UNESCO 世界遺産(ヨーロッパ)の切手 その他旧東欧諸国
旧東欧諸国の世界遺産と遺跡・歴史的建造物の切手です。 旧東欧諸国は第二次世界大戦後の約40年間は、ソビエト・ロシアの支配下におかれ、非常に厳しい時代が続きました。 社会主義の壮大な実験が終わり、ベルリンの壁崩壊とともに1989年以降、中・東欧諸国が新しい変革の時代に入ってます。 意外に思いますが、非常に綺麗な切手と風景です。 ポーランド、チェコ、ハンガリー、ブルガリア、マケドニア・旧ユーゴスラビア、ルーマニアなどの世界遺産です。 チェコに関しては、ドイツ軍に占領されてた当時のボヘミア・モラビアの切手も取り入れてます。 チェコやハンガリーは夫々海外旅行写真集にも詳細写真を掲載中。ブルガリアでは大相撲の琴欧州の出身地・ヴェリコ・タルノヴォの街並みも。登録内容は2009年現在です。 参考:社団法人 日本ユネスコ協会連盟のHP(世界遺産活動)
[ ヨーロッパの世界遺産の索引: |
世界遺産(ヨーロッパ・旧東欧諸国) | |||
■東欧諸国で起こった東欧革命(とうおうかくめい)とは、1989年にソビエト連邦(ソ連)の衛星国であった東ヨーロッパ諸国で、共産党政権が連続的に倒された革命です。1989年革命と呼ばれる事もあります。一つは、ポーランドとハンガリーにおける非共産党国家の成立に始まり、11月のベルリンの壁崩壊、チェコスロヴァキアのビロード革命を経て、12月のルーマニアのチャウシェスク政権の崩壊に至るまでの、「1989年に起こった革命」という捉え方です。二つは、エストニア、ラトビア、リトアニアのバルト三国のソ連からの独立、ソビエト連邦の崩壊に至るまでとする、「1989年革命からソ連の崩壊まで」とする定義。三つは、ソ連崩壊後の、ユーゴスラビア紛争、果てはアルバニアの体制転換まで含める最も広義的な捉え方である。なお英語版の記事(en:Revolutions of 1989)はバルト三国、ソ連、ユーゴスラビアでの出来事も含まれてます。あれから、20年の年月を経て大きく東欧諸国も変化してます。 |
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■ポーランドの世界遺産では、@クラクフ歴史地区、Aヴィエリチカ岩塩坑、Bアウシュヴィッツ強制収容所 、Cワルシャワ歴史地区、Dザモシチ旧市街 、Eトルンの中世都市、Fマルボルクのドイツ騎士団の城 、Gカルヴァリア・ゼブジトフスカ:マニエリスム様式建築と公園が織りなす景観および巡礼公園 、Hヤヴォルとシフィドニツァの平和教会群 、I南部小ポーランドの木造聖堂群 、Jムスカウ公園 、Kヴロツワフの百周年記念ホール、Lベラヴェシュスカヤ・プーシャ/ビャウォヴィエジャの森 が登録されてます。 1473年 - 天文学・地動説のミコワイ・コペルニク(コペルニクス)がトルンで生まれてます。 |
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ワルシャワ歴史的建造物 世界遺産 |
ビャウォヴィエジャの森 |
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■ワルシャワの旧市街は13世紀に建設された。当初は土塁で囲まれてたが、1339年までに煉瓦の城壁による城郭都市とされた。市街は、マゾヴィア公(Duke of Mazovia)の城(後にポーランド王の城となる)の周りで独自に発展して行った。市場広場 (Rynek Starego Miasta) は13世紀末から14世紀初頭には、城とワルシャワ新市街(Warsaw New Town)をつなげる、北へとのびる主要な通り沿いに建設されたと思われる。 |
■ビャウォヴィエジャの森またはベロヴェーシの森は、ポーランドとベラルーシの国境にまたがる原生林。ヨーロッパに残された最後の原生林といわれる。貴重なヨーロッパバイソン(ジュブル)の生息地としても知られる。15世紀初めにポーランド王ヴワディスワフ・ヤギェウォが狩猟を行って以後、数々の君主らの狩猟地としてこの広大な原生林は開発されずに保護されてきた。一方でそこに棲息してた動物たちは密猟の横行もあって数を減らし、いくつかの種は姿を消した。 |
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ワルシャワ歴史的建造物 |
ワルシャワの市庁舎 |
ビャウォヴィエジャの森 |
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ワルシャワ歴史地区 |
■ポーランド共和国は、中央ヨーロッパに位置する共和制国家。北にはバルト海が広がり、北東ではロシアの飛地であるカリーニングラード州とリトアニア、東ではベラルーシとウクライナ、南ではチェコとスロバキア、西ではドイツと接する。首都はワルシャワ。 10世紀に国家として認知され、14世紀から17世紀にかけては大王国を形成した。その後衰退し、18世紀には3度にわたり国土が隣国に分割されて消滅した。第一次世界大戦後の1918年に独立したが、第二次世界大戦ではナチス・ドイツとソ連の侵略を受けて再び国土が分割された。戦後の1952年に人民共和国として国家主権を復活、1989年に民主化を果たして共和国となる。 |
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マルボルクのドイツ騎士団の城 世界遺産 |
クラクフ歴史地区 世界遺産 |
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マルボルクのドイツ騎士団の城 |
■マルボルクのドイツ騎士団の城(マリエンブルク城)は、団長の宮殿であり、ここには60人の高官が居住してたと言われ、中城と低城には800人の兵士がいたと伝えられる。高城の中庭には、井戸があり上屋のてっぺんにはペリカンの像が取り付けられてる。ペリカンは、「食べ物が無いときには、自分の肉を子どもに与える」と言われ、このことを騎士達に示したものと言われた |
クラクフ歴史地区 |
■クラクフの歴史は、ポーランド王国の成立以前にまでさかのぼり、伝承によれば8世紀には成立してたと推測される。ポーランド王国(ピアスト朝)の元で発展して行ったが、13世紀にモンゴルの襲撃で一旦破壊された。14世紀よりクラクフは最盛期を迎え、1364年、カジミェシュ3世によってヤギェウォ大学(クラクフ大学 - コペルニクスが教鞭をとった大学として知られる。ポーランド最古の大学)が創設され、それからも織物取引所、聖マリア教会などが建てられて行った。 |
トルンの中世都市 世界遺産 |
ザモシチ旧市街 世界遺産 |
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トルン(トルニ)の中世都市 |
■トルン(Thorn)は、ポーランド中北部ヴィスワ川のほとりに位置する工業都市で、クヤヴィ=ポモージェ県の県議会所在地。1226年の記録には「Thorn」として登場し、1466年ごろの文書には多数の名で記述され、15世紀以降は現在のポーランド語名称「Torun」となってる。紀元前12〜11世紀 − ラウジッツ文化時代に要塞として建設 、8世紀〜12世紀 - ヴィスワ川の渡し場の近くに存在 、1230年 - 古トルンに要塞が建てられる |
ザモシチ旧市街 |
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遺跡・歴史的建造物 |
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グニェズノ (Gniezno) |
プウォツク(Plock) |
オポーレ(Opole) |
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■グニェズノ(Gniezno)旧石器時代後期より人類の定住がみられた。8世紀、レフ丘とマイデン丘に初期スラヴ人の定住地ができた。10世紀初め、スラヴ神話の聖地がこの場所にあった。レフ丘に940年以前に公の要塞がつくられ、周囲をいくつかの武装した定住地とそうでない開けた定住地とが囲んでいた。切手は、グニェズノ大聖堂。 |
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ポーランド シュチェチン(Szczecin)の市庁舎 |
ジェロナ・グラ(Zielona Gora) 市場広場にあるタウンホール |
ヴロツワフ(Wroclaw)の |
オポーレ(Opole) |
■ヴロツワフはボヘミア公ブラチスラフ1世(在位915年 - 921年)によって建設された。990年頃、他のシロンスク地方の都市とともにポーランド王ミェシュコ1世やボレスワフ1世(勇敢王)時代のピャスト朝の支配下に入った。当初、開拓の中心地はオドラ川の中洲にあった。西暦1000年のグニェズノ会談において、神聖ローマ皇帝オットー3世とボレスワフ勇敢王がローマ・カトリック教区の設置を決めた。その後まもなくヴロツワフに最初の司教座が置かれた。10世紀にはすでに都市は建設されたが、公式には西暦1000年がヴロツワフ建設の年として見なされ、2000年には都市建設1000年が祝われた。11世紀にはポーランド王国に二箇所あった貨幣鋳造所の一つが設立され(もう一箇所は当時の王国首都クラクフに設立された)、ポーランド王国の金融産業の一大中心地となった。13世紀にはモンゴル帝国の侵略を受け、14世紀にはボヘミア王国に支配された。 |
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ポーランド Bieczの市庁舎 |
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参考:「海外旅行写真集・チェコ」 | |||
■チェコの世界遺産としては、@プラハ歴史地区 、Aチェスキー・クルムロフ歴史地区 、Bテルチ歴史地区 、Cゼレナー・ホラの聖ヤン・ネポムツキー巡礼教会 、Dクトナー・ホラの聖バルボラ教会のある歴史地区とセドレツの聖母マリア大聖堂 、Eレドニツェとヴァルティツェの文化的景観 、 Fクロムニェジーシュの庭園群と城 、Gホラショヴィツェ歴史地区 、Hリトミシュル城 、Iオロモウツの聖三位一体柱 、Jブルノのトゥーゲントハット邸 、Kトシェビーチのユダヤ人地区と聖プロコピウス教会 が登録されてます。 |
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■チェコ共和国、通称チェコは、ヨーロッパ中部の国。首都はプラハ。歴史的には中欧の概念ができた時点から中欧の国であった。ソ連の侵攻後、政治的には東欧に分類されてきた。ヨーロッパ共産圏の消滅後、再び中欧または中東欧に分類される。国土は東西に細長い六角形をしており、北はポーランド、東はスロバキア、南はオーストリア、西はドイツと国境を接する。1993年にチェコスロバキアがチェコとスロバキアに分離し成立した。 |
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プラハ歴史地区 世界遺産 |
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チャールズ橋とプラハ城 |
プラハの町とプラハ城 |
カレル橋はチェコ共和国の首都、プラハを流れる |
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■カレル橋はヨーロッパに現存する最古の石橋。神聖ローマ皇帝カール4世の治世下1357年に建設が始まり1400年に完成した。1841年までプラハ旧市街とその周囲をつなぐ唯一の橋であった。また、西欧と東欧の交易ルートとしてプラハが重要な地位を占めるようになった。最初は単に石橋、プラハ橋と呼ばれたが1870年よりカレル橋と呼ばれるようになった。橋の長さは516メートルで幅は10メートル。16連のアーチから構成される。また橋を守るために3つの塔が建てられておりとくに旧市街側の塔はゴシック様式の建築として名高い。橋の欄干には15体ずつ、合計30体の彫刻が並んでいる。その多くはバロック様式である。 |
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プラハの大聖堂 |
プラハ | ||
テルチ歴史地区 世界遺産 |
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■世界遺産・チェコのテルチ歴史地区のテルチは、チェコ・モラヴィア地方ヴィソチナ州の町。城と、良質の保存がなされてるルネサンス様式の長い中心地が含まれる。1992年UNESCO世界遺産に登録。城の建設者ザハリアーシュ・フラデツで、彼にちなみ広場の名前がつけられた。彼の名はインドリフーフ・フラデツの市名にも含まれる。テルチは14世紀半ばに建設された。古代ローマ式の聖霊塔が既にこの定住地にあった。町の城壁と被昇天の聖母教会は、ゴシック建築である。(1994年) |
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Czech Tourismーチェコ共和国オフィシャル観光案内 |
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リトミシュル城 世界遺産 |
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リトミシュル城 |
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■リトミシュル城は1999年、ユネスコ世界文化遺産に登録された。 リトミシュル城は領主ペルンシュテイン家ブラティスラフにより1568年から14年の歳月を掛けて建設された。 領主はスペインから嫁いだ妃ララのために、当時ボヘミアではみられない優雅で明るいルネサンス様式の城を建築した。 城壁はスグラフィットという技法で描かれた壁画で全面覆われており、その数8千、同じ模様はひとつもないといわれてる。 中庭にある壁画は聖書から出典の物語が描かれ、出色の出来ばえとして有名。 城内には城主が客人をもてなすために作ったバロック劇場がある。 このバロック様式の劇場は、現在、世界に数ヶ所しか残ってない貴重な文化遺産。 |
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チェコスロバキア(1978年)・・ヴルタヴァ川に架かる橋 世界遺産 太陽と橋 |
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Palacky橋 |
鉄道橋 |
5月の橋 |
Manes橋 |
Svatopluk・Cech橋 |
■チェコのプラハだけでなくヨーロッパに現存する最古の石橋カレル橋:全長約520メートル、幅は10メートル近くもあり、両側の欄干に並ぶ30体の聖人像が。 |
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クトナー・ホラの聖バルボラ教会のある歴史地区とセドレツの聖母マリア大聖堂 世界遺産 |
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クトナー・ホラの聖バルボラ教会 |
■13世紀に銀鉱が発見されたクトナー・ホラは、中世においてプラハに次ぐボヘミア王国第2の都市として栄えた。鉱山労働者の守護聖人である聖バルボラを記念した聖バルボラ教会は、ドイツ出身の建築家ペトル・パルレーシュの設計による後期ゴシック様式の大聖堂である。イタリア宮(イタリアン・コート)と呼ばれてる旧王宮、ヴラシュスキー宮にはかつて王国造幣局がおかれ、クトナー・ホラ産出の銀を銀貨(プラハ・グロシュ)に鋳造してた。郊外にシトー会の修道院に併設されたセドレツの聖母マリア大聖堂がある。 |
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遺跡・歴史的建造物 |
チェスキー・クルムロフ歴史地区 世界遺産 |
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ブルノ大聖堂(モラビア) |
チェスキー・クルムロフ歴史地区 |
チェコで最も美しい街チェスキー |
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チェコ切手 コルナ修道院750年 |
■チェスキー・クルムロフ ドイツ語:Krumau (Krummau) an der Moldau、ラテン語表記:Crumlaw)は、チェコ・南ボヘミア州の小さな都市。クルムロフ城を含む優れた建築物と歴史的文化財で知られる。クルムロフは「川の湾曲部の湿地帯」を意味し、ドイツ語のKrumme
Aueをその語源とする。チェスキーは、チェコ語で「ボヘミアの」という意味。 |
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参考:「海外写真集・ハンガリー」 |
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ハンガリーの世界遺産:@ドナウ河岸・ブダ城地区とアンドラーシ通りを含むブダペスト 、Aホローケー古村落とその周辺地区 、Bパンノンハルマのベネディクト会修道院とその自然環境 、Cホルトバージ国立公園-プスタ(PUSZTA) 、Dペーチ市にある初期キリスト教墓地遺跡(ソピアネ) 、E】トカイ地方のワイン産地の歴史的文化的景観 、Fアグテレック・カルストとスロバキア・カルストの洞窟群 、Gフェルテー湖/ノイジードラー湖文化的景観 が世界遺産に登録されてます。 |
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ドナウ河岸、ブダ城地区、アンドラーシ大通りを含むブダペスト 世界遺産 |
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■セーチェーニ鎖橋はハンガリーの首都・ブダペストを流れるドナウ川に架かる吊り橋である。全長375メートル。ブダペストのドナウ川で最初に架かった橋であり、西岸のブダ地区と東岸のペスト地区を結んでいる。橋の両側のたもとにあるライオン像(合計4頭)は1852年に設置された。このライオン像に関して、舌がない事で有名。 |
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ハンガリー政府観光局 | |||
■ハンガリー共和国、通称ハンガリーは、中央ヨーロッパの共和制国家である。西にオーストリア、スロベニア、北にスロバキア、東にウクライナ、ルーマニア、南にセルビア、南西にクロアチアに囲まれた内陸国であり、首都はブダペスト。国土の大部分はなだらかな丘陵で、ドナウ川などに潤される東部・南部の平野部には肥沃な農地が広がる。首都ブダペスト(ブダペシュト)にはロンドンに次いで世界で2番目に地下鉄が開通した。 |
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ドナウ川に架かる橋 |
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首都ブダペストの風景とドナウ川に架かる橋(世界遺産) |
■ブダペスト/ブダペシュト(Budapest)は、ハンガリー共和国の首都で、産業、商業、交通におけるハンガリー第一の中心都市。人口は1980年代半ばの207万人が最高で、それから若干減少し現在は180万人である。ドナウ川の両岸に広がった都市で、右岸(西側)のブダとオーブダ、左岸(東側)のペシュト(ペスト)の3地区からなる。これらの地区はもともと別々の町であり、1873年に合併されてブダペスト市が形成された。両岸の地区を結ぶ代表的な橋がセーチェニ鎖橋である。 |
ブダペストのドナウ河畔 |
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1987年、「ブダペスト、ドナウ河岸とブダ城」の名の下で、世界遺産(世界文化遺産)に登録された。2002年にアンドラーシ通りとその地下(ブダペスト地下鉄)が登録対象に加えられ、2003年には登録名称が「ドナウ河岸、ブダ城地区、アンドラーシ通りを含むブダペスト」に変更された。 |
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ハンガリー・ブダペストのエリザベート橋 |
ハンガリー国会議事堂(世界遺産) |
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■エリザベート橋は、ブダペスト市内に架かる1903年に建てられた吊り橋です。戦争により1945年に爆破されますが、1964年に現在の姿として再建されました。ハンガリー人の間で今でも高い人気を誇る、ハプスブルク家のエリザベート皇后の名を冠したこの橋は、日本及びブダペスト市が共同で行う2009年最大の事業の一つとして橋のライトアップが行われます。 |
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■ハンガリー国会議事堂は、世界遺産「ドナウ河岸・ブダ城地区とアンドラーシ通りを含むブダペスト」の一部を成す、世界で3番目に大きな国会議事堂です。1885年に建築が開始され、ハンガリー定住1000年祭にあたる1896年には落成記念式典が催されました。最終的な完成は1904年となります。設計はハンガリー人の有名な建築家であるImre
Steindl(シュタインドル・イムレ)氏によるものです。 |
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ホローケー古村落とその周辺地区 世界遺産 |
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ブダ城下町、ホローケー |
ホローケ村 |
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■ホローケー古村落とその周辺地区は、17〜18世紀の農業革命以前の田舎生活をいまだに、残した例です。 |
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■ホッローケー村は、ハンガリーの首都ブダペストからは北東に91.1kmの場所に位置する。ハンガリーのノーグラード県の村。ハンガリーの伝統的な村落の美しさが保存されてることから、世界文化遺産に登録されてる。一帯は低い山頂が連なるCserhat山脈の渓谷に含まれており、この自然環境は保護の対象である。村の名前はハンガリー語で「漆黒の石」を意味する。 |
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ペーチ市にある初期キリスト教墓地遺跡(ソピアネ) |
■トカイのワイン産地の歴史的・文化的景観は、ハンガリーの世界遺産の一つ。トカイ地方(Tokaj-Hegyalja ; Hegyaljaは元来山麓の小丘を意味する)は、今日のハンガリー北東部に位置する歴史的なワイン産地で、28の有名な村と7000ヘクタールのブドウ畑から成る。ブドウ畑のうち、現在も栽培が行われるのはおよそ5000ヘクタールである。トカイのワイン地方は、ブドウ畑の文化的景観がユネスコの世界遺産に登録される珍しい例の一つではあるが、世界遺産に登録される遥か以前より、貴腐ワインの名産地としてその名を知られてた。 |
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■古代からペーチ一帯には定住の跡が見られ、考古学上最古の定住の証拠は6,000年前からとなる。ローマ人がやってくる前、ケルト人が住んでいた。ハンガリー西部がローマ帝国の属州パンノニアになると、2世紀初頭にローマ人は現在のペーチの場所にソピアネという名のワイン生産植民地を数カ所建設した。 |
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4世紀の初頭、ソピアネは重要なキリスト教徒の都市となった。この時代に初期キリスト教徒の墓地が作られ、現在UNESCO世界遺産となってる。 |
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アグテレック・カルストとスロバキア・カルストの洞窟群 |
フェルテー湖/ノイジードラー湖文化的景観 世界遺産 |
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■アグテレック・カルストとスロバキア・カルストの洞窟群は、スロバキアとハンガリーの国境付近のカルスト台地に位置し、世界遺産に登録されてます。アグテレック・カルストとスロバキア・カルストの洞窟群では、712の洞窟が確認されてます。中でも、ルドゥラ−ドミツァ洞窟は総長25kmあり、ヨーロッパ最大規模です。また、一帯の洞窟では、熱帯気候と氷河の両方の影響が見られる点で、非常に珍しいです。 |
■ノイジードル湖(ノイジードラー湖、Neusiedlersee)は、中央ヨーロッパで二番目に大きいステップ湖である。ハンガリーとオーストリアの境目に位置するこの湖の周辺は、古来、様々な文化の交流する地域であった。登録に当たっては自然環境そのものよりも、そうした周辺の農業景観や近代の宮殿などが織りなす独特の文化的景観が評価され、世界文化遺産として登録された。 |
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パンノンハルマのベネディクト会修道院とその自然環境 |
ホルトバージ国立公園 世界遺産 |
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■パンノンハルマの至福千年修道院は、ハンガリー北西部のトランスダヌビア地方のパンノンハルマの丘にある。ハンガリーのベネディクト会は、996年にパンノンハルマ修道院から始まった。1000年に及ぶ歴史が修道院の建築に独自のスタイルを継承させた。12世紀には火災で焼失、1224年にゴシック様式で再建された現存するハンガリー最古の建物は、今でも学校や修道院として使われる。 |
■ホルトバージ国立公園はハンガリー大平原とも呼ばれるアルフェルドの一部で、ハンガリーの東部、デブレツェンの近くに位置する。1973年にハンガリー初の国立公園に制定され、1999年には世界遺産に選出された。ホルトバージはハンガリー内で最大の保護された地域であり、現存する中央ヨーロッパ最大の牧草地でもある。面積は800平方キロメートル。 |
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写本や古文書など貴重な歴史的文献を所蔵してる図書館、壮麗なフレスコ画が壁を飾る主食堂なども貴重な遺産。19世紀半ばに建てられた高さ55mの時計塔は、パンノンハルマ修道院のシンボルになってる。 |
2004年発行、 ハジロクロハラアジサシ、ウシ、ウマ |
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遺跡・歴史的建造物 |
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■ブルガリアの世界遺産は、@ボヤナ教会、Aマダラの騎士 、Bカザンラクのトラキア人の墳墓、Cイヴァノヴォの岩窟教会群 、Dネセバルの古代都市、Eリラ修道院 、Fスヴェシュタリのトラキア人の墳墓、Gスレバルナ自然保護区 、Hピリン国立公園 が登録されてます。 |
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■ブルガリア共和国、通称ブルガリアは、東ヨーロッパの共和制国家である。 バルカン半島に位置し、北にルーマニア、西にセルビア、マケドニア共和国、南にギリシャ、トルコと隣接し、東は黒海に面してる。首都はソフィア。トラキアで紀元前4000年頃のものと思われる黄金製品の遺物を多数持つ遺跡群が確認されており、考古学者の間で新しい「文明」なのではないかと論じられてる。ブルガリアはトラキア、モエシア、マケドニアなどの古くからの地方で構成される。国土の三分の一を山岳地帯が占め、バルカン半島の最高峰であるムサラ山(標高2,925m)がある。 |
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ピリン(Pirin)国立公園 世界遺産 |
リラ(Rila)修道院 世界遺産 |
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■ブルガリアのピリンは、1962年11月8日にヴィフレン( Vihren)国立公園に。地域内が非常に起伏に富んでいることが、ブルガリア国内随一の植物種の多様性をもたらしてる。公園は18種のピリン地域固有種、15種のブルガリア固有種、多くのバルカン半島固有種が生育しており、ピリンのシンボルであるエーデルワイスのような絶滅危惧種も多く生育する。 |
■リラ修道院は、ブルガリア最大で最も著名な正教会(ブルガリア正教会)の修道院。リラの聖ヨハネ修道院、またはリラの僧院とも称される。10世紀に創設されたリラ修道院は、ブルガリアにおいて最も文化的、歴史的、建築学的に重要な遺跡の一つであると評価される。こうした理由から、ブルガリアとヨーロッパ南東部において、観光客をひきつける要所となってる。 |
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ピリン山 |
リラ山・リラ修道院 |
リラ修道院 |
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ネセバルの古代都市 世界遺産 |
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■ブルガリアのネセバルの古代都市とは、紀元前2千年紀に興ったメナブリア (Menebria) という名のトラキア人の集落であり、メガラ (Megara) からきたドーリア人によって紀元前6世紀初頭にギリシャ植民地となった。以降、重要な交易拠点として、アポロニア(ソゾポル)のライバルとなった。ヘレニズム時代の遺物にはアクロポリス、アポローンの神殿、アゴラがある。 |
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ネセバルと黒海 |
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遺跡・歴史的建造物 |
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ヴェリコ・タルノヴォの街並み(1967) |
琴欧州関の故郷。 |
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ヴェリコ・タルノヴォの街並み(1967) |
■ヴェリコ・タルノヴォはブルガリアでも最古の集落のひとつであり、5千年紀を超える歴史を有する。この地域に人間が居住してた最古の痕跡は紀元前3千年紀のものである。ツァレヴェツ丘( Tsarevets)の上にあるツァレヴェツ城址はかつてのブルガリア皇族や総主教の住まいがあった。トラペジツァ(Trapezitsa)は町の内側にある第2の要塞であり、ヤントラ川右岸に位置する。その他のみどころとしては、テッサロニキの聖デメトリウス聖堂、40人の致命者聖堂、民族復興様式の建築群、トルコ時代の郡役場コナクであった場所にニコラ・フィチェフにより建てられたかつての国会議事堂、この地方から見つかった古代の遺物を収集した考古学博物館、民族復興期に多くの職人が集まり、今日もその家々と工房がそのまま保存されてる古い商店街、民族復興期の絵画を集めたサラフキナ邸、聖コンスタンティン・エレナ聖堂などがある。 |
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ババ・ヴィダ要塞(ヴィディン城) |
アレクサンドル・ネフスキー大聖堂 シプカ修道院 |
トルノヴォの町 |
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sobranye宮殿 |
ソフィアにあるアレクサンドル2世の銅像(1921年) |
ソフィアの風景(1921年) |
ヴェリコ・タルノヴォの |
△TOP | |||
■ルーマニアの世界遺産としては、@トランシルヴァニア地方の要塞聖堂のある村落群 、Aホレズ修道院 ,Bモルダヴィアの聖堂群 ,Cマラムレシュの木造聖堂群 , Dシギショアラ歴史地区 ,Eオラシュチエ山脈のダキア人の要塞群,Fドナウ・デルタ があります。 |
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■ルーマニアは、東ヨーロッパに位置する国。南西にセルビア、西にハンガリー、北にウクライナ、北東にモルドヴァ、南にブルガリアと国境を接し、東は黒海に面する。首都はブカレスト。古きヨーロッパにタイムスリップしたかのような街。そして、あの勇者ヘラクレスも、闘いで傷ついた体を癒したと言われる歴史ある温泉。ヨーロッパ中のセレブが、美白と若返りを求め訪れる美と健康の国。ルーマニアは数々の伝説や名所に出会える国です。 |
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シギショアラ歴史地区 世界遺産 |
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ルーマニア世界遺産 シギショアラ歴史地区の街並み |
トランシルバニア シギショアラ歴史地区 |
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■シギショアラ (sighisoara.、ラテン語: Castrum Sex)は、ルーマニア、ムレシュ県の都市。トランシルヴァニア地方の歴史ある地域にあり、シギショアラ歴史地区はUNESCOの世界遺産に登録されてる。1337年以降、シギショアラは王たちの定住地となり、彼らによってチヴィタス・デ・セグスヴァル(Civitas
de Segusvar)として都市特権を授けられた。数世紀に渡って市は、中央ヨーロッパの果ての重要な軍事要所、そして商業中心地の役割を演じた。シギショアラはトランシルヴァニアきっての重要な都市となって行き、神聖ローマ帝国中から工芸家たちがやってきた。ドイツ人工芸家と職人たちが都市経済を支配し、同様に要塞化した建物が都市を守った。16世紀から17世紀のシギショアラは15のギルドと20の手工芸工房を抱えてたと概算される。バロックの彫刻家エリアス・ニコライがこの都市で暮らした。ワラキア公ヴラド2世ドラクルはシギショアラへ亡命してたことがあり(息子ヴラド・ツェペシュはシギショアラで誕生した)、彼はここで硬貨を鋳造させ、市のルーマニア語名シギショアラを初めて記載した文書を発行した(他の場合は貨幣鋳造はハンガリー王国内ではハンガリー王の独占となった)。 |
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ルーマニアの都市シギショアラ(ルーマニア、ムレシュ県の都市)のうち、トランシルヴァニア地方のザクセン系入植者によって12世紀に建造されたシタデルの区域に該当する。かつてラテン語でカストゥルム・セクス(Castrum Sex)と呼ばれたシタデルは、現在もなお人々が暮らす中世的城塞都市であり、トランシルヴァニア・ザクセン人の850年に及ぶ歴史と文化の例証として、1999年にユネスコの世界遺産に登録された。 ドラキュラ公として有名なヴラド3世の生地であるシギショアラでは、毎年、中世を題材にした祭りが開催される。その祭りでは、伝統的な工芸美術と、ロックや舞台演劇が混じり合ってる。 12世紀には、ルーマニア中部にザクセンあるいはルクセンブルクから移住してきたドイツ人たちが入植したが、シギショアラはそうして作られた地域(the Land of Saschen)の北限に当たってる。同種のより大きな都市であるシビウ(2007年の欧州文化首都)やブラショフと同じように、シギショアラは中世ドイツの典型的な建築様式を呈してる。 |
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ドナウ・デルタ 世界遺産 |
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ダナウ・デルタ |
ダナウ・デルタの鳥達 |
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■ドナウ・デルタ (ドナウ川三角州,Danube Deltha) は、ルーマニアのドブロジャと、ウクライナのオデッサ州に位置し、面積 3,446平方キロメートルで、ヨーロッパ最大にして、人の手がほとんど入ってない、自然状態の三角州(デルタ)である。デルタの無数の湖や沼地は、45種の淡水魚に加えて、300種の鳥類、更に1,200を越える植物の亜種を擁してる。 |
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トランシルヴァニア地方の要塞聖堂のある村落群 世界遺産 |
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■ルーマニアのトランシルヴァニアと聞くと、直ぐにドラキュラを思い浮かべる。ドラキュラのモデルは15世紀のルーマニア、トランシルバニア地方出身のワラキア公ヴラド3世(ヴラド・ツェペシュ)とされてるが、実際のところ使われてるのはドラキュラというヴラドのニックネームと、出身地が現在のルーマニアという点だけである。 |
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クルージュ(Cluj)の |
ドラキュラで有名なブラン城 |
シギショアラの時計台 |
アルバ・ユリア(Alba Iulia) |
。 | アルバ・ユリアは1541年にトランシルヴァニア公国の首都となり、この地位は1690年まで保たれた。 |
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モルダヴィアの聖堂 世界遺産 |
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ヤシのモルドバ様式の教会 |
■北部モルダヴィアの壁画教会群は、ルーマニアのモルダヴィア北部にあるスチャヴァ県に所在する、ルーマニア正教会の7つの教会を指す。およそ1487年から1532年の間に建設された。壁画に描かれてるのは、キリストの受難と復活の物語、オスマン帝国との戦争が主である。過酷な戦争の中、壁画は特別な意味を持って描かれた。当時、モルダヴィアの人々にとって最大の苦難が、イスラム教の大国オスマン帝国からの攻撃であった。そこで村の人々が、どこにいても勇気と励ましを得られるよう、教会の外にまで壁画が描かれた。村民はキリストの受難と復活を自分たちの運命に合わせて、つらい時代を乗り越えることができたと伝わってる。 |
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遺跡・歴史的建造物 |
ラムレシュの木造教会群 世界遺産 |
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Radaseniの「stefan tomasa church」 |
ブカレストのSimu博物館 |
「マラムレシュの木造教会群」 |
■Plopis「プロピシュ」村の教会は、バヤマレ市から15km。「大天使」という名前がついた教会です。建てられた年代は1796年〜1798年。絵が描かれたのは1811年です。マラムレシュ地方の南にあるこの教会の建築様式には、トランシルヴァニアの影響が見受けられます。屋根の内部がアーチの形をした教会は、マラムレシュ地方で唯一、このプロピシュ教会だけです。内部アーチ空間とともに、高い壁面と二重式の窓に特徴があります。 |
ルーマニア・ブラショフ |
■ブラショフ、またはブラショヴ(ドイツ語:Kronstadt、中世ラテン語:Brassovia または Corona)はルーマニアのほぼ中央に位置する都市で、ブラショフ県の県都。首都ブカレストからは166キロメートル離てる。 黒の教会(en:Biserica Neagra)- ゴシック様式の建物。1385年ごろに破壊された以前の教会に代わり、1477年に作られた。1689年、オスマン帝国との戦いでハプスブルク帝国軍が侵入してきた際の大火の煙で黒くなったことにより、その名がついた。 |
ブチェジ山の「スフィンクス」 | |
ブチェジ山の「スフィンクス」は自然が造った人間の形の岩があり、ケーブルカーでしか行けないのですが、これらも観光名所です。 |
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△TOP | |||
■世界遺産としては、世界遺産ドゥルミトル山 |
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■マケドニア共和国は、東ヨーロッパのバルカン半島に位置する共和国。前身はユーゴスラビア連邦の構成国の1つで、南はギリシャ、東はブルガリア、西はアルバニア、北はセルビアおよびコソボと、四方を外国に囲まれた内陸国である。マケドニア地域には、古くから人が居住しており、イリュリア人やトラキア人などの部族が割拠してた。紀元前4世紀から紀元前3世紀にかけて、現在のマケドニア共和国に相当するマケドニア地域北部はマケドニア王国の支配下となった。マケドニア王国はアレクサンドロス3世の時代に最大版図となるが、その死後、国は分裂し、紀元前2世紀には西から勢力を拡大したローマ帝国の支配下となった。 |
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遺跡・歴史的建造物 |
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ヴェレス(Veles)の光景(1916年) |
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■ヴェレス( / Veles)はマケドニア共和国中部の町、およびそれを中心とした基礎自治体。ヴァルダル川沿いに位置してる。マケドニアの文学と文化、歴史、伝統の町であり、多くの文化的遺産や古い聖堂が残されてる。 |
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■ヨーロッパ旅行写真 [ オーストリア(Austoria (2005年(Wien)|2006年(Zaltburug))|チェコ(Cezh)|フランス(France (パリ(Paris)|ルーヴル美術館(Louvre))|オランダ(Holland、(スキポール空港、アムステルダム))|ハンガリー(Hungary)|ドイツ(Germany (ベルリン、ポツダム(Berlin、Potsdam))|ロマンチック街道)|スイス(Switzerland)|イタリア(Italiana)|バチカン市国(Governor of Vatican City) ] |
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UNESCO 世界遺産(ヨーロッパ)の切手 その他旧東欧諸国 |
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