日本の風景|名張・万葉の会 當麻の道(葛城市) 當麻寺(当麻寺)、石光寺・・他 2/2 |
當麻の道(當麻寺から石光寺へ)
當麻の道は奈良・郡山・王寺方面から石光寺・當麻寺への参詣道であり、また當麻地方から法隆寺・だるま寺への参詣道でもあった。當麻道は王寺から南下し、下田・磯壁を経て石光寺や當麻寺に至る道です。 また、當麻寺南門からカランボ池の岸を辿り竹内に至る道を三十路(みそじ)越(地図記号ホ)といい、松尾芭蕉が竹内からこの道を通って當麻寺へ詣でたといわれています。
平成25年4月4日撮影。 切手以外の写真はクリックで拡大。 ※Wikipediaと當麻寺資料を参照
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當麻寺 周辺 万葉歌碑
■當麻寺周辺の万葉歌碑。 中将姫墓へ向かう途中に2つの万葉歌碑があります。
先ずは、大津皇子の、石川郎女に贈る御歌一首 「あしひきの山のしづくに妹待つと我が立ち濡れぬ山のしづくに」(万2-107)。
万葉歌碑への道すがら |
大津皇子の、石川郎女に贈る御歌一首 |
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姉の大伯皇女が詠んだ「うつそみの人なる我や明日よりは 二上山を弟と我が見む」(万2-165) |
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二上山と言えば、大津皇子(天武天皇の第三皇子)のために姉の大伯皇女が詠んだ「万葉集」の次の歌があります。 「うつそみの人なる我や明日よりは 二上山を弟と我が見む」(万2-165)
※折口 信夫(おりくち しのぶ、1887年(明治20年) - 1953年(昭和28年))は、日本の民俗学者、国文学者、国語学者であり、釈迢空(しゃく
ちょうくう)と号した詩人・歌人でもあった。
中将姫墓〜鳥谷口古墳
■中将姫(ちゅうじょうひめ、天平19年8月18日(747年9月30日)- 宝亀6年3月14日(775年4月22日))は、奈良の当麻寺に伝わる当麻曼荼羅を織ったとされる、日本の伝説上の人物。
藤原鎌足の曾孫、右大臣藤原豊成とその妻の紫の前(品沢親王の娘)の間には長い間子どもが出来ず、桜井の長谷寺の観音に祈願し、中将姫を授かる。 美貌と才能に恵まれ、9歳の時には孝謙天皇に召し出され、百官の前で琴を演奏し、賞賛を受ける。 しかし、継母である照夜の前に憎まれるようになり、盗みの疑いをかけられての折檻などの虐待を受けるようになる。
★中将姫の墓塔 : 花崗岩で造られた十三重塔で、高さ・285cm
初重の四方仏は、軸部に縁をとった中に舟形を造って、そこに厚肉に彫出
屋根は軒反りが強く、鎌倉時代末期の様式です
横に建つ石造三重塔は平安時代後期の作で、高さ・156cmです
■當麻山口神社と傘堂
當麻山口神社は、傘堂の横に立派な鳥居が立ち、二上山登山口手前にある古社です。縁起式内小社で「人皇五十五代文徳天皇仁寿三年(853年)夏四月、冬十一月これを祭る」と記されます。
二上山の麓に鎮座する神社で、その名の通りこの當麻地域にとって非常に重要な神社です。平安時代創建と伺えます。 古くより近辺の16ヶ所の村の鎮守産土神として広く崇敬され、二上山の麓に位置することから山の神「大山祗命」祀っていましたが、平安時代の末期に天津日高日子番能邇邇芸命、木花之佐久夜毘売のご夫婦二柱を合祀、現在三柱の神をお祀りしています。
★傘堂は、柱一本で宝形造りの瓦屋根を支える総欅作りの風変わりな建物。江戸時代前期に郡奉行を務めていた吉弘統家が主君の郡山藩主本多政勝の菩提を弔うため、延宝二年(1674)に建立した「影堂」「位牌堂」です。県指定の有形民俗文化財となっています。
【ぽっくり信仰】 傘堂信仰として、傘堂に三度祈願すれば、長い病による下の世話を人にかけず自分も苦しむことなく、命終わるときは雨が降らずこれまた人に迷惑をかけることもないという伝承があります。 傘堂は、『左甚五郎』が造ったとも伝えられます。
當麻山口神社 |
當麻山口神社 |
傘堂 |
傘堂 由緒 |
傘堂 |
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奈良盆地を見晴るかす |
傘堂の傍のため池で遊ぶ水鳥達 |
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■鳥谷口古墳 (とりたにぐちこふん)・県指定史跡
大きさは一辺が約7mの四角形の古墳で、埋葬施設は横口式石槨(よこぐちしきせきかく)と呼ばれる小さな石室です。現在、大津皇子の墓は二上山雄岳山頂にあるとされていますが、この鳥谷口古墳こそ、「万葉集」に記された大津皇子の墓の可能性が高いと考えられます。
石光寺
■慈雲山 石光寺(別名「染寺(そめでら)」)の草創は約1300年前、天智天皇(668〜671在位)の勅願で建てられ、役小角(えんのおづぬ)の開山と伝えられる。
境内に奈良時代前期といわれる塔の大心礎があり、平成3年には弥勒堂改築に伴う発掘調査の結果、日本最古の白鳳時代の石仏(当時の本尊)と他に瓦や仏せん(せんぶつ)が出土している。別名「染寺(そめでら)」とも呼ばれ、中将姫ゆかりの「染の井」と「糸掛桜」がある。 ボタンの花でも有名です。
今回は生憎の休館日でした。
当麻寺と同様に「中将姫ゆかりの寺」として知られています。当麻曼荼羅で知られる中将姫ゆかりの「染の井」と「糸掛桜」がある。これは、中将姫が曼荼羅を織るために蓮の茎を集めて糸を採り、それを水に浸したところ五色に染まった、という伝説の場所で、庭にある井戸を「染の井」、傍らの桜の枝を「糸掛け桜」という。
葛木二上神社 他
■葛木二上神社。二上山山麓の葛木倭文座天羽雷命神社(かつらきしとりにいますあめのはいかづちのみことじんじゃ)に、相殿神として当社の大国魂神が祀られている。旱魃の年には岳郷によって「嶽の神様
幟がお好き、幟持てこい、雨降らせ」と唱和して雨乞いの登山が行われた。
葛木倭文座天羽雷命神社は、天羽雷命(あまはいかづちのみこと)を主祭神とし、右殿に摂社・掃守神社(天忍人命)、左殿に摂社・二上神社(大国魂命)を配祀する。 山頂の二上神社の遥拝所もしくは里宮的な存在であったとみられる。 別名:倭文神社(しずりじんじゃ)
葛木二上神社 |
葛木二上神社 |
倭文神社(しずりじんじゃ) |
二上山頂まですぐ |
神社後ろの養蜂箱 |
二上神社口駅 |
フサアカシア(ミモザ) 當麻寺 |
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当麻寺中之坊所蔵の「当麻寺付近絵図」には二上山の雌岳に神蛇大王(竜王)を祭る社もあったことが記されている。
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