アフリカ・エジプトの写真|ルクソールの西岸 王家の谷 |
クソール・王家の谷
王家の谷(The Valley of the Kings 、ネクロポリス)は、エジプト、テーベ(現ルクソール)のナイル川西岸にある岩山の谷にある岩窟墓群。古代エジプトの新王国時代の王たちの墓が集中していることからこの名があり、24の王墓を含む64の墓が発見されている。 西の谷と東の谷があり、東の谷に60、西の谷に4の墓がある。 新王国時代以前の王の墓の多くが盗掘にあっていたことから、トトメス1世によってはじめて自分の墓のありかを隠す目的でこの谷に初めて岩窟墓が建設された。 その後の長い歴史の中で王家の谷にある墓の多くも盗掘を受けたが、1922年に発掘されたツタンカーメン(トゥトアンクアメン)王の墓は唯一未盗掘で、副葬品の財宝が完全な形で発見された。
入口で撮影機材は全て没収で撮影禁止。
The Valley of the Kings , less often called the Valley of the Gates of
the Kings, is a valley in Egypt where, for a period of nearly 500 years
from the 16th to 11th century BC, tombs were constructed for the Pharaohs
and powerful nobles of the New Kingdom (the Eighteenth to the Twentieth
Dynasties of Ancient Egypt). The valley stands on the west bank of the
Nile, opposite Thebes (modern Luxor), within the heart of the Theban Necropolis.
The wadi consists of two valleys, East Valley (where the majority of the
royal tombs situated) and West Valley.
王家の谷(ネクロポリス)のシンボルのアル・クルン山 |
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■テーベ(現ルクソール)のナイル川西岸にある岩山の谷にある岩窟墓群の王家の谷で見たものは、ツタンカーメン(KV62、ミイラが見学できました)とラムセス3世(KV11)、ラムセス7世(KV1)、ラムセス9世(KV6)の墓所のみ。写真撮影は電気自動車の発着場所から禁止で、写真や資料はガイドブック若しくは切手で代用しています。全体的な感想は、非常に多数のレリーフが綺麗に残っている。ツタンカーメンは少し残念。
■ネクロポリス(necropolis)は、巨大な墓地または埋葬場所である。
■2007年6月、エジプト考古学庁のザヒ・ハワースは、1903年にハワード・カーターらにより王家の谷の「KV60」と呼ばれる小さな墓で発見された身元不明のミイラをハトシェプスト女王と断定した。KV60には、棺に入れたミイラと、そのまま横たえられたミイラが2つあり、この状況から1990年までは、このミイラは重要なものであるとは考えられておらず、KV60に葬られたままになっていた。
王家の谷の絵葉書から
王墓の壁面や天井には色鮮やかに彩色された壁画やレリーフが残されている。これらは美術でもあるが、人に見せるものではなく死者が来世で再生復活を果たすための切実な祈りや願いであった。王墓には「冥界の書」や「死者の書」と言う宗教テキストが描かれる事が多かった。冥界を旅して復活を果たすための案内書です。 ラムセス6世の王墓には「夜の書」がある。天空の女神・ヌトが夕方に太陽を飲み込み、翌朝太陽を産む。 不思議な死生観です。 でもギラギラする太陽を見ていると分かる気がする。
■テーベ は、古代エジプトにあった古代都市の遺跡である。現在のルクソール近郊にある。ナイル川東岸、地中海から約800km南方に位置する。上エジプト4番目の都市であり、現地では「ワセト」(Waset)と呼ばれた(「ワセト」は「都市」とほぼ同義)。「テーベ」は東岸を意味する「タ・アペト」との音の類似により、ギリシャ人がボイオティアの古都「テーバイ」と同じ呼称を与えたものという説がある。古代エジプトの王都はメンフィスに置かれることが多かったが、中王国の第11王朝から新王国の第18王朝までテーベがエジプトの都とされた。その後、第19王朝でデルタに遷都されたが、アメン信仰の総本山であるカルナック神殿を中心として、重要な宗教都市としての地位を保ち続けた。 テーベの遺跡群はその考古学的価値が高く、古代エジプト文明の貴重な証言者となっている。また、現代ではナイル川西岸の葬祭殿(ハトシェプスト女王葬祭殿)と墓所群(王家の谷)もテーベの一部であると見なされている。 旧約聖書では「ノ・アモン」(アメン神の都市)と記録され、古代ギリシャの詩人ホメロスはイリアス(BC7C)でテーベの富と財宝について触れ、感嘆の言説を述べている。 「ルクソール」と「カルナック」はテーベ郊外の2つの重要な神殿遺跡、および周辺街に名付けられたアラビア語の呼称である。
王妃の谷
※ネフェルタリ(Nefertari, NeFeRTaRi)は、古代エジプト第19王朝、第3代目のファラオ、ラムセス2世(RaMSeS II,
通称:ラムセス大王)の正妃(第一王妃)である。ネフェルタリは、アメン神の神后の称号を持ち、この称号によって、独立した多くの富と権力を授けられた。
ネフェルタリは夫ラムセスに深く愛されていたと見られ、王妃の谷のなかにあって、もっとも壮麗な彼女の王妃墓-QV66からもそれが伺える。ラムセスはこの最愛の妻を、「そなたが為、太陽の燿く者」と呼んだ。メリトアモンをはじめ、5人の息子と娘を儲けたが、ネフェルタリは若くして世を去ることとなった。墓内は入室・写真撮影禁止。 (関連:遺跡|アブ・シンベル)
ツタンカーメン
ツタンカーメン(トゥト・アンク・アメン(「アモン神の生ける似姿」の意、Tut-ankh-amen))の墓は、1922年11月4日にイギリスのカーナヴォン卿の支援を受けた考古学者ハワード・カーターにより発見、発掘された。
Tutankhamun (alternately spelled with Tutenkh-, -amen, -amon) was an Egyptian
pharaoh of the 18th dynasty (ruled c.1333 BC - 1323 BC in the conventional
chronology), during the period of Egyptian history known as the New Kingdom.
His original name, Tutankhaten, means "Living Image of Aten",
while Tutankhamun means "Living Image of Amun". In hieroglyphs,
the name Tutankhamun was typically written Amen-tut-ankh, because of a
scribal custom that placed a divine name at the beginning of a phrase to
show appropriate reverence. He is possibly also the Nibhurrereya of the
Amarna letters, and likely the 18th dynasty king 'Rathotis' who, according
to Manetho, an ancient historian, had reigned for nine years - a figure
which conforms with Flavius Josephus's version of Manetho's Epitome.
王家の谷の切手と発見された王墓
王家の谷に関連するラムセスU世と ツタンカーメンの切手。
ラムセスU世 |
ツタンカーメン |
■新王国時代以前の王の墓の多くが盗掘にあっていたことから、トトメス1世によってはじめて自分の墓のありかを隠す目的でこの谷に初めて岩窟墓が建設された。 |
■王家の谷で発見された主な王墓 |ツタンカーメン王墓(KV62) 、トトメス1世王墓(KV38) 、トトメス3世王墓(KV34) 、ラムセス1世王墓(KV16) 、ラムセス2世王墓(KV7) 、ラムセス3世王墓(KV11) 、ラムセス4世王墓(KV2) 、ラムセス6世王墓(KV9) 、ラムセス7世王墓(KV1) 、ラムセス9世王墓(KV4) 、ラムセス10世王墓(KV18) 、セティ1世王墓(KV17) 、セティ2世王墓(KV15) 、アメンヘテプ2世王墓(KV35)、ハトシェプスト女王墓(KV60) 、アイ王墓(WV23) など |
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■2007年6月、エジプト考古学庁のザヒ・ハワースは、1903年にハワード・カーターらにより王家の谷の「KV60」と呼ばれる小さな墓で発見された身元不明のミイラをハトシェプスト女王と断定した。 カイロのエジプト考古学博物館に保管。 ハトシェプストの名が刻まれたカノプス壺(別の場所で1881年に発掘)に入っていた臼歯とミイラの歯茎の穴をCTスキャンしたものが一致し、また既に確定しているハトシェプストの親族のミイラとの間のDNAの類似性が認められたことにより、KV60に葬られたミイラがハトシェプストと判明した。 |
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