アジアの旅行写真|シルクロード 吐魯番(トルファン)は東西文化と宗教が混じりあう所 |
シルクロード 吐魯番(トルファン)
吐魯番 索引 [ 火焔山|高昌故城|ベゼクリク千仏洞|カレーズ|蘭新高速鉄道 ]
とても神秘的なトルファンは古代文明と現代文明の融合しているところであり、また東西文化と宗教が混じりあう所としてシルクロード(絲綢之路)関連の遺跡が最も多い地域です。 トルファンといえば火焔山やブドウが一杯の葡萄棚が有名ですが、なかでも火焔山は最も有名な観光スポットです。
高昌区(こうしょう-く)は、中華人民共和国新疆ウイグル自治区トルファン市に位置する市轄区。トルファン盆地の中央に位置する。古くより交通の要所であり、シルクロードの要衝として栄えた。
トルファンは治安がいいので、一人で歩いていても特に問題はない。 火州大酒店 2016年6月
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トルファンの名前は明代より流布し始め、その意味はウイグル語で「くぼんだ地」を意味する。西域番国志によると、15世紀初頭、明の永楽帝の命を受けた陳誠が、陸路でこの地(「土爾番」と記録されている)を訪れている。 -154mの艾丁湖をもつ低地・トルファン盆地は夏の暑さでも有名です。超盆地気候のため夏の暑さは凄まじい。 夏の最高気温は毎日40℃を超える酷暑だ。
ウイグル族が多く暮らし、葡萄の産地としても有名なトルファン。中心街から少し出るとウイグル族の葡萄農家が点在しています。 ブドウを干す「陰房」は、四方(4面)から風が通る仕組みで、一週間で生ブドウから干しブドウに変える。 そういえば、町に入る前に隙間だらけの家を沢山見ました。
北京から4000kmも西に位置するここ新疆ウイグル自治区では、北京時間だと日の出日の入り時間にかなりのズレが生じてしまう。 夏の日の長い時期だと、北京時間午後9時でもまだ日没していないような状況となる。
火州大酒店 夕暮れ時はシシカバブの焼ける臭いが充満 |
夜になるとシシカバブの屋台が 傍にトルファン市水韻広場がありました |
トルファンの下水道の蓋 |
■新疆トルファン火洲大酒店は绿洲西路に位置して、リーズナブルなホテルです。客室はベージュを基調として、シックなデザインで纏められており、使いやすい造り。日本人旅行者の利用が多いホテルです。
トルファンは、かって敦煌から「十三日間」の距離にあったと言われました。中原から西域に入って間もない大きな街・国です。玄奘の大唐西域記も今のトルファン・高昌国から始まります。
トルファン 火焔山
火焔山は、タクラマカン砂漠タリム盆地の北部、トルファン盆地の中部にあり、平均海抜は約500m、全長は約100km、幅は平均10km。 最高峰は勝金口近くの851m。
極度の乾燥地帯で、夏には地表から立ち上がる陽炎によって燃え上がる炎のように見えるので火焔山とよばれるようになりました。 特徴的な地形は、火山活動による溶岩が、長年にわたってガリ侵食などで削られてできたもの。 平均気温が高いことで知られ、夏の気温が摂氏50度を超えることも頻繁です。 この日も40℃をはるかに超えていた。 砂岩が侵食してできた赤い地肌、暑さを誘う。
「西遊記」では孫悟空が鉄扇公主と戦う舞台とても有名です。
幾筋も縦皺がある 火焔山 |
燃えているような 火焔山 |
歩くのは高温で無理、 |
タクラマカン砂漠(Taklamakan Desert)は、中央アジアのタリム盆地の大部分を占める砂漠。名称の語源は、ウイグル語の「タッキリ(死)」「マカン(無限)」の合成語と言われ、「死の世界」「永遠に生命が存在し得ない場所」といったニュアンスとされる。サハラ砂漠、アラビア砂漠、ゴビ砂漠などと並ぶ巨大な砂漠のひとつ。砂漠の中央を東西方向に縦断することは極めて困難であり、かつてのシルクロードも、砂漠の北縁のオアシスに沿って進む西域北道(天山南路、漠北路とも)と、南縁のオアシスを辿る西域南道(漠南路とも)とに分岐していた。
火焔山のシンボル |
火焔山の川 |
火焔山のブドウ畑 |
天山から流れ下る |
少量だがブドウ畑が |
平均気温が高いことで知られ、夏の気温が摂氏50度を超えることも頻繁である。
春先になると嫌な黄砂は、この地の少し東の地域などから巻き上げられ気流に乗り運ばれる砂の事であり、春先には日本にも多く飛来する。 あたりの風景を見るとむべなるかなの感が強い。 昔、北京でまつ毛の上に黄色いものをつけて歩いているものを見かけた。よく見たら黄砂のようでした。
黄砂の代表的な発生地としては、西から タクラマカン砂漠(中国西部 新疆)、ゴビ砂漠(中国北部 内モンゴル・甘粛・寧夏・陝西 - モンゴル南部)、黄土高原(中国中央部
内モンゴル・甘粛・陝西・山西)の3か所が挙げられる。
トルファン 高昌故城
2014年、高昌故城と交河故城は古代シルクロード(絲綢之路)の一部分として世界文化遺産に指定されました。 火州。
高昌故城 : かつて高昌故城は高昌王国の都であり、古い歴史があります。 紀元前1世紀に高昌壁は建て始められ、紀元13世紀に戦乱によって壊されてしまいました。 2000余年を経て大部分の建造物はすでに消失してしまったのですが、一辺が1.5kmの土壁で囲まれたほぼ正方形で、古城のアウトラインはいまだに残されており現在では外城西南と東南部に寺院遺跡2か所が完璧な形で残っています。 日中の暑さが既に40℃を越えている。
高昌故城 |
高昌故城の内部 |
高昌故城の宮殿址 |
ひがな演奏している |
玄奘が説法した場所 |
西南大仏寺跡 |
高昌古城。唐代の高僧-玄奘は、高昌を経由した時、高昌で、経書を解釈し、仏教の道義を伝え、当時の高昌の王と兄弟関係を結びました。玄奘が説法した場所。玄奘三蔵が天竺へ向かう途中に1カ月滞在し、仏教を講じた寺院跡も残っています。 |
漢は現在のトゥルファン市街から東へ45Km行った所に高昌城(カラホジョ)を築いて屯田を行っていた。 その後、中国から戦乱を避けて高昌へと移り住むものが多くなり、北涼の王族・沮渠氏が車師国を滅ぼして、450年に高昌国を立てる。この高昌国は柔然に圧迫されて滅び、その後は北方民族(柔然・高車・突厥)の影響下の元に張・馬 ‥の四氏が王となり、498年に麹嘉(きくか)が高昌王になり、640年に唐に滅ぼされるまで続きました。
トルファン ベゼクリク千仏洞
ベゼクリク千仏洞は、火焔山の横を流れるムルトゥク河の断崖にある石窟寺院です。「装飾された家」という意味の仏教石窟です。 麹氏高昌国の6世紀からつくり始められ、元代まで続けられました。最盛期は9世紀の高昌ウイグル王国の時代。 当時のウイグル族の生活や仏教文化を知る上で貴重な資料となっています。 後ろに見えるのは西遊記に出てくる火焔山です。 眼下にはポプラ並木の中に川が流れています。 日陰に入ると何とか涼しい。
■ベゼクリク千仏洞を代表する壁画が『誓願図』と呼ばれるひときわ大きい壁画である。これは釈迦牟尼の前世における「誓願」(praņidhi)を描いたものとされる。絵画はトルファンのホテルや敦煌の博物館で撮影したものを利用しています。
■15世紀半ばから16世紀半ばにかけて、トゥルファン地方がほぼ完全にイスラム化すると、ベゼクリク千仏洞は完全に放棄され、その後の最初の発見者ドイツ隊が訪れた時には砂と黄塵にすっかり埋もれてしまっていた。そして、そのドイツ隊も壁画を剥ぎ取り持ち帰ってしまった。ということです。いちばん有名な請願図は第2次世界大戦の爆撃で焼失しました。
フタコブラクダ(二瘤駱駝)は、中華人民共和国北西部とモンゴルに分布する。体長220~350cm。尾長55cm。体高190~230cm。体重300~650kg。紀元前2000年頃には既に家畜化されていたとされる。
トルファン カレーズ
カレーズとはペルシャ語で「地下水」を意味するように、今から2000年ほど前に西アジアから伝わった技術です。 トルファン・カレーズ楽園(吐魯番坎儿井乐园、英語:
Turpan Karez Paradise) にて
天山山脈の雪解け水を堰き止めて、縦井戸と地下水道をつないでオアシスまで引き込み、生活水や畑の灌漑水として利用しています。縦井戸の深さはオアシス近くでは3m程度ですが、山に近い場所では70m位の深さになります。長さは通常3~4km程度ですが、10kmほどのものもあります。
トルファン・カレーズ楽園(Turpan Karez Paradise)は中国新疆ウイグル自治区のトルファン市高昌区にあるカレーズの博物館で、乾燥地帯の地下水利施設であるカレーズをパノラマ展示で理解し、カレーズも実際に見ることができる。
カナートとは、イランの乾燥地域に見られる地下用水路のこと。同様のものをアフガニスタン、パキスタン、ウズベキスタン、新疆などではカレーズ(karez)といい、北アフリカではフォガラ(foggara)という。
雨がほとんど降らない非常に乾燥した地域だけども、水がとても豊富で、農業も盛ん。豊富な水を使って、ブドウやハミウリ(メロン)などの果物や綿花の栽培が盛んに行われている。
蘭新高速鉄道
2014年12月26日に全線開通した蘭新高速鉄道(甘粛省蘭州市―新疆ウイグル自治区ウルムチ)は靑蔵高原初の高速鉄道であり、新疆、青海、甘粛の3つの省•区の間にまたがっています。
蘭新高速鉄道は中国初の標高の高い地域で造られた高速鉄道で、全長1777㎞、世界でも一度の工事で造られたものとしては最長の高速鉄道と称されています。
トルファンから敦煌までを利用しました。途中は延々とゴビ砂漠の風景が続きました。
トルファン北駅場内 このに入るにも幾多のチェックが待ち受けています。1件あるキヨスクでは地元の名産品を売っていました。中国の鉄道駅の待合室はどこも広く大きいです。新幹線は確かに発車時刻は決まっていても、乗車予定者が揃えばすぐさま出発します。合理的かもしれないが日本の新幹線のように過密でないから出来るのかもしれない。
新幹線のトイレは飛行機の中のような感じです。
車掌さんの検札ですが、到着時間を切符に書いてくれます。アバウトと言うかおおらかな感じを受けました。
2014年12月にオープンした柳園南駅は蘭新高鉄が発着する高速鉄道専用駅です。蘭新高鉄の主要駅の一つに数えられます。 敦煌への玄関口として知られる柳園ですが、この高速鉄道開通により、トルファンよりわずか4時間弱で柳園までのアクセスが可能となりました。 その為、2016年6月現在では駅前にはまだ何もありません。 道路舗装もされていません。 敦煌市内までは約130キロの工程(柳園南駅から敦煌まではバスで2時間強)です。 すぐにゴビ砂漠です。 甘粛省酒泉市瓜州県柳園鎮
砂漠の中で見えるものはラクダ草。 ラクダ草は、中国では駱駝刺と言うそうだ。 地面にはびこるように低く横に延びて行く。 ものすごいトゲを持つので 知らずに足にでも触れたら大変なことになる。 それにしても トゲが多すぎる。しかし、唯一 ラクダはこれをどんどん食べてしまうのだ。 この鋭いトゲをどうやって??と驚くが ラクダの下あごから 血を出しながら血と一緒に飲み込んでしまうと聞いた。
アジアの旅行写真|シルクロード 吐魯番(トルファン)は |
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