Kunioの世界の切手紹介と海外写真集

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国別・特殊切手|デッドカントリーの大陸別:アジア切手 イギリス、日本のみならずオランダ・ドイツ・フランス・ポルトガル・
アメリカ・オランダ等多数のヨーロッパの列国が介入し、非常に細かく国々が分断されました

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デッドカントリー アジア切手(琉球、中国、満州除く)

 アジアは英国だけでなく、日本のみならずオランダ・ドイツ・フランス・ポルトガル・アメリカ・オランダ等多数のヨーロッパの列国が介入し、非常に細かく国々が分断されましたが、第2次世界大戦を経てなんとか収拾されてきました。 その中でも異例が大戦後に出来た韓国と北朝鮮であり、返還された澳門(マカオ)と香港(ホンコン)です。またインドやマレーシアなどでは、地方ごとに王様・マハラジャがいて、それぞれで独自の切手を発行していました。珍品としてはラブアン島やバハワルプール(今のパキスタン)、タンヌツーバ(のちにソ連に併合され、現在のロシア・トゥヴァ共和国となる)、サラワク(マレーシア領)、メソポタミアなどがあります。デッドカントリー(Dead Country)とは、領土の併合などにより、切手の発行を止めた国あるいは地域を指します。アジアって東洋史の範疇だそうです。何だか学者の世界と切手の世界を見せ付けられました。切手の世界では権力闘争から世界を見るのが普通です。昔、インドとパキスタン、バングラデシュ、ミャンマー、スリランカがすべてイギリス植民地だったですね。日本に関しては琉球(今の沖縄県)が、1972年(昭和47年)5月15日に沖縄県の施政権がアメリカ合衆国から日本に返還されました。顰蹙を買ったアラブ土侯国(どこうこく)と呼ばれる国もありますが、郵便で使用するのでなく収集家目的であり必要以外は割愛しました。

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国名の前の”*”は占領地を示します。 ボタンをクリックしますと、拡大画像を表示します。

日本関係

*琉球 

*台湾

12345

*満州

*ビルマ

*

中国

*韓国

123

*ジャワ

*マライ

*フィリピン

 
1234 123

■マレーシア:19世紀に英国がマレーシア半島に侵攻し、植民地化を推進しました。所が、イスラム系の藩王国も多数存在し、さながら群雄割拠となり内政自治権を認めざるを得なくなりました。 その為に多数の国が存在しましたが、それも第二次大戦後は、統一化が図られ現在に至りました。 マレーシア(ジョホール ケダー ケランタン マラッカ ネグリ・センビラン バハン ペラク ペルリス セランゴール スンゲイ・ウジョン トレンガヌ サバ サラワク 北ボルネオ 海峡植民地)

アレーシア関係

  

  

 フィリピン

1234

■インド藩王国:インドの場合もマレーシア半島と同様に英国が侵攻しましたが、ムガール王朝の流れを汲む王様たちが多数存在し、同様の内政自治権を認めました。(チャンバ ファリドコット コチン バハワルプール)

インド藩王国

Straites Settlement
(英国海峡植民地政庁)

澳門

香港

1 1234
56
1234

インド*カンボジア

*ラオス

*ラオス・ヴィエトナム

*ヴィエトナム

■海峡植民地(Straits Settlements, 1826年〜1946年)は、マレー半島におけるイギリス植民地の名称。1826年に、ペナン、マラッカ、シンガポールよりなる植民地として形成された。1886年からココス島とクリスマス島が、1906年にラブアン島が編入された。

西南アジア

         

Aden

南アラビア

Dubai

LAR 

12  12

■西南アジア(トルーシャル・ステート パレスチナ アブダビ アジマン)

中国関係

   

インドネシア(オランダ)

ドイツ 12

バハワルプール
(今のパキスタン)

trunclstate

北ボルネオ

サラワク

■子供の頃、パキスタンも東西に分かれていた時期がありました。その頃の西パキスタンがバングラデシュ人民共和国です。バングラデシュの人口は今では1億2000万人に達し日本の人口と同じです。
■北ボルネオとは、現在のマレーシアのサバ州のこと。イギリスはボルネオ一帯では、他にもラブアン島、サラワク(いずれも現:マレーシア)、ブルネイの各植民地を持っていたが、統治システムはそれぞれ違っていて、ラブアン島はシンガポールに政庁を置く海峡植民地の一部として直轄領、ブルネイはスルタンを通じた間接支配、サラワクはイギリス人の「白人王」が率いる間接支配、そしてサバはイギリス北ボルネオ会社による会社経営の植民地だった。(添付でラブアン島の切手)また北ボルネオの主な輸出品は木材、天然ゴム、煙草、コプラで、東部のタワオでは日本人経営のゴム農園や漁業基地が栄えていた。
■バハワルプール藩王国(1701年成立 1955年10月4日消滅 首都:バハワルプール): インダス川流域のパンジャブ州は東のガンジス川流域(ベンガル地方)と並ぶインド亜大陸の穀倉地帯。1947年の回印分離にあたっては、ベンガル州とともにヒンズー教徒とイスラム教徒の対立が激しく、インドとパキスタンで州を2分することになった場所。そのパキスタン・パンジャブ州の南東にあったのがバハワルプール藩王国で、面積4万5911平方km、人口134万人(1941)と、パキスタンでは最大規模の藩王国だった。

ビルマ

セイロン

 

タンヌツーバ

12 12 12

ラブアン島(Labuan) の切手

■ラブアン島はサバの西南、ブルネイ沖に位置するマレーシア連邦政府直轄の島です。ラブアンとはマレーの古語で「良港」を意味してます。11世紀初頭にはマジャパヒト帝国の支配下で洋上交易の拠点として栄えていました。英国が中国との交易に蒸気船を使うようになると、石炭補給基地が必要となり、1846年に英国の植民地となりました。英国統治時代は外世界からボルネオ島への入口としての役割りを果たすようになりました。1942年日本軍に占領され「前田島」と命名され、太平洋戦争末期には激戦地となりました。
切手は英国統治下に英領北ボルネオの切手に加刷されたものです。切手は1879年から1905年に掛けて発行されています。色々な歴史を物語っています。どこの州にも属さず政府が直轄する島。1990年にラブアン・オフショア金融サービスセンター(LOFSA)が設立され、タックスヘブン、オフショア(租税回避地)として注目されている。島全体が免税なのでたとえば酒類や香水などが安く購入できる。「前田島」とも呼ばれていた日本軍駐留時代を彷彿させるタマンダマイ平和公園や、石炭採掘の名残の煉瓦煙突などが見所。

 
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