アフリカ・エジプトの写真|ルクソールの西岸(死者の町、ネクロポリス) |
ルクソール・西岸(死者の町、ネクロポリス)
ルクソール(Luxor)は、エジプトの都市で、ルクソール県の県都。 ルクソールは偉大なギリシアの詩人ホメロスが「百門の都」と謳った古代エジプトの首都テーベ(テーバイ)の一部。 現在もルクソールには数多くの遺跡(世界遺跡のほぼ3分の1がここ)が残り、市域はナイル川によって東西に分断されています。 日が沈む方向のナイル川西岸には死を象徴する地域・ネクロポリスで、王家の谷(ファラオの墓群)や王妃の谷などがあります。 ルクソールの王家の谷にあるツタンカーメン王の墓は特に有名です。 ハトシェプスト女王葬祭殿は最初の女性のファラオ・ハトシェプストを祀る葬祭殿、1990年代のルクソール事件が思い出される。
世界遺産「古代都市テーベとその墓地遺跡」のルクソール西岸(古王国から新王国時代、アメンホテプ三世のメムノン巨像・王家の谷ツタンカーメンの墓・ハトシェプスト女王葬祭殿、メンチュヘテプ2世の王墓) 観光を中心に掲載しています。 新王国時代になると、ファラオ(王)たちは盗掘者の手から逃れるために、ピラミッドでなくルクソールのアル・クルン山と言うピラミッド型をした山の裾野の「王家の谷」と呼ばれる奥深い谷に、死後の安住の地を次々と求めていった。 この墓所とは別に霊を祀り、葬祭儀式を行う葬祭殿を建てた。 写真だけでなく、「王家の谷」は撮影禁止の関係から手持ちの切手も使いご紹介。 西岸は農村部でサトウキビ畑が続いています。 意外と家も質素で屋根なしです。 雨が降らないし屋根も必要なし? ルクソールの西岸の遺跡では、王家の谷もハトシェプスト女王葬祭殿もゲートから入り口まで電気自動車で行き帰りが出来ます。 ルクソ-ルの東岸は観光用の馬車が多いです。 カイロの現在時刻 [ ブログ・FB ]
ルクソール(Luxor)
■ルクソール(Luxor)は、古代エジプトの都テーベがあった場所で、現在も数多くの遺跡が残っている。市域はナイル川によって分断されている。太陽が昇るナイル東岸は生命と成長の源を意味する「生の都」、日が沈むナイル西岸は生命の衰退を意味する「死者の都」と考えられていました。 世界遺産の宝庫。 観光場所・ツアーでは、世界遺産ルクソール(Luxor)西岸観光((高さ21mもの巨大な一対の座像★メムノンの巨像、新王国のファラオたちが安住の地を求めて造った☆王家の谷、☆ツタンカーメンの墓、☆ハトシェプスト女王葬祭殿)、世界遺産ルクソール東岸観光(エジプトでも偉大な遺跡のひとつ☆カルナック神殿・ライトアップされた☆ルクソール神殿) 【宿泊地:ルクソール泊】ソフィテル・カルナック
ナイル川に舫う船 |
ルクソ−ルからアスワンへの途中のナツメヤシの木と農道風景 |
■ミナレットは、モスクに付随し、礼拝時刻の告知(アザーン)を行うのに使われる塔である。ミナレットはトルコ語のミナレ (Minare) に由来する西欧諸言語による名称で、アラビア語ではマナール あるいはマナーラ といい、光(ヌール)と同一語根の語であることから光塔と訳されることもある。 |
ルクソールの街並みは東岸です。
ルクソールの街角で |
ロバに曳かれる農家の女性と白いブーゲンビリア |
ルクソールの町と |
ハトシェプスト女王葬祭殿は、エジプト・ルクソール西岸にある古代エジプト唯一人の女性ファラオ、ハトシェプストが造営した葬祭殿です。ハトシェプストは、髭を蓄えた柔和な顔の女王様です。
ルクソール関連の切手
アメンホテプ4世 |
El Bershehの墓のフレスコ画(エジプト、1931年) |
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エジプトの狛犬 |
ネフェルティティは、クレオパトラと並んで美女の代名詞にもなっている。「古代エジプトの三大美女」と言えば、B.C.1世紀、プトレマイオス朝の女王クレオパトラ7世、B.C.13世紀、第19王朝の大王ラムセス2世の正妃ネフェルタリ、そしてこのネフェルティティがあげられる。ヒトラーがこよなく愛した女性です。 |
ネフェルティティ女王 |
ツタンカーメンと義理の母・ネフェルティティ |
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ツタンカーメン |
ツタンカーメンの名が公に知られるようになったのは、皮肉なことに、即位後数年で死んでしまい、大きな功績を残せなかったことにあります。ツタンカーメンは、本来ならば歴代のファラオ達と共に名を刻まれるはずだったのに、若さ故か、功績のなさ故か、エジプトの歴史からは抹消されてしまっていたのです。しかし、やはり名を刻まれなくともツタンカーメンはファラオであり、ピラミッドはしっかり作られています。しかし、忘れさられたツタンカーメンの墓は、三千年を越える時の流れの果て、1922年に王家の谷でやっと発見されたのでした。おじいさんはアメンホテプ3世です。 |
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FUJIEIRA(アラブ首長国)発行のツタンカーメン |
エジプトの鳥を採る |
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エジプト、B.C.2400年 |
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ルクソール・西岸 王家の谷の王墓のレリーフ(エジプト) |
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ローマ帝国の時代には、ルクソールに多くのキリスト教の修道僧がやって来て、多くの古代のモニュメントの場所に修道院を設立させた。その中にはハトシェプスト女王葬祭殿にあり「北の修道院」の意味を持つデル・エル・バハリ
(Deir el-Bahari) も含まれている。 |
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