世 |
アブ・シンベル小神殿 ネフェルタリとラムセスU世 |
クフ王のピラミッド |
カフラー王のピラミッドとスフィンクス |
メンフィス・2重冠のラムセス2世の巨像 |
メンフィス・トトメス王アラバスター(雪花石膏)製スフィンクス |
サッカラ・ジェセル王の階段ピラミッド(Pyramid of Djoser) |
ダハシュールの屈折ピラミッド(Bent Pyramid) |
■エジプトのファラオのエポック(他のページの写真も交えてご覧下さい)
・ラムセス2世は、古代エジプトの歴史中、最も偉大なファラオと言われています。すごい自己顕示欲の強い王で、他人の立像をちゃっかり自分の名前に書き換えたりしているものまであります。
・トトメス3世は積極的な領土拡大政策に乗り出した統治時代、エジプトは最大の領土を獲得します。
・アメンヘテプ3世が即位していた時代、古代エジプトはその繁栄の絶頂期を迎えていました。その頃、王の権力を凌ぐまでになっていたアメン神官団を嫌い、それまでのルクソール(テーベ)東岸から西岸に王宮を移転させます。アメン神官団との対立は、次のファラオ、アメンへテプ4世(アケナテン)の時代に決定的になります。ルクソール西岸にある、メムノンの巨像は彼の像であると言われています。
・ハトシェプスト女王は、古代エジプト最初の女性ファラオで、トトメス3世の義母です。幼くして即位したトトメス3世の後見役という立場でしたが、後にファラオとなります。公式行事には男装して、付け髭を着けて出ていました。ルクソール西岸に葬祭殿を設けたり、カルナック神殿には彼女の2本のオベリスクがあります。
■大ピラミッドのクフ王のジェドエフラーのピラミッド(別名は「失われたピラミッド」、場所はアブ・ロアシュ)から判明した事は、ピラミッドは大きな岩山を台形に削り(当時は青銅のノミ)、その上に化粧石を並べたものの様だ。クフ王のピラミッドもそうです。 また、その台形の岩盤の岩盤の中央に大きな竪穴を作り、そこに王を埋葬したと物語っている。いまだ見つからないクフ王のミイラもそんなことだと思う。目からうろこが落ちた気持ちです。
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