アフリカ・エジプトの旅行写真|古代遺跡 コム・オンボ(ワニの神殿・コム・オンボ神殿)
コム・オンボとは
コム・オンボ(Kom Ombo、町の名は、古代ギリシア人が”オンボス”と呼んだことに由来)はルクソールの南167km、アスワンの北46kmにある小さな街です。 コム・オンボ神殿は前王朝の時代にはワニ神の神殿があったという。 コム・オンボではプトレマイオス6世(紀元前163年−紀元前145年)が建てた神殿で、二重構造で有名なコム・オンボ神殿があります。 ※セト(Set、嵐と暴力の神。セトは元々下エジプトの主神、オシリス
(Osiris) の弟)は上エジプトのオンボス(現在のコム・オンボ)で信仰されていた形跡があり、そこから、セトには『われは、オンボス市のもの』という形容語を持っている。
Kom Ombo or Ombos (Juv. xv. 35) or Latin: Ambo (Not. Imp. sect. 20) and
Ombi - is an agricultural town in Egypt famous for the Temple of Kom Ombo.
It was originally an Egyptian city called Nubt, meaning City of Gold (not
to be confused with the city north of Naqada that was also called Nubt/Ombos).
It became a Greek settlement during the Greco-Roman Period. The town's
location on the Nile 50 km north of Aswan (Syene) gave it some control
over trade routes from Nubia to the Nile Valley, but its main rise to prominence
came with the erection of the temple in the 2nd century BC.
コム・オンボ神殿
コム・オンボ神殿は、塔門の入口も至聖所も左右対称に設計され、プトレマイオス朝時代(紀元前306年 - 紀元前30年)、ローマ時代に建造され、3神ずつからなる二組の神、豊穣神セベック(ワニの神)と太陽神ホルス(ハヤブサの神であるハロエリス神(ホルス神の地域名))等の各3神がまつられています。 実際には、隼の神・ハロエリスと妻タセントネフェルト女神、息子バネブタウイ神と鰐の神・セベクと妻ハトホル女神、息子コンス神に捧げられた神殿。 このコム・オンボ神殿の神殿内部の壁に彫りこまれた彫刻は、最古のカレンダー(太陽暦)だと言われています。 また、古代の外科用の器具、骨を切るノコギリ、歯の治療器具などが壁のレリーフに刻まれているのが注目されます。ハトホル神礼拝堂には3匹のワニのミイラがあります。
医療器具や妊婦の分娩の様子を表しているというレリーフでは、妊婦はトイレのような台の上にしゃがんで分娩しています。
コム・オンボ神殿の入口
右側にはワニのミイラも
コム・オンボ神殿のレリーフ
豊穣神セベック
(ワニの神)
最古のカレンダーには日付と共にその日の捧げ物が刻されている。
世界最古のカレンダー
ヒエログリフ(太陽暦)
コム・オンボ近くの
ナイル川と中州
コム・オンボ神殿の柱
(2千年以上経過、彩色が残る。沢山の絵や文字が)
コム・オンボ神殿のレリーフ 花か器具か不明
コム・オンボ神殿の
セベックのレリーフ
Sobek at the Temple of Kom Ombo.
Sobek (also called Sebek, Sochet, Sobk, Sobki, Soknopais), and in Greek,
Suchos was the deification of crocodiles, as crocodiles were deeply feared
in the nation so dependent on the Nile River.
■エジプトを象徴する模様として有名な「ウジャトの目」とは、ホルスの目のことである。 ちなみにホルスの母もしくは妻とされる女神ハトホルの名は「ホルスの家」という意味がある。
コム・オンボ神殿の入場券
ホルス神とホルスの眼
(全てを見る目の意を表す「万物照覧の目」)
コム・オンボ神殿のレリーフ
■コム・オンボ神殿の井戸(ナイルメーター):神殿の広場には井戸があり、この井戸の水位の高さでナイル川氾濫の予想をしたそうです。その予想結果を元に年間の年貢を取り決めていたそうです。
コム・オンボ神殿の入口付近
セベック神(ワニの神)
のレリーフ
コム・オンボ神殿近くの
ナイル川
コム・オンボ神殿のレリーフ
神々から祝福されている
コム・オンボ神殿のレリーフ「ハロエリス神(ハヤブサ)」
コム・オンボ神殿の医学の神と崇められたイムホテプ(Imhotep)へ捧げ物(医療器具)をしているレリーフ、出産や医療器具のレリーフ(出産風景や医療器具)
古代エジプト時代の出産は座ったまま行われ、床においたレンガの上にしゃがんで産み、そのレンガは『誕生のレンガ』といい、お産の神メスケネトの化身とされていた。 医療器具のレリーフには、ナイフ、ドリル、鋸、鉗子、ハサミ、スプーン、メジャー(目盛り)など、今日使用されているものに酷似したものが刻されていた。
■イムホテプ 古代ギリシャのヒポクラテス(Hippocrates, BC460-377)やガレノス(Galen,AD130-216)は、その著作で、メンフィスのイムホテップ神殿で研究されたエジプトの著作から得た情報に感謝の意を表しており、医学の父はギリシャ人(アスクレピオス)ではなくエジプト人(イムホテプ)だとも評されている。 古王国第3王朝時代のジェセル王(Djozer,
在位:BC2667-2648)に仕えた宰相イムホテプ(Imtehop, BC2650-2600?)は宰相であるとともに神官、書記、建築家、占星術師、詩人、医師などとして優れた才能を発揮した人物と伝えられ、ファラオ以外で唯一の神とされた人である。 参考:鹿児島市医報より
■メスケネト(Meskhenet)または、メセネト (Mesenet)、メスケント (Meskhent)、メシュケント (Meshkent)
とは、古代エジプト神話における出産の女神である。 古代エジプトでは、まずクヌム(創造神の一人、ナイル川を司る神 主に羊の頭をした人の姿)が泥をろくろの上で捏ねて人を作り、ヘケト(エジプト神話における水の女神)が生命を吹き込んでから胎内に移し、誕生と共にメスケネトがカー(古代エジプト人の魂)を吹き込むと考えられた。カーを創造する役割を果たす彼女は、運命と関連するとも捉えられるようになる。
Medical instruments image at the Temple of Kom Ombo, showing also prescriptions
and two goddesses sitting on birthing chairs.
左からクレオパトラ7世、クレオパトラ6世、プトレマイオス、ホルス神
クレオパトラのまとった透明な衣装がよく表現されている。
Cleopatra VII image at the Temple of Kom Ombo.
■オシリス(Osiris)は、古代エジプト神話に登場する神の一柱。オシリスとはギリシャ語読みで、エジプト語ではAsar(アサル)、Aser(アセル)Ausar(アウサル)、Ausir(アウシル)、Wesir(ウェシル)、Usir(ウシル)、Usire、Ausareとも呼ぶ。 太陽神ラー(日の出のときはタマオシコガネの姿のケプリとして現れ、日中はハヤブサの姿をして天を舞い、夜は雄羊の姿で夜の船に乗り死の世界(夜)を旅するとされている。)とヌト((Nuit)
は、古代エジプト神話の天空神)の間に生まれたイシス、ネフテュス、セトの4兄弟の長兄。
■イシス(Isis)はエジプト神話の女神。イシスはギリシア語であり、古代エジプトではアセトと言った。ナイル河畔のサイスに大規模な神殿があったことで知られる。 イシスがホルスに授乳する様子などが、イエスの母・マリアへの信仰の元になったといわれる。
■クレオパトラ7世(俗にいうクレオパトラの意味) プトレマイオス朝の最後の女王となったクレオパトラ七世は、紀元前69年1月、アレクサンドリアで誕生します。 紀元前51年、父のプトレマイオス十二世が死去します。父王の遺言とプトレマイオス朝の慣例に従い、最も年長である18歳のクレオパトラ七世が弟である12歳のプトレマイオス十三世と結婚し、共同で王位に就きます。 ・・・ 紀元前48年9月、ポンペイウス追討のためエジプトへ入ったカエサルは、エジプトの共同統治者であるクレオパトラ七世とプトレマイオス十三世をアレクサンドリアへ招集します。クレオパトラ七世は、自らを袋にくるませ、カエサルのもとへ贈り物として届けさせます。・・・
コム・オンボ(Kom Ombo)は、サトウキビやトウモロコシの生産が盛んです。
■イスラム教の教義では、一夫多妻制です。つまりひとりの男性は4人まで妻を娶ることができます。 しかし現在のエジプトにおいて、実際に二人以上の女性と結婚している男性は1パーセントにも満たないといわれています。経済力がないためなのでしょうか? このようなことからわかるように伝統的に、エジプトは男性社会です。 客人が訪れると、家長、あるいは長男が、お客様のご訪問を高らかに宣言し、家族全員が気持ちを引き締めて客人を迎えます。そして客人が心から満足してもらえるよう、家族全員が協力するのです。
コム・オンボ神殿で生活する犬 背景はナイル川
■また、エジプトを旅行で回っていて感じた事は、家の前に必ず椅子が置かれて、大黒柱と思われる男性が暇そうに外を眺めている風景です。 仕事が有るのか無いのか分かりませんが、1日中そんな生活をしているようにも見えました。 本当に生計は大丈夫でしょうか? 余計のお世話?
コム・オンボ(Kom Ombo)からアスワンに向かう車窓からの名も知らぬ街の風景
写真の反対側には数百m先にはナイル川で、線路はルクソールとアスワンを繋ぐ線路。その線路にへばりつくようにして建つレンガの家々。 後ろは砂漠です。厳しい生活です。 各村の入口には自動小銃の武装警官が。
■「エジプトの像は何故左足を前に出す?」に関して、レリーフも彫像もパピルスもそうで、不思議に思っていました。
吉村先生曰く、「ファラオの彫像の特徴は立っていること。立像だということです。 ほとんどが左足を前に出しています。これは、中国のように左が位が高いからということではありません。カイロ博物館には右足を出しているファラオの立像も3体ありますからね。 おそらく、最初に左足を出したものを作ったために、あとの人が模倣して作っていった。伝統だったんです。よほどの天邪鬼でない限り右足を出すことはありませんでした。 なぜ、足を出していたかというと、立像ですから、直立不動の姿勢だと、倒れやすいんですね。足を出した方が安定感が増すというわけです。」との事、ガイドさん曰く、「左足を前に出している像は、生きている人がモデル、または生きた人を表す像。左脚なのは、心臓が左にあるから。」との事、両方とも当たっているのかな。
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アフリカ・エジプトの旅行写真|古代遺跡 コム・オンボ(ワニの神殿・コム・オンボ神殿)