アジアの旅行写真|中国 大連・周水子国際空港と天山山脈、青島・青島流亭国際空港 |
中華人民共和国 大連
大連は魏晋の時代には三山と呼ばれ、唐代には三山浦、明清時代には三山海口、青泥洼口と称した。 1880年代に清朝が大連湾北岸に砲台を築き、ようやく都市が形成され始めた。 遼東半島先端部に位置し、西は渤海湾、東は黄海である。海を隔てて山東半島を臨む。 1904年に勃発した日露戦争により、同年5月末には日本軍が無血入城を果たし、戦後の1905年ポーツマス条約により日本に租借権が譲渡された。 第2次世界大戦末期の1945年、日ソ中立条約破棄によりソビエト連邦軍が対日参戦。このときにソ連は大連を占拠した。同年9月に戦争終結後も、中ソ友好同盟条約に基づきソ連は大連港を旅順港や南満州鉄道と共に引き続き管理下においた。 中華人民共和国に返還されるのは1951年のことである。
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大連市(だいれんし)は中華人民共和国遼寧省の南部に位置する地級市(地区クラスの市)。経済的重要性から省クラスの自主権をもつ副省級市にも指定されている。 市区人口は211万、都市圏人口は350万人に及び、遼寧省では省都の瀋陽市に次ぐ大都市である。大連市はアジア大陸の東海岸に位置し、中国東北遼東半島の最南端にあり、東経120度58分から123度31分、北緯38度43分から40度10分に跨り、東は黄海、西は渤海、南は山東半島と海を隔てて向かい合い、北は広大な東北平野に隣り合っている。
■大連にあった大和ホテルの屋上から市街地を臨んだもの(鳥瞰図)。(2連) |
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大和ホテルの絵葉書 東西南北を鳥瞰したもので珍しい資料 |
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■中山広場は大連を代表するロータリー(広場)。中山広場を囲んで旧大連ヤマトホテル(大連賓館)、旧大連市役所(中国工商銀行)、旧横浜正金銀行(中国銀行)、旧大連民政署(遼寧省対外貿易経済合作庁)など日本統治下で建てられた建築物が8棟残されている。これらは「大連中山広場近代建築群」として全国重点文物保護単位(国家級の文化遺産)に登録されている。中山広場の西隣りにある友好広場は日本統治時代は西広場と呼ばれた。現在は2つの老舗の映画館があり、にぎわっている。この外にも市内にはたくさんのロータリー式交差点があるが、これはもともとロシアがパリなどを模してロータリーと放射状の街路を持つ都市として設計し、戦後も市政府がロータリーを多く作ったからである。 |
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大連港の絵葉書 |
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■大連港は日本と日本人にとって、大連と満州の玄関であり、帝政ロシア時代にも五基の突堤をもつ巨大な埠頭と四基のドライドッグを有する世界屈指の造船所を計画していた。日露戦争で日本軍のダーリニー占領までに実際に建設されていたのは、二基の突堤とドライドッグ一基だけであった。日露戦争が終わると日本政府は大連港の建設と経営を満鉄に託した(1907年)。日本政府は清国政府と交渉して、大連港の自由港化を清国政府に認めさせてが、交渉相手は清国政府の政治家でも官僚でもなく、清国の税関の総元締めであったイギリス人であった。アヘン戦争以来のイギリスを筆頭とする列強が、清国に押し付けた関税の自主権喪失という不平等条約のため、イギリス人が税関組織の頂点にいた。1907年5月、大連は自由港として国際的に認知され、租借地に輸入されるものについては関税は課されないことになった。既存の第一・第二埠頭を改修し、第三埠頭が完成したのは1920年、3万トン級の船舶が接岸できた。大連港から輸出された主要品目は大豆、大豆油、豆粕、石炭であった。後、石炭積み込みの専用埠頭として大連湾の対岸に甘井子埠頭がつくられ、大量の撫順炭が日本に向けて積み出された。 |
中華人民共和国 天山山脈
天山山脈(てんざん/テンシャン)はシルクロードの中央アジア、タクラマカン砂漠の北及び西のカザフスタン、キルギス、中国の国境地帯にある山脈。ウイグル語名は天の山を意味するテンリ・タグといい、漢名はこれに由来する。南はパミール高原に繋がる。最高峰はポベーダ山(7,439
m)で、中国とキルギスの国境にあり、キルギスの最高峰でもある。2番目に高いのはハン・テングリ(7,010 m)でカザフスタンとキルギスの国境にあります。この山脈の南側と北側にオアシス都市国家を結ぶ古代の東西交易路、シルク-ロードが通っていた。
ウルムチから吐魯番(トルファン)にバスで移動。 凡そ200kmの距離があります。砂漠の中を延々と走ります。高速道路だそうですが、どうもそのように見えない。まず目にするのが風車の多いこと。 日本の比ではないくらいの多分数万基の風車が並ぶ光景は圧巻です。 ウルムチ市は石炭を主な燃料にしている上、地理的、気象的及び自然環境などの影響により、冬になると汚染が深刻化します。 その為、自然エネルギーに転換中。 特に新疆ウィグル自治区のウルムチ達坂城(ターバンチェン)は有名です。 天山山脈の渓谷にあり、アジア最大の風力発電所だそうです。 数十万基とも思えるほどの量の風量発電機が立ち並んでいた。
エジプト航空機の窓から、雪の中国・天山山脈 |
エジプト航空機の窓から、雪の中国・天山山脈 |
ウルムチ近くの天山山脈 |
★シルクロード(絲綢之路)のオアシス都市ウルムチは、天山山脈北麓のジュンガル盆地 東南縁に位置しています。古くからの東西交易路として知られるシルクロード。 荒野や砂漠地帯を抜け、中国の西の果てまで来ると、標高6000m級の山々からなる「天山山脈」がそびえ立ちます。
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シルクロードという語は、19世紀にドイツの地理学者リヒトホーフェンが、その著書『シナ China 』(1巻、1877年)においてザイデンシュトラーセンSeidenstrassen
(ドイツ語で「絹の道」の意)として使用したのが最初で、彼の弟子ヘディンがその中央アジア旅行記の一つの書名にこの言葉を使用し、さらにその本が1938年に『ザ・シルクロード』という題名で英訳されたことにより有名になった。 リヒトホーフェンやヘディンらこの語の元来の使用者は、東トルキスタン(現在の中国新疆ウイグル自治区)を東西に横断する交通路を意図していたが、のちには中国を起点・終着点とする国際交易路を広く指しても使われるようになった。
敦煌からトゥルファンを経てウルムチに達し、イリ川流域にいたるもの。この北方のシルクロードはおそらく紀元後数年に開かれた。天山山脈の北麓を進むことから天山北路とも呼んでいます。
中華人民共和国 青島流亭国際空港
青島流亭国際空港(ちんたおりゅうてい こくさいくうこう)は、中国・山東省青島市に位置する国際空港で、青島市内から北へ約32kmの場所にある。 中国東方航空
(MU) : 東京/成田、大阪/関西、名古屋/中部、福岡、香港、ソウル/仁川と乗り入れている。 今回は西安から関空へのトランジットで利用した。 青島のトランジット用の待合は非常に寂しかった。我々以外は10数人、15時ころなのに休憩時間か全ての売店は締まっている。
とはいえバスに乗り飛行機のあたりに行くと大勢の人たち。意外と大きな空港でした。 西安 - 兵馬俑
トランジット待合室 |
西安から青島の機内食 |
西安から青島の機内食はアップルパイ。これから関空へ向かうのに機内食が出ないとガイドさんから聞いたので、小腹を満足させた。しかし、22時ころ到着のため、機内食はきちんと出ました。 |
青島流亭国際空港 |
青島流亭国際空港 |
青島流亭国際空港 |
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