Kunioの世界の切手紹介と海外写真集

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暮らし・音楽の切手|世界の音楽家・作曲家・指揮者・楽譜 有名なバロックや古典派、ロマン派に対するクラシック(古典派音楽)の作曲家を中心

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音楽の切手|世界の音楽家・作曲家・指揮者・楽譜

 世界の音楽家・作曲家・指揮者・楽譜に関する切手を中心にした切手です。作曲家といっても沢山いるのですね。 ここでは、有名なバロックや古典派、ロマン派に対するクラシック(古典派音楽)の作曲家を中心に。 音楽にはあまり造詣がなく、昔学校で習ったクラシック音楽(普通は古典派をさしています)の作曲家しか思い浮かびません。 また音楽に関してはヨーロッパは一日の長があり、楽器面ではギリシャ・オーストリア・ドイツ・チェコで珍しいものがあり、作曲家ではヘンデル・シューベルト・モーツアルト・バッハ・ブラームス・ベートーベン、古賀政夫、グリーグ、リスト、ヴィヴァルディを筆頭としたイタリアの作曲家たち等の切手も入れました。モーツァルトは、「オーストラリアの写真集」でも取り上げています。指揮者では小澤征爾とストルツ。アラブやインド、中国など非西洋の古典音楽や純民衆的な伝統音楽は、民族音楽とされています。

 

音楽関係の切手の索引 [ 音楽・メロディ楽器作曲家・楽譜・指揮者レコード歌手演奏家歌劇やオペラ、日本古典芸能 ]

作曲家・楽譜の切手

■モーツァルト(オーストリア)

■ブラームス(ドイツ)

オーストリア 作曲家 モーツアルト 切手 小型シート ドイツ 作曲家 ブラームス 小型シート 楽譜

■ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト(Wolfgang Amadeus Mozart, 1756年1月27日ザルツブルクに生まれ - 1791年12月5日)は有名なクラシック音楽の作曲家の一人である。6歳でシェーンブルン宮殿にてマリア・テレジア御前演奏。7歳のマリア・アントーニア(マリー・アントワネット)にプロポーズしたという逸話がある。他詳細は割愛
■ヨハン・ゼバスティアン・バッハ(Johann Sebastian Bach, 1685年 - 1750年、大バッハ)は、18世紀に活動したドイツの作曲家である。「近代音楽の父」と称される巨匠であり、「音楽の父」とも称される。バッハは幅広いジャンルにわたって作曲を行い、オペラ以外のあらゆる曲種を手がけた。その様式は、通奏低音による和声の充填を基礎とした対位法的音楽という、バロック音楽に共通して見られるのものであるが、特に対位法的要素を重んじる傾向は強く、当時までに存在した音楽語法を集大成し、さらにそれを極限まで洗練進化させたものである。
■ゲオルク・フリードリヒ・ヘンデル(Georg Friedrich Hendel 1685年 - 1759年)は、ドイツ生まれでイギリスに帰化した作曲家。作曲家大バッハと並ぶバロック音楽最大の作曲家とされ、大バッハを「音楽の父」と呼ぶことがあるのに対し、ヘンデルには「音楽の母」と言われている。バッハが主として教会の礼拝で用いる音楽(教会音楽)で活躍したのに対し、ヘンデルはオペラや(劇場用の)オラトリオなど、劇場用の音楽で本領を発揮した。

■シューベルト(ドイツ)

■シュッツ・バッハ・ヘンデル(ドイツ)

ブラームス(モナコ)

作曲家 シューベルト 切手 ドイツ ブラームス(モナコ)

■ヨハネス・ブラームス(Johannes Brahms, 1833年5月7日 - 1897年4月3日)は、19世紀ドイツの作曲家、ピアニスト、指揮者。バッハ、ベートーヴェンと並びドイツ音楽に於ける「三大B」と称される一人である。ハンブルクに生まれ、ウィーンに没した。作風は概ねロマン派音楽の範疇にあるが、古典主義的な形式美を尊重する傾向も強い。
■フランツ・ペーター・シューベルト(Franz Peter Schubert, 1797年1月31日 - 1828年11月19日)は、オーストリアの作曲家。各分野に名曲を残したが、とりわけドイツ歌曲において功績が大きく、「歌曲の王」と呼ばれてる。シューベルトは一般的にロマン派の枠に入れられるが、その音楽、人生はウィーン古典派の強い影響下にあり、記譜法、基本的な作曲法も古典派に属している。

■バッハ(ドミニカ、1985年、バッハと「エクスプリケーション」の楽譜と、演奏に使用した  楽器(コルネット、コイルド・トランペット、ピッコロ、バイロノチェロ・ピッコロ)

■シューマン(ドイツ発行)

バッハ(ドミニカ、1985年、バッハと「エクスプリケーション」の楽譜と、演奏に使用した  楽器(コルネット、コイルド・トランペット、ピッコロ、バイロノチェロ・ピッコロ) バッハ(ドミニカ、1985年、バッハと「エクスプリケーション」の楽譜と、演奏に使用した  楽器(コルネット、コイルド・トランペット、ピッコロ、バイロノチェロ・ピッコロ) 音楽 作曲家 シューマン(ドイツ発行) ロベルト・アレクサンダー・シューマン(Robert Alexander Schumann, 1810年6月8日 - 1856年7月29日)はドイツの作曲家、音楽評論家。ピアノ曲に名品多数あり。

■ロベルト・アレクサンダー・シューマン(Robert Alexander Schumann, 1810年6月8日 - 1856年7月29日)はドイツの作曲家、音楽評論家。ピアノ曲に名品多数あり。

■モーツァルト(チェコ)

■モーツァルト(オーストリア)

モーツァルト(ルーマニア)

モーツアルト(チェコ) 作曲家 音楽 切手 オーストリア発行のモーツアルト モーツアルト(ルーマニア) 音楽

■ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト( 1756年1月27日 - 1791年12月5日)は最も有名なクラシック音楽の作曲家の一人である。ハイドン、ベートーヴェンらとともに古典派と呼ばれる。オーストリアの都市であるザルツブルクに生まれ、ウィーンで没した。称号は神聖ローマ帝国皇室宮廷室内作曲家、神聖ローマ帝国皇室クラヴィーア教師、ヴェローナのアカデミア・フィラルモニカ名誉楽長など。

モーツアルト(セルビア)

ブラームスと楽譜

■エドヴァルド・ハーゲルップ・グリーグ(Edvard Hagerup Grieg、1843年6月15日 - 1907年9月4日)は、ノルウェーの作曲家。ノルウェーの民族音楽から着想を得て、国民楽派の作曲家として注目された。 彼の民族音楽からの深い影響は、組曲「ペール・ギュント」1曲目、「朝」の冒頭がノルウェーの民族楽器であるハリングフェーレの共鳴弦を端からつま弾いた時の旋律から始まっていることからもうかがうことができる。

モーツアルト(セルビア) ブラームスと楽譜

■モーツァルトの楽譜・寄付・小型シート(ベルギー、1956年)

モーツァルト(ドイツ)

■グリーグ(ノルウェー)

音楽 モーツァルトの楽譜・寄付・小型シート(ベルギー、1956年) モーツァルト(ドイツ) グリーグ(ノルウェー) 組曲「ペール・ギュント」

組曲「ペール・ギュント」

■ベートーベン(日本)

ベートーベン(アイルランド)

ベートーベン ベートーベン(アイルランド) 音楽 切手 作曲家

■ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(1770年12月16日ごろ(洗礼を受けたのが12月17日であることしかわかっていない) - 1827年3月26日)は、ドイツの作曲家。ボン生まれ。楽聖と呼ばれ、クラシック音楽史上最も偉大な作曲家の一人である。その作品は古典派音楽の集大成とされている。

■ウルグアイの楽譜切手

■ネパール国家の楽譜

■古賀政男(日本、作曲家)

ウルグアイの楽譜切手 ■ネパール国家の楽譜 音楽 古賀政男(作曲家) 日本

■古賀 政男(こが まさお、1904年11月18日 - 1978年7月25日)は、昭和の作曲家、ギタリスト。国民栄誉賞受賞者。少年時代に弦楽器に目覚め、青年期はマンドリン・ギターのクラシック音楽を研鑽。大正琴を愛した。プレクトラム音楽家・「古賀正男」から流行歌王・「古賀政男」になり、国民的な作曲家としての地位を確立。多くの流行歌をヒットさせた。東京音楽学校(現東京芸術大学音楽部)出身のクラシックの正統派藤山一郎から、演歌の女王・美空ひばりまで、その作品は5000曲とも言われている。

■ベートーベン
(ハンガリー,1970年)

■ベートーベン
(チェコスロバキア、1970年)

■ショパン(ポーランド)

ベートーベン(ハンガリー,1970年) ベートーベン(チェコスロバキア、1970年) ショパン(ポーランド) 作曲家

ベートーベンの肖像

ベートーベンの肖像

ショパンの肖像と楽譜(インド)

『ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(Ludwig van Beethoven)』

ショパンの肖像と楽譜(インド) ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(Ludwig van Beethoven)

左:バッハ(ポーランド) 、右:ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト、地は自筆楽譜とサイン(東ドイツ、1981年)

ベートーヴェンの肖像(東ドイツ、1970年)

バッハ(ポーランド) ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト、地は自筆楽譜とサイン(東ドイツ、1981年) ベートーヴェンの肖像(東ドイツ、1970年)

■フレデリック・フランソワ・ショパン (Frederic Francois Chopin, ポーランド名フリデリク・フランツィシェク・ショペン Fryderyk Franciszek Szopen, 1810年3月1日) は、ポーランドの音楽家。ヨーロッパにおいて作曲家として、またピアニストとして有名であった。様々な形式、美しい旋律、半音階的和声法などによってピアノの表現様式を拡大し、それまでなかったピアノ音楽の新しい地平を切り開いた偉大な作曲家の一人である。その作曲のほとんどをピアノ独奏曲が占め、ピアノの詩人とも呼ばれるように、様々な形式、美しい旋律、半音階的和声法などによってピアノの表現様式を拡大し、ピアノ音楽の新しい地平を切り開いた。ノクターンやワルツなど、今日でも彼の作曲したピアノ曲はクラシック音楽ファン以外にも有名。

べトーベン死去150年(ドミニカ)

ベートーベン(ソ連、1970年)

モーツアルト(ベトナム)

べトーベン死去150年(ドミニカ) 音楽 作曲家 ベートーベン(ソ連、1970年) 音楽 作曲 モーツアルト(ベトナム) 作曲家 音楽

ラインベルガー
(リヒテンシュタイン、1939年)

リスト(ハンガリー、1967年)

■リスト(Franz Liszt、1811-1886) ハンガリーの作曲家。すぐれた技巧のピアニストとしてヨーロッパで名声を博し、多数の華麗なピアノ曲と交響詩を作曲。代表作「ハンガリー狂詩曲」「ピアノ-ソナタ」「ピアノ協奏曲」。
■画家はミヒャエル・フォン・ムンカーチ(Munkacsy Mihaly): 1844 - 1900 は、パリに住み、大規模聖書絵画で国際的な名声を獲得したユダヤ系 ハンガリーの画家。

モーツアルト(ユーゴスラビア)

ラインベルガー(リヒテンシュタイン、1939年) 作曲家 リスト(ハンガリー、1967年)■リスト(Franz Liszt、1811-1886) ハンガリーの作曲家。すぐれた技巧のピアニストとしてヨーロッパで名声を博し、多数の華麗なピアノ曲と交響詩を作曲。代表作「ハンガリー狂詩曲」「ピアノ-ソナタ」「ピアノ協奏曲」。 モーツアルト(ユーゴスラビア)

スメタナ(チェコスロバキア) 「わが祖国」の作曲家

ベートーベン

シューベルト(オランダ,1997年)

スメタナ(チェコスロバキア) 「わが祖国」の作曲家 スメタナ(チェコスロバキア) 「わが祖国」の作曲家 シューベルト(オランダ,1997年) 作曲家

■ベドジフ・スメタナは、チェコの作曲家であり、「ヴルタヴァ」(モルダウ)を含む一連の6つの交響詩から成る『わが祖国』(Ma Vlast)が特に知られる。彼の歌劇の多くは、チェコの題材に基いており、中でも『売られた花嫁』は喜劇として最もよく知られている。彼は、チェコの民俗舞踊のリズムを多用し、また、彼の書いた旋律は時として民謡を彷彿とさせる。

クラシックに関する情報

メンデルスゾーンと楽譜(ドイツ)

メンデルスゾーン

■フェリックス・メンデルスゾーン(ヤコプ・ルートヴィヒ・フェリックス・メンデルスゾーン・バルトルディ、Jakob Ludwig Felix Mendelssohn Bartholdy, 1809年2月3日 ハンブルク - 1847年11月4日)は、ドイツロマン派の作曲家、指揮者。一度見た楽譜や一度聞いた音楽を完璧に記憶する記憶能力を有していたという。伝わっている逸話の1つとして、代表作の1つである『夏の夜の夢』序曲の楽譜を引越す際に紛失してしまうも、記憶だけを頼りに全てまた書き出して見せた、というものが残っている。

イタリアの作曲家達  (説明はWikipediaより抜粋)

スカルラッティ

■スカルラッティ ドメニコ Scarlatti, Domenico 1685〜1757 大バッハ、ヘンデルと同年、イタリアに生まれた。父親はナポリ楽派の創始者として重要視される作曲家、アレッサンドロ・スカルラッティ。少年時代に始まる音楽活動の前半期はオペラや教会音楽が主な作品である。500余曲を数える「ソナタ」は後半生、ポルトガル王女マリア=バルバラ(後にスペイン王妃)の教育目的で作曲された練習曲である。急速な同音連打や大きな跳躍進行など、当時としては極めて斬新な鍵盤音楽の演奏技巧を開発した。スカルラッティの「ソナタ」は主にチェンバロで弾かれることを想定して作られたものであり、現代のピアノで弾くにはそのことを踏まえた繊細な技巧を要する。

ヴィヴァルディ

■アントニオ・ルーチョ・ヴィヴァルディ(Antonio Lucio Vivaldi, 1678年3月4日 - 1741年7月28日)はヴェネツィア出身のカトリック司祭、バロック末期の作曲家。作品は普通、RV番号で整理される。イタリアのヴェネツィアに生まれ、オーストリアのウィーンで没した。サン・マルコ大聖堂付きオーケストラの一員であった、理髪師でヴァイオリニストの父親からヴァイオリンを学ぶ。10歳より教会付属の学校に入り、25歳で司祭に叙階される。赤毛であったことから「赤毛の司祭」と呼ばれるようになった。500を超える協奏曲(ヴィヴァルディは、写譜屋が写譜するよりも早く、協奏曲の全パートを作曲できると豪語していたといわれている) を作った。

イタリアの作曲家達 スカルラッティ イタリアの作曲家達 ヴィヴァルディ

■ガスパーレ(またはガスパレ)・ルイジ・パチフィコ・スポンティーニ(Gaspare Luigi Pacifico Spontini, 1774年11月14日 - 1851年1月24日)はイタリア出身のオペラ作曲家・指揮者。アンコナ地方のマイオラーティ(現在のマイオラーティ・スポンティーニ)出身。19世紀の最初の20年間は、フランス第一帝政におけるオペラ・セリアの最重要人物として活躍。グルックの古典的なトラジェディ・リリックの理念を、当時のメロドラマに対する趣味や、より壮大な光景、豊かなオーケストラの音色、特徴的な言語表現に組み合わされた旋律の創意になじませようと努力した。『ヴェスタの巫女』(La Vestale )は、スポンティーニの最高傑作にして成功作である。

スポンティーニ

■フェルッチョ・ブゾーニ(Ferruccio Busoni, 1866年4月1日 エンポリ Empoli - 1924年7月27日 ベルリン)は、イタリア出身でドイツを中心に世界中で活躍した作曲家・ピアニスト・指揮者・音楽教師。本名はダンテ・ミケランジェロ・ベンヴェヌート・フェルッチョ・ブゾーニ (Dante Michelangelo Benvenuto Ferruccio Busoni) 。作曲家および音楽美学者として 新古典主義音楽を提唱し、電子音楽や微分音による作曲など、未来の音楽像を描き出してみせた。シベリウスやニールセン、レーガー、マニャール、シェーンベルク、バルトークなど、ブゾーニの尽力によって世界の檜舞台に出た作曲家は少なくない。

ブゾーニ

イタリアの作曲家達 スポンティーニ イタリアの作曲家達 

フランチェスコ・チレア

■フランチェスコ・チレア(Francesco Cilea、1866年7月26日 - 1950年11月20日) は、イタリアのオペラ作曲家。チレアは、1866年7月26日にイタリアのレッジョ・カラブリア近郊パルミにて生まれた。『アルルの女』や『アドリアナ・ルクヴルール』によって、レオンカヴァッロやマスカーニらと並ぶヴェリズモ・オペラの旗手となるも、趣味の変化によって初期の成功は長続きしなかった。1913年にジュゼッペ・ヴェルディ生誕100周年を記念する合唱つき交響詩がジェノヴァで初演された。チレアは音楽学校の経営や教育にも尽力し、フィレンツェとパレルモ、最後にナポリで教鞭を執った。1936年に公職を退く。ピアノ曲も出版し、またすぐれた室内楽曲がいくつかあるが、広くは知られていない。

フランコ・アルファーノ

■フランコ・アルファーノ(Franco Alfano, 1875年3月8日 ナポリ近郊 - 1954年10月27日 サン・レモ)はイタリアのオペラ作曲家。ナポリの音楽学校で専門教育を受けた後、1895年よりライプツィヒ音楽院に留学し、ザーロモン・ヤーダスゾーンに作曲を師事。翌年からベルリンなどでピアニストとして活動を開始するかたわら、オペラの作曲にも着手するが、不運続きであった。1899年からパリに進出し、バレエ団「フォリ・ベルジェール」のために2つのバレエ曲を書いて好評を呼ぶ。また、同時期にロシアにピアニストとして演奏旅行に向かい、この間、トルストイ原作のオペラ『復活』を構想する。1904年に『復活』のトリノ初演でオペラ作曲家としてはじめて成功。1921年のオペラ『サクーンタラ』はアルファーノの最高傑作と言われる。

イタリアの作曲家達 フランチェスコ・チレア イタリアの作曲家達 フランコ・アルファーノ

指揮者・オ−ケストラの切手

■小沢征爾(日本、指揮者)

■小澤 征爾(おざわ せいじ、1935年9月1日 - )は日本人指揮者である。現在は、ウィーン国立歌劇場の音楽監督を務める。1959年パリ滞在中に第9回ブザンソン国際指揮者コンクール第1位。ヨーロッパのオーケストラに多数客演。カラヤン指揮者コンクールにて第1位。指揮者のヘルベルト・フォン・カラヤンに師事。1960年アメリカのボストン郊外で開催されたバークシャー音楽祭(現・タングルウッド音楽祭)にてクーセヴィツキー賞を受賞。指揮者のシャルル・ミュンシュに師事。1961年ニューヨーク・フィルハーモニック副指揮者に就任。指揮者のレナード・バーンスタインに師事。同年ニューヨークフィルの来日公演にも同行。カラヤン、バーンスタインとの親交は生涯に渡り築かれた。

■ロベルト・ストルツ

■ロベルト・ストルツ:ベルリン響の指揮者でヨハン・シュトラウスを得意とする。
切手は1980年にベルリンで発行された。

小沢征爾(指揮者) ■ロベルト・ストルツ 指揮者 ベルリン

■フィンランド・オーケストラ

サイトウ・キネン・フェスティバル松本(長野,1996)

■「サイトウ・キネン・フェスティバル松本」は、世界の音楽会をリードする優秀な音楽家の育成に尽力された故斎藤秀雄氏の門下生を中心としたオーケストラが主体となって、松本市内のコンサート施設等を会場に、優れた西洋音楽を日本から世界に向けて発信する異色の国際音楽祭です。松本を代表する北アルプスを背景に、指揮者とオーケストラを描き、音楽の広がりと迫力を表現しています。

音楽 フィンランド・オーケストラ

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