アフリカ・エジプトの旅行写真|古代遺跡 グレコ・ローマン時代の遺跡・エドフ神殿 |
エドフ(Edfu、仇討ち)とは
エドフ(Edfu、仇討ち)は、ナイル川の西岸、アスワンの北123kmにエドフの町があります。それはプトレマイオス朝時代に遡ります。かつては上エジプトの州都として栄えた町。 ホルス神殿・エドフには、隼の形をしたホルス神に捧げられた神殿、エドフ神殿(別名、ホルス神殿)があります。 エジプト神話による、ホルス神とセト神の戦いが行われた場所の1つです。ルクソールとアスワンの中間点にある、グレコ・ローマン時代の遺跡・エドフ(ホルス神殿)
エドフ神殿(ホルス神殿)
エドフ神殿(ホルス神殿)は、トトメスV世時代の古い神殿があったが、プレトマイオス朝時代に新たな神殿が建て直された。 紀元前237年から紀元前57年の間に建設され、現在、エジプト内でも最も保存状態がよいもの。 レリーフが削られていたり、デザインが洗練されていなかったりする為に美術的にはあまり見るものはありませんが、エジプトの神殿建築の構造が良くわかります。 エドフでは巨大な塔門(さ36m、幅137メートルの第一塔門)を持つホルス神殿。 ファラオ時代とギリシアの建築様式を取り入れた壮麗な建造物です。エジプトの神殿で最も美しい神殿の一つで、カルナック神殿に次ぎ2番目に大きな神殿です。
エジプト歴代のファラオはホルス神の化身とされています。 ホルス神は鷲(隼と言い説も)で、このホルス神がエジプト航空のマークとなっています。 壁面のレリーフの一部は、コプト教会として使用されていた時代に破壊されている。 入口にはナイロメーターと巨大な塔門があります。1860年、有名な考古学者マリオットによって発見されました。壁面にはプトレマイオス朝の歴史が描写されています。エドフ神殿では、神殿の奥の至聖所には、復元されたホルス神のレバノン杉で作られた珍しい聖船が残っていました。 また、写真には多数のオーブが映ってました。 強烈なパワースポットですか? 他の方の写真にも。
■オシリスとイシスの伝説とは、オシリスとイシス及びセト、ホルス神を巡るエジプト神話上の一連のエピソード。神話時代の昔。オシリスとセトは兄弟であったがある日、オシリスが館を留守にしている間にセトは72名の廷臣達と暗殺の謀り事を企む。オシリスが帰ってきたとき、木棺にピッタリ入った者には褒美が贈られるという催しがあった。木棺はオシリスの体に合わせてセトらが作らせた物であったが、何も知らないオシリスはピッタリした棺に気持ちよく横たわった。するとオシリスが抵抗する暇もない間に蓋がかぶせられ、隙間には鉛が流し込まれた。そして棺はナイル川に流されることとなる。オシリスの妻であり妹でもあるイシスは心を痛め、自らの長けた魔術を駆使しビブロスの宮殿で柱となっていた棺を探し当てて、秘密の場所に隠した。 だが、それを知ったセト(カバの姿)は執念で棺を探し回り、木棺の中の遺体を14の部分に切断してしまう。イシスは再び救出に赴き、パピルスの舟で遺体の破片を探し出し、繋ぎ合わせた体を強い魔力で復活させた。そうしてオシリスは冥界の王として蘇る。
さて一方では、オシリスとイシスの間に生まれた息子ホルスが叔父に当たるセトへの復讐を決意していた。ホルスとセトは激しい戦いを繰り広げ、左目を失ってしまうものの最終的にホルスが勝利し、父の仇討ちを果たすことに成功する。それでオシリスは地上の王権をホルスに譲位することができた。これ以来、地上を統治する王(ファラオ)はホルスの化身と見なされるようになった。 エドフ(Edfu、仇討ち)はそんな謂れのある神殿。 なお、ホルスとセトの戦いの際、ホルスが失った左目は古代エジプトでよく見られる眼のシンボルとなり「ウジャト」と呼ばれる。セトを撃退したことから魔除け的な意味を持ったようだ。
道すがらの街並みや人々
道すがらで見たさとうきびでエジプト人の砂糖好き、家の形で一夫多妻制、家の前の椅子で男性の地位が高い事が良くわかった。エジプトは男性社会ではあるが、働き者の奥さんが居るから何とか生活が出来るのだと痛感した。 確かに待ちに出てても、バスターミナルもショップも客もお店の人も男性ばかり、所がお金の清算部分には必ず女性がいました。
■エジプトとロバは、イメージが合わないですが非常に沢山のロバが見れました。何れも大きな荷物を曳くロバでラクダや馬の何倍も小さく、如何してあんなに大人しくて可愛いいロバなのに、力があるのか不思議です。 酷使されています。 そう言えば、聖書の「出エジプト記」でもロバの姿が描かれている。 昔から酷使された動物なのか? 日陰で休むロバの顔は安堵感一杯でした。 犬・猫やヤギは結構野放図に育てられてる感が否めない。
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