日本切手 セミクラシック&シリーズ物(手彫竜文,電信切手も)
日本切手は、ご覧になっている皆さんは十分ご承知していますので、日本最初の頃の大正時代に入るまでの普通切手や記念切手、数年で姿を消した電信切手や興味深いシリーズ物だけに限定しました。 世界で最初に発行されたのは1840年のイギリスのペニー・ブラックと2ペンス・ブルーです。 日本の切手は、最初の普通切手は1871年に発行された竜切手が日本最初の切手、また最初の記念切手は、1894年に発行された「明治銀婚紀念」が最初。 世界に遅れる事31年でクラシックというよりかセミクラシックとして取り扱っています。 以前のシリーズと違い、最近のものはタブも含め非常に工夫され、色使いも格段のものになっています。この様なものを取り上げてみました。 絵画切手はコチラです。
*電信切手とは、電信(電話ないし電報)料金を納付するために発行された切手である。世界の一部の国で発行されている。日本では、1885年5月7日に電信料金の納付のために電信切手が発行された。これは、当時電信が工部省の管轄とされていたことによるところが大きい。発行されたのは1、2、3、4、5、10、15、25、50銭と1円の10種類であり、凸版印刷の小型サイズであった。しかし電信が逓信省に移管されて暫くすると、事務の煩雑さを解消するため、電信料金は郵便切手で納付することになり、電信切手は1888年3月10日に廃止、1890年には使用禁止となった。以後は電信事業が郵政事業と分離される1949年まで、電信・電話料金の支払いに郵便切手を使うことが出来た。
■国別&面白切手のカテゴリ |
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日本の切手 クラシックとセミクラシック |
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最初の手彫切手(竜切手、文)1871年 |
電信切手 1885年 |
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■1871(明治4)年の日本最初の切手発行から1年余りの間は、江戸時代から続く当代きっての銅版彫刻技術者、松田緑山(敦朝)とその工房の玄々堂が、これらの切手の製造を請け負っています。その後、凸版印刷の切手が登場するまでは、政府紙幣寮が、この手で彫る技術で切手を製造していた。これらの手作業で作られた1871〜76年の切手を、「手彫切手」と呼んでいます。 |
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最初の記念切手・明治銀婚記念 |
■電信は1870年に東京-横浜で公衆電報の取り扱い開始。郵便は1971年に始まった(上図・左)。電信切手は1885年になりやっと発行(上図・右)された。それはその時に電信料金の全国均一料金化が始まったからです。当時夫々の所轄部署が違い、その為別々の切手が発行されてます。翌年、所轄部署の統一化が図られわずか発行から3年でその電信切手の役割りは終わってしまいました。上図のものは実際に当時使われたもので非常に貴重なものです。また押された消印は直径17mmの2重丸のもので日付は入りませんが日本各地の局名が記載されました。 |
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日本の切手 オーソドキシー |
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見返り美人 1948年 月に雁 1949年 |
ビードロを吹く女 1955年 |
市川蝦蔵 1956年 |
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切手趣味週間は、郵便切手が持つ「美しさ」や「芸術性」といった文化的価値を一般の方々に広く認識してもらい、切手収集の趣味の普及を図るため、昭和22(1947 )年に当時の逓信省が設定した「切手趣味の週間」をその始まりとしています。 |
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日本の切手 世界遺産シリーズ |
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世界遺産は、地球の生成と人類の歴史によって生み出され、いにしえから引き継がれてきた世界共通の宝物です。建造物や遺跡などの「文化遺産」、顕著な普遍性価値を有する景観や生態系、絶滅危惧動植物の生息地などを含む「自然遺産」、そしてこの両方を兼ね備えている「複合遺産」の3種類があり、ユネスコの世界遺産センターを中心に、こうした遺産を次世代に守り伝えていくため、国境を越えた協力保護体制が整備されています。 取り上げたのは世界遺産シリーズ(詳細な日本の世界遺産の切手は [ 法隆寺|姫路城|屋久島|白神|京都|白川郷|広島|厳島|奈良|日光|琉球|紀伊|知床|石見|平泉|小笠原|富士山|遺跡・古墳 ] です。 「平城遷都の切手と写真」 |
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日本の切手 シリーズもの 科学技術シリーズ(2004年) |
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弓曳童子、長岡半太郎、和時計、H-Uロケット、オートモ号(自動車),KAZ(自動車) |
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おおすみ(人工衛星)、伝導性高分子、永久機関、華岡青州、木製顕微鏡、高峰譲吉 |
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日本では、年賀切手やふるさと切手のほか、「国立公園」や「国定公園」、「花」といったテーマに沿って発行されるシリーズ切手が発行されている。ただし、切手趣味週間や国際文通週間といった毎年発行されるキャンペーン切手は記念切手扱いである。 |
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日本の切手 おまけ 競馬馬「ハルウララ号」 |
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一時期、一世を風靡した全戦全敗の競馬馬「ハルウララ号」の記念切手シート |
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■高知競馬の人気牝馬「ハルウララ」は、北海道三石町の信田牧場生まれ。父親はニッポーテイオー、母親はヒロイン、2004年に8歳(人間に換算すると30歳前後)を迎えました。 フジテレビ系「とくダネ!」の番組で、毎日新聞の記事「走り続ける90連敗馬 売上に貢献」をを引用しつつ、ハルウララの紹介をしたのをきっかけに、マスコミが注目し始め、負けを重ねるごとに人気が上昇しました。 100戦目が1回目の話題のピーク、106戦目が2回目のピークとなり、全国的に爆発的なフィーバーがおきました。 |
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■映画「大奥」は、江戸城大奥を舞台に女たちの憎悪劇を描いたテレビの人気時代劇シリーズを映画化したもので、大奥史上最大のスキャンダルといわれる「絵島生島事件」を中心に展開されます。 7代将軍・徳川家継の時代、大奥では6代将軍の正室・天英院(高島礼子)と7代将軍の生母・月光院(井川遥)が熾烈な女の闘いを繰り広げていました。若くして大奥総取締役となった絵島(仲間由紀恵)は、月光院の信頼が厚かったため、天英院派の不満を買って罠にはまって…。 このフレーム切手(Pスタンプ)は、運命の恋へと落ちていく絵島を、凛としたたたずまいで演じる仲間由紀恵が豪華絢爛な衣装で包まれています。(クリックで拡大) |
映画「大奥」 絵島(仲間由紀恵) |
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四季花鳥図巻 酒井抱一画(東京国立博物館蔵) 上段左から 1 福寿草(四季花鳥図巻(部分)) 、2 桜草(四季花鳥図巻(部分)) 、3 菫と木瓜(四季花鳥図巻(部分)) 、4
土筆(四季花鳥図巻(部分)) 、5 藤(四季花鳥図巻(部分)) 、6 垂れ桜と燕(四季花鳥図巻(部分)) 、7 額紫陽花(四季花鳥図巻(部分)) 、8
辛夷(四季花鳥図巻(部分)) 、9 河骨と鷭(四季花鳥図巻(部分)) 、10 牡丹と芍薬と蝶(四季花鳥図巻(部分)) |
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2000年代に郵政省が郵政事業庁、日本郵政公社、そして民営化により日本郵便と組織変更されていったが、この時期の記念切手は一回に発行される枚数こそ1500万枚前後であるが、一度に10種類のシートで発行されているため、一種類あたり150万枚の発行であり、往年の数十分の一に減少している。 |
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世界でも綺麗さで有名な日本の切手 手彫竜文,電信切手も |
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