アフリカ・エジプトの写真|ルクソールの西岸 ハトシェプスト女王葬祭殿 |
ハトシェプスト女王
ハトシェプスト女王(Hatshepsut)は、古代エジプト第18王朝5代目のファラオです。
在位は、B.C.1479年頃 - B.C.1458年頃。 父はトトメス1世、母はイアフメス。 夫は異母兄のトトメスU世、娘はネフゥルウラー。 ハトシェプストの意味は「最も高貴なる女性」です。
夫であるトトメス2世は妾腹の息子・トトメス3世を次の王にせよと遺言したが、ハトシェプストは夫の側室の子・トトメス3世は幼く統治能力が無い事を理由に22年間王座についていました。 その治世は穏健で、戦争を好まずに平和外交によってエジプトを繁栄させたと言われています。 ハトシェプストは、公的な場では男装し、あごに付け髭をつけていたと伝えられる。 即位名はマアトカラー、意味は「真実とラー神の魂」です。 死後、その事跡はトトメス3世によって抹消されたという解釈が一般的だが、ザヒ・ハワースによると、ハトシェプストとトトメス3世の仲は良好で、事跡を抹消したのは女性であるハトシェプスト女王がファラオとして君臨したことを快く思わない者たちではないかと発言している。 なお旧約聖書『出エジプト記』でモーセをナイル川で拾って育てた義母は彼女とも言われている。 墓は、王家の谷のKV60と断定された。
『川から救われるモーセ』 ニコラ・プッサンとセバスティアン・ブルドン(バロック) 拡大 |
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Hatshepsut ( also Hatchepsut; meaning Foremost of Noble Ladies; 1508-1458 BC) was the fifth pharaoh of the eighteenth dynasty of Ancient Egypt. She is generally regarded by Egyptologists as one of the most successful pharaohs, reigning longer than any other woman of an indigenous Egyptian dynasty.
ハトシェプスト女王葬祭殿
ハトシェプスト女王葬祭殿は、エジプト・ルクソール西岸にある古代エジプト唯一人の女性ファラオ、ハトシェプストが造営した葬祭殿。 後にトトメス3世によってレリーフや銘文が削られるなど一部破壊を受けた。 手前にはメンチュヘテプU世の王墓があり、あわせて、デル・エル・バハリ(Deir el-Bahri(アラビア語で「北の修道院」の意味。後にコプト正教会の教会として使われていたため)とも呼ばれている。 大きな崖を利用した3階建ての神殿で凄く立派です。
葬祭殿はハトシェプストの側近で建築家センムトが設計を行った。 葬祭殿は良く見るとハトシェプスト女王の肖像は、トトメス三世によって削り取られた跡が相当散見された。 義理の母親に相当な恨みがあったようだ。 写真撮影はOK。 下の一番左の写真で左側にピラミッド型の山(王家の谷(ネクロポリス)のシンボル・エルクルン山)が見えますが、王家の谷は葬祭殿のその裏山の向こう側にあります。
Djeser-Djeseru is the main building of Hatshepsut's mortuary temple complex.
■ハトシェプスト女王葬祭殿は、エジプト・ルクソール西岸にある古代エジプト唯一人の女性ファラオ、ハトシェプストが造営した葬祭殿です。ハトシェプストは、髭を蓄えた柔和な顔の女王様です。
In comparison with other female pharaohs, Hatshepsut's reign was much longer
and prosperous. She was successful in warfare early in her reign, but generally
is considered to be a pharaoh who inaugurated a long peaceful era. She
re-established trading relationships lost during a foreign occupation and
brought great wealth to Egypt. 彼女の時代には、交易が栄えました。
ブルカ姿の女性達
ハトシェプスト葬祭殿で見かけたエジプトのイスラムの女性の服装は、結構開放的に感じました。 イスラムの女性の服装:“ブルカ”とはイスラム社会で女性が人前に出るときに顔全体を覆う衣装である。イスラムの女性が着用するヘッドスカーフは“ヒジャブ”。 ブルカの下はジーパンの人も多いとか。 靴は草履かサンダル。
葬祭殿の観光客 ブルカ姿のエジプト女性 |
ブルカ姿の若い観光の |
ハトシェプスト女王葬祭殿 |
ハトシェプスト女王葬祭殿の地図
ハトシェプスト女王葬祭殿の地図。 ハトシェプスト女王葬祭殿は、ハトシェプストの側近で建築家センムトが設計を行った。 1997年11月、ルクソール事件の現場となり外国人58人を含む62人が亡くなる事件が発生し、その中には多くの日本人新婚旅行者も含まれた。
ルクソールの王家の谷とハトシェプスト女王葬祭殿の地図 大きな地図で見る |
ハトシェプスト女王葬祭殿の広場と電気自動車 |
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ハトシェプスト女王葬祭殿 |
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■なお旧約聖書『出エジプト記』でモーセをナイル川で拾って育てた義母は彼女・ハトシェプストとも言われている。 2007年6月、エジプト考古学庁のザヒ・ハワースは、1903年にハワード・カーターらにより王家の谷の「KV60」と呼ばれる小さな墓で発見された身元不明のミイラをハトシェプスト女王と断定した。 カイロのエジプト考古学博物館に保管。 ハトシェプストの名が刻まれたカノプス壺(別の場所で1881年に発掘)に入っていた臼歯とミイラの歯茎の穴をCTスキャンしたものが一致し、また既に確定しているハトシェプストの親族のミイラとの間のDNAの類似性が認められたことにより、KV60に葬られたミイラがハトシェプストと判明した。身長165センチ、太り気味で歯肉炎、関節炎、骨粗鬆症、糖尿病等を患っていた。歯肉炎治療のための抜歯による膿が全身を蝕み、約50歳で亡くなったという。
■エジプトでは、どこの遺跡などに行っても武装した警官が居ます。 ルクソール事件を発端に組織されたそうで、遺跡警察と観光警察との2系統に編成されている。 要員は、観光スポットとなる遺跡地帯に常駐。他に、観光客の利用が多い長距離列車などに同乗。 観光客と現地人観光業者とのトラブルの仲裁、遺跡や遺構自体の警護などにあたっている。 遺跡地帯を警備するのが遺跡警察、駅や空港、長距離交通機関などを警護するのが観光警察(ツーリスト・ポリス)だそうです。
■ルクソール事件とは、エジプトの著名な観光地であるルクソール(ハトシェプスト女王葬祭殿)において、1997年にイスラム原理主義過激派の「イスラム集団」が外国人観光客に対し行った無差別殺傷テロです。 その為か、観光地だけでなくホテルの近辺も24時間体制で警察官や観光警察が常駐し、自動小銃やライフル銃のようなものを携帯しています。 日本人として凄く違和感を感じた。 だが警察官も人の子で写真を撮る際にはチップを要求されます。 またエジプトは階級社会と同時に、賄賂が横行する社会のようにも感じた。 違法駐車の殆どは、国や地方などの偉いさん達だそうです。
遂に2011年には民衆の怒りが爆発し、大きな改革が行なわれました。
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