アフリカ・エジプトの写真|アブ・シンベル(アブ・シンベル神殿、ヌビア遺跡) |
世界遺産第1号(ヌビア遺跡)
世界遺産第1号はアブ・シンベル神殿(世界最大の岩窟神殿)です。 エジプトの首都カイロから約1000km離れたヌビア地方。 アブ・シンベル神殿(Abu
Simbel)は、エジプト南部、スーダンとの国境近くにあるヌビア遺跡と呼ばれています。 砂岩でできた岩山を掘り進める形で作られた岩窟神殿で、大神殿と小神殿からなっています。 建造主は古代エジプト新王国時代第19王朝の王、ラムセス2世で、大神殿は太陽神ラーを、小神殿はハトホル女神を祭神としている(小神殿は最愛の王妃ネフェルタリのために建造されたものでもあります)。 世界遺産の第1号のヌビア遺跡をご紹介します。 今から3200年も前に1枚岩から造られた、想像を絶する遺跡です。 スイス人が1813年に発見し、以降アスワンハイダムの建築で一層の脚光を浴びた。 アブ・シンベル神殿は、アスワン・ハイ・ダムの建設で水没の恐れがあり、1964年から1968年の間に、正確に分割されて、約60m上方のナイル川から210m離れた丘に移築された。 この「アブ・シンベルからフィラエまでのヌビア遺跡群(Nubian
Monuments from Abu Simbel to Philae)」は、エジプト南部のナイル川流域にある、古代エジプト文明の遺跡で世界遺産に登録されています。 ヌビア
(Nubia) とは、エジプト南部アスワンあたりからスーダンにかけての地方。 古代エジプト語のヌブ(金)から古代ギリシア・ローマ人がそう呼んだのが始まりだそうです。 距離は大した事無いが、危険で空路アスワンからアブ・シンベルに移動。 空港からは送迎バスで10km位。
アブ・シンベル大神殿
アブ・シンベル神殿を作ったのは古代エジプトのラムセス2世。 新王国時代第19王朝に君臨したラムセス2世は、古代エジプトで最も有名なファラオ。 当時には稀な180cmもの長身で、20代で即位し、果敢に外征を行い征服王として名を馳せました。 その治世は70年近くに及び、100人以上の子供をもうけ、90歳前後の長寿を全うしたといわれている歴代ファラオの中でもヒーロー的存在。 それだけに自己顕示欲も強く、自分の名前を刻んだ神殿をエジプト中に建造しました。 ラムセス2世は、世界遺産に登録されたカルナック神殿の大列柱室、ルクソール神殿の塔門など、多くの建造物を残していますが、なかでもナイル河岸(ナセル湖畔)の岩山をくり抜いて造られ、太陽神ラーを祀る大神殿と、王妃ネフェルタリのために建造された小神殿からなるアブ・シンベル神殿は群を抜く規模。アスワン・ハイ・ダムの建設で水没の危機に陥りますが、ユネスコの国際的救済活動により移築されるという数奇な運命を持つ遺跡でもあります。 大神殿、小神殿の内部は撮影禁止。 オリジナルは岩山をくりぬいた神殿だが、移動後はカモフラージュしたコンクリートのドームを基礎としている。
大神殿は幅約38m、高さ約33m。入口には高さ20mにもなるラムセス2世の座像が4体、大列柱室にはオシリス神の姿をしたラムセス2世の立像が8体、壁には王の勇壮なチャリオット(Chariot、戦車)にのる戦闘場面のレリーフ、ラムセス2世のオンパレード。奥の至聖所には、神々の像に交じり神格化されたラムセス2世の座像があり、年2回(王の誕生日と王に即位した日)、日の光が像を照らし出す設計。計算され尽くした建築技術にラムセス2世の神殿への思い入れ感じさせます。 それと愛妃・ネフェルタリの神殿(アブ・シンベル小神殿)、いずれも見事の一言。
■高さ20mものラムセス2世像が4体も並んでいる。小さなものかと思っていたが、人を圧倒させるには十分すぎるほどの巨大さと迫力があった。ラムセス(Ramses)は、古代エジプトの人名で、「ラー神の創造した者」を意味するラーメスのギリシア語表記。
■アブ・シンベル大神殿の四体の像はラムセス2世で、その前に並んでいるのは家族の像である。 奥にはプタハ神、アメン・ラー神、ラー・ホルアクティ神(太陽神)、そしてラムセス二世の像がある。神聖化された聖なる船の前で儀式を行う場面が描かれている。
浮き彫りには王の業績、北の壁にはカディシュの戦い、南の壁にはシリア・リビア・ヌビアとの戦いが描かれている。
★この神殿では、年に2回神殿の奥まで日の光が届き、神殿の奥の4体の像のうち、冥界神であるプタハを除いた3体を明るく照らす。 これを一目見ようと多くの観光客がその日に訪れる(場所を移した際にもともとの日から、1日ずれてしまったが)。 その2回とは元は2/22と10/22である。ラムセス2世の生まれた日か王に即位した日にこの現象が起こる。 冥界の神・プタハ神には陽があたらないと聞いています。 と信じられています。
★このことに関して、朝日がその日には右から左にあたって行くものと考える学者が主流だったが、最近になり右から2体目のラムセス2世にあたったのちに右(ラー・ホルアクティ神(太陽神))へ移動することが分かった。その日はラムセス2世が神になった日を象徴しているようだ。(2020年10月31日 世界ふしぎ発見から 河江肖剰先生)
アブ・シンベル小神殿
アブ・シンベル小神殿は、結婚25周年を記念して、ハトホル女神と王妃ネフェルタリに捧げられた神殿。立像が6体あって、そのうちの4体は王、2体はネフェルタリである。
脇には王子と王女を配置している。古代の絵において、ネフェルタリが常にラムセスの付き添いとして描かれていることより、彼女の王妃としての地位は揺るぎないものであったことが伺える。アブ・シンベルの地において、女神ハトホル(HaT-HoR)とネフェルタリ自身を称え記念して、新しい神殿(アブ・シンベル小神殿)の建造を命じるため、ヌビアに旅した際の航海の様子を描く絵の中にも、ネフェルタリが描かれている。
Abu Simbel temples refers to two massive rock temples in Abu Simbel in
Nubia, southern Egypt on the western bank of Lake Nasser about 230 km southwest
of Aswan (about 300 km by road). The complex is part of the UNESCO World
Heritage Site known as the "Nubian Monuments," which run from
Abu Simbel downriver to Philae (near Aswan).
The twin temples were originally carved out of the mountainside during
the reign of Pharaoh Ramesses II in the 13th century BC, as a lasting monument
to himself and his queen Nefertari, to commemorate his alleged victory
at the Battle of Kadesh, and to intimidate his Nubian neighbors. However,
the complex was relocated in its entirety in 1968, on an artificial hill
made from a domed structure, high above the Aswan High Dam reservoir.
ヌビア遺跡 ポストカード・切手より転載
アブ・シンベル神殿(ヌビア遺跡) ポストカード・切手より転載。
■ラムセス2世は、トルコ・アナトリア半島に王国を築いた民族であるヒッタイトと戦った。そのレリーフが多い。 中には動きを表すために、脚の本数が多い馬や腕の数が多い人間も居て、面白いですよ。
■ヒッタイト(英:Hittites)は、インド・ヨーロッパ語族のヒッタイト語を話しアナトリア半島に王国を築いた民族。紀元前1285年頃、古代エジプトとシリアのカデシュで衝突。ラムセス2世のエジプトを撃退する。ラムセス2世は、勝利の記録を戦いの様子と共にアブ・シンベル神殿やルクソールなどの神殿に刻んでいるが、実際にはシリアはヒッタイトが支配を続けた(カデシュの戦い)。この際に、世界最古の講和条約が結ばれた。
■チャリオット(Chariot)とは古代に用いられた、兵士を乗せ馬に引かせる戦闘馬車。チャリオット(戦車)は古代オリエント世界ではシュメール、ヒッタイト、アッシリア、古代エジプト、ローマ、ペルシア、古代中国、古代インドなどで使用された。
■ラーは太陽神であり、古代エジプト人は太陽の昇り沈みとともにラー自体も変形すると考えた。日の出のときはタマオシコガネの姿のケプリとして現れ、日中はハヤブサの姿をして天を舞い、夜は雄羊の姿で夜の船に乗り死の世界(夜)を旅するとされている。 アメン神と習合して「アメン・ラー」となる。※アメン(Amen 、エジプト語ラテン文字転写:imn)は、古代エジプトの太陽神。アモン(Ammon)、アムン(Amun)と表記もある。 また、アンモナイト、アンモニウム塩、アンモニアなどの語源にもなっている。 アンモナイトは「Ammon (アモン神) + -ites (…石)」から来ており、「アモンの石」の意。 アメンはルクソール東岸編で。
アブ・シンベル空港と近郊
アブ・シンベル空港(en:Abu Simbel Airport)からアブ・シンベル神殿へは、エジプト航空の無料送迎バスで約10分。バスは飛行機の発着に合わせて往復するが、基本的にどのバスに乗ってもよい。
入口には合歓の木が沢山ありました。 アスワンからアブ・シンベルへは飛行機で1時間程度(アスワンからさらに約300km離れたアブ・シンベル神殿)。 飛行機も天候で飛ばない事もままあると聞いています。 カイロへの直行便は無く、アスワン空港を経由して。 ともに小さくて砂漠の中に立つため周り一帯は砂だらけです。砂嵐の際は封鎖になってしまいます。 トイレは1つしかないため混雑するので機内ですませる方がよいでしょう。 この空港は、特に空港に入る際のチェックが厳しいですよ。 水物は厳禁です。
アフリカ・エジプトの写真|アブ・シンベル(世界遺産第1号のアブ・シンベル神殿、ヌビア遺跡) |
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