コレクション|世界のCOIN(コイン) ローマ時代や中国、タイの陶器コイン、クレオパトラのコイン等
世界のコインです。 コインでは、古いもの(中国の数千年前、ローマ時代、ビザンチン)から新しいものまで種種雑多ですが、中にはタイの陶器コイン等珍しいものがあります。 また、コインかどうか不明のものもあります。ご存知の方がいらっしゃいましたらお教えください。コイン収集とは古今東西のコイン(貨幣)を収集する行為であるが、紙幣を収集する行為もこの中に含まれることがある。西洋において、コイン収集は古くは王侯貴族の趣味であった。その当時はオリエントのコインやローマコイン等が収集の主な対象であったが、現在ではあらゆる種類のコインが収集対象となっている。 コインの絵柄(図案)は、人物や名所旧跡等が多く、お国柄が出ますね。 ローマは皇帝、米国はイーグル、エジプトはツタンカーメン、世界の3大美女のクレオパトラ7世のコインがありました。 日本では10円は世界遺産の平等院鳳凰堂が刻印されています。
コインや紙幣に関する参考になるHP。
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Dコインコレクターのホームページ E造幣博物館
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新旧を問わず、世界の珍品のコイン(ローマ時代や中国、タイの陶器コイン、クレオパトラのコイン等) |
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■硬貨(こうか)は金属で作られた貨幣である。コイン (coin) ともいわれる。硬貨は一般的に丸い形をしている物が多いが、四角、五角、六角、七角、八角など多角形をしたもの(しばしば定幅図形となっている)、周囲を帆立貝状にしたものなどが流通しており、真ん中に穴を開けた物も、各国に存在する。この穴は、古来紐を通して保存する目的で空けられたが、現在のコインは小額かつ小型であまりその有用性は重んじられていない。 |
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世界のコインをご紹介します。 |
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Roman(ローマ)時代: |
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■カラカラ帝:未来の皇帝カラカラ帝は、188年リヨンで本名ルキウス・セプティミウス・パシアヌスとして生を受けた。211年に弟ゲタ帝と共に即位するが、12月にゲタを殺害する。弟ゲタの殺害によって起きた212年の大虐殺は、皇帝と元老院との仲を永久にこじれさせ、ローマ社会のさまざまな分野の人々をカラカラから遠ざける事となった。彼に名をもっとも有名にしたものは、彼がローマに建てた広大な浴場で、今日それは廃墟になってさえ、ローマの威勢を示す印象的な記念物になっている。 |
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ローマ時代: |
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■ゴルディアヌス3世:肖像で見るとおりの子供です。13歳で皇帝にまつりあげられ、19歳で親衛隊長に裏切られ、殺されてしまいました。 |
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ローマ時代: |
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■フィリップス2世:兵糧不足などを前任のゴルディアヌス3世が無能であったせいにし、軍隊の支持が皇帝から離れるように画策し、皇帝の座を奪うが5年後に部下の反乱で戦死する。 |
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ビザンチン帝国: |
■476年、西ローマ帝国滅亡。ユシティニアヌスは失われた帝国西半分を回復しようとべりサウルスに遠征させる。一応の成功をおさめるが、費用を負担した臣民は、戦争・疫病・飢餓の三重苦となる。ローマ法大全の編纂を命じた事でも有名である。 |
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タイ: |
■アジアでは陶器の沢山が作られています。戦争などで金属が不足すると陶器が使われたようです。中国にも陶器の貨幣がありました。 また第一次世界大戦の時にはドイツで「マイセン陶貨」も作られたと聞きます。日本においても、幻の貨幣「陶貨」が作られた。第二次世界大戦に突入した日本は、戦争激化とともに資材は軍事産業へ 優先され、金属不足になり、昭和20年春頃から極秘のうちに「瀬戸・京都・ 有田」の民間陶器工場で「十銭、五銭、一銭」の3種類の陶器の貨幣が 製造されました。 |
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プミポン国王(ラーマ9世)は、タイのチャクリー王朝の9代目の王で、現タイ国王の肖像が描かれています。 |
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中国: |
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中国: |
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■秦の半両銭:前336年、秦は銅銭の鋳造を国家で行うことを定め、円形方孔の半両銭を正式な貨幣と定めた。これが半両銭の紀元である。初期の半両銭を一般に戦国半分銭と称し、重量は8g程度、だたし鋳造技術が未熟であったためその大きさがまちまちであり、中には円孔のものも発掘されている。当時の半両銭には大篆で「半兩」と記されているが、「兩」の中の「人」が長い字体より長人両とも称されている。 |
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中国: |
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■五銖銭(ごしゅせん)は中国の古代に流通した貨幣。前118年(元狩5年)に前漢の武帝により初鋳された。量目(質量)が当時の度量衡で5銖であり、また表面に「五銖」の文字が刻印されていることより五銖銭と称されている。当初鋳造されたものは郡国五銖銭と称されている。しかし短期間の歳入増加を目標とした漢朝は前114年(元鼎3年)に赤側五銖銭を発行する。 |
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一番右は北魏の五銖銭 | ||
中国: |
貨銭(AD20頃) | 布銭(AD20頃) |
中国: |
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中国: |
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中国: |
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中国: |
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中国: |
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中国: |
、 | |
■馬蹄銀(ばていぎん)は元(げん)の時代(1127〜1279)から大きな取引(とりひき)や貯蔵用(ちょぞうよう)に使われた銀(ぎん)の秤量貨幣(ひょうりょうかへい)です。 形が馬(うま)の蹄(ひづめ)に似ていることから馬蹄銀と呼ばれています。 |
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中国: |
光緒元宝(北洋)・米国(オクラホマ)・光緒元宝(江南省) |
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中華民国10年・中華民国開国記念・光緒元宝 |
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中華民国6年・大清国慈●皇太后(1861-1908)・中華民国 |
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光緒元宝(雲南省)・光緒元宝(東三省、20cent)・四川省 |
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中国:清時代のコイン |
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咸豊重寳(かんぽうじゅうほう) 参考頁「清水家の古銭」から引用させていただきました。 |
咸豊重寳(表面) | 咸豊重寳(裏面 |
中国・清時代の咸豊重寳(かんぽうじゅうほう)です。咸豊重寳は、咸豊5年(1855)に発行が開始されました。咸豊元年(1851)に発行が開始された咸豊通寳の小平銭(一文銭)に対して、高い額面の銭貨として発行されたもので、種類は当五銭(五文銭)、当十銭(十文銭)、当五十銭(五十文銭)、当百銭(百文銭)など、額面の異なるものが数種存在します。額面の表示は、銭貨の背(裏側)の上下に記されており、左右には銭局名(銭貨を鋳造した場所)が満文(満州文字)で記されています。 |
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中国貨幣関連の書籍 |
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香港:1ドル銀貨 |
ビクトリア・1ドル銀貨女王(表面) | ビクトリア・1ドル銀貨女王(裏面) |
USA: |
American Eagle | American Eagle |
フランス: |
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オーストラリア: |
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■ワライカワセミ(笑い翡翠・学名Dacelo novaeguineae )は、ブッポウソウ目・カワセミ科に分類される鳥。オーストラリアに分布する大型のカワセミの仲間。人の笑い声に似た大声の(「ワハハハ……」と笑っているように聞こえる)さえずりが特徴である。本来の分布域はオーストラリア東部で、オーストラリアの特徴の鳥です。 |
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イギリス: |
イギリス:皇太后80歳記念 | サモア・10ドル・動物保護基金 |
イギリス: |
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エジプトのコイン: |
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エジプトのコイン: |
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古代エジプトの三大美人と言いますとこのネフェルティティ、ネフェルタリ、そしてクレオパトラなんですが、ネフェルティティは今のイラクの辺り、ミタンニと言う所からきました。エジプト最後の女王と言われるクレオパトラはギリシャ人ですね。ネフェルタリはエジプト人です。コインに描かれるのは結構粋な感じです。 |
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エジプトの様々なコイン: |
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参考)エジプト写真[ トップ|遺跡( 神殿 ルクソール(西岸、東岸)|エドフ|コム・オンボ|アスワン|アブ・シンベル| |
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バチカン市国・コインカード |
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バチカン市国では、以前はリラが用いられていたが、イタリアがユーロに通貨を変更した2002年1月1日以降、ユーロが流通するようになった。なお、バチカン発行のコインはユーロ圏ならどこでも使用することが可能であるが、切手はバチカン市国以内での郵便物の投函にのみしか通用しない。 |
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コインの状態 |
コイン・紙幣・メダル |
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