アジアの旅行写真|中国・世界遺産・「蘇州古典園林」と水と風景の蘇州 |
長江南岸の蘇州
蘇州(Suzhou):長江三角洲の最も豊かな地区、太湖の浜にある。東の上海までは100km。2500年以上の歴史を有する長江南岸の文化の都市として、川と街とが相い伸び、「小橋、流水、人家」といった古朴な風貌はいまもなお残っている。宋代に築かれた数多くの民間の庭園によって、「古典名園の域」としての地位が囲められた。庭園、小橋と流水は蘇州観光の特色である。蘇州古典園林 とは、主に明代に建設されたいくつかの庭園の総称。拙政園、留園、網師園、環秀山荘、獅子林などの庭園が含まれる。これらはユネスコ世界遺産(World Heritage.)に選定されています。名張市の友好都市は、東京都・豊島区、中国・蘇州市で色々交流もあります。蘇州は春秋時代に呉の都が置かれ、呉文化圏の中心であった。伝説によれば、呉王・諸樊(ショハン)がこの地を本拠と定め、諸樊の子孫の闔閭が呉の都として整備したと言われている。臥薪嘗胆、呉越同舟の舞台でもあります。 闔閭(こうりょ、? - 紀元前496年/在位前514-496年)は中国春秋時代の呉の第6代の王。諱は光。家臣の孫武、伍子胥などの助けを得て、呉を一大強国へと成長させ覇を唱えたが、越王句践に敗れ、子の夫差に復讐を誓わせて没した。春秋五覇の1人に数えられることがある。 蘇州は上海から高速道路で1時間の距離にあり、上海の国際マーケットと国内マーケットをつなぐ要所。
ご注意)写真は2005年12月に当方が撮影したものです。著作権は保持しています。 |
蘇州の拙政園(せっせいえん)
■拙政園(せっせいえん):蘇州四大名園の一つで中国四大名園の一つにもなっています。拙政園は世界遺産としての「蘇州古典園林」の主格です。中国庭園のモデルとして事実上中国No.1の庭園と言えます。紅楼夢に出てくる光景を目の当たりにて、びっくりどころか仰天同地です。蘇州古典園林の庭園の多くは明の時代に建設された。これらの多くは地元の名士により作られたもので、公共事業としてではなく、個人の趣味で置かれたもので、皇帝所有の庭園である皇家園林に対して私家園林というそうです。拙政園は明の時代に中央政界で失脚した御史の王献臣が寺を買い取って造営した庭園です。
Openning:いかにも中国といった風情が多いのが蘇州です。 |
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拙政園の庭園内の風景 ・・ いかにも中国のイメージとぴったり合います。 |
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■蘇州古典園林 とは、主に明代に建設されたいくつかの庭園の総称。拙政園、留園、網師園、環秀山荘、獅子林などの庭園が含まれる。これらはユネスコ世界遺産に選定されています。 |
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切手は、蘇州・拙政園の左から、枇杷園、小滄浪の水院、宣両亭、遠香堂と倚玉軒 切手に掲載された蘇州ぼ拙政園 |
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■蘇州・拙政園の門前にて 何となく懐かしい原風景にあるような気がします。 駄菓子屋風のお店が並び、リヤカーに焼き芋の釜を乗せ、一時代前の日本と同じように売っていました。美味しそうでしたが買いませんでした。もう一つ気になったのですが中国の人は赤と黄色が好きな様です。駄菓子屋さんのようなお店は「栄華百貨店」です。 |
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蘇州市
■蘇州は、長江の南側にあり、長江デルタの中心部、太湖の東岸に位置する。東北側には、上海蟹の産地として名高い陽澄湖がある。 北京から南京を経て、昆山、上海を結ぶ京滬線が通り、蘇州駅には特急が停車する。
■蘇州駅です。田舎です、古都−蘇州らしく、中国の伝統建築で、蘇州に着いたことを旅人に実感させてくれます。クリックで拡大します。 |
蘇州のランチタイム |
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蘇州の駅前・観光名所どこに行っても、同じ物売りが行く先々までついてきて、本当にウンザリでした。行く先々まで。 |
中国の餃子には驚きました。ほとんどが水餃子か日本の餃子の5-6倍の大きさで韮が中心の韮饅頭。 |
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蘇州の運河
■蘇州の運河、生活そのままの風景. 運河沿いに建物や橋のある風景はさすが東洋のベニス。
蘇州の虎丘塔(雲岩寺塔)
■虎丘(右は虎丘塔:中国の斜塔です。実は傾いています。虎丘 - 春秋時代、呉の国王夫差が埋葬されたことに由来。 北宋代、961年に建立された八角七層の虎丘塔(雲岩寺塔)は、現在少し傾いているためイタリアのピサの斜塔と比されることもある。)伝説によると、春秋時代に呉の国王・夫差がこの虎丘に下に埋葬されました。 3日後に白虎がその辺に出没していたことが伝わり、その地を虎丘と呼ぶようになったわけです。 唐代になって白居易(772〜846年)が蘇州刺史(長官)となった際には、城門から虎丘まで運河が開削され、それ以降は交通の便が良くなり、景勝地として知られるようになった。 虎丘の広さは約20万u、雲岩寺塔や剣池などの見どころがある。
蘇州の寒山寺
■「寒山寺」は、南北朝梁代の創建。その後何度か焼失しているので現在の建物は清代に立てられたもの。もともとは「妙利晋明塔院」という名だったが、唐代に高僧「寒山」が住んだことから改名された。除夜の鐘で有名な鐘楼がありました。現在の鐘は明治時代に日本から贈られたもの。ひと突きで10年長生きするとの言い伝えがある。唐代の詩人張継の七言絶句「楓橋夜泊」で有名です。本当は、石碑とそれを写した掛け軸・拓本を出そうと思っていましたが、飽くまで文物以外と決めていますので、ご容赦ください。このお寺は、とっても日本とつながりが深いようで、伊藤博文から贈られた鐘や、空海の像、森鴎外、李香蘭という名前も出ていました。 寒山寺は中華人民共和国江蘇省蘇州市楓橋鎮にある臨済宗の仏教寺院。
■寒山寺は、中唐の詩人で政治家でもあった張継の七言絶句「楓橋夜泊」によって広く知られている。この詩は都落ちした旅人が、蘇州西郊の楓江にかけられた楓橋の辺りで船中に泊まった際、旅愁のために眠れぬまま寒山寺の鐘の音を聞いたという様子を詠ったものである。
蘇州の名産や名物
■蘇州は、絹製品(蘇州絲綢 - 絹織物)で有名です。 その絹製品の製造工場兼販売センターで行われたファッション・ショーのモデルさん達です。スタイルもよく美人ばかり、格好はパリコレでした。 ショーは団体が来ると突然始まります。 蘇州は古くから中国の先進的な絹織物産地として経済的富裕な町であったが、南宋時代に付近で木綿栽培が広まると綿織物の分野でも屈指の生産を図るようになりました。 だが、アヘン戦争後の上海開港にともなってその経済的地位を幾分か低下させました。 2000年の歴史を持つ蘇州の刺繍は三国時代に端を発し、民代にはすでに刺繍の研究所が設けられ、清代末期にはパリの万博にも出展。両面刺繍が特徴で、絵柄は糸の結び目がない精巧さを誇っている。 見事ですよ。
蘇州関連の情報
■蘇州関連の旅行情報
蘇州の東北側には、上海蟹の産地として名高い陽澄湖があります。運河による水運が生活に溶け込んでいることから、旧市街地及び周辺の水郷地帯を含めて、「東洋のヴェニス」と呼ばれるが、蘇州はヴェネツィアよりも歴史は古い。
臥薪嘗胆(がしんしょうたん)とは、復讐のために耐え忍ぶこと、また、成功するために苦労に耐えるという意味を持つ、中国の故事成語である。紀元前6-5世紀の呉と越の国家間の戦争に由来する。この成語の現在確認できる初出は、「嘗胆」のみならば『史記』巻41越王句践世家、「臥薪嘗胆」と揃った形で存在する説話は14世紀前半に成立した『十八史略』である。
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