UNESCO 世界遺産(アフリカ)の切手
私達にとって歴史はエジプトから始まります。そのアフリカの世界遺産の切手を選びました。エジプトやエジプト文明に関するもの(メンフィスとその墓地遺跡−ギザからダハシュールまでのピラミッド地帯、古代都市テーベとその墓地遺跡、アブ・シンベルからフィラエまでのヌビア遺跡群、イスラーム都市カイロ、 アブ・メナ、聖カタリーナ修道院地域、ワディ・ヒタン )が中心になっています。 どうしても世界遺産は国連発行切手が中心ですが、アフリカの場合は自国だけでなく西洋でも東洋でもない文化もあり、世界の国々で切手が発行されています。また、アフリカは人類発祥の地とも言われ南アフリカでは人類化石の切手も発行されています。 アルジェリアや南アフリカのグレーター・セント・ルシア湿地公園、スタークフォンテン、スワートクランズ、クロムドライ及び周辺地域の人類化石遺跡群、ロベン島 、ウクハランバ/ドラケンスベアク自然公園 、マプングブエの文化的景観 、ケープ植物区系地方の保護地区群 、フレデフォート・ドーム 、リフタスフェルトの文化的・植物的景観 、タンザニアのキリマンジャロ、スーダンのナパタ地方のゲベル・バーカルと遺跡群、ケニア、ウガンダ を収録。 アブ・シンベルからフィラエまでのヌビア遺跡群(Nubian Monuments from Abu Simbel to Philae)は、エジプト南部のナイル川流域にある、古代エジプト文明の遺跡で、この保護のために世界が立ち上がった。 参考:社団法人 日本ユネスコ協会連盟のHP(世界遺産活動)
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世界遺産(アフリカ,Africa World Heritage Stamps) |
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エジプトの世界遺産 |
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■アブ・シンベルからフィラエまでのヌビア遺跡群(Nubian Monuments from Abu Simbel to Philae)は、エジプト南部のナイル川流域にある、古代エジプト文明の遺跡。1960年代、エジプトでナイル川流域にアスワン・ハイ・ダムの建設計画が持ち上がったが、このダムが完成すると、ヌビア遺跡が水没する危機が懸念された。これを受けて、ユネスコが、ヌビア水没遺跡救済キャンペーンを開始。世界の60ヶ国の援助により、技術支援、考古学調査支援などが行われた。 |
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アブ・シンベルからフィラエまでのヌビア遺跡群 |
ラムセス2世とアブ・シンベル |
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■ヌビア遺跡群:エジプト南部のナイル川流域にある、古代エジプト文明の遺跡。 |
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アブ・シンベル神殿 |
ネフェルティティ女王 |
ヌビア遺跡保護(シリア) |
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アブ・シンベル神殿 ラムセス2世像 |
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■ラムセス2世(ラムセス2せい、Ramesses II、ラムセス大王(ラムセスだいおう)、紀元前1314頃 - 紀元前1224年、または紀元前1302頃
- 紀元前1212年)は、古代エジプト第19王朝のファラオ(在位:紀元前1290 - 紀元前1224年、または紀元前1279 - 紀元前1212年)。アブ・シンベル神殿を建造したと言われている。 |
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アブ・シンベル神殿(1959) |
アブ・シンベル小神殿(1960) |
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ヌビア遺跡保護 アブシンベル小神殿とネフェルタリ(レバノン) |
エジプトの主要遺跡・世界遺産とナイル川(ツーリズム) |
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■エジプトの世界遺産 |
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ヌビア遺跡・アブ・シンベル神殿(エジプト、1914年) |
アブ・シンベル神殿の彫像 |
ヌビア遺跡(エジプト) |
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ホルス神 |
水没のヌビア遺跡 |
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ラムセス2世と王妃ネフェルタリ |
BC2724年のアヒル(墓の絵画) |
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古代都市テーベとその墓地遺跡(ルクソール) |
メンフィスとその墓地遺跡−ギザからダハシュールまでのピラミッド地帯 |
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ギザの三大ピラミッド(1933) |
スフィンクス |
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■ルクソール神殿・遺跡:古代エジプトの都テーベがあった場所で、現在も数多くの遺跡が残っている。日が昇る方角であるナイル川の東岸には、カルナック神殿やルクソール神殿など生を象徴する建物が、日が沈む方向のナイル川西岸には死を象徴する、王家の谷や王妃の谷などがある。王家の谷にあるツタンカーメン王の墓は有名。市内にある遺跡の多くが、古代都市テーベとその墓地遺跡 として世界文化遺産に登録されている。 |
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古代のテーベ |
ギザの三大ピラミッド他 |
ラムセス2世(エジプト) |
ツタンカーメン(エジプト) |
国連2005/8/4 発行 |
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ツタンカーメン王の墳墓からの出土品(エジプト、1976年) アイベックス(ibex)、 |
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ギザの三大ピラミッド(1959年) |
ネフェルティティ女王(エジプト) |
ラムセス2世(エジプト) |
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ツタンカーメン立像 |
ツタンカーメンの父、新王国時代・紀元前14世紀頃の王イクナートン(イク・ン・アトン、アクエンアテン)と、クレオパトラと並び称される絶世の美女・ネフェルティティ王妃ほかの彫像。 |
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イスラーム都市カイロ |
フィラエ神殿(アスワン) |
カイロのアズハル・モスク(Al Azhar Mosque) |
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国連2005/8/4 発行 |
アズハルモスクはカイロで3番目に古いモスクで、972年に完成。 |
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■エジプトのサッカラの階段ピラミッドは古代エジプトの古都メンフィスのネクロポリス(古代の墓地)として第一王朝のころから多くのマスタバ(煉瓦で造った墓)が造られていた。エジプトで最初に造られたといわれるピラミッド、ジョセル王の「階段ピラミッド」がある。ジョセル王は古王国時代第3王朝(B.C2686−2613)の2代目のファラオ。もとの高さ60メートル、底辺の長さ東西123メートル、南北107メートル。そこにはツタンカーメンの乳母のミイラも保管されていた。 エジプトはパワーポイントだらけです。 |
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アズハル・モスク(Al Azhar Mosque) 当時、巡礼に来たついでに故郷から持参したものを売り、そこで売られているものを買って故郷に戻るというのが巡礼の典型的なパターンであったが、アズハルモスクに隣接してハーン・ハリーリ市場が作られたことなど、アズハルモスクの重要性が伺える。 |
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ピラミッド(トルコ、1916-8年) |
サッカラ・ピラミッド |
スフィンクス |
ヌビア遺跡救済 |
最古のピラミッド |
国連2005/8/4 発行 |
アブ・シンベル神殿(Abu Simbel)は、エジプト南部、スーダンとの国境近くにあるヌビア遺跡にある。 |
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アブ・メナ |
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国連2005/8/4 発行 |
■アレクサンドリアの南西にあるこの街は4世紀からこの地域で独自に発達したキリスト教、コプト最大の聖地として栄えた。古代ローマで殉教した聖者メナス生誕の地でもあり、教会、洗礼堂、修道院、巡礼のための宿泊施設など独自の文化が見られる。9世紀に侵略者の破壊などで砂漠の廃墟と化したが、発掘で明らかとなる。 |
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聖カタリーナ修道院(Saint Catherine's Monastery) |
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国連2005/8/4 発行 聖カタリーナ修道院地域 |
■モーゼ(モーセ)が十戒を授かったことで知られるモーゼ山の麓にある聖カタリーナ修道院。ユダヤ教、キリスト教、イスラムにとって重要な聖地とされ、現在でも多くの巡礼客を集めている。聖カタリーナ修道院は現在も継続して機能する、キリスト教:正教会の世界最古の修道院である。聖カタリナ修道院(:Saint Catherine's Monastery)は、エジプト、シナイ山の麓にある峡谷の河口、シナイ半島に位置する正教会の修道院の名称。他に聖カテリナ修道院、聖カトリーナ修道院、聖エカテリニ修道院とも称される。修道院は現在も継続して機能する、キリスト教:正教会の世界最古の修道院。 |
聖カタリーナ修道院 |
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シナイ山の聖カタリーナ修道院(エジプト、1966年) |
シナイ山の聖カタリーナ修道院 |
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シナイ山(Mount Sinai) は、シナイ半島にある、モーセが神から十戒を授かったとされる場所。ホレブ山 (en:Horeb) とも呼ばれる。 聖書のシナイ山の正確な場所は定かではないが、アラブ人がジェベル・ムーサー(アラビア語で「モーセ山」の意)と呼ぶシナイ半島南部の山(標高2,285
m)に古くから比定され、アブラハムの宗教によって神聖視されている。 ジェベル・ムーサーにはモーセに関わる伝承を持つ泉や岩が数多く存在し、土地の人々の信仰の対象となっている。3世紀には聖カタリナ修道院が建設された。 |
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エジプトの世界遺産・参考写真 |
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ルクソールの |
ハトシェプスト女王葬祭殿 |
カルナック神殿の入口 |
ルクソール神殿の大列柱廊 |
ダハシュールの |
ダハシュールの |
アブ・シンベル大神殿 |
アブ・シンベル小神殿 |
クフ王のピラミッド |
カフラー王のピラミッド |
サッカラ・ジェゼル王の |
ダハシュールの屈折ピラミッド |
ローマ時代の水道橋 |
カイロ ギリシャ正教会の |
世界遺産 シタダル(城塞砦) |
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南アフリカの世界遺産 |
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(1)グレーター・セント・ルシア湿地公園 (2)スタークフォンテン、スワートクランズ、クロムドライ及び周辺地域の人類化石遺跡群 (3)ロベン島 (4)ウクハランバ/ドラケンスベアク自然公園 (5)マプングブエの文化的景観 (6)ケープ植物区系地方の保護地区群 (7)フレデフォート・ドーム (8)リフタスフェルトの文化的・植物的景観 |
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グレーター・セント・ルシア湿地公園 |
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南アフリカのグレーター・セント・ルシア湿地公園は、ナタール地方のダーバンから海岸沿いにかけて広がるズールーランド(15世紀に移住してきたズールー族の土地)と呼ばれる地域にあり、インド洋に面して長さ220qの長さを持つ大湿地帯です。240,000ヘクタールの広さを持つこの大湿地帯は、アフリカでも有数の多彩な地形と、48種類の絶滅のおそれのある「種」も含めて多種多様な動植物の「種」が生息しています。 |
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スタークフォンテン、スワートクランズ、クロムドライ及び周辺地域の人類化石遺跡群 |
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スタークフォンテン(アウストラロピテクス・アフリカヌスの頭蓋骨) |
1924年に南アフリカで第1号化石が発見されて以来、現在までにさまざまな属・種の化石が発見されている。代表的なグループとしては、約420万〜250万年前のアウストラロピテクス属と、約250万〜150万年前のパラントロプス属がある。1990年代以降に発見された600万年前ころの、アルディピテクス属、オロリン属、サヘラントロプス属も、発見者らの主張するように原始的な人類とみとめられるのであれば、猿人にふくめられる。これまでに認識されているすべての種がアフリカでのみ発見されており、猿人はユーラシア大陸へ進出することはなかったらしい。 |
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ロベン島 |
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南アフリカのロベン島の自然も内容が豊富で、原産の植物がとりわけ美しく、またジャッカス・ペンギンはその数を急速に増加させています。 1997年1月、この島は芸術・科学・文化・技術省の管轄となり、島全体が博物館に指定され、平和な時を刻みはじめています。 |
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ウクハランバ/ドラケンスベアク自然公園 |
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■南アフリカ東部に位置するドラケンスベアク山脈の山々。最高峰タバナ・ヌトレニャナ(標高3482m)を含むドラケンスベアク山脈(ズールー語の呼称は「ウクハランバ」で、「槍の壁」を意味する言葉)の自然保護区。2000年世界遺産登録。無額面(航空用)切手。ドラケンスバーグ山脈は本来のアフリカ高原の残滓にあたり、砂岩からなる基盤岩の上に厚さ1500m以上の玄武岩の層が載っている。そのため山腹の急峻な山塊と尖峰が入り混じる山容を示す。砂岩の壁面にところどころ口を覗かせる洞窟には、サン人による洞窟壁画が多く残る。 |
ウクハランバ/ドラケンスベアク自然公園 |
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アルジェリアの世界遺産 |
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(1)ベニ・ハンマードの城塞 (2) ムザブの谷 (3)ジェミラ (4)ティパサ (5)ティムガッド (6)アルジェのカスバ (7)タッシリ・ナジェール |
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タッシリ・ナジェール |
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■タッシリ・ナジェール(Tassili n'Ajjer)は、アルジェリア南東部、サハラ砂漠にある山脈。およそ500kmにわたり拡がっており、最高点は標高2158mの Adrar Afao(北緯25度10分、東経8度11分)である。最も近い町は山脈の南西約10kmにあるジャーネットである。 ここには糸杉が多く生い茂り、考古学的な景観も含んでいることから、「タッシリ・ナジェール国立公園」として国立公園、生物圏保護区、ラムサール条約登録地に指定されており、ユネスコの世界遺産にも登録されている。 山脈はほとんどが砂岩で形成されている。この地域の浸食作用が、他の目を惹く景観ともども形成されている300の自然石のアーチを生み出した。山脈はまた、先史的な岩絵群や他の考古学的景観で知られている。それらは、一帯が砂漠でなくサバンナに恵まれ湿潤だった新石器時代に遡るものである。岩絵には、牛の群れ、ワニなどの大型生物、狩猟や舞踏といった人々の活動などを活写している。 その様式は南アフリカの前ングニ美術 (pre-Nguni art) や、西暦1200年以前にサン族によって描かれた洞窟壁画などとも類似性を持つものがある。 |
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タッシリ・ナジェール(Tassili n'Ajjer)の新石器時代(B.C.6000)の洞窟壁画(アルジェリア、1966年) 2人の少女、羊飼い、牛 ほか |
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ボツワナの世界遺産 |
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(1)ツォディロ |
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ツォディロの洞窟の壁画 |
■ツォディロは、ボツワナの北西部にある地域。カラハリ砂漠の10キロ四方に広がる鮮やかな4500以上の岩絵群は、「砂漠のルーブル」の異名をとる。主に岩絵を描いたのはサン人で、彼らの世界観や美術様式を理解する上で、重要な拠点となっている。 |
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モロッコの世界遺産 |
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(1)フェス旧市街 (2)マラケシ旧市街 (3)アイット-ベン-ハドゥの集落 (4)古都メクネス (5)ヴォルビリスの古代遺跡 (6)テトゥアン旧市街(旧名ティタウィン) (7)エッサウィラのメディナ(旧名モガドール) (8)マサガン(アル・ジャジーダ)のポルトガル都市 |
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アイットベンハドゥ(Ait Ben Haddou)の集落(フランス,2007年) |
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■カスバとは、オスマン帝国領下の16世紀において、モロッコのアルジェに建てられた城塞のことである。アイットベンハドゥ(Ait Ben Haddou)の集落(フランス,2007年)はモロッコのカスバ街道随一の遺構。 |
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タンザニアの世界遺産 |
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(1)キルワ・キシワニとソンゴ・ムナラの遺跡群 (2)ザンジバル島のストーン・タウン (3)コンドアの岩絵遺跡群 (4)ンゴロンゴロ保全地域 (5)セレンゲティ国立公園 (6)セルース猟獣保護区 (7)キリマンジャロ国立公園 |
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キリマンジャロ |
キリマンジャロ |
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■「キリマンジャロは標高六〇七六メートル、雪に覆われた山で、アフリカの最高峰と言われている。その西の山頂は、マサイ語で“ヌガイエ・ヌガイ”、神の家と呼ばれているが、その近くに、干からびて凍りついた、一頭の豹の屍が横たわっている。それほど高いところで、豹が何を求めていたのか、説明し得た者は一人もいない」(ヘミングウェイ著、高見浩訳『勝者に報酬はない・キリマンジャロの雪』新潮文庫、「キリマンジャロの雪」より) ヌガイエ・ヌガイ――マサイ語で「神の家」。 マサイ族たちは雪や氷を見たことはもちろん聞いたことさえなく、この輝ける山の不可思議な白さ・美しさに魅せられて、この山を神の住まいと崇めて生きてきた。キリマンジャロはアフリカの大きなパワースポットです。 |
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(タンザニア、2000年) |
(ケニア・ウガンダ・ |
■キリマンジャロは、アフリカ最高峰。ウルフピークの高さは5,895m。スワヒリ語で「キリマ=丘」「ンジャロ=輝く」という意味が表す通り、頂上付近のキボ峰の氷河や氷雪は、赤道直下にもかかわらず一年中光り輝き、万年雪に覆われている。耕地化された低地部のゲートから、霧深い森林地帯を抜け、湿原地帯、そして高地部の斜面に広がる草もない風景へ。西からシラ峰、キボ峰、マウエンジ峰の3つから成る。南東部には巨大なカルデラがある。中央にあるキボ峰が最高峰で、頂上はウフル・ピークとよばれている。ウフルとは独立の意味。(世界遺産) |
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“アフリカ最高峰”キリマンジャロ(タンザニア・標高5895m) |
キリマンジャロ(ケニア) |
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スーダンの世界遺産 |
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(1)ゲベル・バルカルとナパタ地域遺跡群 (Gebel Barkal and the Sites of the Napatan Region) |
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ナパタ地方のゲベル・バーカルと遺跡群 |
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Bohein temple、B.C.1500(スーダン、1962年) | |||
■ゲベル・バルカルは、スーダン北部にある高さ98mの小山。ハルツームの約400km北にあたり、ナイル川の屈曲部沿いにある。紀元前1450年前後に、エジプトのファラオ、トトメス3世がこの地方まで領土を拡げた時には、ゲベル・バルカルを南限とした。そこに彼は都市ナパタを建設したが、300年ほど後に、そこはクシュ王国(最初の発達した社会がエジプト第1王朝(紀元前3100年頃から紀元前2890年頃)の時代ごろヌビアに現れた。クシュの国として知られている最初の国はケルマ王国で、紀元前2600年ごろに興り、ヌビアの全てとエジプトの一部を支配した。)の首都となった。ゲベル・バルカルにあるアモン神殿のような大神殿は、地元民から神聖視されていたと見なされている。 |
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ケニアの世界遺産 |
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ケニアの世界遺産は、(1)ラム旧市街、(2)ケニア山国立公園/自然林 、(3)トゥルカナ湖国立公園群 |
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ケニア山国立公園/自然林 |
■ケニア山(スワヒリ語: Mlima Kenya, 英語: Mount Kenya)はケニア共和国中央にそびえる山。標高は5,199 mで、ケニア最高峰であり、アフリカ大陸でもタンザニアのキリマンジャロにつぎ、第2位。赤道直下に位置するにもかかわらず、氷河を戴いている。 また、標高の3,350 m以上がケニア山国立公園としてユネスコの世界遺産(自然遺産)に登録されている。 |
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“神の山”ケニア山(標高5199m)ケニア山国立公園/自然林 |
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ウガンダの世界遺産 |
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ウガンダの世界遺産は、(1)カスビのブガンダ歴代国王の墓、(2)ブウィンディ原生国立公園 、(3)ルウェンゾリ山地国立公園 |
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ルウェンゾリ山地国立公園 |
■ルウェンゾリ山地は、アフリカ中部、ウガンダとコンゴ民主共和国の国境に位置する小規模だけれども壮観な眺めを持つ山地。最高峰の標高は5109mである。ルウェンゾリの山頂付近は赤道直下にもかかわらず万年雪を冠しているが、アフリカ大陸で万年雪を戴くのはキリマンジャロ山とケニア山、そしてこのルウェンゾリだけである。ルウェンゾリ山地はしばしばプトレマイオスが記録した「月の山」に比定されることがある。しかし、そう決め付けるには、元の記述が曖昧に過ぎる。ルウェンゾリ山地は、アフリカ大地溝帯に属する西リフトバレーの側面が隆起したことによって形成された。山地の長さは約120km、幅65kmである。この山地は、深い峡谷に区切られたスタンリー山群 (Mount Stanley, 5109m)、 スピーク山群 (Mount Speke, 4890m)、ベイカー山群 ( Mount Baker, 4843m)、 エミン山群 (Mount Emin, 4798m)、ゲッシ山群 (en:Mount Gessi, 4,715m)、 ルイジ・ディ・サヴォイア山群 (Mount Luigi di Savoia, 4627m)の6つの山塊から成り立っている。出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 |
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“月の山”ルウェンゾリ |
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レソト(LESOTHO)の歴史遺産(岩絵) |
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"Trance Dancers"; "Baboons, Sehonghong Thaba Tseka;" "Hunter attacking mountain reedbuck, Makhetha Berera;" and "Eland, Leribe." |
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レソト(周囲をすべて南アフリカにかこまれた内陸国で、旧名バストランド。)は伝統を重んじ、伝統によって育まれてきた国でもあります。19世紀に建てられたコメ洞窟住居には、その当初より代々続いた家族が今でも暮らしています。洞窟は一度修復を受け、インフォメーションセンターも設置されました。現在は国家遺産として指定されています。ブッシュマン(サン族)による岩絵の宝庫でもあります。国内のいたる所に、伝統や狩猟方法、長く忘れられてしまった生活様式などを描いた岩絵が残っており、歴史家に多くの重要な情報を提供しています。アフリカ人固有の宗教は唯一の神… 自然のさまざまな面にその姿を鮮やかに映しだしている神 … を信仰してきた。神は創造の内にいますと同時に創造の外にもおわす。すべての事物全体を貫く生命の力として神は存在する。アフリカ人の伝統的な世界観には、物質の活動と人間の行動を同一視する考え方がある。人間と自然環境の両方に物質と精神が重なりあって存在する… 精神的なものは物質として明示される… のがこの世界だと理解されているのである。要するに、精神も物質も神の創造物なのである。 |
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UNESCO 世界遺産(アフリカ)の切手 |
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