音楽の切手|世界の歌劇やオペラ・演劇・日本の古典芸能
世界の歌劇やオペラを中心に他は演劇の切手です。オペラ(歌劇 英、伊:opera)は演劇と音楽によって構成される舞台芸術である。 オペラは舞台上で衣装をつけた出演者が演技を行う点で演劇と共通しているが、台詞だけではなく、大半の部分(特に役柄の感情表現)が歌手による歌唱で進められることを特徴とする。 歌手は器楽合奏により伴奏されつつ歌い演じる。伴奏は、多くの場合交響楽団規模の編成に及ぶのが常です。オペレッタやブロードウェーのミュージカルや日本の宝塚歌劇のものもあれば取り入れて行きます。演劇では歌舞伎や能も同じ範疇と考えています。日本の古典芸能(歌舞伎、雅楽、文楽、能楽)も最後尾に入れています。歌劇・オペラではビゼーの「カルメン」、ダンテの「神曲」、ベルリオーズの劇的物語「ファウストの劫罰」 (La Damnation de Faust)、モーツァルトのオペラ「魔笛」など。 歌劇王・ワーグナーの歌劇の場面(ドイツ、1933年)『ニーベルングの指環』他も掲載。中国の革命歌劇もオペラの分類に入るかと思いますが、そちらはバレエの方で掲載。また作曲家は別頁で。イタリア・ミラノにあるスカラ座。1778年に完成したこの歌劇場は、世界で最も有名である。
音楽関係の切手の索引 [ 音楽・メロディ|楽器|作曲家・楽譜・指揮者|レコード|歌手|演奏家|歌劇やオペラ、日本古典芸能 ] |
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歌劇・オペラ |
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ルネサンス後期の16世紀末、フィレンツェで古代ギリシャの演劇を復興しようという動きが始まった。ギリシャ悲劇を模範に、歌うような台詞を用いる劇が考えられた。今日、オペラと見なされる知られる限り最古の作品は、1597年頃のヤコポ・ペーリ(1561年 - 1633年)による『ダフネ』(Dafne)であるが、作品は現存しない。のちのペーリの作品である『エウリディーチェ』は1600年以降に作曲されたもので、今日に残る最初のオペラ作品である。 |
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歌劇・カルメン(モナコ、1975年) |
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密輸業者の隠れ家 |
闘牛場の入り口 |
Tavernでのカルメン |
カルメンの導入部 |
■カルメン(オペラ)のあらすじ (アンリ・メイヤックとリュドヴィク・アレヴィの台本ジョルジュ・ビゼーの作曲によるフランス語によるオペラ) |
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詩人・ダンテの生誕700年(モナコ、1966年) |
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ダンテの顔 |
Envyのヒョウとの対面 |
詩人ウェルギリウスに案内され、地獄の5つの門を |
煉獄山の浄め |
遠の淑女ベアトリーチェの導き |
■『神曲』(La Divina Commedia) は、13-14世紀イタリアの詩人・政治家、ダンテ・アリギエーリの代表作である。 地獄篇・煉獄篇・天国篇の三部から成る、全14233行の韻文による長編叙事詩。西暦1300年の聖金曜日(復活祭前の金曜日)、暗い森の中に迷い込んだダンテは、そこで出会った古代ローマの詩人ウェルギリウスに導かれ、地獄・煉獄・天国と彼岸の国を遍歴して回る。ウェルギリウスは地獄の九圏を通ってダンテを案内し、地球の中心部、魔王ルチフェロ(サタン)の幽閉されている領域まで至る。そこから、地球の対蹠点に抜けて煉獄山にたどりつく。煉獄山では登るにしたがって罪を清められていき、煉獄の山頂でダンテはウェルギリウスと別れることになる。そしてダンテはそこで再会した永遠の淑女ベアトリーチェの導きで天界へと昇天し、各遊星の天を巡って至高天(エンピレオ)へと昇りつめ、見神の域に達する。 |
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サンタ・クローチェ聖堂 |
ヴェローナのシニョーリ広場とダンテ・アリギエーリの像 |
■ダンテ・アリギエーリ は、1265年に中部イタリアにあるトスカーナ地方のフィレンツェで、金融業を営む小貴族アリギエーロ・ディ・ベッリンチョーネ・ダリギエーロとその妻ベッラの息子として生まれた。 ダンテを代表する最初の詩文作品、『新生』によれば、1274年の5月1日に催された春の祭りカレンディマッジョ(Calendimaggio) の中で、ダンテは同い年の少女ベアトリーチェ(ビーチェ)に出会い、魂を奪われるかのような感動を覚えたという。この時、ダンテは9歳であった。 |
ヴェローナの円形劇場とミラノのスカラ座はオペラで有名。 |
■イタリア旅行写真 [ イタリアのトップ|ミラノ|ヴェローナ|ヴェネツィア|フィレンツェ( ドゥオーモ|ヴェッキオ橋|ウフィツィ煮術館とアカデミア美術館 )|ローマ( コロッセウム|フォロ・ロマーノ )|バチカン市国( バチカン博物館|ラファエロの間|システィーナ礼拝堂 ) ] |
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ダンテ生誕700年 |
ダンテ生誕700年(ヴァチカン市国、1965年、10:ラファエロ画、他:ボッティチェッリ) |
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(アメリカ、1965年) |
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ベルリオーズの劇的物語「ファウストの劫罰」 (La Damnation de Faust) モナコ、1969年) |
■ファウストは伝説上の魔術師であるが、一説には、魔術を崇拝したルネサンス期の自然哲学者がその原型であるともいわれている。彼には生前からさまざまな噂がささやかれ、彼の突然の死がとりざたされるにいたって1つの伝説へと成長したのである。 中世の教会は、「ファウストは悪魔と取引をして死んだ」として、その物語を積極的に広めた。教会は、人々が思想に目覚めることを恐れ、知識への渇望は、神をも恐れぬ冒涜と見なしていたのである。やがて、ヨーロッパ各地でいくつかの「ファウスト本」が出版された。最も古いものは、イギリスの劇作家クリストファー・マーロの『ファウスト博士の悲劇的生涯』である。その後、詩人ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテがファウスト伝説を2部構成の戯曲にまとめ、これによってファウストの名前と伝説は不朽のものとなった。ゲーテは、ファウストが“定め”に対抗したのは知識を欲したためであるとし、物語の解釈を裏返したのである。 ■ヴィルヘルム・リヒャルト・ワーグナー(Wilhelm Richard Wagner, 1813年5月22日 - 1883年2月13日)は、歌劇の作で知られる19世紀のドイツの作曲家であり、また理論家、文筆家としても知られる。ロマン派歌劇の頂点として『歌劇王』の別名で知られる。 |
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ラコッツィ・マーチ(Rakoczy March) |
ファーストとメフィストフェレス |
■ベルリオーズ(Louis Hector Berlioz 1803〜1869)一風変わった位置を占めている。革命的作曲家として認められ、世界中で愛聴され、その作品がしばしば演奏会場に響きわたるにもかかわらず、作曲家ベルリオーズとその作品に対する批評家たちの評価は対立し続けている。 |
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アウエルバッハ・セラー |
Dance of the Sylphs |
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復活祭の踊り |
ファウストとマルガリータ |
Woods and meadows |
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The Ride to the Abyss |
マルガリータの昇天(Heaven) |
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歌劇王・ワーグナーの歌劇の場面(ドイツ、1933年) |
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『タンホイザー』 |
『さまよえるオランダ人』 |
『ニーベルングの指環』の |
『ニュールンベルグのマイスターシンガー』 |
『ニーベルングの指環』の |
『ニーベルングの指環』の第2夜『ジークフリート』 |
『トリスタンとイゾルデ』 |
『ローエングリン』 |
『パルジファル』 |
■『ニーベルングの指環』 (Der Ring des Nibelungen ) : |
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スペインのオペラ |
カルメン |
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Pablo Luna、 La Revoltosa Ruperto Chapi, La Reina Mora Jose Serrano
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■バルセロナのリセウ劇場(EL GRAN TEATRO DEL LICEU )はミラノのスカラ座などと並べられ、ヨーロッパ三大オペラ劇場の一つともいわれています。旧市街、いつも観光客で一杯のランブラス通りに位置し、バルセロナ滞在中はその前を通り過ぎる方も多いことでしょう。日本でオペラというとチケットもかなり高額で敷居が高いのですが、30ユーロほどからで手に入れることが可能です |
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ニカラグアのオペラ(1977年) |
スペイン オペラ’84 |
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ニカラグアのオペラ歌手(1975年) |
ニカラグアのオペラ歌手(1975年) |
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宝塚歌劇・スミレの花咲くころ(日本) |
新オペラハウス完成(フィンランド、1993年)&バレー |
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モーツアルト作曲の魔笛(詳細は下記)などが上演された。 |
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■宝塚歌劇団は、未婚の女性のみからなる日本の歌劇団です。設の当初から「老若男女誰もが楽しめる国民劇」を目指し一躍有名になった宝塚であるため、現在も、演目は健全かつどの世代の人が見ても楽しめるものである。芝居やショーのテーマは古今東西にわたり、歴史劇、ファンタジー、そしてSFまで多岐にわたる。主な専用劇場である宝塚大劇場(兵庫県宝塚市)と、東京宝塚劇場(東京都千代田区)において公演を行っている。また、中劇場の宝塚バウホール(宝塚市)も所有してます。
舞台に出演するのは宝塚音楽学校の生徒と卒業生であり、未婚女性である。 |
キャッツ(アメリカ) |
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ハンガリーのオペラ(1967年) |
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モーツァルトのオペラ「魔笛」(The Magic Flute) |
ヴェルディ作曲のドン・カルロス |
ビゼー作曲のカルメン |
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■『魔笛』は、モーツァルトが生涯の最後に完成させたオペラである。台本は興業主・俳優・歌手のエマヌエル・シカネーダーが自分の一座のために書いた。 |
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ベラ・バルトーク作曲の『青ひげ公の城』 |
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■『ドン・カルロ』(Don Carlo )はジュゼッペ・ヴェルディ作曲による歌劇。パリ・オペラ座の依頼により、1865年から1866年にかけて作曲、全5幕の歌劇として1867年3月にオペラ座にて初演した(フランス語では『ドン・カルロス』Don Carlos)。16世紀のスペインを舞台に、スペイン国王フィリッポ2世(バス/実在のスペイン国王フェリペ2世)と若き王妃エリザベッタ(ソプラノ)、スペイン王子ドン・カルロ(テノール)、王子の親友ロドリーゴ侯爵(バリトン)、王子を愛する女官エボリ公女(メゾ・ソプラノ)、カトリック教会の権力者・宗教裁判長(バス)たち多彩な登場人物が繰り広げる愛と政治をめぐる葛藤を壮大で重厚な音楽によって描いている。 |
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■ベラ・バルトーク. Bela Bartok ハンガリーの作曲家/ピアニスト。音楽に親しむ両親のもと1881年に生まれ、5歳から母にピアノを習う。少年時代から作曲家、ピアニストとして活動を始め、ブダペスト音楽院に入学。ブラームス、ワーグナーに影響を受けた作品を書いていたが、その後、民謡に取材した現代的手法で20世紀音楽に絶大な影響を及ぼしている。 |
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スウェーデンのオペラ |
ルーマニアのオペラ歌手 |
アメリカのオペラ歌手(1997年) |
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スウェーデン王立劇場、 |
カルメン役 |
上段左から タッカー、ボンス 下段左から ボンセル、ディペット |
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オペラで有名な場所の写真(クリックで拡大) |
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オペラのスカラ座 |
■スカラ座(Teatro alla Scala、あるいは単にLa Scala)はイタリア・ミラノにある歌劇場です。初代の宮廷劇場以来の伝統を誇るイタリアオペラ界の最高峰とされています。前をトラム(市電)が走っています。世界的にも有名な「スカラ座」。荘厳な建物の前にはレオナルド・ダ・ヴィンチの像が置かれ、まるで毎晩の公演をひっそりと見守っているかのようだ。 |
イタリア・ヴェローナの |
「ジュリエッタの家」 |
古代ローマ時代の円形競技場(アレーナ・ディ・ヴェローナ) |
毎年夏には、アイーダなどの野外オペラが開催される。 |
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■ヴェローナは、中世の町並みにローマ遺跡が残り、円形劇場(アレーナ・ディ・ヴェローナ)で知られている。このアレーナでは毎年7月〜9月にかけ野外オペラが上演される。 |
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アメリカ合衆国 ニューヨークのメトロポリタンオペラハウス(拡大せず) |
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■メトロポリタン歌劇場(Metropolitan Opera House)は米国ニューヨークのリンカーン・センター内の世界的に著名な、1880年に作られた米国随一の歌劇場。建物は白いトラバーチン大理石で覆われ、東のファサードは5つのアーチで飾られている。ロビーにはシャガールに委嘱した二つの壁画が展示される。劇場の収容人数は約3,800席と195名の立見、合計3,995名である。 |
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パリ市街地の有名な |
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昆曲(ユネスコ無形文化遺産) |
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昆曲(ユネスコ無形文化遺産) 浣紗記、牡丹亭、長生殿(玄宗皇帝と楊貴妃) 台湾、2010年 |
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■崑曲(こんきょく、ピンイン)とは中国の古典的な舞台演劇である戯曲の一形式、あるいは戯曲に使われる声腔(楽曲の曲調や演奏法、歌い方などの体系)の1つである。前者の意味で崑劇(こんげき)、後者の意味で崑腔(こんこう)とも言われる。現代ではもっぱら前者を指すことが多い。後者は明・清代の戯文や伝奇で用いられた。明と清の時代において、音声を主体とする演劇の中で、昆曲は最も多くの作家と作品を有する芸術だった。京劇、川劇、湘劇、越劇、黄梅劇など多くの演劇の形成と発展に直接的な影響を与えた。 |
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歌舞伎含む日本の古典芸能(1970-72年)シリーズ他 |
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歌舞伎 |
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■歌舞伎(かぶき)は、日本独特の演劇で、伝統芸能の一つで重要無形文化財、世界無形遺産です。1603年に北野天満宮興行を行い、京都で評判となった出雲阿国(いずものおくに)が歌舞伎の発祥とされる。歌舞伎には、多彩な音楽が用いられる。これは「歌舞伎」が本来、最初から劇として作られた演目、人形浄瑠璃を原作とした演目、さらには舞踊といったさまざまの種類の舞台を総称したものであり、各分野に適応した音楽が存在するためである。大きく分けて歌物である長唄と語り物である浄瑠璃がある。 |
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娘道成寺(歌舞伎) |
勧進帳(歌舞伎) |
助六(歌舞伎) |
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菅原伝授手習鑑(歌舞伎) |
鳥居清倍・ |
江戸名所図屏風(部分) |
歌舞伎・義経千本桜 |
江戸で人気の荒事歌舞伎を |
1629〜30年頃の江戸の様子を描いた八曲一双の屏風。歌舞伎小屋の様子。 (出光美術館 蔵) |
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鏡獅子の獅子の精 尾上菊五郎 |
勧進帳の弁慶 松本幸四郎 |
吉田屋の扇屋夕霧 中村梅玉 |
初世 中村吉右衛門 (一谷嫩軍記の熊谷次郎直實) |
本朝廿四孝の八重垣姫 |
毛抜の粂寺弾正 市川団十郎 |
心中天綱島の紙屋治兵衛 |
寿式三番叟の翁 片岡仁左衛門 |
元禄忠臣蔵の大石内蔵助 |
寿曽我対面の曽我五郎・十郎 |
二世 実川延若(楼門五三桐 の石川五右衛門) |
藤娘の藤の精 尾上梅幸 |
石川五右衛門(いしかわ ごえもん、生年不詳 - 文禄3年8月24日(1594年10月8日))は、安土桃山時代に出没した盗賊。出生地は伊賀国・遠江国(現浜松市)・河内国・丹後国などの諸説があり、伊賀流忍者の抜け忍で百地丹波の弟子という説もある。 |
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雅楽 |
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■雅楽は10世紀以前に中国、朝鮮半島、南アジアから伝わった儀式用の音楽がもとになっている。その言葉の意味は「雅正の楽舞」で、大規模な合奏形態で演奏される伝統音楽としては世界最古の様式である。大太鼓と釣鉦鼓が使われています。 |
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還城楽(げんじょうらく、雅楽) |
太平楽(雅楽)・大太鼓と釣鉦鼓 |
胡蝶(雅楽) |
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万歳楽(雅楽、日本,1975年) |
■蘭陵王(らんりょうおう): 由来には諸説ありますが、最も有力なものは、中国南北朝時代の北斉(549〜577)蘭陵群の王・長恭(ちょうけい)の故事に基づくもの。 長恭は才知武勇の王でありましたが、あまりに容貌が美しく、戦場での兵士の士気が上がりませんでした。そこで恐ろしい面を付けて戦に臨んだところ、見事勝利したと伝えられています。その戦勝の様を舞にしたものです。 頭上に龍の彫刻をつけた恐ろしい面をつけ、躍動的に舞う「走舞(はしりまい)」(勇壮活発に舞われるもの)です。面の顎の部分は紐でつながれており、動くようになっています。身に付ける衣裳は、「裲襠(りょうとう)装束」といい、裲襠には前後に龍の刺繍が二つ施してあります。 「陵王」、「羅陵王」とも言います。(赤坂 氷川神社のHP 参考) |
「雅楽衣装文様・蘭陵王」(日タイ修好120周年、2007年) |
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文楽 |
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■文楽(ぶんらく)は、本来操り人形浄瑠璃専門の劇場の名である。しかし、現在、文楽といえば一般に日本の伝統芸能である人形劇、人形浄瑠璃(にんぎょうじょうるり)をさす代名詞的存在である。文楽座の始まりは、淡路仮屋の初世植村文楽軒が「西の浜の高津新地の席」という小屋を大坂高津橋南詰で建てて、興行したのが始まりとされる。 |
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熊谷陣屋(文楽) |
阿波の鳴門(文楽) |
野崎村(文楽) |
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八重垣姫(文楽、1966年) |
阿波十郎兵衛(文楽、1991年) |
文楽と中之島公会堂(1989年) |
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能楽 |
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■能楽(のうがく)とは日本の伝統芸能である。能楽は能、式三番、狂言の三つの分野に分けられる。能(のう)は、鎌倉時代後期から室町時代初期に完成した。なお、江戸時代以前には現在の能楽に相当する言葉として猿楽が用いられていた。 |
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田村(能楽) |
羽衣(能楽) |
葵上(あおいのうえ、能楽) |
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能楽堂(能楽、日本) |
能楽のまち 延岡(延岡藩神事能 のべおか天下一薪能) |
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「観阿弥創座の地 なばり夏能」を見てだあこ![名張市役所 平成23年8月8日掲載] |
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■能楽大成者 観阿弥は妻の出生地である名張市小波田で初めて猿楽座(後の観世座)を建てました。その後、足利三代将軍義満の絶大な庇護を受け「能楽」として京の地で開花し、伝統芸能の一つの頂点になりました。 現在、名張では年一回薪能が開催され、大勢の見物客で賑わっています。 |
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音楽の切手|世界の歌劇やオペラ・演劇・日本の古典芸能 |
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