世界の衣装(コスチューム・ファッション)・民族衣装や伝統衣装の切手 アジア編 トップページ
世界の衣装(コスチューム・ファッション)・民族衣装(ethnic costume、Folk costume)の切手のアジア編です。またヘアスタイル・メイクアップ(化粧)も独特です。
矢張り各国の女性の民族衣装や髪形は艶やかですね。日本では花嫁が着る着物が独自性面では有名ですが、沖縄では民族舞踊で使われる衣装が多数発行されていますので、それを日本の衣装として利用しています。ほかに日本の衣装切手は、日本に関する切手の各頁で掲載してます。 しかし今日、多くの国では結婚式でさえ伝統的な衣裳や民族衣装は着られなくなり、せっかくの民族固有性も廃れてしまい意味が無くなっていくかもしれないと思うと、とても残念です。日本で例えるならば、あの神前で挙げる結婚式のなんとも言え無い凛とした独特の雰囲気は、今日では味わえる機会が少なくなってしまったのではないでしょうか。 他のアジアの国の衣装は原色が混じり綺麗です。 また民族毎に伝統文様もあるんですね。 日本はこのページ内だけ。
掲載国は沖縄(琉球)含む日本、タイ、ラオス、カンボジア、ベトナム、韓国、北朝鮮、ミャンマー、モンゴル、台湾、インドネシア、フィリピン、イラン、イラク、レバノン、アフガニスタン、トルコ、オマーン、北ボルネオ・・・ です。
参考:『Folk costume』、『世界の民族衣装一覧(Wikipedia)』
※当ページに全てが入り切らなくなりましたので、ページを大きく5つの地域に分けております。 追加の切手はそちらの方がより詳細のご覧いただけます。
■衣装・仮面・舞踊関連の切手の索引 [ 衣装切手のトップ (アジア編|オセアニア編|アフリカ大陸編|アメリカ大陸編| |
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アジア編 [ トップ| |
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アジアの民族衣装(ethnic costume) |
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■日本の民族衣装である和服(着物・呉服・小袖などともいう)は、飛鳥・奈良時代に中国(隋・唐)の民族衣装であった漢服の影響を受けたものが、平安時代以降に簡素化し、日本独自化したものである。現在では男性は紋付きの羽織・袴、女性は留袖・振袖などが正装として使われる、礼服としての和服は用途(結婚式や葬式など)によって使い分ける。普段着としては浴衣(男性では甚平・作務衣なども)が夏場に好まれている |
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沖縄(琉球)の民族衣装・・民族舞踊 |
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民族舞踊(沖縄・1961-71年) むんじゅる / ぬふわ節 / はとま節 / はなふう / ヌトゥヌチバナ |
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しゅどん / しのび / 上り口説 / こてい節/ ぬふわ節 日本の衣装は「日本の絵画」 |
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民族舞踊(1956年) やなぎ節 / むんじゅる / ななみちき |
沖縄舞踊・沖縄海洋博 |
沖縄の民族衣装 |
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■沖縄の伝統的衣装に琉装があります。気温の高い沖縄での生活にあったような、和装のような帯を使わないゆったりとゆとりのあるデザインのものが日常使われていて、ウシンチーと呼ばれ、腰あたりに細帯を締めてその上から着物を着て、合わせたところをつまみ腰帯に挟んで着ます。袖も広めで、風通しが良い様に工夫されています。勿論生地も芭蕉布のような風通しを考慮したものでした。 そして、身分の高い女性が着飾るときには、下とか右の一番下のの写真のようなものを俗にウミナイビと呼ばれる、正式な女性用の衣装を着ました。 本来ウミナイビとは皇女様の事で、布には紅型と呼ばれている染め方をしたものを用いる事が多いようです。とても手の込んだ染色が施されていて、多くは黄色、白、水色、たまにピンクがベースになっているものが多くみうけられます。今でも琉舞の時には、曲によってこれらの衣装を使っています。また、ヘアスタイルも独特なもので、ウチナーカンプーと呼ばれているアップにしてまとめたものが沖縄流。 |
竹内栖鳳・アレ夕立に |
京都・祇園・舞妓 |
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微笑みの国タイの民族衣装 |
ブラウ(上着)とパーシン(スカート)、ブラウとパーシン パーシンを着た盛装の婦人、パーシンを着た婦人 |
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タイ・ローズガーデンの伝統的なタイシルクの装いをした婦人 |
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タイの山岳民族のお祭りの時の衣装です。 |
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■パーシン(pha sin)とはタイ王国北部の女性がはく巻きスカート状の民族衣装の名称です。サロンと同様の筒スカートで、丈が大体一メートル長さ二メートル前後の薄手の布の両端を縫ったもの。タイで「サロン」と言うとパーシンと同形だが、外出着ではなく寝間着や部屋着として使われる派手な花柄のもの。 |
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■パーシン(pha sin)の多くは藍染の木綿製で、晴れ着は絹の、4枚のパネル(布片)によって構成される。タイの女性はパーシンを履き終わった上から、スアー(sya:上着)と呼ばれる薄手のブラウスを着る。 伝統的なスアーは、丸首で襟は無くごく短い袖があるのみの貫頭衣仕立てであったが、現在は洋風の襟があるものや袖が長いものも見受けられる。「フア」(幅30p前後の二枚一組の腰布部分のパネル)と縞を織り出した「シン」(中心部分のパネルでフアの二倍ほどの幅)を飾り縫いで繋ぎ、「ティン」(裾のパネル)を取り付ける。 |
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何処と無くタイのイメージが沸きます。 |
チャン・サェン時代の衣装(17世紀), 右はバンコク時代の衣装(18-19世紀)/女性はパーシン、 |
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手紙を読むタイの婦人、手紙を書く子供他(国際文通週間) |
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男性からの手紙で照れるタイの女性他 |
高地民族・2人の踊り子・タイ王立舞踊団、農村婦人他 |
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タイの民族行事 |
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ラオスの民族衣装 |
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ラオスには、68の民族があり、ラオスの国民は総称してラオ(ラオス人)と呼ばれ、ラオス人民民主共和国の全人口の約半数を、タイ語族系のラオ族が占める。居住地の高度によって、低地のラオルーム、丘陵地のラオトゥン、高地のラオスーン(モン族、ヤオ族など)の3つの民族に大分されています 。またベトナム系、中国系住人もいるので、民族の実数はもっと多い。 |
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■シンとは、ラオスの女性が着る民族衣装で、大きな筒状のスカートです。ラオスでは学校などの制服にシンの着用が義務付けられていることもあり、伝統的な民族衣装ですが、現在でも広く着用されています。デザインがラオス的ですが、日本人から見るとロングスカートといった感じがします。和服と同じように体のサイズを気にせずに使えます。 |
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タイの女性とテキスタイル |
舞踊劇 ラーマヤナ/シータ姫 |
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ラオス女性の服装 |
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ミャンマー(旧ビルマ連邦)の男女の服装・衣装 |
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盛装の女/エンジー(上衣)とロンジー(巻きスカート)と |
アジアン雑貨 |
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カンボジアの民族舞踊とコスチューム |
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カンボジア王立舞踊団のコスチューム(1967年)・・・クメール文化の華と呼ぶにふさわしい「カンボジア王立舞踊団」 |
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■カンボジアの民族舞踊は、九世紀から一四世紀のアンコール王朝時代に、アンコールワット遺跡群で、神々と王に捧げるために儀式の中で踊っていた舞踊が始まり、踊りそのものは、指先・足先をそらせること、ポーズや手の印の形、きらびやかな衣装、高い塔を持つ冠、ラーマーヤナ物語を元にした話が多いことなど、タイやラオスの舞踊と大変似ています。テップ・マノローム(天上界の踊り)、ロバム・ブナリー(天女の花)他。 |
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ベトナムの民族衣装 アオザイ等 |
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ベトナムの民族衣装 アオザイ |
田舎の娘(19世紀)、現代の娘、19世紀の礼装 |
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■アオザイ(Ao dai)とは、正装として着用するベトナムの民族衣装。18世紀に清朝から移入されたチャイナドレス(旗袍)を起源とする。上衣は「チャイナカラー」と呼ばれる前合わせの立襟で長袖の体に沿った細身の仕立て。丈は足首にかかるほど長いが、腰骨にかかるくらいの深いスリットが側面にあるため歩行の邪魔にはならない。下衣には上衣と逆に直線的な裁断の白い長ズボン(クワン、qu?n)の組み合わせで仕立てる。 ベトナムの多くの高校や一部の大学では、純白のアオザイを女子生徒・女子学生の制服に採用している。また、ベトナム航空ではかつてはピンク、現在では赤のアオザイが女性客室乗務員の制服に採用されている。 高温多湿の気候のため、上衣は一重仕立てで木綿製であることが多く、クワンには薄い絹や人絹を用いることも多く、クワンのみならず上衣にも下着が透けるような薄い生地が用いられることが多い。(ウィキペディアから引用) |
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ベトナム・地方の踊り子たち |
ドラの踊り(モイ族)、竹の踊り(ムン族)、笠の踊り(タイ族)、日傘の踊り |
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ベトナム山岳民族の衣装 |
ベトナム山岳民族の衣装 |
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■ベトナムの民族54種シート ベトナムでは、総人口7千数百万が54の民族に分かれて暮らしています。54もの民族の中で、「キン族」がおよそ9割を占めるといわれ、残りの約1割の人口が53の民族で構成されているそうです。こちらでご案内の大型シートは、そのベトナムの全ての民族4種類が切手になっているものです。発行はもちろんベトナムから。ベトナムといえば「アオザイ」が日本でも有名ですね。大型シートにおさめられている切手一枚一枚を眺めると、女性用の衣装は独特の色使いや模様が施されることが多いのに気づきます。切手には民族衣装の他に、それぞれの民族の代表的な住居と思われる建物も添えられています。画像クリックで拡大 |
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南ベトナム69年ジャライ族の女性等少数民族 |
掲載中のベトナムの民族は、 |
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ベトナムの女性の衣装(アオザイ、1999年) |
フィリピン女性の衣装 |
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マリア・クララ風の衣装(1880年頃)、 |
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フィリピンの先住民族の衣装(1993年) |
フィリピンの先住民族の衣装(1993年) |
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モンゴルの民族衣装 |
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モンゴルの国民的な衣装各種(1986年) |
モンゴルの国民的な衣装各種(1986年) |
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モンゴルの地域の衣装(1969年) Bayitの女、Torgutの男、Dzakhachinの女 Khalkhaの女、Darigangaの女、Mingatの女 |
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■モンゴルの民族衣装・正装は、男女ともにデール(立て襟で、真ん中と右側3箇所をボタンで止め、さらに脇を2箇所止める。裾の長さは肘下もしくは踝のあたりまで。真冬用のものは裏に子羊の毛皮がついている、生地は主に中国製の民族調の幾何学模様がついたもの(絹またはナイロン))またはテルレグ(春夏用の袷のデール)を着て、ブス(帯、長い布を巻きつける)を締め、ゴタル(ブーツ)を履く。男性は帽子を着用し、脇に嗅ぎ煙草入れ、または脇差しなどをぶら下げる。モンゴル国の男性、および内蒙古の男女はズボンを着用するが、モンゴル国の都市部では女性はワンピース感覚でデールを着こなす。この場合、ズボンを穿かずにデールを直接着て靴もパンプスを履く。 |
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■中国では古代から17世紀まで漢服が着られていた。清朝では満州民族の衣服と弁髪が強制され、漢服は道士などの衣服に名残をとどめるのみとなった。現在では一部に漢服復興運動がある。満州民族が建国した清では、細い筒袖や裾の長いスリットをもつ、乗馬に適した旗袍が着用された。女性用の旗袍を現代風にアレンジしたものがチャイナドレスである。中華人民共和国が成立してからは人民服(中山服)が着用されたが、21世紀の現在は洋装が広く行われている。 |
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台湾(中国)の伝統衣装 (1985年〜1991年) |
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下左から |
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上左から@元の貴婦人服A明の婦人服B後漢の皇后服C魏晋の貴婦人服D金・元長時代の服装E烏紗帽仙鶴補(明朝) |
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左から |
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■台湾の少数民族:高山族は原始宗教を信奉し、天上の神、自然の神、精霊・妖怪を崇拝している。 高山族という民族の呼称は、1945年以降、台湾の少数民族に対する中国人民の総称である。それには「雅美」、「阿美」、「賽夏」、「泰雅」、「布農」、「曹」、「排湾」、「卑南」、「平埔」などの呼称の人たちが含まれる。居住地区が異なっているため、言語、習わし、服飾などには大きな違いがある。台湾では、高山族の人びとはわずか2%ぐらいしか占めていないが、最も早くから台湾で生活していた人たちである。 |
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鄒(曹)族の民族衣装、賽夏族の民族衣装 布農族の民族衣装、魯凱族の民族衣装 阿美族の民族衣装 (クリックで拡大) |
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中国 新疆ウイグル自治区の民族衣装 |
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中国 新疆ウイグル自治区成立50年 |
新疆(しんきょう)ウイグル自治区は、中国の北西端にあるウイグル人による民族自治区です。主民族のウイグル人はモンゴロイドとコーカソイドの両者の血を引き、地理的にも人種的にもアジアと中東の交流地です。古くは“西域”と呼ばれ、西遊記の原作「大唐西域記」で玄奘が訪れた国でもあります。 |
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インドネシアの民族衣装 |
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インドネシアの男性の衣装 |
民族衣装の女性(インドネシア、蝶の衣裳、1968年) |
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■インド人女性は、チョリというシャツ、ガーグラというスカートを履き、その上からサリーをまとう。北インドではサリーの他にサルワール・カミーズやレヘンガも着用される。北インドの男性用民族衣装はクルター・パジャマ。腰巻のルンギーやドーティーなどもある。シク教徒の男性はターバンを頭に巻く。極東部や中部山岳地帯の少数民族は、一般的なインド人の民族衣装とは異なる衣装を着用する。 |
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インドネシア女性の服装 国際観光年 バリ島の女/カイン・パンジャン(巻きスカート)にスタゲン(帯状の胴衣) |
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イギリス統治下の |
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■サラワク王国(サラワクおうこく、1841年 - 1946年)は、ボルネオ島北部(現在のマレーシア・サラワク州とブルネイ)に存在した白人王国。ジェームズ・ブルック(James
Brooke 1803年 - 1868年)が建国し、ブルック王朝3代が統治した。海峡植民地 。 |
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イランの民族衣装 |
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■イランでは女性が外出する際のスカーフ着用が義務とされている。そのため、どの女性も頭からすっぽり黒いスカーフをかぶっており、せっかくの魅力が覆い隠されてしまう。イランは地域によって民族衣装も風習も様々だそうです。 ですがイスラム圏では有る程度共通。 |
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クルド人 |
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ケルマンシャハ地方の女、ファース地方の女、トルキャマンサロ地方の女、ファース地方の女、マザンダラニ地方の女、サナンダジ地方の女 |
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イラクの民族衣装 |
オマーン(Oman)の民族衣装 |
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北部イラクのヤジディ族の男、クルド族の女、クルド族の男、クルド族の女 |
Muscat(1989年) |
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バグダッドの老人/カフタンにアパ、イラクの婦人の平服/イザール(外出用の外衣)、修道僧/クラ帽にアパ、南イラクの村人(男) |
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レバノンの民族衣装 |
アフガニスタンの民族衣装 |
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左から、ペルシャ風室内着の踊り子/フェズ(トルコ帽)にボレロ風短上着、楽女/タントゥール(丈高いかぶり物)とシャルワール(脚衣) |
婦人の日/民族衣装の |
少女とラクダ(アフガニスタン) |
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■イスラム教の国であるアフガニスタンの、その国の女性といえば誰もが黒いヴェールで顔を覆った女性を思い描くのではないでしょうか。私はこの、ヴェールから見え隠れする双眸と、その目線だけでも驚くほど十分に女性の美しさや神秘的さが現れる衣装に大変魅力を感じます。しかしこの習慣は女性の束縛・抑圧の象徴として一時期批判の的となったこともあります。利点を言えば、大体の人間が同じ衣装を着用するので貧富の差があまり明確には表れないと言えます。服装はストレートに外形に表れるので、シンボリックな意味あいがあるヴェールをするか外すかについて迷う女性も多いのです。 |
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トルコの民族衣装 |
美しい刺繍で知られるトルコの各地方の民族衣装が描かれています。 |
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カスタモヌ |
チャナカレ |
アマシカ |
エラズー |
バリシケル |
アフィオン |
トカット |
カルス |
■カフタン(caftan)はトルコの民族衣装。基本の形状は長袖・袷仕立ての長い前開きのガウンで、オスマン帝国の隆盛期には毛皮で裏打ちしたものや袖なしで別のカフタンの上から羽織るものも登場している。女性向けの広袖のものもあるが基本は先細に近い袖の男性服である。スルタンの衣装としてトプカプ宮殿などには、臙脂虫などを用いた緋色など鮮やかな色の絹の綴れ織りに高価な毛皮で裏地をつけ、金糸などで優美な植物文様を織り出したカフタンが保存されているが、近代化政策の影響で現在は街中でカフタン姿は殆ど見かけない。このままでは行動しにくいため、下穿きにシャルワールと呼ばれる非常にゆったりしたズボンを合わせる。こちらは男女共通であって、女性のブラウスにシャルワールを合わせる装いを英米では俗称でハーレムスタイルと言う。 西アフリカにおいては男性用の衣装として似た形状のブーブー(Boubou)が着られている。 |
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シリアの民族衣装(1963年) |
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■ヨルダンやシリア、イランなどのパレスチナ周辺地域の衣装。パレスチナの女性用民族衣装の特徴の一つとして胸や袖、裾の部分に施された刺繍が挙げられます。衣装に使用されている布(下地)は、平織りで刺繍が施し易い亜麻や光沢が有り生地自体の彩りも多彩なシリアの絹、マジュダルの布などがありました。衣装のスカート後ろ裾の部分に施された刺繍には魔除けの意味があるそうです。(参考:『パレスチナの民族衣装』展) |
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カザフスタン(中央アジア)の民族衣装 |
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花嫁、花婿とユルタ(円形テント)内部 |
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■中東は、気温が高く乾燥した地域が多いため、皮膚からの水分の蒸発を防ぐため、全身を覆うような形の衣服が多いです。また、イスラム文化圏では女性はむやみに他人に肌を見せないしきたりがあるため、顔を隠すベールも発展しています。イスラム教徒は、毛や絹の四角い布に頭や腕を通す穴を開けたアバを着用する。女性は肌を隠さなければならないので、チャドルと呼ばれる衣装は目の部分以外の全身をすっぽり覆う形になっている |
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韓国の民族衣装 |
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皇太子妃の礼装 |
王妃・王女の婚礼衣装 |
宮廷官吏の儀式服、軍人の衣装、皇太子の礼装 |
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サルプリ(巫女の踊り)、ムーダン・チュム ナビ・チュム(蝶の踊り)、トンネ・ヤーユー、ポンサン地方の仮面劇 |
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王妃の儀式服/チョギ 婦人の平服/チマチョゴリ |
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韓国の収穫祭の踊り(民族衣装) |
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■アジアの服や民族衣装の多くは、一枚の布の真ん中に穴をあけ、そこに頭を通す貫頭衣(かんとうい)形式のものから発展したと考えられています。中国のチャイナドレス、ベトナムのアオザイ、韓国のチマ・チョゴリ日本の和服など、洗練されたものも多く着こなされています。 |
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北朝鮮の民族衣装 |
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朝鮮半島と言えばチマチョゴリ |
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北朝鮮発行のチマチョゴリ |
七夕を記念して発行された切手のようです。 |
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タイ・バンコクの現代ファッション(2004年) |
北ボルネオの民族衣装 |
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タイの現代的な現代的な若者ファッション |
ムルッ(Murut)族の男 |
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シンガポールの民族衣装 |
シンガポール・ガールの独特な民族衣装サロンケバヤ |
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民族衣装・家族 |
老男(チャイナ服の男性) |
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シンガポールの古い民族衣装 |
シンガポールの女性の民族衣装 |
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■多民族国家のシンガポールは中国系が75%を占めています。マレー系は敬虔なイスラム教徒が多く、女性は身体の線がみえない民族衣装を着ていたり、ドゥドゥンと呼ばれるスカーフで頭部をおおっています。インド系は顔立ちがアジア人とは異なり、彫が深いアーリア系の顔立ちで、女性はあでやかな民族衣装(サリー)を着ている人が多いように感じます。街を歩けば、宗教や文化の違いで、色々な民族衣装が見られます。 |
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ネパールの民族衣装(1997年) |
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グルング の男女の民族衣装 |
チェパングの男女の民族衣装 |
ラマタルの男女の民族衣装 |
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説明の補足ではフリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』を利用させていただきました。 |