世界の衣装(コスチューム・ファッション)の切手 アフリカ大陸編
世界の衣装(コスチューム・ファッション)・民族衣装(ethnic costume、Folk costume)の切手のアフリカ大陸編です。 ヘアスタイル・メイクアップ(化粧)も独特です。 矢張り各国の女性の衣装や髪形は艶やかですね。 アフリカの少数民族の特徴は、他の大陸の民族に比べて実際の所は不明だが、明らかに原始的な生活を営んでいる点。
裸に近い形で生活をしている人も多く、見た目のインパクトが大きい。 ケニアのマサイ族、ナミビアのサン族、サハラ砂漠に住むトゥアレグなど本来は定住せず、狩猟および牛・羊・ヤギ等の家畜の遊牧で生計を立てる遊牧民が多い。 アフリカの中でも圧倒的に少数民族が多いのがエチオピア、南部地域にはムルシ族、バンナ族など多くの特徴的な少数民族が住む。 西アフリカは東アフリカに比べて音楽や派手な民族衣装など文化的な特徴をもつ民族が多い。 馴染の少ない国は国別のお国柄(Wikipedia参考)などもあわせて記載しました。 また、エジプトの関しては写真も交えて。
参考:『Folk costume』、『世界の民族衣装一覧(Wikipedia)』
■衣装・仮面・舞踊関連の切手の索引 [ 衣装切手のトップ (アジア編|オセアニア編|アフリカ大陸編|アメリカ大陸編| |
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アフリカの代表的な民族服・民族衣装 : アルジェリア:ハイク ラジャール / ガーナ:ケンテ / モロッコ:ジェラバ リタム / エジプト:ミラーヤ ガラビア ロインクロス / ケニア:カンガ / マリ:カンギ / ニジェール:トベ リタム / |
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アフリカの民族衣装(ethnic costume) |
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■北アフリカでは西アジアと同様にイスラム的なターバン、ハイクなどが着用される。熱帯アフリカでは1枚の布を体にかけたり、巻いたりするスタイルが発達した。 |
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アルジェリアの民族衣装 |
(モハメッド・ラシム、1966年) |
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馬に乗る男(細密画) |
彼女の複数の女性たち |
バルバロッサの統治 |
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アルジェリアの男性の民族衣装 |
アルジェリアの男女の民族衣装(1971年) |
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マリの伝統的な民族衣装 |
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アルジェリアの女性の民族衣装(1986年) |
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マリの男女の伝統的な民族衣装(1971年) |
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■マリ共和国(マリきょうわこく)、通称マリは、西アフリカに位置する共和制国家。西をモーリタニア、北をアルジェリア、東をニジェール、南をブルキナファソ、コートジボワール、南西をギニア、西をセネガルに囲まれた内陸国。首都はバマコ。国土の北側3分の1はサハラ砂漠の一部であり、残りの中南部も、ちょうど中心を流れるニジェール川沿岸だけが農耕地となっている以外は、乾燥地帯である。代におけるこの領域での歴史は、1076年まで栄えたガーナ王国(8世紀以前の歴史は不明)が存在した。1240年から1473年に北アフリカとのサハラ交易で栄えたマリ帝国が興隆したが、マリ帝国はガオに都を置いたソンガイ帝国(1473年から1591年。ソンガイ王国とも)によって属国となり、ソンガイ帝国にはニジェール川上流域が豊富な金の産地であったことからムスリム商人らが訪れ、サハラ交易が盛んに行われた。人種はマンデ系 (Mande、バンバラ人 (Bambara)、マリンケ人 (Malinke)、ソニンケ人 (Soninke)) 50% 、イスラム教の国。ソレニシテモ男女共に8頭身以上の顔の小ささです。民族衣装は以外とシンップルですが女性はパステルカラー調が主かな。 |
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ダホメー(ベニン、ベナン)の民族衣装 |
ニジェールの民族衣装(1963年) |
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■ダホメ王国は現在のベナンにあったアフリカの王国でフォン民族の王国。当初はアボメー王国と呼ばれていた。アマゾネス(女兵士)軍団に代表される強大な軍事力と奴隷貿易によって富み栄えた。。ダホメ王国は17世紀に創建され、19世紀にフランスの軍隊がセネガルから来て王国を征服しフランス領西アフリカに組み入れるまで存続した。ダホメ王国の起原はアラダの海岸沿いの王国から来たアジャ人?の一群が北に移動し、内陸のフォン人の中に入植したところにまで遡ることが出来る。のち共和国はベナン共和国と改名した。 |
■ニジェール共和国 (Republique du Niger) 、通称ニジェール (Niger)は、西アフリカのサハラ砂漠南縁のサヘル地帯に位置する共和制国家。フランスが20世紀までに全土を領有。1922年にフランス領西アフリカの一部に再編された。民族:ハウサ族55
- 60%、ジェルマ族20 - 24%、フラニ族約10%、トゥアレグ族8 - 10%、トゥーブー族などの黒人。ニジェール (Niger) とナイジェリア
(Nigeria) は、ともにラテン語で「黒」を意味するnigerに由来する。 |
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ダホメーの舟をこぐ女 |
舟をこぐ女性の背景の藁屋根の家は凄くアフリカですね
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ニジェールの民族衣装(1963年) |
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エジプトの民族衣装 |
スーダンの民族衣装 |
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花を持つ農婦(エジプト、1953年) |
スーダンの民族舞踊のダンサー |
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■スーダン共和国の女性たちはトッブという民族衣装をまとってます。これは4m20cmもある長い布で、上手に体に巻きつけます。スーダンは北部のヌビア人、中部のヌバ山地や南部のナイル系民族など非アラブ黒人が52%、北部を中心にアラブ化した黒人や黒人との混血を含む「アラブ系」が総人口の約39%、東部のクシ系のベジャが6%、外国人が2%、その他1%。スンナ派を中心とするイスラム教が70%。南部非アラブ人を中心にアニミズムなどの伝統宗教
(18%) とキリスト教 (5%)。北部に20万人程コプト教徒がいる。 |
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スーダンの民族舞踊のダンサー |
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エチオピアの男女の民族衣装(1968年) |
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■エチオピア連邦民主共和国(Federal Democratic Republic of Ethiopia)にはアラブ系や非アラブ系の黒人など80以上の異なった民族集団が存在する。黒人が人口の大多数を占め、コンソ族は約30万人いる。オロモ人40%、アムハラ人33-35%、ティグレ人7%、ソマリ人4%など。エチオピアの南部は民族の宝庫。 現代社会からは想像もつかないような、格好、生活、文化をもつ多くの民族が生活をしている。 下くちびるに皿を入れるムルシ族、3ヶ月間食べ続け究極まで肥って踊るという儀式をするボディムルシ族、男性が成人になる時ブルジャンピングの儀式をするバンナ族とハマル族、ペインティングが特徴なカロ族、竹でゾウに似せた家を作るドルゼ族など。 |
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アンゴラの男性の民族衣装(1957年) |
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■アンゴラ共和国の民族は、オヴィンブンドゥ族37%、キンブンドゥ族25%、バコンゴ族13%などアフリカ系黒人諸民族が大半であるが、メスティコ(白人と黒人の混血、いわゆるムラート)が2%を占め、1%ほどポルトガル系を中心とするヨーロッパ系市民も存在する。キリスト教徒が多い。アンゴラ共和国(アンゴラきょうわこく)、通称アンゴラは、アフリカ南西部に位置する共和制国家(Republic
of Angola)、この地域には、1世紀頃から主にバントゥー系のアフリカ人が住んでいた。14世紀終わりから15世紀初頭頃に現アンゴラ北部のコンゴ人はコンゴ王国を建国し、コンゴ王国は現アンゴラ北西部ザイーレ州に、コンゴ王国の首都ンバンザ・コンゴ(ポルトガル語ではサン・サルヴァドール)を建設した。旧ポルトガル植民地であり、1961年から独立戦争を戦い、1975年に独立を達成した。 |
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ルワンダの男女の民族衣装 |
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■ルワンダ共和国の人達は、カンガという一枚布の(多目的)民族衣装をよく使う。国民の約89パーセントがフツ族、それ以外はツチ族。82パーセントがキリスト教、それ以外は土着宗教など。小国ながら、世界生産シェア10位以内に記録される産物も2つある。輸出において最も重要な資源は商品作物であるコーヒーではなく、鉱物資源である。内戦が多い国です。 |
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音楽とダンスは、ルワンダの人々の心を一つにする重要な役割を持っています。「丘の数だけダンスグループがある」と言われるように、学校や地域社会を中心に、全国におよそ1000を超えるダンスグループがあり、結婚式やお祝い事、公式のセレモニーなど、あらゆる場面に登場します。種類もヴァラエティーに富み、どれも美と勇気、深い意味合いを美しい旋律で表現した叙事詩的なものです。祝福のダンスには “ドラム・オーケストラ”がつきもので、複雑なリズムが絡み合って熱狂と興奮のるつぼとなります。 |
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ルワンダの男性と女性の民族衣装(1975年) |
ルワンダの男性と女性の民族衣装 |
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ルワンダの男性と女性の民族衣装(加刷、1975年) |
ルワンダの男性と女性の民族衣装(加刷) |
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ルワンダの男性と女性の髪形・ヘアースタイル(1969-71年) |
アフリカ女性のオシャレは髪形や髪飾りだけでなく鼻輪も |
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ガーナの部族の民族衣装(1988年) |
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アクワジャン族の伝統衣装 |
バナア族の伝統衣装 |
アグワセン族の伝統衣装 |
■ガーナ共和国(ガーナきょうわこく)、通称ガーナは、西アフリカに位置する共和制国家。東にトーゴ、北にブルキナファソ、西にコートジボワールと国境を接し、南は大西洋に面する。首都はアクラ。脱植民地化時代のサハラ以南のアフリカにおいて、1957年に初めて現地人が中心となってヨーロッパの宗主国から独立を達成した国家である。イギリス領ゴールドコーストと呼ばれていたが、独立に際して国名をガーナに変更した。 |
ガーナの民族構成は、アカン人が45.3%、モシ・ダゴンバ人が15.2%、エウェ人が11.7%、ガー人が4%、グルマ人が3.6%、グルシ人が2.6%、マンデ=ブサンガ人が1%、その他の民族が1.4%、ヨーロッパ人やアラブ人などその他が7.8%。国民の68.8%がキリスト教。 |
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エジプトのファラオの衣装 |
モロッコの女性の衣装 |
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■ファラオ(Pharaoh)は、古代エジプトの君主の称号〈君主号〉。 |
カフタンを着た女性 (モロッコ、2004年) |
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■カフタン(caftan)はトルコの民族衣装。 基本の形状は長袖・袷仕立ての長い前開きのガウンで、オスマン帝国の隆盛期には毛皮で裏打ちしたものや袖なしで別のカフタンの上から羽織るものも登場している。女性向けの広袖のものもあるが基本は先細に近い袖の男性服。 |
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■モロッコ王国(モロッコおうこく)、通称モロッコは、北アフリカ北西部のマグリブに位置する立憲君主制国家。東にアルジェリアと、南にサハラ・アラブ民主共和国(西サハラ)と、北にスペインの飛び地セウタ、メリリャに接し、西は大西洋に、北は地中海に面している。首都はラバト。 地中海世界とアラブ世界の一員であり、地中海連合とアラブ連盟とアラブ・マグリブ連合に加盟している。歴史的に、条件の良い平野部の土地を中心にアラブ人が暮らし、アトラス山脈の住民の大半がベルベル人である。2/3がアラブ人、1/3がベルベル人あるいはその混血がほとんどと言われる事が多い。 |
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モロッコの民族衣装(男性) |
モロッコの民族衣装(女性) |
モロッコの民族衣装(男性) |
モロッコの民族衣装(女性) |
■ガラビアは十九世紀以降のエジプトの男性の民族衣装。女性が着る足首までを覆う中東風のローブはミラーヤと呼ぶ。木綿、麻、モスリンなどで作る緩やかなワンピースで、色彩は白〜茶、黒〜青の地味な色彩で無地かイギリスで「エジプトの縞」と呼ばれた太目の縞模様が多い。 |
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チュニジアの伝統的な民族衣装(1963年) |
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チュニジアの伝統的な民族衣装 |
チュニジアの伝統的な民族衣装 |
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チュニジアの伝統的な民族衣装 |
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■チュニジア共和国、通称チュニジアは、北アフリカのマグリブに位置する共和制国家。西にアルジェリア、南東にリビアと国境を接し、北と東は地中海に面する。地中海対岸の北東にはイタリアが存在する。首都はチュニス。 アフリカ世界と地中海世界とアラブ世界の一員であり、アフリカ連合とアラブ連盟と地中海連合とアラブ・マグレブ連合に加盟している。最も早く「アフリカ」と呼ばれ、アフリカ大陸の名前の由来になった地域である。古代にはフェニキア人が交易拠点としてこの地に移住し、紀元前814年頃にはカルタゴが建国され、地中海貿易で繁栄した。住民はアラブ人が98%である。チュニジアの先住民はベルベル人やフェニキア人だったが、7世紀のアラブによる征服以降、住民の混血とアラブ化が進んだため、民族的にはほとんど分けることが出来ない。 |
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タンザニアの伝統的な民族衣装(1993年) |
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■タンザニア連合共和国(United Republic of Tanzania)、通称タンザニアは、中央アフリカ東部の共和制国家。ケニア、ウガンダ、ルワンダ、ブルンジ、ザンビア、マラウイ、モザンビークと国境を接し、タンガニーカ湖対岸にはコンゴ民主共和国があり、またインド洋に面する。1996年に立法府の議事堂が法律上の新首都ドドマに移転されたが、その他の政府官庁は旧首都ダルエスサラームにある。 アフリカでも有数の大自然に恵まれ、文化的にもスワヒリ語を公用語とし、アフリカ在来の言語が大きな役割を果たしている数少ない国家である。250〜200万年前にホモ・ハビリスが現在のタンザニアに相当する地域に存在していたことが、ルイス・リーキー博士によって確認されている。主な民族はスクマ人、ハヤ人、ニャキュサ人、ニャムウェジ人、チャガ人などである。それ以外にはトングェ族などが存在する。 タンザニアにおける2007年のHIV感染者は推計で約140万人であり、感染率は6.2%。タンザニア人の平均寿命は52.01歳(男性:50.56歳、女性:53.51歳)。 |
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ケニアの民族衣装 |
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ケニア Gabbra の民族衣装 |
ケニア Pokot の民族衣装 |
ケニア Meru の民族衣装 |
ケニア Digo の民族衣装 |
セネガルの女性の民族衣装 |
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■セネガル共和国は、ウォロフ族43%、セレール族15%、プル族14%、トゥクロール族10%、ジョラ族4%、マンディンカ族3%、ソニンケ族1%、ヨーロッパ人及びレバノン人1%、その他。主要食物は米であるが、一部地域ではトウジンビエやキャッサバなども主食とされている。 |
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■ケンテ(kente)とは、ガーナの男性が「ブーバ」というシャツの上に着る一枚布をサリーのように身にまとった民族衣装。手織りで四種類のパターンを織り出した幅8~10cm長さ3m超の細長い布を24枚接ぎ合せて作る大きな一枚の布を、右肩を露出して体にゆったりと巻きつける貫禄のある民族衣装である。ガーナでは布地を織るのは男性の仕事である。 |
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参考ページ・・アフリカ 中南米 アジア 少数民族 民族衣装 「アフリカへ行こう」 | |||
アフリカの少数民族について |
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■トゥアレグ族(ニジェール)は、青いターバンと民族衣装を着用することから青衣の民として知られる。一般にイスラーム世界では女性が全身や顔を衣装で隠す習慣があるが、トゥアレグでは女性の地位が高く、逆に男性が全身そして顔を衣装で覆い、女性は皮膚を露出していることもある。一般的に目鼻立ちの整った美男美女が多い民族である。 |
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南ア・トランスカイ(Transkei)の民族衣装 |
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南ア・トランスカイ(Transkei)の民族衣装 1981年 |
南ア・トランスカイ(Transkei)の民族衣装 1987年 | ||
■トランスカイ(Transkei)は、南アフリカ共和国にかつて存在したバントゥースタン(自治区)。現在の東ケープ州東部に位置した。「トランスカイ」とは、「カイ川の向こう側」を意味する(シスカイの反対)。1994年 「新生」南アフリカとの合意に基づき、トランスカイは南アフリカに併合。デッドカントリーとなりました。 |
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南ア・トランスカイ(Transkei)の民族衣装 ビーズが綺麗です |
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アフリカ・エジプトの民族衣装について(写真、拡大あり) |
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ブルカ姿の女性 |
ブルカ姿の観光の女性 |
ハトシェプスト女王葬祭殿 |
ルクソールの街角で |
■イスラムの女性の服装:“ブルカ”とはイスラム社会で女性が人前に出るときに顔全体を覆う衣装である。イスラムの女性が着用するヘッドスカーフは“ヒジャブ”。 ブルカの下はジーパンの人も多いとか。 |
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カルナック神殿の「聖なる池」 |
屈託無いエジプトの少年達 |
ルクソール神殿の少女達 |
ルクソールの人々の暮らし |
エドフ ホルス神殿の子供達、幼稚園の遠足か?子供の頃から歴史の勉強? |
ロバの車に乗った農夫 |
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ピラミッド観光の親子連れ |
スフィンクスの傍にいたエジプトの親子連れ |
スフィンクスの傍にいた |
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■ファラオの衣装などはこちらでも見れます。 |
婦人服のショー・ウインドウ |
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West AfricaBenin - lace Dashiki suit and Aso Oke Hat (male), lace Buba
and wrapper set (female) |
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説明の補足ではフリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』を利用させていただきました。 |
世界の衣装(コスチューム・ファッション)の切手 アフリカ大陸編 |
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