アフリカ・エジプトの写真|アレキサンドリア 地中海の都市・クレオパトラの町 |
クレオパトラのアレキサンドリア
エジプトのカイロから列車にて「地中海の真珠」とも呼ばれる港町アレキサンドリア(アレクサンドリア、Alexandria)へ、国立博物館(Alexandria National Museum)・ポンペイの柱・カタコンペを見学。 アレキサンドリアはマケドニア王アレクサンドロス大王(アレキサンダー大王)が、その遠征行の途上で、B.C.331年にオリエントの各地に自分の名を冠して建設したギリシア風の都市の第1号で、エジプトの絶世の美女の代名詞で最後のファラオのクレオパトラが住んでいた町として有名です。 B.C.30年、クレオパトラ7世が自殺し、ローマの皇帝属州となり古代エジプトは終焉を迎えました。 アレキサンドリアは、クレオパトラとアントニーとの激しい恋の舞台ともなりました。数世紀後、ナポレオンがこの町を
訪れた時には小さな漁村と衰退したものの、19世紀以来、商業・海運業の中心地となり、ギリシア、 イタリア、レバントからの移民たちにより、商業とコスモポリタンで自由な雰囲気がもたらされ、
フォスターやカバフィなどの作家たちを魅了しました。
ご注意)写真は2010年03月に当方が撮影したものです。著作権は保持しています。
空の青さと地中海の青さが目に染みる街・アレキサンドリア。 アレキサンドリアの街中の英語の看板も多く、大きなサッカー場もありました。 前日が大雨が降った事で街並みも非常に綺麗でした。
アレキサンドリアの海岸風景、コバルトブルーの空と海の地中海です。 中央の写真の道路は信号も無く合間を縫って全力疾走で渡った。片側3車線でひっきりなしの車。 |
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アレキサンドリアの |
アレキサンドリアの |
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エジプトのエリート校・アレキサンドリア大学 |
ヨーロッパ風の建造物 |
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古代のアレキサンドリアは世界の七不思議の一つに数えられる巨大なファロス島の大灯台(現カーイト・ベイの要塞)や、各地から詩人や学者たちが集まってきた学術研究所ムーセイオン、文学・歴史・地理学・数学・天文学・医学など世界中のあらゆる分野の書物を集め、70万冊の蔵書を誇りながらも歴史の闇に忽然と消えたアレキサンドリア図書館があり、ヘレニズム時代の商業(地中海貿易)と文化の中心地として栄えた。
アレキサンドリアの雑踏空の青さが目に染みる |
アレキサンドリアの公園の日向ぼっこのカップル |
大好きなオジサンに寄り添う可愛い猫 |
■世界三大美女は、クレオパトラ7世、楊貴妃、ヘレネが定説です。日本ではヘレネの代わりに小野小町(「日本の文化人・有名人・著名人の切手」で紹介)が入れることが多い。基本的には、歴史の流れを彼女たち自身の男性を魅了する力で変えたことが、「美人」たる所以となっている。実際にはクレオパトラ7世は「絶世の美女」というほどの美貌ではなかったと考えられており、同様に楊貴妃も太っていたと考えられる逸話があるなどメディアで見られる東洋的美人とは異なるという指摘もある。また、オーストリア皇后エリーザベト(「オーストリア写真集」に絵画を掲載)を加えて世界四大美女とする場合もあります。
アレキサンドリアの大灯台
アレキサンドリアの大灯台(Lighthouse of Alexandria)は、B.C.3世紀頃にエジプトのアレキサンドリア湾岸のファロス島に建造された灯台。アレキサンドリアのファロス、あるいはファロス島の大灯台とも呼ばれる。 ファロス島は、アドリア海に同名の島があるが、それとは別で、アレキサンドリア港の一方の端に人工の埋め立てにより出来上がった半島の突端にあった小さな島である。世界の七不思議のひとつ。ただし、ビザンチウムのフィロンの選出した七不思議には含まれていない。14世紀の二度の地震によって全壊したが、七不思議の中ではギザの大ピラミッドに次ぐ長命な建造物だった。
アレキサンドリアの大灯台 |
アレキサンドリアの大灯台 |
アレキサンドリアの灯台 |
■アレキサンドリアの大灯台(Lighthouse of Alexandria)は、紀元前3世紀頃にエジプトのアレキサンドリア湾岸のファロス島に建造された灯台。 アレキサンドリアのファロス、あるいはファロス島の大灯台とも呼ばれる。 ファロス島は、アドリア海に同名の島があるが、それとは別で、アレキサンドリア港の一方の端に人工の埋め立てにより出来上がった半島の突端にあった小さな島である。世界の七不思議のひとつ。
アレキサンドリアのニュース
■January 22, 2010 National Geographic News より転載
エジプトのアレクサンドリアで、猫の姿をした古代エジプトの女神バステトを祭ったと見られる神殿の遺跡が新たに発見され、約600個に上る猫の石灰岩像が発掘された。 遺跡を発見したエジプトの考古学者チームによると、この神殿はプトレマイオス3世(在位紀元前246〜同221年)の妻ベレニケ2世が建立したものだという。